第79話 一ノ瀬亜里沙の固執
「全く、一体どこにいっていたのよ? 待ちくたびれたわ」
――ど、どうしているんだよおおおー……。
一華家に着いた俺は、門扉の脇に立つ一ノ瀬さんの姿を見るや否や、思わず膝をついて絶望のポーズをかましてしまう。
手にスーパーの袋を持っているし、なんなら俺が諦めてワゴンに戻した唐揚げ弁当も、もう一方の袋に、片寄らないようにして丁寧に持っている。
つまりは俺が逃走したあとに、一ノ瀬さんはしっかりと買い物を済ませてから、ここにきたということになるのだが……どうして俺よりも早く着いているんだ? どこかに抜け道でもあるのか? つかなんで一ノ瀬さんは一華の家の場所を知っているんだ?
次から次へと湧き上がる疑問を、俺はごくりと飲み込んだ。
聞いても仕方がない。
聞いたところで、もう一華の家の前にきてしまったという事実は変わらないのだから。
つかなんか聞くのが怖い。
「ごめん。と、突然腹が痛くなったもんだから、トイレにこもってた」
「そうなの? 大丈夫?」
「あ、ああ。もう大丈夫だから」
「そう。よかったわ」
「心配してくれるのか?」
「別に。生徒会の一員として、気遣うのは当然よね」
なにその照れ隠しみたいなセリフ。
「それよりもこれ」
スーパーの袋を俺に手渡す。
「私が代わりに買っておいたから。一華さん、きのこ派でよかったかしら?」
「ああ、ありがとう」
俺は受け取ると、袋の中身をざっと目算して、お金を渡した。少し多めに。
「ええと、じゃあ今から一華を呼び出すけど、本当にいい?」
一応、俺は聞いた。
一華は絶対に、一ノ瀬さんを拒絶するから。
「なによそれ? ばかみたいにいちいち確認しないでくれる」
ちくしょー。
あんたのことを思って聞いてあげているのにー。
俺はスマホを取り出すと、到着の旨を伝えるメッセージを一華に送った。
ほどなくして、一華が玄関のドアを開けて出てくる。
「京矢、遅い……って、え!?」
一ノ瀬さんの姿を見ると、一華は俺に駆け寄り、あたふたしながらも聞く。
「ど、どどど、どうして!? どうしてどうしてどうして!? ねえ、どうして!?」
「すまん。うまくまいたつもりだったんだけど……」
「一華さん!」
俺と一華を、まるで引き離すように間に入ると、一ノ瀬さんは一華の手をぎゅっと握る。
目を強くつむり、恥ずかしさに、顔を真赤にしながらも。
「き、ききき……」
「き?」
「きちゃった」
「こないで! 亜里沙、嫌い!」
一華は嫌悪の眼差しと共につかまれた手を振り払うと、俺の手を握り、そのまま家の中へと逃げ込んだ。
二階に上がり、窓から玄関の様子を確認すると、一ノ瀬さんは相変わらずそこにいた。
両手を組み、すがるように一華の部屋を見上げるその姿は、まるで敬虔なる神の信徒だ。
「ど、どうして!? どうしてなの!?」
「ちょっ、一ノ瀬さん、声がでかい」
「私は、こんなにも一華さんのことを思っているのに!」
「だから声がでかいって。夜だから。周りに家があるから」
「夏木くん、一華さんは?」
一華へと顔を向ける。
一華は俺の隣で布団を頭からかぶり、小さく震えている。
もはや一華にとって一ノ瀬さんは、トラウマレベルなのかもしれない。
「いるよ。すぐそばに」
「少しでいいの。少しでいいから、顔を見せてくれないかしら」
「だ、そうだ」
一華へと聞く。
しかし一華は、案の定首を横に振り、また布団の中に隠れてしまう。
「会いたくないそうだ」
「そ、そう……。私…………ひっく……」
顔を落として、見るからに落ち込む。
正直ちょっとだけかわいそうだなとは思ったけれど、多分この感情は相手が美少女だから感じる非常に差別的なものであり、もしも一ノ瀬さんの容姿がアレだったり、そもそも男で、デブで、キモくて、生ゴミみたいだったならば、俺は悪寒と共に心の底から嫌悪して、問答無用で警察を呼んでいたことだろう。
そう考えたら、なんだか同情心が、粉微塵に消えた。
雨が降り始めたのは、ちょうどその時だった。
雨はしとしとと、昼の太陽に火照ったアスファルトを濡らしてゆく。と同時にむわっと、降り始め特有の、地面の匂いが辺り一面に広がる。
もしかしたら雨はさらに強くなるかもしれない。
気がつけばいくらか風が強くなってきているし、遠くでごろごろと、雷の音も聞こえる。
「夏木くん。一華さんに伝えてくれるかしら」
「ああ。なんて?」
「私は、一晩中ここにいるからって」
「ああ、分かった……って、え!?」
思わずノリツッコミをしてしまう。
一晩中一華の家の前にいる?
一ノ瀬さんは、一体なにを言っているんだ?
「いや、雨降ってきたし、早く帰れよ」
「いいえ、いるわ。大丈夫気にしないで。私が決めたの。私がそうしたいからそうするの」
「いや、でも……」
一華へと視線を送るが、やっぱり一華は、頑なに首を横に振るばかりだ。
さすがに女の子を、夜の道端に放置するのはまずくね?
でもまあ、本人がそれでいいって言っているんだし、いいのか?
というか、雨も強くなりそうだし、放っておけばそのうち帰るよな。
ため息をつき、窓を閉めると、俺はローテーブルの上に置いてあったスーパーの袋の中から唐揚げ弁当を取り出した。
そして割り箸を割ると、布団に包まる一華へと視線を送ってから、口をつけ始めた。




