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第212話 露天風呂でまったり

 きゃっ?


 誰かの声のあとに、熱い感覚が俺の肌を刺激する。

 と同時に、なんかとても柔らかい感覚が、俺の顔面に伝わる。

 熱い感覚が、温泉のそれであるというのは、すぐに分かった。

 仕切りをやぶる前に、バルコニーの貸切露天風呂を見ていたのもあったし、口に入ったそれが、海水のようにしょっぱい、ナトリウム塩化物泉であると分かったから。


 では一体全体、この柔らかい感覚はなんなのだろうか……。


 恐る恐る俺は、そのなにかから顔を離して、全容を確認する。

 健康的でつるつるとした人肌に、こんもりとした、二つの幸せの里山。

 肌は、本当に動物の肌なのかよと疑うぐらいに毛やシワなんてものはなく、そんな側面に水分が滞留するなんて可能なわけもなく、温泉の飛沫は、支えや摩擦のないまま、肌の上をつうと流れ落ち、湯船という、本来あるべき場所へと帰ってゆく。


 圧倒的若さ!

 超弩級の生命力!

 こんな素晴らしいポテンシャルを持った女の子は、この世に一人しかいないじゃないか。


 俺は自分の家系・血族に、こんな素晴らしき遺伝子を持った親族がいることに誇りを抱きながら、ふっふっふとか、なにやらきざで科白的な笑いを実際に漏らしてから、そっと、その少女の相貌へと、顔を上げる。


 くるみ!

 夏木くるみ!

 我が最愛の妹、くるみ!


 この瞬間、安堵感が津波のごとく押し寄せる!


「くるみ!」

「あわあわあわあわわわわ」


 くるみは、口をふにゃふにゃにして、腕で前を隠し、湯船の中を、そろそろと後ずさる。


「くるみ! よかった! 本当によかった!」


 生きててよかった!

 自殺していなくてよかった!


「よ……よよよ……よよよよよ……よ……」


 顔を真っ赤にして、歯を噛みしめる。


「よくないわっ!!!!」

「はあ……よかった」


 ……なんだ。

 そういうことか。

 露天風呂に入っていたから、俺が呼びかけても、出てこれなかったのか。

 そりゃそうだよな。

 シャワーを浴びている時に限ってよく宅配便とかくるけど、わざわざ大急ぎで風呂から出て、べったべたのまんま服を着て、髪から雫を滴らせながら応対なんて、絶対にしないもんな。

 まあいいやとか、まあしょうがないよなとか、そんな風に自分を納得させて、放っておくのが常だもんな。

 あと、あの『キィ……トン……』とかいうまぎらわしすぎる音の正体だけど……。


 露天風呂の脇に設えられた、ささやかな日本庭園風の意匠に目を向ける。

 そこには源泉かけ流しの温泉が注がれては湯船に落ちる、竹と石でできた、ししおどしが、今もなお音を鳴らし続けている。

 なんてことはない。

 音の正体を知ってしまえば、不穏だった『キィ……トン……』という音も、一瞬にして風流な音色に変わってしまう。

 もはやそこからは、陰惨な死とは正反対の、悠久の時とか、あるいは雅とか、そんな時間超越の概念さえも、感じ取れるかもしれない。


「え? ちょっ……京矢……つかなんでそんな普通なの? え? なんで?」


 たじたじになったくるみが、相変わらず顔を紅潮させたままの状態で聞く。


「普通って、なにが?」

「普通は普通だし! 普通妹の裸見たら、もっとびっくりするんじゃないの!?」


 ──本心を言おう。

 妹の裸を見て、びびらないわけがないだろうが!

 内心超びびったし、思わず悲鳴を上げて逃げ出しそうになったっつーの!

 でもよく考えてもみろよ。

 妹の裸を見て、悲鳴を上げて逃げ出すってことは、ようは意識しているっていうことになるだろ?

 意識しているっていうことは、穿って考えれば、妹の裸に欲情しているってことだ。

 そんなのマジで気持ち悪いし、ヤバいにもほどがあるだろ!

 俺はくるみのことが好きだ! 愛していると言っても過言じゃないね。

 でもそれは、あくまでも家族として愛しているということであって、血の繋がらない誰か別の女の子に対する『愛』とは全く別のものだ。

 俺がくるみに求めるもの、これから話し合い、線引きしようとしているもの、相互同意し、たどり着きたいところは、そこだ。

 だったら、今ここで悲鳴を上げるわけにはいかんだろ!

 取り乱すなんてもっての他だ!

 だから俺は、徹底的に平然を装ってやる。

 くるみの言う、『普通』とやらを──


「なーに言ってんだ今さら」

「はい?」

「家族なんだし、一緒に風呂に入るなんて普通だろ? 狭い風呂ならともかく、この露天風呂、二人で入ってもまあまあ広いし」

「え? ……は? あれ?」


 マジで混乱しているのか、くるみは目を回しつつ、疑問の言葉を繰り返す。


「というかお前、さっきはやる気満々で、俺の前で服脱ごうとしていたじゃないか」

「あれは! なんかその場の空気に気がおかしくなったっていうか、心の準備ができたから、恥ずかしさがなかったっていうか……」


 ということは、俺とセックスをすることに対しては、正直やぶさかではないが、冷静な心理状態でいざやるとなると、やっぱり恥ずかしさの方が勝るってことか。

 これは極めていい傾向だ。

 だったら家に帰っても、そんな空気にならなければ、セックスに至ることはないという、俺のもっとも理想とする関係性だ。


「わ……わわわ……分かってるでしょ!? 好きだから、見られるのが恥ずかしいって!」

「ならなおのことおかしいぞ、くるみ」

「は? なにが?」

「好きな人には、むしろ見られたいもんだ。自分の全てを見てほしいもんだ」


 知らんけど。


「家族なんだから、別に裸を見られても大した問題じゃないし、好きな人にはむしろ見られたいもんなんだから、やっぱり大した問題じゃない。つまり今くるみは、別段騒ぎ立てることなく、俺とゆっくり温泉を楽しめばいいんだ」


 俺は、そんな俺の言葉を自ら証明するため、ウィッグを取り、制服を脱ぎ、下着を下ろし、マッパのフルチンで、温泉に浸かる。


「……ああ……マジで気持ちいいな」

「…………」


 あぼーんと口を開けて、くるみが俺を見る。


 もう一息だ。


「おいくるみ、見てみろよ。眺めも最高だぞ。ああ……極楽」


 俺は脚をのばし、両肘を湯船につくと、空を仰いで、紫色の空に輝く、おりひめへと視線を送る。


「あれ? え? あれ? もしかして、本当に私がおかしい? そんな感じ?」


 否定はしない。

 この場合答えを明確にせず、空気を察して状況を受け入れさせる方が、より自然だからだ。

 自然に状況を受け入れる、これが直面する状況を受け入れるには、最適なのだ。


「よしくるみ。酒でも飲むか」

「は? 酒? 正気?」

「冷蔵庫にあるだろ。後払いみたいな感じで。夜空を見つつ、貸切露天風呂で酒を飲む。しかも家族と語らいながら。これって、最高に幸せなことじゃないか?」

「う……うん? ……そうかも」

「よし決まりだ」


 ざばんと温泉から出ると、俺は湯をポタポタと滴らせながら、掃出し窓の戸を開けて、近くに置かれていた冷蔵庫へと歩を進める。

 そして入っていた缶ビールと、冷蔵庫の上に盆と共に置かれていたグラスを二つ手に取ると、いそいそとくるみが待つ露天風呂へと戻ってゆく。


「おまたせ」


 再び温泉に身を沈めると、俺はぷしゅっと小気味よい音を立てて缶ビールを開け、とくとくしゅわわと二つのグラスへと注ぐ。

 そして一方を俺が、もう一方をくるみへと渡して、乾杯をするため、グラスを少しだけ高い位置で掲げる。


「じゃあ、乾杯」

「ちょ、ちょっと待って」


 慌てた様子で、くるみが止める。


「なんだよ」

「え? ほんとに飲むの?」

「なんだ? 嫌か? もしかしてジュースの方がよかったか?」

「いや、ジュースとかそんなんじゃなくて……私初めてだし、いいのかなって」

「大丈夫大丈夫はっはっは」


 俺はくるみの不安の言葉を吹き飛ばすように、わざとらしく手を大仰に二回振る。


「酒はハタチになってからって言うけど、宣言するよ。警察も政治家も弁護士も、スーパーヒーロー消防隊の方々も、子供の頃に酒を一ミリたりとも飲んだことのない人なんて誰一人いない。むしろ未成年で酒をちょっと飲むことなんて、ある種のイニシエーションみたいなもんだ」

「それって旅行先とかで、面白半分で親が子供に飲ませて、その苦さに顔をしかめるのを楽しむ、アレだよね」

「ま、まあ?」

「あれは酒を飲んだに入らなくない?」

「どうしてだ? 根本的には同じだろ?」

「う、うーん……まあそうだけど」

「ほいじゃあ、俺とくるみの将来に、かんぱーい」

「か、かんぱーい」


 喉が渇いていたし、全てが思い通りにいったという達成感もあったし、なにより高校初めての夏休みだしというのもあり、調子にのって、俺は一気にビールを、口の中へと流し込む。

 しかし、ビールのあまりの苦さに、俺は思わずプロレスラーがする『毒霧』のように、ぶーっと、ビールを全て吐き出してしまう。

 目の前にいた、くるみに向かって。


 うっわ! まっず!

 なにこれまっず!

 ビールってこんなにまずいの!?

 最近ブラックコーヒーが飲めるようになったし、まあビールもいけるだろうと思ったけど、こりゃー全然無理だわ。

 ビールの旨さが分かったら大人だとか世間では流布されてるけど、それって結局老化だろ?

 老化して味蕾が壊れてきて、味に対して鈍感になったから、ビールが飲めるようになるんだろ?

 そんな生化学的事実を棚に上げて、『これだからおこちゃまわ』とかマウント取るとかって、どれだけ他に誇れることがないんだよって、見ているこっちが悲しくなるよな全くやれやれ……。


 顔を上げると、ビールと、ほんのちょっとの俺の唾液にまみれた、くるみの姿があった。

 くるみは顔を伏せており、肩を小刻みに震わせている。


「く……くるみ?」

「京矢……調子いいこといっといて、まさかビール初めてなの?」

「お、おう。実はそうなんだ。いやあ、まさかこんなにまずいとは思わなくてさははは」

「……ふ」

「ふ?」

「ふっざけんなああああああ!」


 突然キレると、くるみがざばんと湯船から立ち上がり、俺にぽかぽかと殴りかかってくる。


 ──ちょっ、前前!

 見えてる!

 上も下も真ん中も、なんか色々と見えてるから!


「人にぶっかけといてなにその態度! あり得ない!」

「わるいわるいわるかった!」


 あははあはは痛いって痛いって本当にもうやめろってば~。


「というか別にいいだろ! 温泉なんだし! すぐに流せるじゃん!」

「なにそのへらへらした顔! 絶対に悪いと思ってないじゃん!」


 ちょっ……痛い。

 マジで痛くなってきた。

 本当に力入れるのやめて!

 ねえくるみ!

 痛いって!


 マジで痛くなってきたので、俺はくるみの両手首をつかむ。

 それでも詰め寄ろうとくるみが全身で迫ってくるので、仕方なく俺は、追い返そうと少しだけ前方へと力を込める。


「きゃっ」

「あっ」


 湯船……温泉……不安定な体勢……滑りやすい状況の三拍子が、幸か不幸か揃ってしまう。


「あっ! あぶな──」


 俺は見た。

 倒れゆくくるみの背後に迫る、ぶつけたら間違いなくただでは済まないだろう、硬い、石でできた床を。


 ──このままじゃ、くるみは頭から床に倒れ込む!


 とっさに俺は、くるみの背後に手をまわすようにして、後頭部を抱きかかえる。

 俺とくるみが、床へと転倒したのは、俺がくるみを抱え込んだ、そのすぐあとだった。

 床に仰向けに横たわるくるみに、くるみにうつ伏せに覆いかぶさる俺。

 俺とくるみの体はぴったりとくっついており、もうなにかが当たっているどころの騒ぎではなく、密着? 合体? みたいな感じになっている。


 あ……あああ……あっぶねー。

 なんかダークネス的なアレだったら、間違いなく入ってたわー……じゃなくて、くるみの頭を守ることができて、本当によかったわー。


「ってー」

「大丈夫か? くるみ」

「大丈夫だし。つか早くどい……」


 くるみの言葉尻を押さえたのは、何者かにより開けられた、掃出し窓の戸の音だった。

 俺とくるみはとっさに、戸の方へと顔を向ける。

 床に倒れたままの、体と体が密着した、ある場合には最中に見える、そんな状態で。


「にゃ、にゃ、にゃ、にゃにゃにゃ……」


 うん。識さんだ。

 猫耳メイドの識さんだ。


「きょ……きょう……や……ぐすん」


 うん。一華だ。

 なんで目が潤んでいるんだろう?


 ……落ち着こう。

 とりあえず落ち着こう。

 冷静沈着作戦の続行だ。

 こんな時こそ冷静沈着作戦が効力を発揮するんだ。

 だってそうだろ? ここで取り乱したら、まるでなんかみだらなことをしていたのを見られて、取り乱しているみたいじゃないか。


 決意した俺は、俯瞰した視点で俺自身を傍観するように、ロールを演じ始める。


「やあ。皆揃って、一体どうしたんだい?」


 湯船に腰をかけると、俺は脚を組んで、落ちていたからのグラスを手に取り、ゆらゆらと揺らす真似をする。


「はあ……温泉ってマジでいいよな。君たちもどうだい? 俺たちのあとに入るかい? それとも今一緒に入っとく?」

「にゃ……にゃにゃにゃ」

「ところでどうやって部屋に入ったんだい? ああ分かった。フロントにスペアを借りたんだろ。事情を説明して。それともフロントに通報が入ったとか? さっき俺、廊下でだいぶ騒いだからな」


 手を銃の形にすると、人差し指の銃口で識さんをばきゅーんと撃つ。


「ははーん。その表情、そっちが図星か。なるほどね」

「にゃ……にゃに……」

「にゃに?」

「にゃにをやっとるんじゃーい!!」


 識さんの『爪』が、まるで南斗水鳥拳がごとく、俺の顔面を切り裂いた。


 ですよねー……とほほ。

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