第186話 カーニバルの終幕とこれから
「一華……怒ってる?」
「べ、別にぃー……」
ソファの上で、体育座りをした一華が、俺に背を向けたままの状態で、自分の膝に口を埋める。
「さっきも説明しただろ? 事故で、上田さんが転倒したから、どこか打ってないか、確かめてたって」
「ど、どこか打ったか確かめるのに……裸で抱き合う必要……あるのかな? かな?」
『かな』って二回言わないでくれる!? なんか本当に殺されそうだから。ナタとかで。
「じゃあどうしたら許してくれるんだ? 言ってくれ」
「し、知らない」
「知らないって、お前……」
「じ、自分で考える」
ううん、面倒くさい。恋人同士になると、どの女の子もこんな感じなのか?
「分かった。分かったよ」
顔を上げると、一華はちらりと、肩越しに俺を見る。
「同じことをすればいいんだろ。それでちゃらだ」
「お、おおお、同じことって……」
かーっと、一華の耳が赤くなる。
あれ? なんか面倒くさくて勢いで言ったけど、同じことって、つまり一華と抱き合うってことだよな。全裸で。
……うん。悪くない。むしろ最高だ。
「――きょっ、京矢のエッチ! エッチエッチ変態!」
一華は目をばってんにすると、両手で握りこぶしを作り、ポカスカポカスカと俺に殴りかかる。
痛い痛い、痛いってばーまったくー。
「なにをイチャイチャしている」
ローテーブルの上に散らばる、ホラー映画のディスクを手に取りつつも、上田さんが言う。
ちなみに現在の上田さんは、ワンピースタイプのルームウェアを着ている。色は白で、襟がセーラー服のように背中にたれているのもあり、どこか聖職者みたいな、教会に関係のある何者かに見えなくもない。ここで言う『教会に関係のある』というのは、もちろん聖歌隊とかシスターとか、そういった人間風情ではない。天使とか人の姿に扮した、神の類の存在だ。
ついでということであのあと上田さんはそのままシャワーを浴びたのだが、それもあってか、肌はいつも以上にすべすべしており、まだ完全には乾かぬその赤毛の姫カットが、この混沌に満ちた罪深き大地の上で、艶かしくも麗しく、踊っている。
「次の映画を選ぶぞ」
「え? 次?」
心の中で溜息をついてから、俺は時計へと視線を送る。
「……本当に全部観るつもり? もうすぐ二時だけど」
「うむ。そうだな。確かに我も少々眠たくなってきたな」
目を細めて指でこすると、上田さんがかわいらしくも首を傾げる。
「ではこうしよう。くじは残り一枚だ。映画を観て、悲鳴を上げて、最後のくじを引いたら、それで上映会はおしまいだ」
「賛成だにゃ」
小さく手を挙げて、識さんが上田さんに同意する。意識的か無意識か、手はくいっと、猫の手にされている。素晴らしい。
「明日……というか今日のことを考えると、少しでも睡眠を取っておいた方がいいと思うにゃん」
「決まりだな。さて、どの作品にするか……」
正直、上田さんのこの提案には、救われたと思った。と同時に、どうしてここまで罰ゲームにこだわるのかとも、改めて思った。別にくじが一つ残っていようが、一応映画を一本観終わったのだから、今ここで鑑賞会を終わりにしても、全然いいじゃないか。というか本来の目的は映画鑑賞なのだから、くじが中途半端に残るよりも、どちらかといえば映画を途中で終わりにしてしまう方が、主旨に反しているといえないだろうか。
ん? 典型的な本末転倒? ……いや、そもそも罰ゲームが、一番の目的?
しかし上田さんは、一華が悲鳴を上げてから、思いついたように罰ゲームを提案した。
だったらやっぱり、映画よりも罰ゲームの方が、途中から面白くなってしまっただけなのか?
あれやこれやと考えているうちにも、上田さんが次に観る映画のタイトルを決める。
「うむ。ではこれにするか」
「にゃ。それ、知ってるんだにゃ。有名なホラー映画だにゃ」
有名なホラー映画?
気になった俺は、上田さんの手に持たれたその黒いディクスを、のぞき込む。
──『リング』だった。
「あ、俺も知ってる。貞子だよな。観たことはないけど」
「うむ。我は昔観たことがあるが、もう一度観るのもよかろうて」
「決まりだにゃ」
識さんは上田さんからディスクをうやうやしくも受け取ると、ノートパソコンにセットする。
「泣いても笑っても、次の悲鳴が最後だにゃ」
「うむ」「ああ」「ふええ……」
「では……ぽちっとにゃ」
『にゃ』の言葉のあとに、識さんはしっかりと、抜かり無く、手をくいっと猫にする。
何度でも言おう……素晴らしいと!
映像が流れ始める。
内容に関しては、ここで詳しく記しても、●●ファイルのように紙面のほとんどが真っ黒に塗られてしまい、意味をなさなくなってしまうので割愛させていただくが、序盤というか、つかみというか、始まって数分でかなり衝撃的な映像がきたので、幸か不幸か鑑賞会は、意外にも早く終焉を迎えた。
「きゃあああああああああ!」
叫んだのは、ホラーに耐性のない、一華だ。
一華は目に涙を浮かべて、俺の腕に抱きついている。
「もういや……」とか呟きながらも、俺の腕に額と、あとその慎ましやかなお胸を、こすりつけているむはっ。
「ふむ。やはり貴様か」
髪をつまみ、くるりと一回転させて指ではじいてから、上田さんはくじの袋を手に取り、一華に差し出す。
「割り箸を使い、中を見ずに引くのだぞ」
「次が最後だろ? もういいんじゃないか?」
何気なく、というか当然の成り行きとして、俺は上田さんに意見をする。
「いいやだめだ。不正というのは、そういう時に起こるものだからな」
不正はそういう時に起こる……妙に説得力があるような気はするけど、相手はこの世界で一番かわいくて、愛らしくて、純粋で、思いやりのある、超絶乙女な俺の彼女、一華だぞ。
不正なんてそんなどうしようもないくっだらないこと、政治家じゃあるまいし、するわけがないだろ。
なでなで。
なでなで。
「きょ……京矢……」
「ん? なんだ?」
なでなで。
「手……恥ずかしいよぉ……うう……」
なでなで。
な……。
──はうわ!
一華のあまりの愛らしさに、自分でも気づかぬうちになでなでをしていた!
『彼女のあまりの愛らしさに、自分でも気づかぬうちになでなでをしていた! 俺ヤバくない?』って、SNSで呟きてえ!
そんで知り合いからお気に入りのハートマークをつけられて、自己承認欲求を満たしてえ!
「と、とにかく……私、引くから。くじ」
「お、おう」
「京矢……袋持ってて」
「分かった」
割り箸を手に取ると、一華は袋の中に突っ込み、最後のくじをつまもうと、必死に突き回す。
「うーん……わ、分かんない。どこにあるか」
「じゃあ袋を傾けるから、隅っこで」
「う、うん」
そっと手を出すと、箸の先っちょに引っかかる感じで、くじの紙片がつままれている。
「と、取れた。取れたよ京矢」
「ああ。よかったな。えらいぞ一華」
なでなで。
「えへへ」
「して、内容は?」
俺から空の袋を受け取ると、上田さんはぐちゃぐちゃに丸めてポケットに入れる。
「なんて書いてある」
「ええと……ううんと……」
かわいらしい小さな手で、一華は小さく折られた紙片を、慎重に開ける。
──しっかりとけじめをつけて、前に進む
「ほう」
くじに書かれた文章を見つめたままで、上田さんが握った手を口に当てる。
……そっちが出たか…………。
え? ……今なんて……?
「にゃんだか、漠然としている命令文だにゃ。これを書いたのはい──」
「まあそのままであろう」
割り入るようにして上田さんが口を開く。
「しっかりけじめをつけて前に進む。単純であり、明快だ」
まあ……確かに。
単純だし、明快だし、なによりも大事なことではあるよな。
「小笠原一華よ」
上田さんは一華の肩を前からがしっとつかむと、まるでせんの……言葉を心の奥に染み渡らせるように、じいっと目を見つめながらも、罰ゲームの内容を暗唱する。
「しっかりとけじめをつけて前に進む」
「……う、うん」
「罰ゲームは絶対だ」
「うん」
「しっかりと、遂行するのだぞ」
「わ、分かった。約束」
「ふっ……いい子だ」
上田さん……。
上田さんは一華のことを、しっかりと考えてくれている。
クラスメイトとして、そしておそらくは……友人として。
「小笠原一華」
「ふえ? ……しおん?」
上田さんは一華の頭を優しく撫でると、ハグをして、そのままベロチューをする。
くちゅくちゅ、はあ……はあ……。
「…………」
う~ん……台無しっ!!




