第218話 赤い腕章
やってきたのはサービスエリアの建物の裏にある、手狭なあきスペースだ。
日当たりはそこそこ良好で、隅に幼い子供が遊べる小規模の遊具が設置されている。
サービスエリア自体が若干高いところに位置しているので、自然と風景は、これまたそこそこ良好で、連なる里山を遠目に眺めることができる。
「ねえ! わざとなの!? わざといってんの!?」
俺は『オーマイガー』みたいに手を左右に広げ、甲高い声を上げる。
「あんなことをのべつまくなしに皆の前でいわれたら、もう俺クラスで普通にはいられないよね!? つかもう変態認定されて、下手をしたら呼び出しを食らうレベルだよね? ねえ!?」
「ご、ごめん……つい……」
一華がしょんぼりとした様子で顔を落とす。
「だ、だってしょうがないじゃん! こいつが……」
くるみが一華に対してあごをしゃくる。
「……どうどうと京矢に迫ってたんだし」
「せ、迫ってない! 迫ってない! それ、くるみちゃんの勘違い」
「いうにことかいてそれ!? だったらそうとうの無自覚たらしじゃん!」
「だああああああっ!」
やけっぱちに叫んで、俺は二人のあいだに緩衝壁として割り入る。
「二人の仲が悪いのは分かったから! もうとにかくああいうことを皆……というか他言しないと約束してくれ! これ以上人から、変態だと勘違いされたらたまらん!」
「わ……分かった」
「気をつけるし」
ばつが悪そうに、一華とくるみは互いに俺から顔を背ける。
「上田さんもいい?」
腕を組み、なにやら満足気に、これらのやり取りを静観していた上田さんに、俺は聞く。
「ふむふむ」
「いや、ふむふむじゃなくってさ」
「いやはや」
「いや、いやはやじゃなくってさ」
「京矢は勘違いしておるぞ。変態と勘違いされるのではなく、京矢は真性の変態ではあるまいか!」
「そこ!? じゃなくて、俺は変態じゃねえ! 至って普通の男子高校生だ! 影の薄い、クラスのモブ、夏木『くん』だ!」
「はっ! 笑止千万! 貴様がそう思うんならそうなんだろうな。貴様の中ではな。どこにでもいるモブ『サイコ』『くん』」
頭が痛くなってきた。
ああ頭が痛い。
ズツウが痛い。
「とにかく……今後一切、皆の前で勘違いされるようなことをいわないと、約束してくれ」
「勘違いの線引きというか、定義とは?」
面倒くせえ……。
友達の定義の説明なみに面倒くせえ。
「だから」
目を閉じて、人差し指で眉間をぐりぐりしながら、俺は並べ立てる。
「妹が俺とセックスしたいほどに愛していること。個人的かつ友人的関係で、わざわざ人に話すようなことではないこと。あとこれが重要なんだけど、事情をしらないと、なんかエロいことを連想してしまう、そんな実際にあったこととか」
というか、それぐらい説明しなくても理解してくれよな。
上田さんの今後が、マジで心配!
ってまあ、その美貌を圧倒的才能だけで、どんなに窮地に追いやられても、そこらの真人間の年収ぐらいなら、片手間でさらっと稼ぎそうではあるけど!
ああ羨ましい!
憎い!
才能のある全強者に重税課税という鉄槌を!
「ふむ……まあ、心得た。ようは、エロいことを連想するようなことを、いわなければいいわけだ」
「平たくいえばそういうこと。理解が早くて助かるよ」
サービスエリアでの滞在時間は二十分だ。
一華と上田さんはそのまま買い物をするため店内へと向かい、俺はくるみをバリアートたちに任せるために、一度駐車場の方へと戻り、ぶるんぶるんと厳しいエンジン音を響かせるベンツへと、近寄った。
「それじゃあ、くるみをよろしく」
「もちろんです。夏木の旦那ぁ。この哲夫、命に変えても妹さんを家まで送り届けますんで」
「いや、家までじゃなくていいから」
こんな車、こんな外観の男共にくるみが送られたのを見た日には、母さんが卒倒しかねない。
「近くの駅で降ろしてくれればいいから」
「了解です。では近くの駅まで送りますので。俺たちみたいのが突然きたら、親御さんがびっくりするでしょうし」
うん。そういうこと。
つか上田さんより常識あるな。哲夫くん。
というかこのバリアートは哲夫って名前だったのか。今初めてしった。
その後俺は母さんが預けた鞄から学校の制服を出すと、今のうちということで、誰もいないバスの中で着替えて、もう時間も時間だったので、そのままバスの中で皆が戻ってくるのを待つことにする。
……ふう。
これで戻れるんだ。
ようやく、もとの、普段の生活に。
普段のレールの上に。
俺は、自分の席である、最前列ドア側のシートに腰を据えると、窓に肘をつき、そっと夏の空を仰ぐ。
一羽の鳥が空の高い位置を、悠然と、まるで時を刻むように、時計まわりに飛んでいた。
一周……二周……三周と、時を刻み続ける鳥。
その間に、西から流れてきた小さな雲が太陽を隠し、この場に束の間の日影を作り出す。
誰かがバスに乗り込む、ローファーのかかとがバスの床を鳴らす、そんなかたい足音が響いたのは、小さな雲が東へと流れてゆき、再び日の光がこの場を照らした、そんなタイミングだった。
クラスメイトが戻ってきたのか? と思った俺は、窓外へと顔を向けたままの格好で、ちらりと、そのものへと視線を送る。
知らない女子生徒だった。
学年はどうかは分からないが、少なくとも三組の生徒ではなかった。
それだけならまだいい。
バスは何台もあるわけだし、間違えてのってきてしまったのだろうと、そう思うだけだから。
でもそうではなかった。
その女子生徒からは、なぜだか分からないが、異様な雰囲気が漂っていた。
一体なにが異様なのだろう?
俺は今、すぐ目の前にいる女の子のどこを見て、『異様』と思ったのだろう?
答えを求めるべく、俺は頬杖から顔をあげ、今度は目だけではなく、顔を向けて、その女子生徒のことを確かめてみる。
すぐに気づく。
普通の生徒にはない、二つのアイテムを身につけていることに。
一つは腕章だ。
赤の警戒色が目を引く、左袖の高い位置につけられた、腕章だ。腕章には黒の刺繍文字で『風紀連』という文字が入っている。
もう一つはトランシーバーだ。
安っぽい、なんちゃってトランシーバーではなく、ずっしりと重そうな、堅固な作りの、そんな代物だ。
そんな本格トランシーバーを、どこぞの警備員よろしく、スカートの腰の部分に固定し、コードの途中にマイクのついた片耳イヤホンを、耳にしっかりと装着している。
……フウキレン?
『風紀』ってことは、まあ規律とか、なんかそういった学校のルールみたいのを守らせる、そんな感じの人なんだろうけど……こんな連中、俺の学校にいたか?
いや、ちょっと待てよ。
先日、一ノ瀬さんがいっていたような……だめだ。あんまよく覚えてね。
不意に目が合った。
目が合うとその女子生徒は、一瞬俺のことを、まるで無機物でも見るかのような、なんの感情もない、からっぽの眼で一瞥をくれてから、自然な、というか当然といった様子で、まるで蔑むような雰囲気を醸し出しつつ、さっとそらした。
ばかにされたような気分ではあったが、どうってことはない。
識さんとか一ノ瀬さんとか、その辺りの美少女からくり出される『まるでごみを見るような眼差し』に比べたら、こんなからっぽ無感情一瞥攻撃なんぞ、へでもねえから。
腕章をつけた女子生徒は、そのまま俺の横を通過、バスの中央にはしる通路を後方へと歩むと、シーバーのマイクに向かい、なにかいい始める。
俺はそんな彼女の動向を、音だけで確認しつつ、再び顔を窓外に広がるサービスエリアの駐車場へと向ける。
「こちら木下です。内木一二三さん、大丈夫ですか? …………三組バスですが、やはりすでに席が決まっており、今からの規制線は困難です。…………すみません。まだなれなくて。…………了解です。では実行は現地からということで。…………分かりました。すぐに戻ります」
無線のやり取りを終えると、その『風紀連』とかいう組織? に属する女子生徒は、足早に三組のバスからさっていく。
……一体なんだったんだ?
なんか『規制線』とか、物騒な感じのワードが出てたけど。
……ま、いっか。
遠くから、次第にがやがやとした皆の声が聞こえ始め、俺のクラス、三組の生徒たちが、バスの中に戻ってくる。
席に座っている俺の姿を見ると、確かに気まずいような雰囲気を発したが、ここはめでたいめでたい学校行事。無礼講の精神ですぐに思い直して、先ほどのできごとの数々を、とりあえずは気にしていない、なかったことのように、振る舞ってくれる。
俺の隣に誰かがやってくるのを、気配で感じる。
俺は窓の外に顔を向けていたので、一瞬誰がきたのか分からなかったが、席は予め決まっており、隣は一華のはずだったので、当然そうだろうと思った。
しかし、そのやってきた者が座った瞬間、バス車内に異様な空気が広がったので、俺はすぐに、俺の隣に座った者が一華ではなく、あり得ない何者かが座ったのだと、瞬時に悟った。
「ふむ。最前列ドア横の席というのも、悪くないな」
赤髪碧眼の女神、いい意味で近寄りがたい、学園だけではあまりにも役不足すぎる、第一銀河代表的美少女、上田しおん様だ。
「え? 上田さん? ここ上田さんの席じゃないよね?」
「前にさえぎるものがなにもないというのがまたいいではないか。まあ事故が起こった際には、一番初めに死にそうではあるがな」
なにその嫌な例。
というかたとえ事故が起こって鉄の棒とかが突っ込んできても、鉄の棒の方から上田さんをよけるでしょ。
そういう意味でも、今回に限り、ここが一番安全な席ともいえるかもしれない。
って、そうじゃなくって。
「上田さんの席は、もうちょいうしろの……」
俺の言葉に対して、上田さんが嘴をいれる。
「この林間学校に、鈴が、新聞部のカメラマンとして同行していることはしっているか?」
「あ、うん。さっきレクサスに乗っているところを、激写されたから」
「林間学校に鈴が同行している。これは絶好の機会なのだ」
「というと?」
「我と鈴が、この夏休みのあいだに漫画原稿を完成させて、出版社に持ち込むというのは先刻承知のことだろうとは思う。そして我が、実物を目にしなければ、うまく描写することができないということも」
「は、はあ……」
なんだ?
なんか物凄く嫌な予感がするぞ……。
「そこでだ。この林間学校の期間で、我は貴様に対して、なんでもいうことを聞く権利の二つ目を、使おうと思う」
うわあ……そういえばそんなのあったな。
一つ目はもう決まっていて、漫画原稿作成を手伝うだった。
まさかこのタイミングで二つ目がくるとは。
ということは、やっぱり漫画にかかわることかなにかか?
「わ、分かった」
ごくりと息をのむと、俺は慎重な眼差しを上田さんに向ける。
「なに?」
「一華の姿に女装をしてほしい」
ちょっ、クラスの皆いるから!
さっき約束したよね!?
皆の前で話さないって!
ちょうどこの時、バスがエンジン音を立てたのと並行して、外で待つ、ヤンキーバリアートたちが、「日和の姉貴! いってらっしゃいませ! 夏木の旦那ぁ! いってらっしゃいませ! 一華お嬢! いってらっしゃいませ! バンザーイ! バンザーイ! ウェーイ!!」みたいな声が上がり、皆の意識がそちらへと向いたので、誰一人として聞かれずにすんだ。
「やっぱ夏木やべえわ」
「夏木くんって前々からアレだったけど……やっぱ……」
「ただもんじゃねえ」
「とんでもねえやつと、同じクラスになっちまった」
「これからは夏木『さん』って呼んだ方がいいよね?」
ああ俺の平穏がまた一つ遠ざかった!
せっかくもとのレールに戻れたと思ったのに。
というか隣に上田さんが座った時点で、すでにレールから外れて、平穏なんていうある種のぬるま湯から離れてしまったのかもしれないが……。
「う、上田さん」
上田さんに小声を促すよう、俺はかなり声を落としていう。
「さっき約束したよね? そういう話題は皆の前で出さないって」
「これもだめなのか? 別にエロい系ではないと思うのだが?」
空気を読んだのか、上田さんも小さな声で応える。
「エロい系全般と、あと女装系全般は、絶対にオフレコで!」
「ふむ。心得た」
腕を組み、天井を仰ぎ、まるで要領を得ないといった風つきで小首を傾げたが、とりあえず上田さんはこのように答えた。
「それで、二つ目の命令の、一華に女装してほしいっていうのは……?」
誰にも聞こえないように、さらに声をひそめていう。
「その前にこれを読んでほしい」
上田さんは、どこからともなく紙の束を取り出すと、俺へと差し出す。
紙束は全部で三十枚ぐらいで、左上で、黒のダブルクリップで留められている。
「ええと……これは?」
「鈴の書いた、読み切り漫画のシナリオだ」
「なるほどシナリオか」
俺は上田さんにいわれた通り、とりあえず読んでいってみる。




