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第99話 真夜中のカーニバル

 外は、昼間のうだるような暑さが、まるでなにかの間違いであったかのように涼しかった。


 夜空には、街の光に負けじと輝く、いくらかの星々がまたたいている。

 夏の夜風は、瑞々しくも心地よく、俺たちの頬をかすめては、吹き抜けてゆく。


 おそらくはやんちゃでわんぱくなお子様が、こんな夜遅くという時間にもかかわらず、花火を打ち上げたのだろう。ぱんという破裂音が、どこか遠くからかすかに、聞こえてきた。


「それで、上田さんの家はここから近いの?」


 歩き出してからほどなくして、俺は前をゆく上田さんへと声をかける。


「うむ。徒歩で十分といったところだ」


 肩越しに青い瞳を俺に向けると、上田さんが進行方向を指さす。


「この先に大きな緑地公園があるだろ。そのすぐ脇に我が自宅は建っている」


 飲食店などが軒を連ねる、幹線道路をしばらく歩くと、前方に鬱蒼とした木々の陰が、建物と建物の間に見えてきた。

 木々の陰は、空の黒よりもより深い漆黒であり、夜の闇の中でざわざわと揺れ動いていたので、正直に言えば男の俺でも、少しだけ、不安な気持ちが湧き上がった。


 公園の前に着き、車両進入禁止のポールを通り抜けると、上田さんはそのまま公園の中央へと向けて歩を進めた。


 どうやら上田さんの自宅は、今いる場所からちょうど公園の反対側にあるみたいだ。

 でなければこんな不気味な夜の公園にわざわざ足を踏み入れるはずがない。

 まさか公園の中に自宅が建っているわけじゃああるまいし。


「着いたぞ。ここだ」


 左右にあじさいの植えられた、くねくねと蛇行した緩やかな上り坂を上り終えたところで、上田さんが立ち止まり言った。


 顔を上げると、そこには中央に大きなくすの木が立つ、ロータリーがあった。

 歩道は赤いレンガを敷き詰めて作った、どこか趣のあるものであり、いつからあるのか、端には枯れてぱりぱりになった落ち葉が、いくらかそのままの状態で放置されている。


 ゴールも分からずに慣れない道を歩いたというのもあるが、なんだか俺は、どこか別の世界にでもトリップしたような気分になった。

 少なくとも日本ではない、どこか別の国に。


「……ええと、上田さんのご自宅は、一体どれなのかしら?」


 ロータリーに沿って、反時計回りに見回しながらも、一ノ瀬さんが言う。


 俺も、一ノ瀬さんと同様に、反時計回りに周囲を見回してみる。


 大きい公園ならば、全国どこにでもありそうなこぢんまりとしたレンタル自転車屋さんに、同じくこぢんまりとした甘味処。次いでシャッターの降ろされたスタジオの廃墟があり、その隣に洋風の置物が外にまで溢れ出したアンティークショップがある。

 見える範囲にはあと単身者用のボロいアパートがあるが、これはどうみても、上田さんの自宅とは思えない。


 では一体どれが上田さんの自宅なのだろうか。


 顔を戻すと俺は、返事を促すように、上田さんへと視線を送る。


「あれだ」


 上田さんの指先をたどると、そこには件のアンティークショップがあった。


 白い壁に土色の瓦ののったとんがり屋根。

 ビリジアン色の木のドアの向こうからは、ともすればホビットでも出てくるのではないかといった雰囲気が漂っている。

 というか赤い髪、白い肌、青い瞳の、日本人離れした上田さんの容姿に、驚くほどにマッチしているのは、誰もが認めるところだろう。


「上田さんの家って、アンティークショップだったんだね」


 外観を見上げながらも、俺は聞く。


「いや、これは店ではないぞ。どこまでも純粋に、我の自宅だ」


「え? そうなの? でも軒先に、石像とか、花瓶とかが、いっぱい置いてあるけど」


「ああ、これはな、我が母君が買ってきた土産だ。母君は画家をしていてな、よく海外に出かけるのだよ。すると必ずその土地の土産を買ってくる。そして気がつけばこの有様だ。滑稽だろ。中はもっとすごいぞ」


「そう……なんだ」


 失礼な言い方かもしれないけれど、上田さんがちょっとおかしいのは、分かる気がする。


 ようは家庭環境だ。


 考え方、価値観が、一般からずれた親に育てられれば、やはりその子も、一般からずれた考え方、価値観を持った人間に育つだろう。

 とはいえ、なにもそれがいけないと言っているのではない。むしろ逆だ。

 現代において、ずれている、つまりは類型的な人とは違うというのは、ある種武器になる場合があるからだ。

 事実上田さんは、画家である両親のもとで育ち、自らも絵の道に進もうとしている。というかもう既に、未成年でありながらも、その人とは違う特技で、お金を稼いでいる。

 これは、誰がどうみても、ほめられるべき点ではないだろうか。


 玄関をくぐり、家に上がると、俺たちは廊下に並ぶアンティークに足をぶつけないように気をつけながらも、家の裏手にある、リビングへと向かった。


 リビングは、思ったよりも狭かった。

 もしかしたら廊下と同様にアンティークがそこかしこに置かれているからそのように感じるだけなのかもしれないが、俺、一華、一ノ瀬さん、細谷、上田さんの五人が各々腰を下ろしたら、それで結構窮屈になってしまった。


「上田さんの母さんって、画家なんだよね? もっと絵がいっぱい置いてあるかと思ったけど、一枚もないね」


 物珍しそうに辺りを見回しながらも、俺は言う。


 リビングにあるのは、小さめのローテーブルと、それを囲むL字のソファと、あとはアンティークの類ぐらいだ。

 壁際に天井まで届く本棚が一つ設えられているが、整理をしていないのか、背表紙はばらばらで、入り切らない本がすぐ下の床に積み重ねられている。


 雰囲気があると言えば聞こえはいいが、ただ単にぐちゃぐちゃだと言えば、そうなのかもしれない。


「キャンバスは、全てキッチンの方に置かれている。すごい量だぞ。見るか?」


「いえ。やめておきます」


 畏怖の念が出たのか、つい俺は敬語を使ってしまう。


「それよりも、さっそく始めないか? 時間が惜しい」


「うむ。そうだな」


 頷くと上田さんは、一度部屋から出ていって、すぐに戻ってきた。

 ある物を手にして、がらがらと引きながらも。


「ええと……衣装?」


 そう、上田さんが持ってきたのは、キャスターのついた、金属製の衣装掛けだった。

 そこには色とりどりの、様々な中世ヨーロッパ風の衣装がかけられている。

 貴族風のドレスだったり、シスターの修道服だったり、魔法使いが着るようなフードのついたローブだったり。


「おお、なんかこれ、すごく完成度が高いんだけど」


 歩み寄った細谷が、一つひとつ衣装のできばえをチェックしながらも言う。


「当然だ。全て本場ヨーロッパ産だからな」


「これも母さんのお土産? やっぱ生地だよな。重みがあるっていうか、重厚っていうか」


 いや、完成度とかどうでもいいから!

 なんで今こんなのを持ってきたのかが重要だから!


 核心をつくためにも、俺は思ったことをそのまま上田さんにぶつける。


「なんで今こんなのを持ってきたの?」


「決まっているだろ」


 当然といった顔で俺を見る。

 そして腰に手を当てて胸を張ると、宣言するように声を上げる。


「着るためだ! さあ美麗なるおなごの諸君……着替えるのだ!!」


 ぽかんとする一同。


 口角を上げて、あくまでも自信に満ちた雰囲気を醸し出す上田さん。


 彼女の宣言は、まるで拡散する熱エネルギーのように、窓を抜けて、夜の闇の中へと溶け込んでゆく。


 数瞬の静寂ののちに口火を切ったのは、水を向けられた本人たちである、一華と一ノ瀬さんだった。


「「着ない!」わよ!」


「して、その理由は?」


「それは私たちの質問よね?」


 腕を組み、脚を組んだ一ノ瀬さんが、やれやれと目をつむる。


「どうして私たちがそんなコスプレみたいな格好をしないといけないのかしら? それらを着ることと上田さんがイラストを描くことに、一体どういう関係があるというの?」


「関係ならあるぞ」


「え? どういう?」


「それはだな……」


 目をつむり、うしろで手を組んだ上田さんが、思考を巡らせる科学者のように、その場をいったりきたりする。

 そしてもとの場所で立ち止まり、人差し指を立てると、清々しいまでの歯切れのよさで、言う。


「ずばりかわいいからなのだ!」




 ――なのだ……なのだ…………なのだ………………なのだ……………………。




 心の中で、上田さんの言葉が反響する。


 脳裏に浮かぶのは、ハイジの格好をした上田さんが、そびえ立つアルプス山脈に向かって、両手でメガホンを作り、元気よく叫んでいる、そんなユーモラスなイメージだ。


 ……一体全体、上田さんはなにを言っているんだ?

 どこかで頭でもぶつけたのか?


 きっと俺以外も、上田さんに対して同じことを思ったに違いない――そう思ったし、そう思うのが世の常識だろうと、心のどこかで確信していた。


 次の……一ノ瀬さんの反応を見るまでは。

近くで始まったビルの解体工事がうるさすぎてノイローゼになりそう。

不本意ながらも今後更新頻度は低くなると思います。

数少ない趣味なのに。。。

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