第35話 俺の妹は、俺のことが大嫌いだけれども、幼馴染のことは、なぜかもっと嫌いらしい
よくないことは、立て続けにやってくるものなのだろう。
その日の夜、一華が俺の家に訪ねてきた。
面倒事を携えて。
「ばか兄」
風呂から上がり、リビングにてくつろいでいた俺へと、妹のくるみが言った。
「ちょっとばか兄」
「何だよばかばかって、あほ妹」
「地味子きた」
――ちょっとその呼び方マジでやめてー!
まるで俺とお前がアレな関係になりそうじゃん!?
「地味子じゃないだろ? 一華だろ? 小笠原家とは一応親戚なんだし、これからも付き合いがあるかもしれないんだから、気をつけろよ」
「あるわけないじゃん。どんだけ遠い親戚だと思ってんの? 私なんてもう叔父さん叔母さんの顔も覚えてないし」
はたくようにドアを閉めると、くるみはそのまま二階の自分の部屋へと上がっていった。
「こんな時間にどうしたんだよ? いち……かっ!?」
玄関に向かった俺は、一華の様子を見てぎょっとした。
真っ青な顔、いつも以上に暗いオーラ、心なしかよれたジャージ……。
これは確かに、くるみが一華のことを地味子と発言するのも頷ける気がする。
ていうかまるで事後だ。
「お、おい、一華……大丈夫か?」
「きょ、きょうや~……」
弱々しい声を出すと、一歩二歩と歩み寄ってくる。
おいおいおいおい。
これは冗談抜きでただごとじゃないんじゃないか?
俺は一華の両肩をつかむと、何度か揺すり聞いた。
「おい! 一体何があったんだ!? しっかりしろ!」
「わ、わたし……」
「わたし?」
「もう……」
「もう?」
「もう生徒会辞めるっ!!」
きーん――耳を押さえると、俺は言った。
「は?」
詳しく話を聞くためにも、俺は一華を二階にある自分の部屋へと招いた。
部屋に入ると一華は、まるで当たり前であるかのようにベッドの上に乗り、何かから身を守るように布団を口元まで引き上げた。
つか男の部屋にきていきなりベッドに乗るなよ。
無防備にもほどがあるだろ。
……まあ、それより今は……。
俺は床に腰を下ろすと、一華を見上げる格好で聞いた。
「で、どうして急に生徒会を辞めるなんて言い出したんだ? そんなに仕事きつかったか?」
うつむきかげんに首を振る。
どうやら仕事がきついとかではないらしい。
じゃあ何だ?
「もしかして、ゲームする時間が減るからとかか?」
目を伏せ、首を横に振る。
これも違うか。
だとすると……。
「精神的なものか? 人間関係とか」
首を縦に振った。
やっぱり……。
職場において、退職理由の本音第一位は、賃金でも残業時間でもやりがいでもなく、人間関係だと聞く。
今までずっと一人だった一華にとっては、生徒会という組織はまだ少し早すぎたのかもしれない。
「まあ確かに、生徒会の仕事は連帯が重要だし、メンバーの識さんも一華とは正反対でやりにくいかもしれないけど……」
「違う……そうじゃない」
遮るように、一華が言った。
「一之瀬さんが、嫌」
「一之瀬さんが? どこが?」
「だってあの子……」
布団ごとぎゅっと自分を抱く。
「なんか怖い。やたらに話しかけてくるし、妙にべたべたしてくるし、スキンシップ多いし……」
そりゃーだって彼女は、一華が目当てだから。
つか一華のことが好きだから。
「今日だって、京矢が席を立った時、いきなり後ろから抱きついてきて……」
「抱きついた?」
「うん。……私、心臓止まるかと思った」
確かにちょっと一線を越えてるような……。
男だったら完全にセクハラだ。
「連絡だって……」
スマホを取り出す。
「めっちゃくる」
受け取り画面に目を落とすと、そこには一之瀬さんとのやり取りが表示されていた。
おはようからおやすみまで、ずらずらずらずらと、まるで恋人みたいに。
「分かった」
スマホを返しながら、俺は言った。
「俺から一之瀬さんに言っておくよ。ちょっと一華に構いすぎだから、気をつけてくれって」
「いや! そんなの絶対に意味ない! 私もう辞める! いかない!」
「でも一華が辞めたら、更衣室の件とか女装の件とか学校側に報告されちゃうんだぜ? そういう契約だから」
「いや! いやいやいやっ! いきたくない!」
大声を出し、ベッドの上で身体を上下に揺らす。
「ちょっ、声でかいって! 隣妹の部屋なんだぞ!」
「いやっ! 京矢……してっ!」
「してって何を!?」
「で、電話……」
声を潜める。
「一之瀬さんに、辞めるって」
「いやだから」
なんとか説得しなければ。
俺は声を荒らげる。
「お前がいかなくなったら、女子更衣室の件とかばらされちゃうんだって! 俺死ぬよ? 社会的に」
「いや! いやいやっ!」
「だ、だから……」
「お願い! して! ここで!」
駄々をこねる一華。
ギシギシと悲鳴を上げるベッド。
その時隣の部屋から壁ドンがきた。
「ほら妹がキレただろ! 頼むから静かにしてくれよ!」
しかし一華はエスカレート。
さらに大きな声を出し言う。
「このままじゃ私、壊れちゃう!」
――ギシギシ、ギシギシ、ギシギシ、ギシギシ。
――ドンッ、ドンドンッ、ドンドンドンッ。
「壊れちゃうよおおおぉぉぉーっ!!」
ガラガラドッシャーンと、くるみの部屋から物音が響いた。
「分かった! 分かったからとにかく落ち着いてくれ! 今からここで一之瀬さんに電話してやるから!」
「……ほ、ほんとぉ?」
べそをかいた一華が、俺の目を見る。
「本当だ。一華が辞めても学校側に報告しないでくれと、なんとか頼んでみる」
「あ、ありがとー……京矢」




