第37話 青い空、白い雲、輝く太陽、そしてプールサイドで馬車馬のように働く、女装姿の俺
翌日、週末の金曜日。
生徒会の活動の一環であるプール清掃が、放課後に控える特異な日。
いつもであれば朝一から生徒会室に足を運び一之瀬さんと共に仕事をするのだが、今日はいかなかった。
授業後ごとにある休み時間も生徒会室にはいかずに、一華と識さんの三人で過ごした。
どうやって弱みを無効化するのかについて、
どうやって一之瀬さんをはめるのかについて、
念入りに計画を練るために――
そして迎えた放課後。
作戦を実行に移すために、俺は一人でプールへと向かった。
――そう、女装姿で。
つまりは一華の姿で。
水に濡れた際の、着替えの体操着を持って。
「い、一華さん! きてくれたのね!」
俺が姿を現すと、一之瀬さんが目を輝かせながら駆け寄ってきた。
妙に顔が近い。
ばれるんじゃあないかとひやひやするぐらいに。
しかしあれだ、一之瀬さんマジで顔綺麗だな。
髪も、どんな手入れしてんのってぐらい一切乱れのないストレートだし……。
「あら、何かしら?」
着信音が鳴ったため、一之瀬さんがポケットからスマホを取り出す。
予定通りだ。
相手はおそらく識さんから。
内容は俺と識さんがプール清掃に遅れる旨の記された、事前連絡。
案の定一之瀬さんは、スマホをしまい顔を上げると、「夏木くんと識さん遅れるみたいだから、私たちだけでも先に始めちゃいましょうか」と言った。
門に取り付けられた南京錠を外してプール施設内に入ると、俺は一度周囲を見回した。
きらきら日の光を反射する水面、出入り口付近に建てられた更衣室。
周囲には高い壁が屹立しており、上部には外部からの侵入者を防ぐための有刺鉄線が張り巡らされている。
既に校舎最上階から確認していたので分かってはいたが、今回の計画を実行するにはうってつけの環境がここには揃っている。
階段を上りプールサイドまで上がると、俺と一之瀬さんはそのまま更衣室の横にある用具保管庫へと歩を進めた。
……門は開けっ放しになっているんだ。
今のうちに侵入してくれよ……一華。
保管庫の中にはビート板やレーンを仕切るための浮きが所狭しと置かれていた。
お目当ての掃除道具はどうやら奥のロッカーにあるらしい。
俺は一之瀬さんに従いその薄暗い空間を足元に気をつけながら進んでゆく。
ロッカーにたどり着くと、一之瀬さんはその中からデッキブラシ四本とホース一巻きをピックアップ、手分けして外へと運んだ。
「じゃあ、まずは床の掃除から始めましょうか」
一本ずつブラシを手に取ると、俺と一之瀬さんはさっそくプールサイドの床磨きに取りかかった。
シャッ、シャッ、シャッ、という軽快な音を鳴らして、くまなく埃を排水溝へとかき入れてゆく俺たち。
時計回りと反時計回り、初めはどんどん離れていった俺たちだが、終盤に差しかかるや今度は逆に距離を縮めてゆく。
もうすぐだ……もうちょっと近づいたら……。
正直、真剣そのものの彼女にこれをするのは申し訳ないとは思ったが……仕方がない。
俺はタイミングを計り、あくまでも事故を装って、お尻で一之瀬さんのお尻をどんと押した。
「――きゃっ」
小さな悲鳴と共に、一之瀬さんがプールに落ちた。
ずぶ濡れになる制服、彼女の素肌。
俺はデッキブラシを放り出すと、演技で慌てて、すぐに一之瀬さんへと腕を伸ばした。
「……まあ、事故だし、仕方ないわよね」
一之瀬さんは苦笑いを浮かべて、差し出された俺の手を取った。
第一シークエンスクリア。
次は――えっ?
予想だにしないことが起こる。
引くはずだった手が、なんと一之瀬さんにより引かれたのだ。
バランスを崩した俺は、なすすべなくプール内へと落ちた。
水面から顔を出すと、直ちに俺は頭を押さえた。
大丈夫だ……ウィッグは取れていない。
化粧は多少落ちただろうが、おそらく問題ないだろう。
つかこの女、なんてことしやがるんだ。
「スカートが浮いてきちゃうわね」
とか言いながら水をかけてくる一之瀬さん。
なにくそという思いで水をかけ返す俺。
青い空、白い雲、輝く水しぶき。
校庭からは運動部のかけ声が聞こえてくる。
体育館からはバスケットボール部のブザーの音が響いてくる。
何これ?
状況が状況なら、超青春じゃん!?
俺が男の格好なら、超ボーイミーツガールじゃん?
――だが、茶番は終わりだ。
次のシークエンスに、移行しなければならないから。
俺は大きく息を吸うと、封印していた声を発した。
男の、つまりは俺こと、京矢の声を。
「やめろ」
「え?」
「やめろ。俺だ、夏木京矢だ」
動きを止めた一之瀬さんが、何がなんだか分からないといった顔をして、もう一度聞いた。
「え? どういう……」
「昨日電話で言っただろ? 一華はこない。一華はこないが、一華がこないと一之瀬さんは学校側に女子更衣室の件を報告すると言うから、俺が一華の代わりに一華としてきたんだ」
「……ふっ」
こぶしを握り締めると、一之瀬さんはその黒くて長い髪を振り乱しながら、水面へと向かい叫んだ。
「ふっざけんなあああぁぁぁっ! 穢らわしい男が、一華さんの格好してんじゃねえええぇぇぇーっ!」
こっわ!
でも……もっとだ。
もっと挑発して、我を忘れさせるんだ。




