第154話 でかいは正義
――ここが、区切りだ。
立ち上がると、俺は高揚した心のままに、識さん、上田さん、最後に一華と、一人ひとりに、しっかりと礼を述べてから、帰り支度を始める。
ここにはもう、用がない。
……用がないと言うと、なんだかとても失礼な感じがするが、実際に今、これ以上ここにいても、事態は進展しない。くるみに近づくことはできない。
時刻は夜の十時。
時間は遅いが、今からでも向かうべきだ。
いや、今すぐにでも向かいたい!
ポケットに財布とスマホ、あと家の鍵を置き忘れていないかの確認をすると、俺は上田さんの家をあとにしようと、そそくさとドアの方へと向かう。
そんな俺を止めたのが、ちょうどドアのすぐそばに立っていた上田さんだった。
「待たれよ」
腕を横に伸ばして、俺の進行を阻む。
「まさか、今から向かうというわけではなかろうな」
「そのつもりだけど」
「一人でか?」
「そのつもりだけど」
「ふむ……」
腕を組み、数瞬考えると、すぐにまた口を開く。
「我も同伴したいところではあるが、明日は山崎鈴と漫画の脚本を詰めようという約束があるからな。分かってくれ。漫画は、今の我にとって、とても大切なことなのだよ」
「分かっている。だから、今度は俺が、上田さんの大切なことを、全力でサポートするから」
笑みを浮かべて頷くと、上田さんが識さんへと顔を向ける。
「識日和よ、貴様は夏木京矢に同伴できるか? 夏木京矢一人では、正直少々心配だ」
うーんと唸り、識さんが苦い表情を浮かべる。
「明日、友達と約束があるんだよね。明後日の買い出し? みたいな。今から群馬までいくと、絶対に間に合わないよね」
「そうか。では」
「あっ、でも――」
テーブルに手をつき中腰になると、すぐに識さんが言い直す。
「それはキャンセルするから。ついてく。私、京矢についてくし」
「すまぬな。だが、くれぐれも気をつけてくれ。夏木くるみのそばには渡辺純がいる。渡辺純と顔を合わせた時に、こやつ」
俺の肩にがしっと手をのせる。
「が一体全体どのような行動に出るか分からぬからな。その時は、しっかり押さえてやってくれよ」
「分かったし。その時は羽交い締めにしてでも押さえるから。じゃないと……」
上田さん……識さん……ありがとう。
俺がキレて純をぼこぼこにするのを、心配して……。
「京矢が純にぼこぼこにされちゃうから」
「そっち!?」
思わず突っ込んでしまう。
「当たり前であろう。体格差から言っても、歴然だ。下手をすると貴様、死ぬぞ?」
ですよねー。
肉弾戦においてはでっかいが正義ですよねー。
チビとかちんちくりんロリババアが強いのは、所詮は漫画の中だけの話ですよねー。
「して、小笠原一華よ、貴様はどうする?」
腰に手を当てて首を傾げると、上田さんがどこか得意げな表情を浮かべて聞く。
「わ、わた、わたしは……」
「うむ」
すくっと立ち上がると、とたとたと俺の方に近寄ってくる。
そして俺の服の裾を指先でつまむように持つと、俺の目を見たりそらしたりを繰り返しつつも、絞り出すような小声で言う。
「い……いく。京矢と……いく。私」
「一緒にきてくれるのか?」
「う、うん。一緒に……いく」
「でも、なんていうか、相手は純とくるみで……。特にくるみとは……お前……」
「だ、だから」
「だから?」
聞くと一華は、ぞいの構えをしてから大きく頷く。まるで自分自身を鼓舞するように。
「くるみちゃんと、決着……つける。このままじゃ……いけない。今が、今回が……チャンスだと思うから」
「一華……」
感情が溢れ出して止まらなかったので、俺は一華の頭を優しく撫でてから、またもやぎゅっと抱きしめる。
一華の匂いがした。
体温が、服を通して伝わってきた。
耳元で「きょ……きょきょきょ、京矢!? ……ふええ……」とかいう一華の声を聞きながらも、俺は鼻の穴を大きく開けて、もう一度くんかくんかした。
「はいはい離れてー」
小走りでやってきた識さんが、まるでターミネーターがエレベーターの扉を両手でこじ開けるように俺と一華を引き離すと、体ごと間に入り、俺の目前にスマホの画面を突きつける。
「ええと、時刻表?」
「そう。湯乃華温泉までの」
「これが?」
「バスでも電車でもどっちでもいけるけど……重要なのはここ」
一番下の、到着時刻の部分を指さす。
『07:38』となっていた。
出発が現在の時刻、『22:20』となっていることからも、『7:38』というのは、日付を跨いだ明日の朝、ということで間違いないだろう。
「もしかして、終電がないのか?」
「そういうこと。途中まではいけるけど、そのど田舎の駅で始発が出るまで数時間待ち。これだったら、身体をしっかり休めてから、始発で出発した方が断然に効率がいい。到着時刻も、そんなに変わんないし」
「であるな」
腕を組んだ上田さんが、うんうんと頷く。
「まさしく急がば回れというやつだ」
「でも……しかし……」
「休むのだ」
迷う俺に対して、上田さんが真面目な口調で言う。
「これは命令だ。我の命令など聞けぬというのなら、お願いを一つ使っても構わぬ。だから、しっかりと休息を取り、明日の出陣に備えよ」
「あ、ああ」
本気で、俺の心配をしてくれている?
本気で、俺の体調を気遣ってくれている?
「ありがとう。でも、お願いは使わなくていいよ」
「うむ。そうか? ではせめて、今日も我が家に泊まっていくとよい。夜も遅いからな」
「いいの? じゃあ、そうさせてもらうよ。正直、くたくたで」
口元に笑みを浮かべて頷くと、次に上田さんは一華と識さんへと顔を向ける。
「二人も泊まってゆくとよい。明朝に立つのならば、その方が都合がいいだろうし」
「う……うん」
「助かるし」
一華と識さんの返事を聞くと、上田さんは満足したようにうんうんと首を縦に振ってから、「しばし待たれよ」と呟き、一人で隣の部屋へと入ってゆく。
……俺は、上田さんのことを誤解していたのかもしれない。
自分勝手で、傍若無人で、楽しければ人の迷惑など厭わないといった、そんな感じの人だと思っていた……いや、思い込んでいた。
でも、違ったんだ。
言葉と気持ちは裏腹――そう、いうなれば天の邪鬼。
本当は誰よりも人のことを考えて、誰よりも人のことを思っていた。
上田さんを形容する表現は一体全体なんだろうか……他人ファースト? マザーテレサ? 聖人君子?
いや、どれも違う。
昨日は全裸を拝見させていただいて『女神』という表現をしたけれど、今やそれすらもどこかチープに思えてならない。
おそらくは、ないのだろう。
上田さんを表現する言葉は、この世界に存在しない。
上田さんは上田さんで、それ以上はない。
だから、はっきり言える。
『上田しおんみたいだ』というのが、そもそも上田さんを形容し得る、唯一の言葉であると。
「待たせたな」
隣の部屋から戻ってくると、上田さんが手に持った布製の袋を突き出しながらも言う。
袋には、某レンタルショップ店のロゴがでかでかとプリントされている。
「……ええと、それは?」
「明日返却せねばならぬ、ホラー映画五本だ」
うんうんホラー映画…………ホラー映画????
「チョット ナニ イッテルカ ワカラ ナイ」
思わず片言になってしまう。
セブンのコーヒーロールがうますぎる!




