第55話 昨日の敵は今日の友であり、明日以降はおそらく斜め上をいって、わけが分からなくなること請け合いだ
「稲田先生、ちょっと落ち着いてください。山崎さんのお話を、もっとしっかりうかがった方が……」
新聞部部室に近づく幾人かの足音。
先ほどからかばうようにして訴えかけているのは、声から察するにりりこ先生だろう。
「もう十分に話は聞いたじゃないですか。それに見れば分かることなんですから、それが一番早いでしょ」
「いえ、そういうことではなく、もっと慎重にことを進めないと、山崎さんだって……」
廊下の角に身を隠していた俺は、部室の前にやってきた人たちを確認するために、ばれないようにしてそっと顔をのぞかせた。
一人はやはりりりこ先生であった。
ふわっとした内巻きカールはいつも通りだが、表情にどこか焦りのようなものを感じる。
もしかしたら俺たちと同じ懸念を抱いているのかもしれない。
ことをあまり荒立てない方がいいと。
もう一人の教師は体育担当の稲田だ。
アグレッシブと言えば聞こえはいいが、正直想像力を欠いた行動を取っているという自覚がない分、相当にたちが悪いといえる。
残るは当事者である山崎さん。
二人の教師の後ろに立ち、生気を失ったような顔で鼻をすすっている。
「ここだな。さあ山崎、鍵を開けろ」
握りこぶしを作ると、稲田は乱暴に扉を打つ。
「隠してる漫画、全部見つけてやるからな」
山崎さんは力なく頷くと、手に持っていた鍵を挿し込み、錠を外した。
――数分後、部室から三人が出てきた。
りりこ先生は安堵の溜息をついている。
稲田は首をひねり、どこか肩透かしを食らったような表情を浮かべている。
山崎さんはというと、何がなんだか分からないといった顔をして、その場に呆然としている。
「どうやら、ダンボールに入っていたのが全てのようですね」
締めくくるようにして、りりこ先生が言った。
「確かに、部室にも備品室にも、それらしい物はありませんでしたね」
稲田は腰を曲げて、山崎さんに視線を合わせると、今一度確認のために聞いた。
「山崎、本当に他にはないんだな? さっき校門で見つけたので、全部なんだな?」
「は、はい……」
「分かった。じゃあもういい。さっき取り上げたのはしばらくこちらで預かっておくから、もう学校にああいうのは持ってくるなよ」
「申し訳、ございませんでした」
山崎さんの謝辞に満足したのか、稲田は勢いよく踵を返すと、そのまま職員室へと戻っていった。
残された二人は、しばらくその場で話していた。
声が小さかったのではっきりとは聞こえなかったが、どうやらりりこ先生が山崎さんのことをなぐさめているようだ。
時折「大丈夫ですよ」とか「さあ、元気を出して」とか、そんな言葉が聞こえてきたので間違いないだろう。
ていうかりりこ先生超優しいじゃん。
俺の中で株爆上がり中なんですけど。
……なんでこの人結婚できないんだろう?
りりこ先生が立ち去ったところで、俺はその場に立ち尽くす山崎さんに声をかけた。
「山崎さん、こっち」
「……夏木くん?」
近寄ってきた山崎さんは、目を真っ赤にしていた。
相当に泣いたのだろう。
俺はポケットからハンカチを取り出すと、山崎さんに差し出した。
「涙拭いて。眼鏡も」
「え? あ、ありがとうございます」
眼鏡を取った山崎さんも、やっぱり普通に可愛かった。
涙を流しているからなのかもしれないが、なんだかやけにぐっときた。
そう、男は女の涙に弱いのだ。
「ハンカチですが、後日洗ってから返しますので」
「そう? 別に俺は構わないけど」
「ところで、夏木くんはどうしてこんな所にいるのですか?」
「そのことなんだけど……BL本、備品室になかったでしょ?」
「はい。不思議なことなのですが……まさか」
気付いたようにして顔を上げる。
「夏木くんが?」
にこりと微笑を浮かべると、俺は山崎さんを生徒会室へと導いた。
「失礼します」
入室すると、山崎さんは誰もいない、いつもと変わらない生徒会室内を、胡乱な眼差しで見回した。
「えーと……」
「奥に準備室のドアがあるだろ? 開けてみて」
「ドアをですか? わ、分かりました」
山崎さんは準備室の前までゆくと、ドアノブをつかみ、ゆっくり前へと押した。
「――…………」
両手を口に当てて、目を見開く山崎さん。
一歩二歩と室内に足を踏み入れてから、俺へと勢いよく振り返る。
「な、夏木くん。こ、これ……」
山崎さんの指さした先には、大量のBL本が。――そう、新聞部の備品室内にあった全ての本が、そっくりそのまま移動されていた。
床には汗だくになり、はあはあ息を切らす一華たちが座り込んでいる。
女の子には少々厳しかったのか、皆重い荷物を抱えて走りまくったので、もはや立つこともままならないほどに体力を消耗してしまっている。
「皆さん、本を運ぶために、ここまで……」
「俺たち全員で運んだんだ。時間がなかったからな。男子だ女子だなんて言ってられなかった」
「だから夏木くんも、そんなに汗で制服を濡らしていたのですね」
「ああ、まあ、そんな感じだ」
「……ありがとうございます」
皆の方へと身体を向けて、もう一度、
「本当にありがとうございます!」
さらに続けて、
「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。本当にありがとうございます。ありがとうございます」
「山崎さん、もういいから」
落ち着かせるために、俺は山崎さんの肩にそっと手を乗せる。
「俺たちはやりたくてやったんだ。ただそれだけだから」
すると彼女はその場に崩れ落ちて、最後にもう一言だけ、消え入るようにして、「ありがとぉ……」と言うと、大粒の涙を流して泣き始めた。




