第98話 等価交換
「ところで」
ほどなくして、スマートウォッチで時間を確認した細谷が、仕切り直すように言う。
「なつみかんにフォロー申請を送ってから大体二十分ぐらいが経過したけど、どう? なにか反応はあった?」
「ちょっと待ってくれ。今確認をするから」
スマホを手に取りツイッターを開くと、上田さんは残念そうに首を傾げる。
そしてまるで念のためとでもいうように、一度ツイッターを落としてから、再度開いて、今一度承認されているかいないかの確認をする。
「うむ。特に反応はないみたいだな」
「反応がないってことは、承認も拒否もされていないってことだよね?」
「まさしくその通りだ。あるいは夏木京矢の妹は、もう既に寝てしまっているのかもしれぬぞ」
「確かにその可能性は否定できないけど……」
腕を組むと、細谷はなにかを考えるようにあごを下げて、テーブルに視線を落とす。
「さっき上田さんは、妹さんを捜すための、できる限りの協力をするって言ったよね?」
「いかにも」
「じゃあ」
言いづらいのか、細谷は一瞬口をつぐんだが、ごくりとつばを飲み込むと、意を決したように言った。
「ドラペのイラストを、何枚かツイッターにアップしてくれないか? 以前描いたやつでも構わないから」
「ほう」
感心したように顔を上げる上田さん。
かくいう俺も、細谷の言わんとするところを理解して、心の中で一人、開いた手に、もう一方の握った手を振り下ろした。
つまりはこうだ。
くるみは、ドラペが好きなのであって、必ずしもウルヴェルが好きとは限らない。
しかし同人作家のウルヴェルが、頻繁にドラペのイラストを上げてくれるとなれば、話は別だ。
フォローするだけで、大好きなドラペのイラストが、なにもしなくても勝手にタイムラインに流れてくるようになるのだから、たとえ喜んでまでとはいかなかったとしても、とりあえずはフォローしておこうとなるのが、当然の流れといえる。
正直、現在くるみが、なぜウルヴェルのフォロー申請をスルーしているのかは分からない。
もしかしたら迷っているのかもしれない。
あるいはただ本当に、夢の世界へと旅立っているだけなのかもしれない。
しかし、なにはともあれ、全てが憶測の域を出ない以上、俺たちはできる限りの最善策を取り続けていくしか、今は他にできることがない。
店内には、俺の心情とはまるで正反対な、メランコリックなピアノ曲が流れている。
窓の外には、俺の心情をうまく体現するような、雑然とした夜の街並みが広がっている。
現在の時刻はちょうど夜中の一時半を回ったところだ。
少しでも時間が惜しい。
俺は話を前へと進めるためにも、期待を込めて、上田さんに言った。
「多分、いや絶対に、細谷の案は効果があると思う。ウルヴェルのアカウントに、ドラペのイラストを上げてくれないか?」
俺のお願いに、上田さんが腕を組んで考える。
「だめか?」
「いや、そうではない」
否定の意味が分からなかったので、俺は黙って上田さんの次の発言を待つ。
「実はな、ドラペの同人誌を描いたのは、一つ前のシリーズで、それ以降はもう何年も描いていないのだよ」
「え? そうなの? じゃあイラストも?」
「イラストも然りだ。それに、もう一つ、我がためらった理由がある」
「それは?」
「我はな、ツイッターに関しては、あるルールで自分自身を縛っているのだよ。その縛りとはずばり、一度アップしたイラストは、再度アップすることをしない、というものだ。フォロワーには、いつ見ても、常に新しいイラストで楽しんでほしいからな」
つまりは、最新シリーズのイラストは一切なくて、だからといって過去のイラストを上げることもできない……そういうことだ。
ぬか喜びに、がっくりと肩を落とす俺。
次から次へと出てくるのは、どこまでも陰気臭い、重いため息のみだ。
そんな俺を不憫に思ったのか、あるいは会長として部下を助けようと思ったのか、一ノ瀬さんが若干強い口調で言う。
「できないできないって、それはあまりにもフェアでないのではなくて? 夏木くんは、あなたの原稿を手伝うと約束したのよ。それって何日もかかる重労働よね。それを鍵垢にフォロー申請をするワンクリックのみで済まそうとするなんて、誰がどう見ても、等価交換にあまりにも反するわ」
追従するように、細谷が加勢する。
「Ⅸのイラストがない、古いのはアップできないというのなら、新しいⅨのイラストを、今ここで描けばいいだろ? できる限り協力するって、そういうことじゃあないのか?」
ぴりぴりした雰囲気を醸し出す一ノ瀬さんと細谷に対して、上田さんはどこまでも冷静な眼差しで皆の様子をうかがった。
その視線は中空をたゆたう鳥の羽のように緩やかに、細谷、一ノ瀬さん、一華、最後に俺という順に、流れた。
「夏木京矢」
笑みを浮かべた上田さんが、俺を見据えながらも俺の名を呼ぶ。
「はい?」
「貴様はいい仲間に恵まれているのだな」
誰も言葉を挟む間もなく、間髪を容れずに、上田さんがその場に立ち上がる。
そして皆にも起立を促すように両腕を広げると、わずかばかりか目を細めて、宣言するように言う。
「よかろう。なつみかん……いや、夏木くるみを釣るための新しいイラストを、描こうではないか」
「本当か!?」
見上げる格好で、俺は聞く。
「我に二言はない。ただし、あまり時間をかけられないということで、丁寧に描いた下書きに色をつける感じになるが、問題ないな?」
これには細谷が答えた。
「全然問題ないと思う。ていうかむしろその方が、手書き感があるというか、人肌を感じるというか、親近感が湧いてツイッターに上げるイラストとしてはいいと思う」
「決まりだな。ではさっそく場所を移動しようぞ」
「移動?」
一ノ瀬さんが首を傾げる。
「一体どこへ移動するというのかしら?」
「我の自宅だ。ここには鉛筆一本しかなくて、画材が足りないし、なによりもイラストを取り込んで、アップする機材が、ここにはないからな」
「でも、こんな夜中にお邪魔してもいいのかしら?」
「問題ない。我が父君と母君は共に海外だ」
なにその絵に描いたようなラノベ設定。
まあ、好都合だから別にいいけど。
俺たちは席を立つと、一度もとの席へと戻り、荷物をまとめた。
そして伝票を手に取りレジで会計を済ませると、既に外に出ていた上田さんと再び合流した。




