第189話 お漏らし同盟
一華が、はっという息を吸う声を出してから、ぎゅっと俺に抱きつく。
制服越しに、一華の慎ましやかな胸が当たるのを感じたが、正直ちょっと俺もびびっていたので、堪能する余裕がないちくしょー。
「き、聞こえたよな? 今確かに」
俺の背中に、顔を押し付けるようにして、一華が頷く。
「うしろから? ……リビングの方か?」
俺は一華を立たせると、体を支えつつも、ゆっくりと慎重に、リビングへと向かう。
恐怖から涙を流した一華は、小刻みに体を震わせつつも、ずずずと子供みたいに鼻をすすっている。
カシャ……カシャ……。
やっぱり……間違いないな。
金属と金属が当たるようなこの音……甲冑の足音だ。
なによりも、先ほど映画で聞いた音と、酷似している。
これで甲冑の足音じゃなかったら、逆にその方がびっくりだ。
リビングのドアの前にたどり着く。
暗い中で見るせいか、リビングへの木のドアが、まるで冥界にでも続く、呪いの入り口のように、俺の目に映る。
「あ……開けるぞ」
「ふうう……」
目をばってんにして、一華が俺にがばっと抱きつく。
はあ……はあ……もしも本当に、甲冑が歩いていたら……。
もしも本当に、このドアの向こうに、甲冑が立っていたら……。
俺たちは一体全体どうなる? なにをされる? なにができる?
──いや! そんなわけない! そんな非現実的なことが起こるわけがない!
だってこれは現実なんだから。現実には、おばけも幽霊も心霊も、絶対に存在しないんだから。
最後に俺は、大きく息を吸い、深く深く吐いてから、頭をからっぽにして、ドアを押した。
カシャ……カシャ……。
「「っ!?」」
立ちはだかる甲冑。
甲冑は、左右に小さく揺れながらも、俺たちへと向かい、ゆっくりと進んでくる。
「うわあああああああああああああああっ!」
「ぴゃあああああああああああああああっ!」
俺と一華は、ほぼ同時に悲鳴を上げると、その場にすとんと崩れ落ちて、抱き合う。
一華は恐怖から逃れようとして、俺にすがりつくために。
もちろん俺は、一華を甲冑の化け物から守るために。
一華を甲冑の化け物から──守るために!
ほんとだよ? 本当だから二回言ったんだよ? 男が女を守るのは当然だよね? うん当然。
「にゃ?」
え? ……にゃ? ……まさか。
そのまさかだった。甲冑のうしろから姿を現したのは、本場ヨーロッパのメイド服に身を包んだ、猫耳メイドの識さんだった。
「京矢? なにしてるんだにゃ?」
「いや! それは! こっちのせりふだから!」
立ち上がると俺は、念のためにも甲冑の兜の部分に顔を近づけて、中に誰もいないことを確認する。
やっぱり、勘違いだったんじゃないですか。中に誰もいませんよ。
ふうよかった。つかマジでビビった。正直ちびるかと思った。つかちょっと出た。
「それで、識さんはこんな時間に、一体なにをしてるの? 甲冑とダンス?」
「違うにゃ」
甲冑をどけて、手でリビングの奥を示す。
そこには上田さんが座っており、先ほどの映画の甲冑が走るシーンを、真剣な眼差しで観ている。
「上田お嬢様が突然、映画の甲冑のシーンをもう一度観たいと言い出したんだにゃ。甲冑の動きのディテールがどうとかって」
「甲冑の動きのディテール?」
ああそうか。多分漫画家の性だ。
現実で興味深いものに遭遇した時に、絵にする、漫画を描く、ようは人に伝えるを前提に、インプットしたくなる。だから現在使用人である識さんに、現物まで運ばせて……。
「もしかして起こしちゃったかにゃ?」
「あ、うん。まあ」
「すまにゃいにゃ。まだ時間がかかると思うから、先に寝ててほしいのだにゃ」
「うん。そうするよ。物音の正体も分かったし、これで安心して寝られると思うから」
甲冑を元の場所に戻すと、識さんは上田お嬢様のお世話をするためにも、リビングへと戻ってゆく。
「まあお化けの正体なんてこんなもんだろ」
俺はぐっと伸びをすると、ふああと気だるいあくびをする。
「さあ、戻ろうぜ。安心したら、急に眠たくなってきたし」
「…………」
しかし一華は応えない。
一華はぺたんと床にお尻から座り込んで、前でスカートを、ぎゅっと両手で押さえている。
涙を浮かべつつも、どこか光のない瞳で、放心したように。
「ええと……一華?」
「……ううう…………」
「どうした? まさかまた腰が抜けたのか?」
口をふにゃふにゃにしてから、小さく首を横に振る。
「じゃあどうしたんだ? 言ってくれないと分かんないぞ」
「……あ……ああ……その……」
「その?」
声が小さかったので、俺は一華の口元に顔を寄せる。
「……ちゃった」
「え? なんだって?」
「うう……その……出ちゃった」
「なにが?」
「少しだけ……おしっこ」
「…………」
──なっ、なんだと!?
いや確かにびびったけど、まさか漏らすなんて……。
俺の反応を見た一華が、じわーっと涙を溢れさせて、肩をすくめる。
いかん! ここで見捨ててしまっては、一華は一生立ち直れなくなる。そんなのはだめだし、そんなのは俺が絶対にさせない!
というかそれに──
「一華」
しゃがむと、俺は一華に正対して、がしっと肩をつかむ。
「ふえ?」
「大丈夫だ。安心しろ」
「……な、なにが?」
「正直……俺も漏らした。ちょっとだけ。嘘じゃない」
「きょ、京矢も……?」
「ああ。だから一緒だ。俺と一華は、お漏らし同盟の仲だ。いうなれば、運命共同体だ」
「京矢……」
「一華……」
俺と一華は、自然と抱き合う。
俺は一華の背中を軽くさすると、その後に頭を優しく撫でる。
「このことは誰にも内緒だ」
「う、うん。内緒。私と京矢の……秘密」
「そうだ。秘密だ。秘密の共有だ」
「秘密の共有……」
復唱すると、一華は頬を染めて、恥ずかしそうに目を落とす。そしてもう一度……
「秘密の共有」
と確かめるように正確に言う。
その後に俺たちは、各々風呂場で下半身と、小便臭いパンツを洗い、部屋に戻って、罰ゲームと言う名の魔法が解けるまでの数時間、ぐっすりと朝まで、二人で寄り添って眠った。
ただ一つだけ言わせてほしい。
こんな『秘密の共有』は、全然嬉しくない!




