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第214話 早朝の呼び出し

「へ? ……え? これって……」


 そう、本来くるみに渡すはずだった、例のジュエリーケースだ。

 もちろん意図するところはくるみに対するものとは違う。

 俺を嫌いにさせるとか、嫌いを越えて嫌悪させるとか、全然そういったネガティブな意味合いではない。

 だが当然、本来の目的、『完全に徹底的に嫌われる、空っぽのジュエリーケース大作戦』をしっている、というか概要説明の際に実践させられた一華にとっては、突然こんなものを突きつけられても、当惑以外のなにものでもないだろう。

 事実一華は、俺からジュエリーケースを受け取る際に、小さく手を震わせていた。


「う……ううう……」

「開けてみてくれないか?」

「ぐひっ……い、今……ここで?」

「できれば」

「わ……分かった……分かった……」


 目を潤ませた一華が、鼻をすすり、こくりと力なく頷く。


「うっ……ぐ……ぐっ……」


 いやいやというように、ぐっと腕をのばし、ジュエリーケースからできるだけ顔を離しつつ、薄目で視線を送る。

 そして恐る恐る、ゆっくりと、少しずつ、ジュエリーケースの蓋を持ち上げてゆく。


 はっという、息を吸う一華の声が聞こえた。

 と同時に、目に溜まった涙が、まるで緊張が解けた一華の心情を代言するかのごとく、はらりと頬を伝った。

 一華は、唖然とした顔で、俺を見て、ジュエリーケースを見て、俺を見て、ジュエリーケースを見てを、何度も何度も繰り返す。


「いや……なんていうか……安物なんだけどさ」

「わ……わわわ……私に?」


 ケースの中に入っていた、『指輪』を取ると、一華は、震える手でそっと持ち上げる。

 思い立ったのは、つい今しがただ。

 渡せなかったら渡せなかったでまあ別にいいかと、軽い気持ちで買った例の指輪を、紙袋越しに、ホテルのベッドでごろごろしながらも見ていた時に、ふとポケットに入れっぱなしになっていたジュエリーケースの存在に気づいたのだ。

 役目を果たす前に、役目がなくなったケース。自分……というか、どこか人という存在の末路を見るようで、虚しい気持ちになったので、捨てる神あれば拾う神ありの精神で、よし今一度、今度は本来の、おそらくはジュエリーケースさんも本望の目的で、役に立ってもらおうと、そう思い立ったという、そういうわけだ。


 初め、一華が勘違いするのは分かっていた。

 ケースの目的を説明していたし、先ほどもいったが実演させていたので。

 だが決して一華をからかいたかったとか、いじわるしたかったとか、そういうことではなかった。

 むしろくるみの時とは逆。

 落とすだけ落として、失望させるだけ失望させて、最後に希望を──光を与える。

 多分その方が、嬉しさが倍増するから。

 飛び上がるほど、嬉しくなると思ったから。


「ここにくる途中、そのジュエリーケースを買いに、店によっただろ? その時、一華が指輪を見ているのを見て思ったんだ。ああ買ってあげたいなって。でも、さすがに一介の高校生である俺が、そんな何十万円もする指輪を、贈ることはできないからさ」


 きらきらした目で、俺を見つめながら、一華が頷く。


「だから、レジの横にあった、安物なら、買えるかなーって、そう思って。いや、本当に安物だから! 数百円とか、そんなレベルの話だから! いらなかったら、捨ててもらっても構わないから!」

「ううん」


 一華は、まるで祈るように両手で指輪を握りしめると、うつむきかげんに目を閉じる。


「う、嬉しい。嬉しい。大事にする。私……一生大事にする」

「一生って……オーバーだなあ」

「大事……本当に」


 プロポーズの際に、指輪をカクテルの底に沈めるとか、ケーキの中に埋め込むとか、そんな再現映像を、昔テレビで見たことがある。

 俺はそれを見て、正直嫌悪感を覚えた。

 あまりにもきざすぎるし、あまりにもクサすぎるし、なにより自分本位に食べ物を利用するというそのやり方が、あまりにも下劣すぎると、そう感じたからだ。

 だが今回俺がしたやり方は、食べ物ではなくて人の気持を自分本位に利用した、どこまでもこすっからい、ある場合には食べ物を利用するにも劣る、そんな賤劣なやり方だったのかもしれない。

 これらを含めて、色々あったここ数日の出来事を総括し、あまつさえ教訓を見出すとすれば……こうだ。


 人は、感情が高ぶり、ある種の酩酊状態に陥ると、しらふの状態では絶対にありえないと忌避していた発言、ならびに行動を、まるでそれが本望であるかのように、取ってしまう。



 ──睡眠大事! 最低七時間は寝ろ! よくをいえば八時間!



 だ。



 部屋のチャイムが鳴る。

 その後にドンドンと、ドアを打つ音が数度聞こえる。

 俺はそれらの音を、夢現の中で、聞くともなしに聞いた。

 やがて、しばらくすると、ドアを打つ音も止んだので、俺は強い強い眠気にかこつけて、きっと気のせいだろう……夢の中の音を勘違いして現実に投影しただけだと、自己完結し、また口元まで掛け布団を上げた。

 しかし、そんな絶対に起きたくないマンの俺でさえ、スマホの音には抗えなかった。

 ベッドの脇、サイドテーブルの上で着信音が鳴って、ブーブーと振動音が響き渡ると、俺はまるで尻を叩かれたようにベッドから飛び起き、スマホにかじりついた。


 ──え!? は!? もう朝??

 目覚まし!?

 学校!?

 遅刻!?


 画面に浮かぶ、識日和という文字。

 俺はそれが識さんからの着信であると気づくのに、なんと五秒もの時間を要した。


 あっ……そうか。

 俺は今『湯乃華温泉』にいるんだ。

 ホテルにいるんだ。


 俺は画面右側の『応答』のボタンをタップしつつ、ちらと横目で、窓の外の様子を確認してみる。

 真っ黒ではない、濃い紺色の空。

 七月後半でこの空ということは、おそらくは朝のかなり早い時間……多分五時前ぐらいだ。

 始発までにはまだだいぶ早いし、一体全体なんなんだ? という疑問を抱きながら、俺はスマホの向こうにいる識さんへと呼びかける。


「もしもし識さん。なに? こんなにも早い時間に」

『さっきから何回もドア叩いたよね? なんで出てくんないの?』


 …………。


「……ええと、どちらさま?」

『は? 寝ぼけてんの? つか今京矢私の名前いったよね?』


 素で、マジで分からない。

 今名前をいった?

 俺なんて呼んだっけ?

 スマホを耳から離して、画面に浮かんだ名前を確認してみる。


 ──識日和。


「あれ? もしかして識さん?」

『だからそうだし。なんなん?』

「いやいやいや。なにをご冗談を。識さんといえば語尾が『にゃー』の、猫耳メイドだろ? こんなギャルギャルしい超陽キャラみたいな喋り方しないから」

『…………』


 返事がない。


 あれ?

 俺今なにかまずいこといったか?

 あれ?


『とにかく開けてくんない? 今ドアのすぐ外にいるから』

「う……うっす」


 俺は野球部の先輩にどやされたかわいそうな後輩よろしく、とぼとぼと部屋のドアへと向かう。

 つまみをまわして錠を外し、ゆっくりゆっくりドアを開けると、そこには見るからに不機嫌そうな表情を浮かべる、識さんの姿があった。


 ……ああ……このゴミを見るような目……識さんだ。

 識さんVer.1だ。

 つまりいつもの識さんだ。


「あんなクソキモい話し方は、日付を跨いだ瞬間終わったから」


 ああそっか、猫耳メイドの罰ゲームは、昨日いっぱいだった。

 ふうむ……残念すぐる。


「いい? 今後、私の前で猫耳メイドの話題を出したら……」

「だ、出したら?」

「殺害するから」

「う、うっす」


 野球部後輩夏木京矢は、へこへこと承伏した。


「でもさ、今後一切メイドの話題を出すなって言う割にはさ、どうしてまだメイド服を身に着けてるの?」


 耳と尻尾はないけど。

 そこ結構重要なんだけど。


「だって仕方なくない? 代わりの服がないんだから」

「一華が着ていた白のワンピースは?」

「着てみたけどだめだった」

「だめだった? なにが?」

「サイズが合わなかった」

「ああ……」


 胸のってことね。

 いわないでおこう。

 多分いうと、識さんにとってはセクハラになるし、一華にとっては、致命的な精神攻撃になるから。


「くるみに借りるとか?」

「さすがにサイズが小さいっしょ」

「売店で……」


 って、この時間はどこも開いてないか。


「まあそのままでいいんじゃない? 裸よりはましだし。というかそもそもその格好でずっといたわけだし、今さら恥ずかしがる必要もないっしょ」


 考えても他に選択肢が出てこなさそうだったし、なにより素の状態に戻った識さんが、それでもなおメイド服を着用し続け、陽キャラの面の裏に、時折垣間見せる羞恥の念が滑稽……可愛かったので、そのままの格好でいてもらうためにも、話を別の話題にそらすことにする。


「そんなことより、こんな早い時間に、一体なんだった?」

「そうそう!」


 思わずといったていで大きな声を出したが、隣室を気にしてなのか、軽く左右を見てから声のトーンを落とす。


「帰る準備をしてすぐに下にきて。今すぐ。私たち、もう準備できて待ってるから」

「帰る準備?」

「林間学校、間に合うかもしんない。出発のバスから、参加できるかも」

「ちょっと待って。話が見えない」

「説明は帰りながらする。だからとにかく準備を」

「……分かった……けど」


 俺は部屋の中へと肩越しに顔を向ける。

 そこにはベッドに眠る、純の姿がある。


「純は?」

「それは……京矢に任せるし」

「任せるって……」


 口ごもった俺に対して、識さんが念を押すようにもう一度、切れ味のある口調でいう。


「純をどうするかは、京矢に任せる」


 多分これって、今この時だけの問題じゃないよな。

 今後の、純とのかかわり合いにも関係する問題だよな。

 識さんはそれを、俺に託そうとしているんだ。


「なんでもいいからとにかく急いで。じゃあロビーんとこで待ってるから」


 いい終わるが早いか、識さんが駆け出す。

 俺はそんな識さんをエレベーターの中に消えるまで見送ると、さっと踵を返し、束の間、考えを巡らせる。


 ……さて……どうするか…………。

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