第202話 いざ伏魔殿へ
俺の突然の発狂に、識さんは呆然として、一華はびくりと肩を跳ね上げる。
「な……ななな……なに?」
目に涙を浮かべる一華。
「こ……壊れた? 京矢が、壊れた?」
「大丈夫だにゃ。安心するんだにゃ。京矢はもともと、壊れているんだにゃ」
「見ろ! 見ろ! 見てみろよこれ! ほおおおおらぁ! よーく見ってみろよ! 浴衣! 浴衣浴衣浴衣! 藍色に白の模様が入った、とおおおおっても涼し気な、風流なっ! 日本式の浴衣! なんで二人が同じ浴衣を着てるんだ?? ペアルックなのか? ペアルックなの? ペアルックだよな? な? な? アベックかよこんちくしょーぉぉおおおおぉぉぉぉおおおっ!!」
はあと、識さんが安堵の吐息をはく。なんだそんなことかという、軽い気持ちを吐露するかのごとく。
『おい、大丈夫か? 今なんかすごい声が聞こえた気がしたけど』
状況をうまく把握できない細谷が、心配そうな声音で、誰にではなく聞く。
「大丈夫にゃんだにゃ。いつものことにゃんだにゃ」
『いつものこと?』
「京矢は妹さんのことににゃると、いつもにゃにがしか黙考して、その後に発狂して、最後には勝手に壊れるんだにゃ」
『それあんまり大丈夫じゃなくない!?』
「そんにゃことよりも妹さん、くるみちゃんの確認だにゃ」
識さんは俺のスマートフォンを取ると、一華へと差し出す。
「一華は、くるみちゃんのことを、よく知っているんだにゃ。この子は、くるみちゃんで合っているのかにゃ?」
一華は識さんからスマートフォンを受け取ると、左右から両手で包み込むようにして手に持ち、しっかりと見るためにも、画面に顔をぐっと近づける。
「……うん。そう。これ……間違いなくくるみちゃん」
『決まりだな』
ぱちんと、スマートフォンの向こうから指を鳴らす音が聞こえる。
というかスマートフォンの向こうからでも聞こえる指パッチンってどんだけだよ。
かっこいいから今度細谷に会った時に伝授してもらおうそうしよう。
「そ、そそそ、そそそそそそそそ……そーれでえええ。この動画、二人が映ってる動画、それでえええどうすんの?」
平静を装いつつも、俺が聞く。……いや、全然全く装えていないか。
「京矢、無理するにゃだにゃ」
……お、おう。
動揺しまくりの俺の様子を見た一華が、セルフの水を汲んできてくれる。
一華からグラスに入った水を受け取ると、俺はぐびぐびと一気に飲み干してから、深い深い深呼吸をする。
こりゃーしばらくはだめだなと見切りをつけたのか、俺の言葉を引き継ぐようにして、識さんが細谷へと、質問の言葉を口にする。
「それで、ライブカメラに二人が映っていたからにゃんだっていうんだにゃ? やっぱり純と京矢の妹さんは湯乃華温泉にきていた、それが確認できたってことでいいのかにゃ?」
『それもある。でもそれだけじゃない』
「そのもう一方を聞きたいんだにゃ。もったいぶらないでほしいにゃ」
『ごめん。単刀直入に言うよ。つまりは、さっき夏木が言った浴衣なんだよ』
ゆぅーかぁーたぁーああああああああああああああああああぺあるっくううううううううあベっくうううううううううう!
『二人が付き合っているとかそういうんじゃあないんなら』
あったりめえええええだろうがよおおおおおおおおおおおおお指パッチンンンンっ!
『わざわざ同じ浴衣を選ばないだろ。つまりは選んでいないけど同じ浴衣……必然的にそうなるのは、ホテルとか旅館の備品でしかあり得ない』
驚き、気づいたように、識さんが手を打ち鳴らす。
一華も、びっくりしたみたいに、口に手を当てる。
……ホ、ホテルの……備品?
「つう、ことは……」
囁くように、病人みたいにカラカラに乾いた声で、俺は言う。
一華と識さんが俺を見る。
言明を求めて。
ある種の、宣言を求めて。
「ペアルックじゃあ、ないって……ことか?」
俺の言葉に、二人は明らかにがっくりと肩を落とす。
「そろそろ、ペアルックから、はにゃれにゃいかにゃ? 今重要にゃのは、ペアルック云々じゃにゃくて、ホテルの備品ってところにゃんだにゃ」
「あ……ああ、わるい。ちょっと頭が混乱していて」
「そ……それで」
スマホを持っている、イコール、イニシアチブを握っている、と感じたのか、引っ込み思案の一華が、話を進めるためにも口を開く。
「わ、分かったの? 浴衣……どこのホテルの、物か」
『ああ。もちろん調査済み。「ホテル TAMAYURA」ってところ』
言うとほぼ同時に、ぶるっと一回、スマートフォンが震える。
一華は細谷から届いたメッセージを開くと、俺と識さんにも見えやすいように、カウンターのテーブルの上にスマートフォンを置く。
『ホテルのアドレス届いたよね? そこ開くとホーム画面に、純たちと同じ浴衣を着た、二人の女の人の、イメージ画像が流れるから』
俺は、言われるがままに、青色のリンク文字になったアドレスをタップする。
するとホテルのホームページが開いて、細谷の言う通りに、画面全体にでかでかと、女性二人が温泉街を散策する画像、ホテルのロビーでくつろぐ画像、豪勢な食事を満喫する画像が、次々と表示される。
「間違いにゃいにゃ。この浴衣……純と妹さんが着ていたやつにゃんだにゃ」
「ええと……つまり純とくるみが潜伏するホテルが特定できたってこと?」
俺はばかみたいに、ばかみたいな質問をする。
『そういうこと。純と夏木の妹さんは、現在湯乃華温泉にある、ホテルたまゆらってところに潜伏している』
俺のばかみたいな質問に、細谷が生真面目に答える。
『ただこのホテル、湯乃華温泉の中でもかなり大きい方みたいで、部屋数が結構あるんだよね』
「部屋数が結構あるって、じゃあ何号室に部屋を取っているかとかは、どうやって突き止めればいいんだ?」
『それはそっちでなんとかしてくれ。宿泊先まで調べたんだから、それぐらいは頼むよ』
「あ……ああ……でも」
まだ頭が混乱しているのかもしれない。あるいはただの寝不足か……。
とにかく俺は、今なんだかすごく、頭がうまく回らないような気がする。
「分かったにゃ。あとはうちらでにゃんとかするんだにゃ」
歯切れの悪い俺の応対に業を煮やしたのか、識さんが俺の言葉を引き継ぐようにして言う。
「正直、かにゃり助かったんだにゃ。宿泊先まで突き止めることができたにゃら、あとはどうとでもにゃるんだにゃ。ロビーで張り込むとか、食堂で待つとか、そんにゃ感じで」
『お役に立てたようで光栄です』
通話を切ろうと、一華が画面の下部に表示された赤いボタンへと指をやったところで、『あ、あと』という、細谷の声が聞こえる。
『夏木って、三組のライングループに入ってないよな? 僕が招待しとくから、入っとけよ』
「お、おう」
『明日から林間学校も始まるし、今後もまだまだ、このクラスでのイベントもあるだろうしさ』
「分かった。じゃあ、招待を確認したら、入っとくから」
『じゃあ僕は、バイトに戻るから。妹さんどうなったか、結果知らせてね』
細谷との通話を終えると、俺はコーヒーを、識さんはクレープを、急いで平らげて、細谷の言うその『ホテル TAMAYURA』へと、一華を含めた三人で向かった。
「……ここか」
ホテルの前に着くと、俺たちは一様にその建物の全貌を眺めた。
ベージュを基調とした五階建ての立派な外観に、奥から顔をのぞかせる、風流で管理のいき届いた日本庭園。正面玄関のロータリーには徹底的に剪定された松の木が鎮座しており、どこぞの賓客なのかは知らないが、ちょうど今、黒光りするベンツから、大きな茶色のトランクを降ろしている姿が見受けられる。
東京とかの首都圏にある、どこまでも壮麗なホテルと比べれば、確かに規模は劣るかもしれないが、田舎の観光地という土地柄的なものを考慮に入れれば、かなり立派な部類に入るというのは、ほぼ間違いないだろう。
「ええと……どうしよう?」
「うんにゃ。とりあえず中に入るかにゃ?」
「そ、そだね」
緊張からか、俺は指先で髪をくりくりする。
たまに女の人が、髪をくりくりするのを目にすることがあるけど、もしかしたらこんな心理状態なのかもしれない。……いや違うか。知らんけど。
「だけどここはいよいよ敵の本丸だ」
敵って……と一華がぼそりと呟いたが、俺はあえてそれを無視する。
だってそうだろう。妹であるくるみを拉致した純は、兄である俺にとっては、間違いなく敵であることに相違ないのだから。
「いつなんどきばったり遭遇してもおかしくない。遭遇するのがくるみだったらむしろ歓迎だが、純だった場合……かなり面倒なことになる」
「分かっているにゃ。にゃから周囲の目には気をつける……で、いいにょだにゃ?」
「それでいい」
「じゃあいざ出陣!」
周囲を警戒しながらもホテル内へと足を踏み入れると、俺たちはそのままフロント脇にあるコーヒールームへと向かう。
スタバの窓際に置いてありそうな、妙にふかふかした麻地のソファに腰を下ろすと、俺たちは各々好みの飲み物を注文して、運ばれてくるまでのしばらくの間、黙って辺りをきょろきょろとする。
注文の品が運ばれると、俺は一口飲んでから、ローテーブルを挟んだ正面に座る、一華と識さんへと視線を送る。
「現在の時刻は十五時三十分。終バスと終電の時間を考えると、ここを発つのは十七時三十分が望ましい」
「あ……あと、ちょうど二時間……」
一華が、フロント脇にある木製の置き時計へと顔を向ける。
「そう。あとたったの二時間だ。だからさっきの街中での張り込みの経験をいかして、時間を前半と後半とで区切ろうと思う」
「分かったにゃ。それで、前半の一時間は、まずはどうするんだにゃ?」
「とりあえずはさっきと同じ張り込みって感じかな。三手に分かれて、純やくるみがきそうなところに張り込む。ここは二人の潜伏先だし、さっきみたいに温泉街で張り込みをするよりかは断然に見つけられる可能性が高いはずだ」
識さんが頷く。
一華は自分自身に気合を入れるように前で両手を握り、『ぞい』の構えをする。
「それで張り込み場所なんだけど、まずは本丸のヘッドクォーターともいえる場所、ここのロビーだ。ちょうどここの喫茶スペースなら、フロントはもちろんのこと、出入り口、奥の食堂も見渡せるし、おあつらえ向きだと思う」
「あと二箇所……どこ?」
一華が、麦わら帽子のつばの向こうから、伏せ目がちに俺を見る。
「決まっている。長期逗留者が、ホテルですることといったら、これしかない。温泉三昧だ。なによりここは温泉で有名な観光地だろ? 日がな一日することといったら、そりゃーもう温泉に入るしかないっしょ。ということで誰か一人は日帰り入浴で張り込みだ」
「それ、私がするにゃ」
テーブルに手をついた識さんが、前のめりに主張する。
「温泉……私は……無理」
対する一華は、もじもじと手を絡ませて、足元へと顔を落とす。
陰と陽……ここでもはっきりと特色が分かれたな。でもこれはある意味では好都合かもしれない。同じ温泉好きの陽キャラ同士だったならば、各々の主張がぶつかり、おそらくは即座に話がまとまらなかっただろう。しかし互いに趣味趣向が違えば、無用な衝突をしなくて済む。案外世に言う凸凹コンビというのは理にかなっているのかもしれない。好き同士の恋愛結婚の離婚率が高くて、昔ながらのお見合い結婚の離婚率が低いのは、互いの趣向に若干、あるいは大きな違いがあり、ぶつかり合いが最小限に抑えられるからとか、きっとそんな理由なのだ。
なに? 価値観が違えば、そもそも人間関係が成立しない? ちっちっち。それは結婚生活前半の、いわゆる熱々ほやほやの時期にだけ言えることだよ。重要局面である結婚生活後半戦においては、どれだけパートナーと距離を測れるか、あるいはどれだけ個人的趣味で自制心を安定させられるか、それにかかっているんだよ。まあ……どこまでも完全に単なる予想でしかないけどさ。
「じゃあ温泉での張り込みは、識さんに任せるよ。それで一華は、まあさっきと似た感じにはなるけど、ここで純やくるみがやってこないかの張り込みを頼む」
「わ、分かった」
「それでもう一箇所は……京矢はどうするんだにゃ?」
識さんが、四次元エプロンからタオルやシャンプー、その他アメニティの類を取り出しながらも聞く。
「俺は……そうだな。徘徊だ」
「徘徊?」
「とりあえずは怪しまれないように、日帰り入浴の金を払って、ホテル内を歩き回る」
席を立つと、俺はコーヒールームの出入り口にある、観葉植物の脇に設置された棚から、三つ折りにされたホテルのパンフレットを手に取り、戻ってくる。
「大広間の休憩室に、自動販売機コーナー、卓球とかの遊具施設もあるみたいだ。この辺りをぶらぶらと、あくまでも純たちの存在に気をつけながらも、歩き回る。いうなれば『静』と『動』の両面から攻めるって感じ」
「うんにゃ。いいと思うにゃ。少々危険かも知れにゃいけど、取りにいかにゃいと手に入らにゃいものもあると思うし」
「も……もし見つからなかったら、後半は……どうする?」
ためらいながらも、一華が聞く。
「考えていない。だって考えても仕方がないし、無駄でしかないだろ? まだ起こっていない未来に懊悩して、目の前の時間の質を落とすなんて」
「どこの誰の金言かは知らにゃいけど……それ完全に破滅思考にゃんだにゃ」
あるいはそうかもしれない。……でもあながち間違いとも言えないところが、この言葉のいいところであり、怖いところでもある。実際問題なにも思い浮かばないし、なによりも今なにか先のことを考えたら、不安で不安でなにも手をつけられなくなりそうだから。
そう、これは戦略的現実逃避! 戦略的思考停止!
究極のスルースキルというのは、この社会の荒波で生きるには、最大級の処世術なのだ!
一華を残して席を立つと、俺と識さんは日帰り入浴のお金を払うためにも、ホテルの受付カウンターへと歩を進める。
日帰り入浴は一回千円と結構高かったが、源泉かけ流しの温泉だし、時間制限もないということなので、まあこれで妥当といったところなのだろう。
料金を支払い、とりあえずは建物の奥にある温泉へと向かうと、途中で俺はエレベーター脇にある階段へと歩先を転じて、そこで識さんと別れた。
……エレベーターは、使えない。使うべきではない。くるみならともかく、そんな閉鎖空間で純に鉢合わせたら、それこそ一巻の終わりだ。しかも極めてバッドエンドな、そんなエピローグが待ち受ける、目を覆いたくなるような結末の。
できれば相手に気づかれることなく、二人のことを見つけたい。
純なら尾行……とにかく部屋を突き止める。
くるみならその場で確保。どこか迷惑のかからない所に移動したのちに、例の、『完全に徹底的に嫌われる、空っぽのジュエリーケース大作戦』の決行だ。
二階の踊り場に出ると、俺は壁際からゆっくりと顔をのぞかせる格好で、左右にのびる廊下へと視線を巡らせる。
廊下には……誰もいない。
両側に部屋が並んでおり、それらを明確に分断するかのごとく、赤の絨毯が一直線に、廊下の突き当たりまで敷かれている。突き当たりには壁をくり抜いて設えた台のようなものがあり、そこには大きな青銅っぽい花瓶に生けられた、豪奢で可憐な色とりどりの花が飾られている。
……間取りは、階段、というかエレベーターを起点にして、左右対称。ということはこのフロアの部屋数は、いち、に、さん、し…………二十部屋か。一階部分に客室があるかは分からないが、外観からするとおそらく階上は同じ構造。二十かける四で部屋数は全部で八十部屋。
さて、どうやって八十分の一まで絞り込む?




