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第96話 上田しおんなのだ

 やってきたのは、今まで俺たちがいた席から見てちょうど対角線上に位置する、窓側のテーブル席だった。

 現在その席に座っているのは、クラスメイトであり、その界隈では有名な同人漫画家兼イラストレーターでもある、上田しおんだ。


「上田さん、ちょっといい?」


 細谷が話しかける。

 しかし上田さんは、まるでなにも聞こえていないかのようにして、A4サイズのノートに、キャラクターの絵を描いていっている。


「上田さん! ちょっといい!?」


 細谷が若干声を荒らげると、上田さんは鉛筆を持つ手を止めて、ゆっくりと、奇妙なほどにゆっくりと、俺たちが立つ方へと顔を向けた。


 ハーフ特有の白い肌に、どこまでも澄んだブルーの瞳。

 髪はいやがおうでも目を引く赤であり、それらが腰の辺りまで伸ばされて、まるでそよ風になびくヴェールのように、彼女の背中を優しく包み込んでいる。

 髪は前髪を切りそろえた、いわゆる姫カットなのだが、顔立ちが非常に整っているためか、妙に似合っている。いや、似合っているどころの騒ぎではない。かの有名なファッションショーのランウェイを歩いても、なんら遜色がないぐらいだ。

 それぐらいに、文字通り日本人離れしており、美しかった。


 服装は白の襟のついたグリーンのワンピースだ。

 腰に赤茶色のウエストベルトが巻かれているので、くびれがしっかりと引き立ち、なによりも裾の部分がふわりとスカートのように広がっている。


 本の世界から出てきたみたいだ……と俺は思った。

 髪が金色だったなら、まさしく森に住まう、エルフそのものだ。


「なんだ? 我になにか用か?」


 細谷に視線を固定したままで、上田さんが聞いた。


 というか『我』って……。


「ああ、確か貴様は、同じクラスの細谷翔平。ということはそのうしろのも……」


 上田さんが、視線を移して、俺たちを見る。

 すると突然、俺を見た上田さんが、予想外のことを口にした。


「あっ、貴様、女装……」


 思わず口から心臓が飛び出しそうになる俺。

 頭の中が真っ白になり、口の中がからからに乾く。


 え!? どういうことだ!?

 女装のことがバレている!?

 知られている!?

 でもなんで??


 パニック状態になる俺をよそにして、細谷が聞く。


「女装? どういうこと?」


「いやなに、そこの彼が、なかなかにかわいらしい顔立ちをしていたものだからな。ジャニーズ系っていうのか? 女装したら似合うのではないかと思ったのだよ」


 なんだ。そういうことか。


 あー焦ったー!

 マジで寿命が縮まったわ!


「して、一体我になんの用があるというのだ?」


「ああ、実はな、夏木の妹なんだけど……」


 細谷は上田さんに俺の妹のことを説明した。

 今日の昼頃に家出をしたことを。

 明後日までに見つからなかった場合、警察沙汰にすることを。

 ツイッターの裏垢を持っていて、現在もチェックしていることを。

 そしてなにより、ドラペにはまっていることを。


「なるほど。そんなことが起こっているのだな。して、我にその話をして、一体どうするというのだ?」


「ああ、そこで上田さんに一つお願いがあるんだ。上田さんのペンネームであるウルヴェルのアカウントで、夏木の妹であるなつみかんのアカウントに、フォローリクエストをしてほしいんだ」


 細谷のこの言葉を聞いて、俺は初めて細谷がなにをしようとしているのかを察した。


 つまりはこうだ。


 どこの誰だか分からないアカウントからフォロー申請がきても承認しないが、フォロワー数数万を超える有名人から申請がきた場合は、話が変わってくる。

 しかも今現在くるみがはまっているドラペの、同人誌を描いた人からならなおさらだ。


 なにかの間違い? 一体全体どういうこと? と戸惑うかもしれないが、無視するのはもったいないということで、最終的には承認する可能性が高いだろう。

 ていうかしないなんてあり得ない。「俺の知り合いに有名人がいるんだけどさー」と自慢して、承認欲求を満たすのは、元来人にある、生存本能の一つだからだ。


「そういうことか」


 細谷の話を聞き、上田さんが指であごをつまんで視線を落とす。

 そしてもう一度顔を上げると、毅然とした表情を浮かべて言う。


「だが断る!」


 えええーここで断っちゃうのー!?

 今の流れ、なんとなく承諾してくれるような感じだったよね?


「どうしてかしら?」


 前に出た一ノ瀬さんが、小首を傾げながらも聞く。


「あなたがいつもしているツイッターを開いて、なつみかんを検索して、フォローするのボタンを押すだけよ。さして手間のかかることだとは思わないけれど」


「ええと、貴様も夏木京矢と同じで、クラスメイトか? どこかで見たことがあるような気がするな」


「いいえ、私は一組だから、あなたとはクラスメイトではないわね。どこかで見たことがあるというのは、多分私が生徒会長をしているからではないかしら」


 ああと、納得したように小さく頷くと、上田さんは話をもとのレールへと戻す。


「先ほどの質問の答えだが、単刀直入に言えば、我にメリットがないからだ。どうして今しがた初めて話したやつの、しかも妹のために、そんなことをしなければならん? それに我はツイッターのフォロワーを、こちらからはあえてフォローを返してはいないが、とても愛おしく思っている。にもかかわらず頼まれたからといって個人をフォローするのは、現在我をフォローしてくれている人たちに対して、あまりにも不誠実であるとは思わんかね」


 上田さんの言いたいことは分かる。

 ただし話し方の感じからして、一番のネックは先に述べたメリットがないからという部分であり、あとに述べたフォロワーに対する誠実さ云々というのは、優先順位としては低いのではないかと思われた。

 その証拠に、前半部分は語気に若干強さがあったが、後半部分はわずかながら感情の入りが薄いという印象を受けた。


 だったら、ここで俺が上田さんにメリットを示すことができれば、あるいは首を縦に振ってくれるかもしれない。


 でもどうする?


 やっぱりあれ?


 あれしかないか?


 あれしかないよね!


 俺は上田さんの前に出ると、その場でぐっと腰を曲げて、大きな声で言った。


「上田さん! 頼む! なんでも言うことを聞くから、くるみのツイッターにフォロー申請をしてくれないだろうか」


 少しばかりの沈黙。


 頭部に、上田さんの強い視線が、じりじりと感じられる。


 ほどなくして上田さんが、まるで王が衛兵にでも命じるように言った。


「面をあげよ」


 顔を上げる俺。

 そこには口元にうっすらと笑みを浮かべた、上田さんの顔があった。


「今、我の言うことを、なんでも聞くと言ったな?」


「は……はい。確かに言いました」


 嫌な予感に、全身に気持ちの悪い冷や汗が浮かぶ。


「三つだ。三つ我の言うことを聞いてくれるというのであれば、貴様の妹の捜索に、できる限り協力してやろうぞ」


 できる限り協力――これはかなりうまい話だぞ。


 乗るしかない! このビッグウェーブに!


「分かった。それでいい。俺は上田さんの言うことを三つ聞く。だから上田さんは俺の妹捜しにできる限り協力する」


「うむ。契約成立だな」


 満足したように頷くと、上田さんはキャラ絵を描いていたノートを閉じてから、まるで着席を促すように、手であいている席を示した。

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