第81話 共通の趣味
十数分後。
一華と一ノ瀬さんが部屋に戻ってきた。
俺は持っていたコントローラーを置くと、着替えた一ノ瀬さんへと視線を送った。
学校指定の小豆色のジャージに、肩にかけられたクリーム色のバスタオル。
一華よりも脚が長いので、ズボンからくるぶしが出てしまっており、足にかける紐が、かけられることなく、裾にぶらんとたれている。
ドライヤーで乾かしたのだろう。髪はいつも通りの、さらさらに戻っている。
「こ、ここが、一華さんのお部屋なのね……」
一歩二歩と、まるで聖域にでも足を踏み入れるように部屋に入ると、深く息を吸い、周囲へと視線を巡らせる。
「あ、あんまりじろじろ見ないで! は、恥ずかしい……から」
思わず一華が声を上げる。
わずかに、頬を染めながらも。
「ご、ごめんなさいね。そうよね。自分の部屋をじろじろ見られたら、気分がよくないわよね」
「散らかってるだろ」
両手をついて床にもたれると、俺は一ノ瀬さんを見上げながらも聞く。
「ええ。そうみたいね」
「やっぱりこういうのは許せない?」
「ええと、どういう意味かしら?」
「だって一ノ瀬さんはきれい好きだし、生徒会室も、ものすごく整理整頓がいき届いているし」
「あれはあれ、これはこれよ」
「と、いうと?」
「私はね、一華さんの部屋が散らかっていようが、そんなのはどうだっていいの。さらに言えば、一華さんがなにをするかとか、なにをしないかとか、なにが好きかとか、なにが嫌いかとか、そういうのも、どうだっていい。でも勘違いしないでね。どうでもいいというのは、別に関心がないというわけではなくて、一華さんのする全てを許容するということよ。つまりは、一華さんその者を、ありのままに受け入れるということ」
一ノ瀬さんが、一華へと近寄る。
一華は、そんな一ノ瀬さんの目を、潤んだ瞳で見つめる。
「一華さんがいる……この世界に生きている……そう思うだけで、私は幸せなの」
「あ、亜里沙……」
おや? この雰囲気は……まさか……。
「一華さん……」
一ノ瀬さんが、そっと手を、一華の頬へと持ってゆく。
「亜里沙……」
「一華さん……」
まさかまさかまさか……。
「亜里沙……こ……」
ん? こ?
「怖い! 亜里沙、超怖い!」
「ひ、ひどいわ……ぐすん」
ですよねー。
まあ、ここでいきなりガチ百合展開とかが始まっても、俺が気まずいだけだから、別にいいけど。
「ところで一ノ瀬さんはこのあとどうすんの?」
俺はローテーブルの上にのっていたきのこの山を一つ食べると、肘をついてから、一ノ瀬さんに聞いた。
「制服も濡れてしまったし、できれば乾くまでここにいさせてもらえると、助かるのだけれど」
「つまり、一晩泊めてほしいわけだ」
「ええ……そうなるわね」
ここが俺の家だったならば、間違いなく泊める。というか泊まってほしい。
しかし残念ながらここは、一ノ瀬さんを嫌う、一華の家だ。
泊めるか泊めないかのジャッジは、全て一華に一任される。
さて、どうなる……。
俺と一ノ瀬さんは、自然と一華の方へと顔を向けた。
「……う、うん。いいよ。泊まって」
「ほ、本当に!?」
「うん。だけど、亜里沙は、私の一メートル以内には――」
がばっと、一ノ瀬さんが一華に抱きついた。
そして顔をすりすりすると、耳元で「ありがとう」と囁いた。
その場にぺたんとへたり込む一華。
顔を真赤にして、放心状態といった体で、ふらふらと体を左右に揺らしている。
どうやら、突然の急接近に、頭の回路がショートしてしまったみたいだ。
「一華さん!? どうしたの!? べ、べべべ、べつに、今のはぐに他意はないのよ! 女の子同士の友情のはぐというか、そんな感じだから!」
心配そうに手を握り、ついでにもう一度はぐをする。
もうやめて! とっくに一華のライフはゼロよ!
助けないと――そう思った俺は、とっさにペットボトルのジュースを手に取り、一ノ瀬さんにかざす。
「一ノ瀬さん、ジュース飲む? あ、このグラス、まだ使っていないから、大丈夫だよ」
「私はいいから、一華さんについであげて」
「お、おう。そうだな」
俺はグラスにジュースをつぐと、一華へと手渡す。
一華は受け取ると、グラスを両手で持ち、ゆっくりと喉の奥へと流し込む。
「ほら、一ノ瀬さんも」
「あら、気が利くじゃない」
グラスを受け取ると、一ノ瀬さんも飲んだ。
俺も、ペットボトルに直接口をつけて、底に残っていたジュースを飲み干す。
各々が一息ついたところで、一ノ瀬さんが、床に落ちていたCDのケースを拾い上げて、口を開く。
「これって、キャラパンよね! もしかして一華さんも聴くの?」
「う、うん。聴く」
「キャラパンって?」
俺の質問に、一ノ瀬さんが、まるで信じられないとでも言うかのごとく、苦い表情を浮かべる。
「夏木くん、キャラパン知らないの?」
「知らない」
「『キャラメル・ハニー・PAN・ケーキ☆』よ。五人組のアイドルグループ。一人ひとりに個性があって、すごくかわいいんだから」
「へえ、そうなんだ。一華好きなのか? そのキャラパンとかいうの」
「好き。特にリズちゃんが好き。かわいい」
「リズが好きなのね! 私もよ!」
一華の手を取り、上下に軽く振る。
「あの笑顔とか、あのいじらしい仕草とか、本当にやばいわよね!」
「う、うん。……やばい。かわいい」
頬を染めて、一ノ瀬さんから視線を逸らす。
「来週シングルが出るじゃない。渋谷でお渡し会があるんだけど、知ってる?」
「知ってる。サインとか、もらえる」
「よ、よよよ、よかったら、一緒にいかないかしら?」
「い、一緒に……?」
一華は、一度目を落として、握られた手を見て、そして口をふにゃふにゃさせてから、もう一度一ノ瀬さんへと視線を送る。
「……う、うん」
「本当に!?」
「私、いきたい。一人だと、ちょっと気まずいから」
「決まりね! 私、予定をあけておくから!」
驚いた。
まさか一華が、友達とアイドルのイベントにいくだなんて。
……友達?
ああそうか。友達なんだ。
多分今、一華の中で一ノ瀬さんが、友達になったんだ。
自分では気づかなかったが、どうやら俺は思った以上ににやにやしていたみたいだ。
そんな俺の顔を見た一ノ瀬さんが、嫌悪感丸出しな顔をして、言う。
「なににやにやしているのよ。すごく気持ちが悪いわよ」




