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第67話 このようにして俺は、どこまでも献身的な、幼馴染の奴隷になった

 ――え?


 後頭部に感じる柔らかい感触、そして俺の顔をのぞき込む心配そうな一華の顔。


 初め、自分がどのような状況にいるのか分からなかったが、横になっている感覚と背景に広がる夜空から、すぐに思い至った。


 ――ひ、膝枕!?


 反射的に体を起こすと、当たり前なのだが目の前の一華と顔をぶつけた。


「きょ、京矢……い、痛い……」


 鼻を押さえて、半べそをかく一華。


「わ、わるい……。つい、驚いて……」


 謝りつつも、俺はまだ温もりの残る後頭部に手をやり、それからちらりと一華の太ももへと視線を送った。


 何で?

 何で何で何で?

 何で膝枕なんかしてんだよ?

 何で膝枕なんかされてんだよ?


 じろじろ見すぎたのだろう。

 顔を赤らめた一華が両手でスカートを押さえて、ニーソとスカートの間にできる生脚部分、いわゆる絶対領域を隠して、恥ずかしそうに言った。


「あ、あんまりじろじろ見ないで!」


「べ、別に、見てねーし」


 気まずい……とにかく話を変えないと。


 状況の把握のために、ひとまず俺は周囲へと視線を巡らせる。


 場所は先ほどと同じ浜辺付近。

 今座っているベンチは先ほど身を潜めるために使った物と同じだ。

 人が少し減っただろうか。

 どうやら俺は長くもなければ決して短くもない時間意識を失っていたようだ。


「皆は?」


「先に帰った」


「怒っていたか?」


「ううん」


「怒っていない?」


 俺の疑問に、一華が詳細を語る。


「当時小笠原さんが現場を見ていて、それを許したんなら、確かにそれは小笠原さんの意思だよねって」


「純については?」


「酷い振られ方をして傷ついたのは気の毒だけど、その後に小笠原さんを散々いじめたんなら、一方的に責める資格はないよねって」


 なるほど。そういう風に話は落ち着いたか。

 これもひとえに一華のおかげだ。

 一華があの時実は告白の現場を目撃していたと言ってくれなかったら、結果は随分と違うものになっていただろう。

 つまり俺は、一華の一言に救われたのだ。


 ……だが、一つだけはっきりさせておかなければならないことがある。


 俺は一華へと向き直ると、彼女の目をしっかり見ながら聞いた。


「一華、聞きたいことがあるんだ」


「へ? え? 何?」


「さっきの話だけど……」


 言うと同時に一華は、顔を真っ赤にして、挙動不審にも表情をあたふたさせる。


「あっ、あれは! あれは……その……あの……勢いっていうか、なんて言うか……」


「ん? 勢い? 俺の言っているのは実は見ていたっていう、過去の話のことだぞ」


「え!? あ……うん。そうだよね。そうそう」


「お前、一体なんの話と勘違いしたんだ?」


「それは……その……だから……」


「おう」


「だから……さぃごのぉ……ぁれぇ……」


「は? 何? 全然聞こえないんだけど」


 耳に手をやりぐっと顔を近づける。


「だ、だからぁ……」


「おう、はっきり言えよ」


「もういいでしょ! それより京矢は何が聞きたかったの!?」


 うおぅっ!

 久しぶりのこの感覚。

 耳がきーんだぜ。


 俺は今一度一華に正対すると、今度こそ聞いた。


「さっき一華言ったよな? 小学校の時、俺が校舎裏で純を振るところを目撃したって」


「うん、言った」


「どうしてそんな嘘をついたんだ?」


「へ?」


 一華の瞳が揺れる。

 動揺しているのか、ちょこんとその場に首をすくめる。


 そんな一華の機微を見逃さなかった俺は、そのまま畳みかけた。


「一華は異性に変装したことがないからとっさにイメージできなかったとは思うけど……いいか? 女装とか男装で変えられるのは見た目だけだ。声までは、決して変えられないんだよ。だから俺は、小学校の時に純を振った際には、一切声を出さなかった。いや、出せなかった。ジェスチャーだけで気がないことを伝えたんだよ」


 一華があわあわとした顔をする。

 両手で口元を覆う。


 そして俺は、核心に触れる――


「だけどさっき一華は、純に説明する際に、俺が大きな声できっぱりと『付き合えない!』と言ったのがかっこよかったと言った。……俺はそんなこと言っていないんだよ。だって、言葉を発することができなかったんだから」


 さっと顔を逸らすと、一華は眉をハの字にして、何かを隠すようにぎゅっと口を結んだ。


「なあ一華、教えてくれ。どうしてあんな嘘をついたんだ?」


 小さく首を横に振る。


「どうしてあんな嘘をついてまで、俺なんかをかばったんだ?」


 もう一度振る。


「一華は俺に怒っているはずだろ? 恨んでいるはずだろ? お前が俺を許す理由なんて、どこにもないだろ?」


 視線を手元に落とすと、もじもじ指を絡める。


「なあ一華、どうして俺なんかをかばったんだ? 俺なんかを」


「そ、それは……」


 ようやく、一華が口を開いた。

 頬を朱色に染めて、目をきらきらと潤ませながらも。


「それは?」


「つまり……」


「つまり?」


「その……」


「その?」


「す……」


「す?」


「す……」


「す? 何だよさっきから。はっきり言えよ」


「だ、だからっ! 京矢のことがっ!」


 突然の大声。

 俺はその場に体をのけぞらせる。


「俺のことが?」


「す、すすす、すぅ……スゥアーヴァントなの!」


 俺のことがサーヴァント? 奴隷?

 言葉はおかしいが、多分そういうことなのだろう。


「よく分からんが、俺は奴隷なのか?」


 腰に手を当てると、一華が意気揚々と胸を張る。

 慎ましやかな、彼女の胸を。


「そう! 奴隷! 京矢は私の奴隷! 主人が奴隷の面倒を見るの普通だもん! 上司が部下の責任持つの普通だもん!」


「そ、そうか?」


「そうって言った! だからあの時かばった! それだけ!」


 なかなかに大きな声だったものだから、一瞬周囲にいた幾人かの視線が集まった。

「あの子たちほほえましいわね」なんて囁き声も聞こえてきたものだから、これはもう恥ずかしくて仕方がない。


 一華はこほんと咳をしてその場に縮こまると、声のトーンを落として言った。


「だ、だからね、京矢……」


「お、おう……」


「京矢は今後も私のために尽くすの、面倒を見るの、絶対に裏切らないの。……わ、分かった?」


 顔を真っ赤にして、強く目を閉じて、脚の上で手を握る一華。

 誰がどう見ても返事を待つ姿勢だ。


 ――一番の被害者である一華が、元凶であり、また一番の加害者である俺を、許そうとしてくれている。

 いや、許すばかりではない。

 助けるために、救い出すために、ある種の借りを放棄してまでも、俺をかばってくれた。


 だったら……だったら俺は――


「一華!」


 呼ぶと同時に一華の手をがしっと握る。


「ひゃっ!」


 変な声を上げた一華が、真っ赤な顔であたふたする。


「分かったよ。俺は今後もお前に尽くすし、面倒も見るし、そしてなにより絶対に裏切らない」


「ほ、ほんとぉ……?」


「本当だ」


「約束……してくれる?」


「約束だ」


 そして俺と一華は小指を絡めた。


 指切りをするために。

 誓いを、確固たるものにするために。

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