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第213話 幼なじみと夜の街へ

 その後俺たちは、誰がどこの部屋で寝泊まりするかを決めてから、朝まで、ようはバスの始発の時間まで、ここ『湯乃華温泉』で、自由に過ごすことになった。

 ちなみに部屋割りは、必然的に男子と女子で一部屋ずつ使うことになった。

 つまり、『517号』室に、一華、識さん、くるみ、『518号』室に、俺と純だ。

 ここ数日、まともに眠れていなかったし、つい今しがたまで戦争状態だった純とは、なんだか気まずさが勝ってしまい、なにかを話すのをためらわれたので、さっさと寝てしまおうと、俺はそそくさとベッドに入った。

 しかし、なぜか眠れない。

 もしかしたら色々あって、精神が高ぶっており、体の疲れに反し、脳が覚醒状態にあるのかもしれない。


 ……でも、寝ないと。

 明日は始発で出発だ。

 そんでもって即効家に帰って、荷物持って、林間学校に合流しないと。

 ……ええと、あとで合流するって、学校側に連絡入れないといけないよな。

 それってりりこ先生に電話すればいいのか?

 いや、親から学校に電話かけてもらった方がいいのか?

 ……親?

 そうだ親だ!

 母さんにくるみの件で連絡を入れないと!

 自殺とかくるみと一緒に風呂とか、なんか結構衝撃的なことが連続で起こって、すっかり抜け落ちていたよ!


 こうなってしまっては寝るに寝られない。

 俺はベッドから出ると、ソファに座り、スマホをいじっていた純の前を、気まずさを紛らわすためにも、「あー電話電話ー家に電話入れとかないとなー電話ー」とか、一人でぶつぶついいながら横切り、部屋をあとにした。


 一階のロビーまで下りると、俺はそのまま出入り口から外に出て、ホテルの建物を取り囲むように植えられた、背の低い生け垣の前で自宅へと発信した。


「あ、もしもし。京矢だけど」


 受話口の向こうから、母さんの声がする。

 学生は夏休みだが、世間一般は単なる平日だ。

 親父は、まだ仕事から帰ってきていないのだろう。

 親父はいつも、残業で帰りが遅い。


『京矢? で、どうだったの? くるみ、見つかった?』

「ああ、見つけた。結局以前湯治でいった、『湯乃華温泉』にいた」

『そうなの? でもどうやって』

「SNSとか駆使して、なんとかかんとか」


 嘘はいっていない。

 詳しく説明する意味がないし、長くなって面倒くさいから、説明はこれでいい。


「今日はもう終電がないから、明日には帰るよ。だから、警察は大丈夫。親父にも、そう伝えといて」

『うん。分かった。ほんと助かったわ。ありがとう』

「あ、ああ。別に……」


 親から『ありがとう』なんて、あまりいわれたことがなかったので、なんだかとっても照れてしまう。


『泊まるところは、もう見つけてあるの?』

「ああ大丈夫。そこは心配しないで」

『そう。ならいいけど』


 数瞬の間。

 それからどことなく軽い空気に変わり、母さんがまるで井戸端会議でもするかのような口調でいう。


『でもまさか、京矢がねー』

「俺がなんだよ?」

『だって京矢とくるみ、すごく仲が悪いじゃない? それなのに京矢、血相を変えて家を飛び出していくんだもの』

「まあ兄だし……普通だろ?」

『兄としては普通かもしれないけど、京矢としては普通じゃないでしょ? そこが心配なの』

「心配って?」

『あんた、くるみに変なことしないでよ』

「へ……変なことって……」


 おそらく母さんは冗談のつもりでいったのだろう。

 だが今の俺とくるみの事情、ここ数日で色々あったことを加味すると、全然全く冗談には聞こえなかった。

 よって俺は、つい本気で声を荒らげてしまう。


「す、すすす、するわけがないだろ!!」

『え? なに大きな声出してるの? 冗談よ? 冗談。……というか、本当にしてないわよね?』

「し、しつこい、じゃあ切るから。じゃあね!」


 これ以上語ると、またボロがでそうだったので、俺は一方的に通話を断ち切る。


 少々乱暴だったか?

 故に、余計に怪しまれないか?

 とも思ったが……ええいしるか!

 なるようになれ!


 スマホをしまい、ホテルに向かおうと踵を巡らせると、俺はそこで、ちょうど出入り口から出てくる一華に出会う。


「おう一華。制服に着替えたんだ」

「う、うん。ワンピースは、ちょっと、合わないから」


 そんなことなかったけどなー。

 古き良き時代の桃源郷少女って感じで、似合ってたと思うけどなー。


「京矢も、着替えた。いつもの、男の子の服」

「ああ。やっぱ俺は男だわ。男装が、一番落ち着く」


 ところで、といいつつ、俺は温泉街の方を指さし、一華へと提案をする。


「飯、もう食ったか? まだだったら、これから一緒にどうだ?」

「う、うん。ご飯……まだ。ちょうど私、夜風に当たりたくて、出てきた、ところだったし」

「じゃあ決まりだ。いこう」


 再びホテルとは反対側へ、温泉街の方へと歩先を向けると、俺は歩き出す。

 一華はそんな俺に早足で追いつき、横に並んでから、歩度を合わせる。

 坂道を下り、川の方へと向かうと、そのまま橋を使って、主に飲食店や土産屋の建ち並ぶ、温泉街西側へと渡る。

 しかしながら土産屋はいわずもがな、飲食店も大半がすでにシャッターを下ろしている状態だ。


「ほとんど店閉まっちゃってるなー」


 立ち止まると、俺は頭をかきかきしながら、困ったように周囲へと視線を巡らせる。


「も、もう、八時だし」

「さすが田舎。地元だったら『まだ』ってつく時間帯なのに」

「確かに」

「あ、あそこ」


 川沿いに建つ、黒を基調とした、なんだか物凄く都会的なレストラン……というかビストロ? を指さす。


「あの店、まだ開いてる」

「そ……だけど……な、なんか、敷居が高い」

「敷居が高いって使い方、間違ってるけどな」


 でもまあ、なんとなく意味は伝わるから、新解釈として、辞典に載せてもいいと思うけど。


 俺は店の前にいくと、営業時間を確認する。

 ラストオーダーが十時半と書いてあるので、まだまだ余裕で大丈夫だ。


「ここにしようぜ」

「本当に? た、高くない?」

「大丈夫だろ」


 出窓から軽く中をのぞく。

 数組のカップルがおり、なんだかこじゃれた一品料理を食べている。


「ほら、パスタとかも、食べられそうだし。それに」


 それに? と、一華が首を傾げて聞く。

 俺はズボンのポケットから財布を出しつつ、答える。


「ここは俺に任せろ」


 まああとで、くるみ発見の報酬として、親にぜーんぶ請求するけどね。


 カランカランとドアの上についた鐘を鳴らしつつ、店の中に入ると、タキシードを着た壮年のウエイターが俺たちの接客に応じる。

 彼は俺と、学生服姿の一華を見ると、一瞬、ほんの一瞬だけ、思案に暮れたような眼差しをしたが、ちらと時計を確認してから、「ご予約はございますか? 二名様ですね。窓側のテーブル席へご案内いたします」といい、俺たち二人を、客席へと導いた。

 当然だ。高校生が、なんかこじゃれた飲食店で夕飯を食べてはいけないなんて法はありはしない。

 ましてや今はまだ夜の八時だ。

 ここの禁止条例がどうなっているかはしらないが、さすがに八時で外出禁止なんてことはないだろう。


 テーブル脇に一輪の花の飾られた、白のテーブルクロスが眩い、少々雰囲気のありすぎる客席に腰を落ち着けると、俺と一華は面前に差し出されたメニューを手に取り、そっと開いて内容を確かめてみる。

 まず目に飛び込んできたのは、『8000円~』と表記された、ディナーコースだ。


 いやいやこれはさすがに高校生の身分では無理だ。

 就職して、もっと大人になってから、いくらでもたのんでやる。


 ──この時京矢はしらなかった。

 社会人になっても、外食といえば、せいぜい吉野家の牛丼を大盛りにするぐらいが関の山だということに……って、なに自分の独白にナレーション入れてんだ?

 いかんいかんそうならんようにしよ。

 大丈夫だよね? 未来の俺。


 ページをめくると、ようやくここで一品料理の一覧が出てくる。

 しかし、写真がなくて、文字ばかりで、一体全体なんの料理なのか分からない。

 一応呪文みたいな料理名の下に、簡単な説明文が載っているので、それを参考にどんな料理かを判断するしかない。


 とはいえ……料理名でどんな料理か判断できないやつは、妙に値段が高いな。

 なぞの一品料理が、一品千九百円って……。


 結局、変に背伸びしても仕方がないということで、俺と一華はパスタを注文した。

 俺がきのこパスタで、一華がミートパスタだ。


「お飲み物は、いかがなさいましょうか?」


 注文を受けたウエイターが、まるで催促するような口調で聞く。


「え……あ」


 頼むつもりはなかったが、『水を……』なんて、なんだか言える雰囲気でもなく、反射的に俺は、メニューを手に取り、考える振りをする。


「ええと……その、コーヒー……あります?」

「はい。ございます」

「じゃあホットで」


 ウエイターが一華に声をかける前に、俺がまるで助け舟を出すようにいう。


「一華は、ジュースでいいよな?」

「あ、う、うん。お、オレンジジュース」

「かしこまりました。お飲み物は食後で、よろしいでしょうか」

「はい。食後でお願いします」


 ウエイターがさり、ほどなくして、先ほどと同じウエイターにより、注文の商品が運ばれる。

 料理を見ると、俺は愕然とした。


 え? こんなけ?

 超でかいプレートの真ん中に、くるくるって巻いたパスタが、ちょこーんとのっているだけやん!

 これで一品千七百円って、嘘……だろ?

 ……ま、まあいい。

 とにかく食べてみるか。

 こういう個人店は、チェーン展開する大企業と違って、量より質なんだ。

 ほっぺが落ちるほどに美味しいに違いない。


 ──そんなことはなかった。

 確かにパスタの麺は太めで、もちもちしており、いかにも生パスタ然としていたが、それだけだった。

 というか最近だと成城石井とかの高級志向のスーパーが幅をきかせているし、そうでなくてもイオンとかの専門店街にいけば、レベルの高い生パスタなんかも売っているので、それで十分に事足りてしまう。

 そんなパスタを、レシピ系ユーチューバーの動画を見ながら、同じように調理すれば、まさしく飲食店顔負けの、あれ? 俺って料理の才能あるんじゃね? と勘違いするような料理が、意外にもできてしまうのだ。


 業務用のものが気軽に買える店、プロの料理人の実演動画が気軽に見られるネット……これって飲食店側、提供側にとっては弊害以外のなにものでもないよな。

 情報共有化社会っていうか、フラットで区別のない、退屈な世界へと、エントロピーが増大していっているっていうか……。


 そんなこんなごちゃごちゃと、色々頭の中で考えているうちにも、いつの間にかパスタはなくなっていた。

 あいた皿が下げられ、食後の飲み物が運ばれた時点で、ようやくチルタイムだ。

 俺は濃くて熱いコーヒーをすすりつつ、目の前に座る一華へと視線を送る。

 一華はというと、オレンジジュースには口をつけずに、窓の外に流れる、温泉街の光をちかちかと反射して輝く、川へと顔を向けている。


「きれいだな」


 ぼそりと、呟くようにいう。


「う、うん。きれい」

「なんていうか、ご飯に誘ったのは、ちょっと話したいことがあったんだ」

「話したいこと? な、なに?」

「話したいことっていうか……お礼なんだけどさ。今回一華には、本当に迷惑をかけたし、色々協力をしてもらったから」


 ううんといい、首を横に振る。


「お礼なら、日和、ありさ、しおん、細谷くん、すずに、いってあげて。わ、私は、大して役に、たってない」

「そんなことない。そんなことないぞ。だって……」

「だって?」

「なんていうか、一華がいないとだめなんだよ。一華がそばにいないと落ち着かないっていうか、いないとすっぽりと穴があいている感覚があるっていうか……とにかく一華じゃなきゃだめなんだ」

「え? ……え?」


 あれ?

 俺一体なにをいってるんだ?

 なんだか考えがまとまらないな。

 でも多分、これが本心で、これ以外にいいようがないし、合っているんだと思う。


 なので、俺は一華が次の発言をする前に、まるで自分の意思を押し通すみたいに、本来の目的であるある物を、よりにもよってこのタイミングで、一華へと差し出す。


「一華! これは俺の気持ちだ! 受け取ってくれ!」

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