第53話 誰かの幸せが、他の誰かの不幸で成り立っているように、誰かの笑顔の裏には、きっと他の誰かの涙が、丘に吹く風のように、降り注いでいるのだろう
翌日の放課後、俺たちはもう一度交渉の場を設けるために、山崎さんを生徒会室に呼び出した。
「山崎さん、忙しいところ悪いわね。わざわざ生徒会室にまできていただいて」
紅茶を差し出しながらも、一之瀬さんが言った。
「いえ……で、ご用件はなんでしょうか? まだ期日までには一日ありますが、部費の件、もうお返事がいただけるということでよろしいのでしょうか?」
「そのことなのだけれど」
席に戻った一之瀬さんが、おもむろに答える。
「今日お呼び立てしたのは明確な返事をするためではなく、今一度交渉をするためよ」
「交渉? 余地はないと思われますが」
「それがあるのよ」
俺に顔を向けると、ゆっくり頷く。
「夏木くん、例の物を」
「了解」
一之瀬さんに促されて、俺は先日新聞部部室にて撮影した、あの大量のBL本の写真を、山崎さんへと差し出した。
「こ、これは……」
写真を見た山崎さんが、見るからに表情を曇らせる。
若干だが、息遣いも荒くなったように感じなくもない。
「これは、とある筋から入手した、新聞部部室、備品室内の写真だ」
「とある筋というのは?」
「それは言えない。そういう条件で情報を提供してもらったから」
あえて嘘をついた。
その方が交渉を進めやすいと思ったから。
俺は続ける。
「ここに写っているのは大量のBL本だ。当然、これらは持ち込み禁止物であり、不健全な物だ。学校側にばれれば、間違いなく何らかの処分が下されるだろう。活動停止か、もしくは廃部か……」
「ボクに、どうしろと言うのですか?」
「簡単だ。ラブホのあの写真を、学校側にばらさないでほしい。そうすれば俺たちもこの備品室の写真を学校側に提出しない」
「しかしです……」
膝の上でこぶしを握り締めた山崎さんが、その場に顔を落とす。
「それでは結局、ノルマを達成することができず、新聞部は廃部になってしまいます。廃部になれば、次の部活動への引き継ぎのため、最終的には備品室が暴かれることになります」
「それについてだけれども」
すかさず、一之瀬さんが言った。
「以前の提案、覚えているかしら? 私たち生徒会が全員で新聞部に入部すれば、部活動規定である最低人数に達し、特別措置が外れるというあれを」
「はい。覚えています」
「私たちは今すぐにでも入部する準備が整っているわ」
「――え?」
一瞬、山崎さんの顔が明るくなった。
しかしすぐにまた、まるで思い直したかのように、さっと影が下りた。
「いえ、さすがにそれはできません」
「何で? すっごいいい提案っしょ? 断る理由なんてなくない?」
予想外の反応に、識さんが口を出す。
「はい、もちろん願ってもない提案です。とても嬉しいし、とてもありがたいです。しかし、それではボクが、あまりにも虫がよすぎます」
「虫がいいって、何が?」
「こちらに分がある時は断っておいて、いざ都合が悪くなったらお願いするだなんて、最低です」
「そ……そんなこと、ない」
おどおどしながら一華が言った。
「人に頼るのも、大事。私なんていつも……京矢に頼りっぱなし」
「そうだぞ、一華はまるで寄生虫だぞ」
説得するために思わず言ったが……どうやら一華の気分を害してしまったようだ。
ぷくっと頬を膨らませてすねてしまった。
自分で言うのはいいが人に言われるとむかつくというアレだろう。
一体どのようになだめようか……。
頭を悩ましていると、しきりにこちらの様子をうかがっていた一之瀬さんが、唐突に口を開いた。
「い、一華さん! よかったら私の寄生虫になる!?」
一之瀬さんの爆弾発言に、目を白黒させてしまう俺。
対する一華はというと――
「亜里沙、嫌い!」
と言い、ぷいっと顔を逸らした。
一之瀬さんはもうだめだろう。
撃沈のショックで再起不能だ。
ほら、みるみるうちに目からトラブルドウォーターが……。
話を元のレールに戻そう。
俺は山崎さんの真意を探るために、質問を投げかけてみた。
「もしかして男子禁制というのがネックになっているのか? だったらそこは気にしなくていいぞ。俺は部室には一切足を踏み入れないから。ただ名前を借りて部を存続させる、とりあえずはそれでいいじゃないか」
「いえ、そうではありません。先ほども言ったように、ただボクがボクを許せないというだけです。こんなボクにも、プライドぐらいありますから」
プライドか……厄介な代物だ。
こうなってしまっては、多分山崎さんは何を言っても考えを変えないだろう。
「でも、じゃあ、一体どうするんだ?」
「はい、ここで一つ最後の交渉……と言いますかお願いがあります」
「お願い?」
「これからボクは、部室にあるBL本を、全て自宅に移動させます。新しい『場所』を作るまでの一時的な措置として。量が量なだけに、おそらく数週間はかかると思われます。それまでは学校側に黙っておいてほしいのです」
ポケットからラブホの写真を取り出して、ひらひらさせる。
「でないとこの写真を、学校側に提出することになるかもしれません」
「分かった。約束する。で、済んだら写真のデータは削除してくれるのか?」
「もちろんです。約束します」
席を立つと、山崎さんは退室するために扉へと向かった。
しかし取っ手に手をかけたところで何かを考えるようにその場に静止、ゆっくりとこちらに向き直った。
「……あの、これだけは信じていただけたらと思うのですが。本当はこんなこと、ボクもしたくなかったのです。追い詰められていたというか、誰にも助けを求められなかったというか」
泣きそうな顔でぺこりと頭を下げる。
「……ご迷惑を、おかけしました」
音が出ないように慎重に扉を閉めると、山崎さんは俺たちの前から姿を消した。
何だろう? この複雑な気持ちは。
本当にこれでよかったのだろうか?
俺たちにとって山崎さんは間違いなく敵であったが、それで相手を追い詰める結果になることが、本当に正しい選択だったのだろうか?
おそらく皆も同じ思いだったのだろう。
どこか歯切れの悪い雰囲気を、その表情から醸し出していた。
――事態が急展開を迎えたのは、その翌日のことであった。




