第86話 妹との気まずいデート
やってきたのは、商店街の一角にある、『ホイップガーデン』という名の店だった。
店舗は二階建てで、全体がピンク色の、とてもファンシーな外観をしている。
大きなガラス窓が歩道に面しているので、中の様子が確認できるのだが、くまの人形やら、ハート型の風船やらが、店内のあちらこちらに飾られている。
この店の看板メニューだろうか。出入り口の脇に、幾重にも重ねられた、まるでタワーのようなパンケーキの写真が貼られているのだが、とてもじゃないが俺には食べられそうにない。
それかあれか? 女の子は、意外とぺろりと食べられてしまうものなのか? スイーツは別腹みたいな感じに。
『ここ?』
「そう、ここ」
不安が顔に出ていたのだろう。
くるみが苛立たしげに聞く。
「なに? 嫌なの? やめとく?」
『ううん。そうじゃなくって……』
おそらく一華ならこう言う。
『私、今までこういう所きたことなくて。……ちょっと、不安で』
「え? きたことないってマジで? 一華ちゃん、人生損してるよ」
『うん。でも、今日くることができたから』
笑みを浮かべたが、多分びっくりするほどにぎこちなかったと思う。
でも、これでいい。
多分ぎこちなさが、よりリアルに一華を表現するから。
店内に入り、あいていた窓際の席に腰を下ろすと、俺はいちごののった、一番スタンダードと思われるパンケーキを注文した。
くるみはというと、スタンダードなのはもう食べ飽きているということで、夏限定のマンゴーパンケーキを頼んだ。
というか食べ飽きているって……健康に悪すぎ!
帰ったら、遠回しに説教だな。
パンケーキが運ばれて、店員が去ると、くるみはスマホを取り出してパンケーキの写真を撮り始めた。
一応俺も撮っておこうかなと思ったが、一華なら多分しないだろうと思ったので、やっぱり止めておいた。
店内には、今流行りのポップスの、インストゥールメンタルが流れている。
他の客の、きゃぴきゃぴした声も聞こえてくる。
しかし俺たちの席は、まるで時間が止まってしまったかのように無言だ。
目を凝らせば、雪の交じった、氷河期みたいな冷たい風さえも、もしかしたら見ることができるかもしれない。
それぐらいに、気まずい空気が漂っている。
とにかくなにか話さないと……。
俺は甘ったるいクリームを水で流し込むと、スマホを手に取り、文章を作る。
『おいしいね。マンゴーのはどう?』
くるみは俺の文章を一瞥したが、すぐに目を逸らして、自分のスマホをいじり始めてしまう。
『よかったらなんだけど、ドラペの話しない?』
負けじと打ち込み、くるみの手元にそっと差し出す。
しかし今度は、画面すら見ない。
がっくりと肩を落とすと、俺はスマホを引っ込めて、おとなしくパンケーキの残りを平らげた。
店から出ると、くるみは無言のままで、駅とは反対側へと歩き始めた。
一体どこへゆくのだろうかと思った俺は、しばらくくるみのあとを、息を潜めて追いかけた。
「ねえ、ちょっと」
スマホを取り出す余裕がなかったので、首を傾げて応える。
「パンケーキ食べたらおしまいって言ったよね? どこまでついてくるつもり?」
マジか……。
くるみの中では、今日の予定はもう終わっていたのか。
でも、ここで引き下がったら、マジでパンケーキを食べにいっただけで終わってしまう。
なんとか、二人の関係が接近する、きっかけを作らなくては。
『あの、せっかくだから、もう一つ、約束かなえない?』
「は?」
『プリクラ』
「マジで言ってんのあんた」
目を細めると、俺を睨む。
正直、ちょっと怖い。
『うん。だめ……かな?』
呆れたように首を横に振ると、くるみはどこか投げやりな口調で聞く。
「どういうつもりか分かんないけど、もしかしてなっつんが私だったからって、気を使ってる?」
『ううん。そういうつもりはない。ただ……』
「ただ?」
あごに手をやり考える。
ここは一つ、賭けに出てみるか……と。
『せっかくの機会だし、くるみちゃんと、仲よくなりたいなと思って』
「――!?」
画面を見た瞬間、くるみがスマホごと俺の手を握り、ぐうっと顔を近づける。
握られた手が痛い。
キレているのか眉間にしわを寄せており、正直ガチで怖い。
「なにそれ? どの口が言うの? 一体なんのつもり?」
「…………」
おそらく俺は、泣きそうな顔をしたのだろう。
それぐらいに、今のくるみは殺気立っている。
というか正直ちょっとちびった。
マジで殺されるかと思った。
女さん、マジで怖い。
俺から手を離すと、くるみはくるりと踵を返して、今度は駅の方へと向けて歩き出す。
そしてそのまま俺の方を見ずに、吐き捨てるように言う。
「別にいいよ。プリクラくらい。それで、あんたの気が済むんなら」
気が済む?
気が済むって、一体どういうことだ?
というかくるみは、一体なにに、そんなにも怒りを感じているんだ?
……もしかして。
俺は、一華の格好をした俺自身を、そして前をゆくくるみを、交互に見ながら思う。
もしかして一華とくるみは、俺の知らないところで、なにかあったのか?
一華がくるみを避けて、くるみが一華に怒りを抱くような、そんなできごとが。
であるならば、険悪な雰囲気も、俺の発言に対する憤りも、辻褄が合う。
でも、それは一体なんだ?
修正できる物事なら、修正してあげたい。修正したい。
あれこれと考えるうちにも、くるみはどんどんと歩いてゆき、横断歩道の向こうにある、歩道へと渡ってしまう。
しかし、ここから先はどこまでも純粋に一華とくるみの問題だ。
家族や友達という関係性ではあるが、他人が、不用意にも立ち入っていい領域ではない。
でも……。
でも
でも
でもでもでも
でもという言葉が、次から次へと繰り返される。
人の波に消えゆくくるみ。
明滅を始める歩行者信号。
でもやっぱり俺は、知りたい。
二人の間になにかがあったのなら、そしてそれが修復可能ななにかなら、力になってあげたい。
わけも分からずにいがみ合う二人を、もうこれ以上は見たくない。
信号が変わる寸前で、俺は走った。
途中で信号が赤に変わったが、待っていた車はクラクションを鳴らすこともなく、俺が渡り切るのを待ってくれた。
きっと俺が、いたいけな少女の姿をしていたからに違いない。
男で、チビで、デブで、しかもキモい容姿だったならば、おそらくは罵倒が飛ぶか、最悪ひき殺されていたことだろう。




