第85話 ギルメンとの待ち合わせ
約束の場所に到着すると、俺はスカートのポケットから一華のスマホを取り出して、なっつんさんからのメッセージを確認した。
〉駅を出た所にある広場集合で。
私の服装だけど、白のTシャツに、カーキ色のキュロットスカートだから。
ではでは明日。
顔を上げると、俺は周囲を見回してみる。
犬を散歩する老人に、大きな鞄を持った運動部と思われる少年。
時計のある円形の花壇の向こう側には、この炎天下にもかかわらず若者数人が、スケボーの練習に励んでいる。
歳の近しい女の子はいないし、どうやらなっつんさんはまだきていないみたいだ。
俺は広場の端にあったベンチに腰を下ろすと、背中をあずけて、空を仰いだ。
風に揺れる木陰の向こうに、キラキラとした陽光が揺れている。
空にはもくもくとした夏の雲が浮かんでおり、ゆっくりと、北の方へと向かって流れてゆく。
聞こえるのは、木々の間から響いてくるセミの鳴き声と、耳をかすめるそよ風の音ぐらいだ。
高校一年生の夏……十六歳の夏……。
よく考えたら俺は、こんな輝かしい季節に、一体全体なにをしているのだろうか。
友達と海とかにいった方が絶対に健全だ。
あるいは富士山登頂とか、屋久島に縄文杉を見にいくとか、そういった今しかできない――いや、今だからこそやるべきことに、チャレンジするべきじゃあないのか。
それを……。
自分の格好を見る。
かわいい女の子の服を着た、どこからどう見ても女の子にしか見えない、なんとも女々しい俺の姿が目に入ってくる。
はうわああああぁぁぁぁああぁああ~~~~…………。
思わず両手で顔を覆うと、膝に肘をつき、絶望のポーズを取ってしまう。
いかん。いかんいかん!
落ち込んでいる場合じゃあないぞ。
これは全て一華のためなんだ。
俺には一華に報いる責任があるんだ。
それに、これからやってくるなっつんさんには、俺の女装のことはなんにも関係がない。
だから、だから俺は、誠意を持って一華の振りをして、全力でなっつんさんに向き合わなければいけないんだ。
よしと言い立ち上がると、俺は気合を入れるためにも両手で頬を叩く。
そして大きく深呼吸をすると、まるで霊媒師が口寄せをするように、女の子の、いや一華の精神を、俺の心の器に入れた。
「あのー……もしかしてハルさん?」
呼びかけられて振り向くと、そこには小柄な女の子の姿があった。
キャラクターの絵の入った白のTシャツに、カーキ色のキュロットスカート――間違いない。この子がなっつんさんであり、一華のギルメンであり、今日この時この場所で、会おうと待ち合わせをした、女の子本人だ――って…………あれ?
俺はかすむ目を手でこすってから、今一度なっつんさんを上から下へ、下から上へと確認してみる。
なんだろう?
どうしてこんなにも心臓がどくんどくんと高鳴るのだろう。
というか、うまく認識できない? なぜ?
本能が……細胞の一つひとつが、警告している?
見てはいけないと。
認識してはいけないと。
わけが分からずに、俺は息を吸うのも忘れて、なっつんさんの顔を凝視してみる。
生まれつきと思われるきれいな茶髪に、左右対称に結ばれたツインテール。
すべすべとした健康的な肌に、どこか挑戦的なくっきりとした目元。
見紛うことなく、我が妹――夏木くるみだ。
一瞬、周りから音が消えた。
瞳孔が開く、嫌な音が頭蓋に響いた。
なぜ? なぜなぜなぜ?
なぜくるみが?
なんで? なぜ?
どうやらくるみも、俺と同じ思いだったようだ。
目を見開いて、大きく口を開いて、その場に固まってしまっている。
逃げるか? いや、もう完全に気づかれてしまっている。
ここで逃げても、なんの解決にもならないし、のちのちギルド内でより気まずいことになってしまう。
いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。
今俺はパニックで勘違いをしている。
落ち着けー……落ち着けー……。
いいか、くるみに俺のことがばれたわけじゃあない。ギルメンのハルが、俺の幼馴染の一華であるとばれただけだ。
それに関しては別に問題じゃない。問題じゃあないはずだ。
だから、今は一華として、俺は自分を貫くんだ。
俺はスマホを取り出すと、メモ帳を開いて文章を打った。
想像以上に動揺しているのか、手が震えたので、少しだけ時間がかかった。
『もしかして、京矢の妹のくるみちゃん?』
画面を見ると、くるみが不審感漂う表情を浮かべる。
「じ……一華さんが、どうしてここにいんの?」
『それは、私がハルだから』
「は!? じゃあ私、ずっとゲーム内で、一華さんとやり取りをしていたってこと?」
『うん。そういうことになるんだと思う。びっくり』
「こんな偶然ってあるの? 信じられないんだけど。マジでサイテー」
サイテーって……ひどいな。
「ていうか、なんでさっきから口で話さないの? キモいんだけど」
『風邪で喉が潰れちゃって。がらがらで、恥ずかしいから……』
「ほんとに? キャラ付けじゃなくって?」
じとーっとした目をすると、俺の顔をのぞき込む。
「まあいいや。もう解散解散! はい、おしまい!」
ばいばいをするように、頭の上で大雑把に手を振ると、くるみは俺に対して背を向けて、さっさと歩き始めた。
これでいい。これが最善だ。
ここで別れて、くるみが、今日の俺を一華と勘違いしてくれれば、なにも問題が起こらない。
いうなれば、今の俺が本物の一華だった場合と、同じ結果、同じルートで、今後の物事が進んでくれる。
おそらくはあとで、ギルド内とかで面倒なことになるだろうが、そこのところは俺と、あと同じくギルメンである一ノ瀬さんが一華をフォローすればいい。
だから、くるみとは、ここで……。
ごくりとつばを飲み込む。
本当にこれでいいのかという余計な思いが、身体のどこかから湧き上がってくる。
……俺は、心のどこかで思っていた。
一華とくるみが、仲よくなってくれればいいのにと。
仲よくなってくれれば、家も近いし、きっと友達みたいに会って、遊んで、買い物にいって……。
そうなってくれれば、どこかで一華が救われるんじゃあないかと、そう思っていた。
これはチャンスじゃあないのか?
ここで俺が、一華本人にはできないようなポジティブさを発揮すれば、二人の仲がよくなる、なんらかのきっかけになるんじゃあないのか?
俺は一人で納得するように頷くと、意を決して、去りゆくくるみの手を取った。
「え?」
振り返ると、くるみが驚いたように聞く。
「なに?」
俺はスマホを構えると、完全に一華になりきって、文章を打ち込む。
『あのあの……せっかくだから、遊ばない?』
「は? なに言ってんの? 正気?」
『私、今日のために予定あけちゃったし、だめかな?』
「だめっていうか……それはなくない? 分かるでしょ?」
『こんな機会、めったにないと思うし、それに、パンケーキ……食べたい』
「パンケーキかー……」
呟くと、くるみは俺から視線を逸らしてから、ぺろりと唇を舐める。
食いついた。
今が攻めどきだ。
俺は一秒でも時間を惜しんで、気が変わらないうちに畳みかける。
『パンケーキ、絶対においしい。今日食べたい。だから、いこ?』
「うーん……まあ確かに、一人で店に入る勇気はないし」
『じゃあ決定で!』
「でも、パンケーキ食べにいくだけだから。食べたら帰る。それでおしまい。いい?」
『うん。いい。それで、パンケーキ屋さんって……』
ついてきて、と言うと、くるみはつかんだ俺の手を振り払い、そそくさと歩き出す。
俺は軽くスカートを整えると、いつでもすぐに会話ができるように、手にスマホを持ったままの状態で、そんなくるみのあとを追った。




