第91話 ギルド『ミルク・ラビッツ』の人たち
時刻は夜の八時過ぎ。
つい先ほどまでは、幻想的な紫に染まっていた空は、今ではすっかり夜の帳が下りて、漆黒の、宇宙の色に染まっている。
無数のネオンが眩しい繁華街には、仕事帰りのサラリーマンやいちゃいちゃしたカップル、そして男同士でつるみ大きな声を上げる若者が、そこかしこに散見される。
そんな騒がしい夜の街の中を、俺と一華は、ドラペのギルメン、ようは一ノ瀬さんが待つファミリーレストランへと向けて、二人でゆっくりと歩いている。
「なあ一華」
呼びかけると、隣で肩を並べて歩く一華が、「ん?」と言い俺へと視線を送る。
「どうして学校でもないのに制服を着てるんだ?」
「だ、だって……」
肩をすくめて指を絡める。
「服……だめになっちゃったから」
「ああ、そういうことか。……わるい、俺のせいだな」
首を横に振ると、一華がうなだれて言う。
「違う。京矢、わるくない。私が……むちゃなお願いをしたから」
「いや、かばわなくていいよ。今回に限っては完全に俺がわるい。引き下がるべきだったところを、好奇心で俺が勝手に判断して、勝手に行動をしたんだから。というか……」
一華の姿を今一度見る。
「服、あれ一着しかなかったのか?」
「う、うん」
「つまり今は、いわゆる、服を買いにいく服がない……状態ってことか?」
「う……うん……」
泣きそうな顔で首を縦に振る。
――さすがにそれは、虚しすぎるだろ!
涙を飲んで空を仰ぐと、俺は顔を下ろして、がしりと一華の両肩をつかむ。
「分かった。今度、服買いにいくのに付き合うよ」
「ほ……ほんとぉ……?」
「もちろんだ。というかプレゼントさせてくれ。そもそも俺のせいで服がだめになっちゃったんだし」
「う、嬉しい。ぜ、絶対だよ。絶対だからね」
「約束する」
小指と小指を絡めると、俺と一華はまるで子供がするみたいに、指切りをした。
ファミリーレストランに到着すると、壁際のテーブル席に、制服姿の一ノ瀬さんの姿を認めた。
どうして制服姿なのかは、あえて聞くまい。
どうせ校則で決まっているからと言うに決まっているから。
ドリンクバーを注文して、アイスコーヒーをついで戻ってくると、さっそく俺は口を開いた。
「それで、さっき電話で話したことだけど……」
「い、一華さん、今日も一段とかわいいわね」
俺の言葉を無視して、一ノ瀬さんが一華へと身を乗り出す。
「制服姿とか、ペ、ペペペ、ペアルックね」
ぷいと顔を逸らすと、一華はストローをくわえてオレンジジュースをごくごくと飲む。
いや、制服がペアルックなら、学校の女子全員とペアルックになるからね。……ああ、一ノ瀬さんはそういう認識なのか。
「あのー一ノ瀬さん。そろそろ本題に入りたいのですが」
「あら、夏木くん。いたの? そろそろ帰った方がいいんじゃない? 寝る時間でしょ?」
今日の一ノ瀬さんは、言葉に一段と棘があるが、おそらくは冗談のつもりだろう。
それを証拠に、口元には笑みを浮かべており、目には、どこか挑戦的な光が宿っている。
仕切り直すように軽く咳をすると、俺は居住まいを正して、今度こそはと口を開く。
「さっき電話したことで、相談があるんだけど」
「ええ、分かっているわ。同じギルメンとして、できる限りのことは協力するつもりよ」
「一ノ瀬さん……ありがとう。本当に助かる」
「でも、信じられないわね。やり取りをしていたギルメンが、実は夏木くんの妹さんで、女装をして会ったら、正体が兄であるとばれて、しまいにはお兄さんのことがセックスをしたいほどに好きだったなんて」
「ちょっ! 一ノ瀬さん!? そんなにはっきりと……」
目だけで左右を見渡す。
結構声が響いたような気がしたから。
「セックスのこと? 別に私他人の性欲に興味がないから」
「他人の性欲って……じゃあ自分の性欲には興味があるってこと?」
「どういうこと?」
眉間にしわを寄せる。
「例えば、一ノ瀬さんが一華と……」
刹那、一ノ瀬さんの顔がゆでだこみたいに真っ赤になる。
「――ば、ばかー!」
声を上げた一華が、ぽかぽかと俺を殴る。
ぽかぽか、ぽかぽか。
「京矢、今絶対変なこと考えた! 私と一ノ瀬さんで、絶対に変なこと考えた!」
「考えてねーよ!」
少し考えたけど。
「考えてねえからとにかく落ち着けって!」
いや、結構考えたけど。
一華は俺に背を向けると、両手でグラスを持って、すねたように飲み始めた。
「しかし、まさかくるみが、俺のことを、ああ思ってたなんてなー……」
俺は肘をつくと、頭を抱えて誰にではなく言葉を漏らす。
「ブラコンって、二次元の中だけの話じゃあなかったのかよ」
「二次元の中だけ? そんなわけないでしょ。ブラザーコンプレックスという言葉がこの世に存在する以上、ブラコンはこの世に確実に存在するわ。だからシスコンも、マザコンも、ファザコンも、ゲイも、レズも、ロリコンも、あえて口にしないかもしれないけれど、絶対にいる」
その理論だと、魔法や転生、タイムリープなんてものも、この世に存在するってことになっちゃうんですけど。
「もちろんごく少数かもしれないわよ。世の中の法則が正規分布に縛られているのならば、非常に数値の少ない、左端か右端に位置することになるのだから」
じゃあきっと正規分布というのは間違いだ。
だってここには俺の妹と……。
心の中で自分自身を指さす。
そして女の子が大好きな一ノ瀬さんの……。
一ノ瀬さんを指さす。
二人も、セクシャルマイノリティがいるのだから。
五十パーセント? 偶然?
そんなので納得できるかー!
「それで、妹のくるみ? さんが、家出したことは、まだ警察には言っていないのよね」
「ああ、まだ言っていない。うちの親が焦って電話をしようとしていたけど、俺が止めた」
「懸命ね。タイミングのジャッジは難しいけれども、やっぱり警察は、最終手段よ」
「でも、期限は設けられた。今月中にくるみを見つけられなかったら、警察に相談するって」
「つまり、実質あと二日。じゃあ、急がないとね」
真剣な顔で頷くと、一ノ瀬さんがおもむろにスマホを取り出す。
そしてラインの、『ミルク・ラビッツ』という名で登録されたグループを開くと、説明するためにも俺に見せた。
「これは、私と一華さんのギルド、ミルク・ラビッツのライングループよ。ゲーム内にもメッセージをやり取りできる場所はあるけれども、リアルタイムでやり取りのできるラインの方が便利だから、皆こちらを使っているわ」
のぞき込むと、攻略サイトのスクショだったり、スタンプだったりが、ずらずらと並んでいる。
「メンバーは四人ね。『なっつん』と『ハナ』と『サリアー』と『ピュアネス』。なっつんは夏木くんの妹さんね。ハナはかわいいかわいい一華さんよ。サリアーは私。ピュアネスは最近加入した新人さん。会ったことがないからよく分からないわ」
「ピュアネスって人には、今日声をかけてくれた?」
「ええ。でも返事がなかったわ。この人、あまりログイン率が高くないから」
そうか。
できれば少しでも多い方がよかったんだけれど。
でもまあ、最近ギルドに入ったばかりみたいだし、あまり期待はできないか。
それよりはまだ、一ノ瀬さんこと、サリアーの方が、くるみが食いついてくる可能性があるな。
一華と違って、素性も知れていないことだし。
「くるみ……なっつんから、その後なにかメッセージがあったりしなかったか?」
小さく首を横に振る。
「いいえ。残念ながら。夏木くんがことを起こした日、つまりは三日前から、ゲームにもログインしていないし、当然、グループラインも既読がつかない」
「ラインを開かなくても、一通や二通とかなら、ホーム画面に表示されるよな。すまないが、なにか反応があるまで、ちょくちょくメッセージを送ってみてくれないか? あくまでも今のくるみの事情を知らないような、例えば、ログインしないことを心配するような内容で」
「それなら、もうやっているわ。多すぎず、少なすぎずの按配で」
「ありがとう」
ここまでか……。
テーブルに肘をつくと、俺は落胆したようにうなだれる。
ギルメンなら、まだなんらかのやり取りが続いているかもと期待したが、まさかずっと無視をしている状態だったとは。
もう他に当てはないのか?
なにかできることは?
見落としているなにかは?
刻々と、時間だけが過ぎてゆく。
店内には、おしゃれで陽気なBGMが、俺たちの感情を完全に置き去りにして、淀みなく流れ続けている。




