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第201話 その映像は物語る

「お疲れだにゃん」


 一階のレジカウンターでコーヒーを受け取り、二階へと上がると、窓際のカウンター席に腰掛ける識さんが、もぐもぐと口を動かしながらも労いの言葉を口にする。

 どうやらプレートに盛られた、クレープを食べているみたいだ。

 口元についた生クリームが、なんだか妙にエ……可愛らしく俺の目に映る。


「お疲れー」


 俺は識さんの隣に腰を下ろすと、コーヒーを一口含み、ゆっくりと味わうように嚥下してから、一度窓外へと視線を送る。

 大きな橋を行き交う人々。そこには若者もいれば老人もいる。家族やカップルもいれば、一人で散策する者もいる。

 ただいないのは、俺の家族、最愛の妹……くるみ。あとついでに憎き純。


 見つけることができれば、ただそれだけでも八割……いや六割……いや五割? 目標達成だというのに、どうして……ちくしょー。


「こ、これから、どうする?」


 柱側、識さんの隣に座る一華が、俺、識さんという順に視線を送ってから、聞く。


 うーん……どうしようか。


 思い浮かばないのか、識さんも困ったような表情を浮かべてから、クレープの皿へと顔を落とす。


 ツイッターで探りを入れてみるか? でもどうやって? 例えばくるみの友達に頼んで、どこに泊まっているか聞いてもらうとか? となるとまずはくるみの友達に連絡を取らないとだけど、うまくいくのか? それだけでだいぶ時間を取られるんじゃあないのか? つか不審に思われて、くるみにチクられたら……ああだめだだめだ。それかあれか? 一か八かホテルとか旅館とかに突撃を駆けてみるか。受付で事情を説明して、宿泊者名簿とかそういうものに当たってもらうとか。……多分、個人情報がどうのこうのって言われるんだろうな。特に今のご時世、警察関係者とかじゃないと、そういうのに厳しそうだし。

 だったら……だったらだったらだったら…………だったら……?


 ぎゅっと、手首を握られる。

 はっと目を開けて顔を上げると、識さんが俺の手首を握っている。

 どうやら俺は、無意識にもがしがしと頭をかいていたみたいだ。

 相当に追い詰められているのかもしれない。

 あんパンやらコーヒーやら周りの風景やらにやたらに目がいくのは、癒やしやくるみ捜索のためではなくて、もしかしたら現実逃避のための、ある種の強がりだったのかもしれない。自分は動揺なんてしていませんよー。普通に生活を送る心の余裕が、まだ十分にあるんですよー……と、言い訳というか、そんな風に装うための。


「そんにゃにかいたら、ウィッグがずれるんだにゃ」

「……あ、ああ。わるい」

「ちょっと落ち着くんだにゃ」


 ゆっくりと、ゆっくりとゆっくりと、まるでゼンマイが切れる寸前の人形のように、頭から両手をカウンターの縁に下ろすと、俺は識さんへの返答として、こくりこくりと二度頷く。


「さあ、息を吸うんだにゃ」


 右手を肩にのせて、左手で俺の腕をつかむと、識さんは俺に寄りかかり、耳元で囁くように言う。


「……吸って」


 言われた通りに息を吸う。


「吐いて……」


 言われた通りに息を吐く。


「もう一度吸って……」


 息を吸う。


「吐いて……」


 息を吐く。


「どうかにゃ? 少しは落ち着いたかにゃ?」

「うん。ありがとう。落ち着いたし、なんだかとっても力がみなぎってきたよ」

「落ち着くのは分かるけど、力がみにゃぎるって、なぜなんだにゃ?」

「えっ……それは……」


 言えない。言えるわけがない。

 識さんのその豊満なお胸が、むぎむぎと腕に当たって、こうライフストリーム的なアレがあそこにぐわーっと収斂してセロトニンとかアドレナリンとかなんかそんな感じの脳内麻薬が全身に駆け巡った挙げ句の果てに思春期特有の身体的特徴により一時的に勢力が体中に満ち満ちたなんて……そんなこと言えるわけがない!


 だから俺は嘘をついた。

 嘘とは、時に物事を穏便かつ円滑に進めるためには、必要悪なのである。


「そりゃー決まってるよね? かわいいメイドさんに慰められたら、男だったら誰だって」

「もしや京矢……今私で、エロいことを考えたんだにゃ?」

「エ……エロっ!?」


 一華が、頬を紅潮させて、まるで場を取り繕うように、グラスに注がれた水へと手をのばす。


「ちっ、ちげーし! 考えてねえし!」

「京矢は嘘が下手にゃんだにゃ。正直、ばればれにゃんだにゃ」

「うう……」


 慮って、慎重に言葉を選びに選んだ結果が、これだよ。

 やれやれ。どこまでも俺は、悪人にはなれないな。

 やれやれだぜ。

 とほほだぜ。


「と に か くっ」


 話題に区切りをつけるように、俺は一語一句区切るようにして言う。


「捜索方法の見直しだ」

「うにゃ。で……なにか方法はあるのかにゃ?」

「いや……ないけど」

「威勢よく言っといて、それかにゃ。正直、がっかり千万にゃんだにゃ」

「そういう識さんはなにかあるの? 案が」

「にゃいんだにゃ。にゃから、最悪、張り込みの継続しかにゃいと、そう思ってるんだにゃ」

「そ、それは……」


 一華が気まずそうに顔を向ける。


「いい……けど、場所は変える。紅茶一杯で、もう二時間以上、ここにいるから」


 お茶一杯で二時間は……さすがに気まずいよな。

 まあ俺は、ドリンクバーだけで、最高十二時間ファミレスに居座ったけどね。ふはは。

 盗人猛々しいとは、まさにこのこと!


「じゃあ後半戦も、張り込みでいいかにゃ? ただし場所は変えるという感じで」


 識さんに言われて、俺は一瞬まごつく。

 このまま同じことをして、結果に結びつくのかという、不安が生じたからだ。

 とはいえこれはどこまでも心理的な問題なのだろう。間違っているかもしれないことを続けるという不安、そこから湧き上がってくる、失敗という名の近い未来。これらが、有無を言わせずに、俺の心をじわじわと責めるのだ。


 どうする? 同じことを続けるという『力』もあるかもしれない。大体において失敗する者は、もうあとほんの数センチというところで手を止めてしまうから成功できないというのも、どこかで聞いたことがある。

 だったら……このまま張り込み作戦を続行するのが得策か? でももしもうまくいかなかったら……。そもそもこの作戦はどこまでも完全に受け身だし、それよりももっと取りにいくような、そんなアグレッシブな方策を採った方がいいのか? とはいえなにも思い浮かばないし……。


「迷ってるのかにゃ?」

「あっ……いや……」


 とにかく識さんを肯定して、自分自身を否定する。代案もなしに決答を保留にしてしまった、良心の呵責から。


「じゃあ場所を変えて張り込みでいいのかにゃ?」

「あ……ああ。まあじゃあ、そんな感じ──」


 結論を下すか下さないかのそんなタイミングで、ポケットの中でスマートフォンがぶるっと一回震えた。それから立て続けにぶるぶると、断続的な呼び出しに変わる。


 メッセージと……それから通話?


 俺はスマートフォンを手に取ると、着信相手を確認する。

 相手は我らがスーパーハッカー、細谷翔平だった。


「はいもしもし」

『もしもし夏木? 今どんな感じ?』


 出し抜けに、細谷が聞く。

 背後は無音だ。今日は日勤でバイトとか言っていたし、もしかしたら休憩室とかにいるのかもしれない。


「今は温泉街にいるよ。そんでとりあえず場所を決めて三人で張り込みをしてみたけど、残念ながら全然見つからない状態」

『成果が出てないんだ』

「平たく言えば」

『だったら』


 意味深長にも、細谷がここで一度言葉を切る。そしてにやりと口元に笑みを浮かべるような話しぶりで、続ける。


『僕が頑張った甲斐があったってもんだ』

「……え? どういうこと?」

『さっきアドレス送ったよね? ちょっと見てみて』


 アドレスを送った? ……ああ。通話の前に一回ぶるった、あのメッセージか。


 俺はスマートフォンを耳から離すと、念のためにもスピーカーにして、細谷からのメッセージを見てみる。そこには『http』から始まる、リンクになったアドレスのみがメッセージとして送られていた。


『アドレス届いてるよね? ちょっとそれを開いてみてくれる』


 スピーカーから響く細谷の声に、一体全体なんだろうと思ったのだろう。隣に座っていた識さんがスマートフォンの画面を目だけでのぞき、さらに隣に座っていた一華が、席を立って、識さんと同じくスマートフォンの画面をのぞくためにも、俺のすぐ脇に立った。


「ええと……これってユーチューブ?」

『そう。ライブカメラってやつ』


 ライブカメラ? なんぞ?


 しばらくはサムネイルが表示されていたが、それからすぐに、自動で動画の再生が始まる。

 動画は、どこかの観光地を映した、定点カメラの映像みたいだ。

 川に架かる、赤い欄干の、大きな橋を見下ろす格好で、ただただ眼下に広がる光景を、記録し続けている。石畳の遊歩道に植えられた、風にゆれる柳の梢が涼しげで、画面越しに見ているだけでも、心地よさが伝わってくる。


 ……って、川に架かる赤い欄干の橋……石畳の遊歩道……街路樹の柳って、どこかで……。


 すぐに思い当たる。ここやんけ! と。


「これ、湯乃華温泉にょ、ライブ映像なんだにゃ。今いる橋の西側じゃにゃくて、向こう側からこっちを映した映像にゃから、一瞬ぴんとこにゃかったけど」

『正確には』


 細谷が言い直す。


『ライブカメラ映像のアーカイブ』

「ライブカメラ映像のアーカイブ?」


 おうむ返しに言うと、俺は細谷に見えないのを承知しつつも、まるで聞くように首を傾げる。


『動画の時間、三時間以上になってるだろ? これは昨日の十五時から十八時を映した、いうなれば録画の映像だ』

「ああ、なるほど。こんなのが、あったんだ」

『湯乃華温泉は、有名な観光地だからな。有名所には、今は大体ライブカメラが設置されてるよ』

「そうなんだ……」


 反射的に返事をすると、俺は細谷の言わんとするところを突き止めるためにも、あごを指先でつまみ、沈思に耽る。


 ……温泉街の、ライブカメラの録画映像……日時は昨日の十五時から十八時……つまり……つまりは……ああっ──


「そういうことか!」


 ひらめくと、俺は店内にもかかわらず、思わず声を上げてしまう。


「つまり細谷はこう言いたいんだな。この録画映像の中に、純かくるみ、もしくはその両方が映っていたと」

『つまりそういうこと。つか今さら? 湯乃華温泉のライブカメラ映像で、普通はピンとくるだろ』


 うっ……。


「それ、私も思ったにゃ。京矢が黙って考えにゃした時、どれにゃけ鈍感にゃんだと、そう思ったにゃ」


 ううう……ひどい。

 そうだ一華。一華はそんな目くじらを立てるようなことを言わないよな。

 マシュマロみたいな心持ちで、俺を優しく受け止めてくれるよな?


 一縷の望みをかけて、俺はがばっと、大天使一華さまを振り向く。


「お……同じく」


 小さく手を挙げつつも、一華が呟く。


「私……京矢がリンクを踏んで……サムネイルが出た瞬間……ピンときた」


 一華、お前もか!


 心底しょげた俺は、はいはい分かりましたよーどうせ俺は気づけない系のどこにでもいる普通の男子高校生よりもウスノロのどうしようもない野郎ですよー言うなればどこにでもいないしがないウスノロ男子高校生ですよー俺ウスノロっすあと女装男子っす、とかぶつぶつ独りごちりながらも、ちびちびちびちびと、まるで俺の心のようにちょっとだけ冷めたコーヒーを口へと運んだ。


「それで、一体どこに映っているんだにゃ?」


 識さんが、そんな俺の気持ちなどいざ知らずといったていで、スマートフォンへと身を乗り出すようにして聞く。


『二時間四十七分のところ。そこまで動画を飛ばしてみてくれる?』


 細谷の声に向かって頷くと、識さんは動画の下部にある、時間のメーターみたいのを指先でぐっと動かして、細谷の言った、二時間四十七分の部分まで持っていく。

 指を離すと、早送りされた箇所から、再び動画が流れ始める。


「……いないな」


 ちらと横目で見ながらも、俺が呟く。


『多分もう少し。四十七分四十秒ぐらいだから。右側の歩道に、若い男女の二人が歩いてくるから』


 動画の時間が進んでゆく。


 2:47:25……2:47:30……2:47:33……2:47:40……。


 動画の時間が二時間四十七分四十五秒を過ぎた辺りだ。

 細谷の言う通りに、歩道の右側、ようは画面の手前側に、一組の若い男女が映り込む。

 それはほんの数秒間のことだった。

 一方は、遠目にも背の高い、ソフトマッチョのイケメン男子。

 もう一方は、背の高い男子に相反するように背の低い、茶色がかった長い髪をツインテールにした、可愛くも愛嬌のある超絶美少女。

 二人は互いに同じ藍色の浴衣を着ており、横に並んで、なにか雑談をしながらも、画面外へと歩いてゆく。


 ……はあ……はあ……。


 二人の姿が見えなくなってからすぐに、細谷がスマートフォンの向こうで確認の言葉を口にする。


『そろそろ見えたよね? 夏木の妹さんのことは見たことないからなんとも言えないけど、純は間違いないよな? 小さくてちょっと見にくいかもしれないけど、これ絶対に純で間違いないよな』

「多分……そうにゃんだにゃ」


 二時間四十七分四十秒辺りに動画を戻すと、念のためにも、識さんがもう一度映り込んだ人物が純であるかの確認をする。


「うんにゃ。間違いにゃいにゃ」


 ……はあ……はあ……はあ……はあ……。


「京矢の妹さんも、多分合っているんだにゃ。さっき送ってもらった写真のおんにゃにょ子と、同じ子だし。でも一応、家族である京矢の目で、確認してもらってもいいかにゃ?」


 くるみの姿が一番よく確認できる箇所で動画を止めると、識さんが答えを求めるように俺の顔を見る。


 ……はあ……はあ……はあ……はあ……はあ……はあ……。


「……京矢?」


 ……はあ……はあ……はあ……はあ……はあ……はあ……はあ……はあ……。


「大丈夫かにゃ? すごい汗にゃんだにゃ」


 ぷちんと、なにかが切れる音が聞こえた。

 それは外の世界からではなくて、この身体、つまりは俺の胸の内、いや……頭蓋の深奥から聞こえた、堰が切れる音だった。


「あああああああああああああっ!!」

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