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第113話 中学時代のあの日のこと

「うん。なに?」


「くるみのことなんだけど」


 くるみ……という名を聞き、明らかに一華の表情が曇る。

 ということは、間違いないのだろう。

 過去に、一華とくるみの間で、なんらかの一悶着があったのは。


「一華って、くるみに言われたんだよな? 俺に近づくなって」


「う……うん」


 いちごミルクのパックをベンチに置くと、不安そうな顔をしながらも、握った手を胸に当てる。


「も、もしかしてこの前、くるみちゃんから、なにか聞いた?」


「ああ。でも聞いたのは、くるみが一華に俺に近づくなって言ったっていう、それだけ。詳しくは聞いていない」


 小さく頷いてから、一華が俺の顔を見る。


「き、聞きたいって……こと? 詳しく」


「一華の負担にならないのならば」


 足元に目を落とすと、一華は迷うように肩をすくめた。


 同じ目線に立ちたいという気持ちでも働いたのか、なんとなく俺も足元に目を落とすと、促すことなく、次の一華の発言を待った。


「……分かった。話す」


「本当か?」


「う、うん。でも……」


 組んだ手を、もじもじとさせる。

 潤んだ目で、俺を見たり見なかったりを繰り返す。


 一華の気持ちは分かっている。

 おそらくは罪悪感だ。


 この世には言っていい言葉と、言ってはいけない言葉が存在する。

 同じように、話してもいい話と、話してはいけない話が存在する。

 今回俺が一華から聞き出そうとしている話は、どこからどう見ても後者だ。

 それは先日、くるみが、俺のことを一華と勘違いするまでは、一切俺に話さなかったことからも、間違いないと言える。

 しかし今は緊急事態だ。緊急事態が故に、可及的速やかに問題解決を図らなければならない。

 であるならば、本来聞くべきではない、どこまでも一華とくるみの間でとどめておくべき話の内容であったとしても、知っておくべきだろう。


 今回の騒動の発端だから。

 はっきりと明言できる、原因の根幹だから。


 原因の根幹であるならば、そこに今回の騒動を解決するなんらかの糸口がなにかあるかもしれないと考えるのは、至極当然の考え方だ。


「大丈夫だ。一華から聞いたということは絶対に言わない。ここだけの話だ。俺と一華だけの、秘密だ」


「私と京矢の……二人だけの秘密」


「そうだ」


 一華の手に、俺は手を重ねる。


 汗のにじんだ一華の手から、ひんやりとした体温が伝わってくる。


「だから……」


 目が合うと、一華は気まずそうに目をそらした。

 そして一人で小さく頷くと、過去を思い出すように目を閉じてから、話し始めた。


「あ、あれは、私が中学二年の時。授業が終わって、校舎から生徒がいなくなってから、私、当番だった掃除を、一人でしていたの。下駄箱とか、昇降口にたまった、砂とかを掃くやつ。そしたら、あの時は一年だったくるみちゃんがきて、私にこう言ったの。話があるから、ちょっときてって。くるみちゃんの方から話してくるの、珍しかったから、私、なんの話だろうと思ってついていったの。そしたらそこは完全に人気のない校舎裏で、くるみちゃん、なんだか怒っているみたいで……」


 悲しそうな顔をして、組んだ手を小刻みに震わせる。


 俺はそんな一華の手に、俺の手を、外界のなにかから守るように、重ね続ける。


「と、突然だったの。突然、くるみちゃんが私を振り返ったかと思ったら、胸ぐらをつかんで……。い、今でもはっきりと覚えてる。セーラー服のボタンが、ぼちぼちと外れる、あの音……」


「それで、一体どうなったんだ?」


 ごくりと喉を鳴らすと、俺は聞く。


「『京矢に近づくな!』って、大きな声で」


「京矢に近づくなって、そう言ったのか?」


「う、うん。そのまま。あの時くるみちゃんが言った言葉、そのまま」


 くるみは俺のことを下の名前で呼ばない。

 じゃあ『お兄ちゃん』とか『にいにい』とか、かわいらしく呼んでくれるかといえば、もちろんそんなことは世界がひっくり返ってもあり得ない。

 くるみが俺を呼ぶ時に使う言葉は、『ばか兄』だ。

 あの、人をけなす時に使う『ばか』に、お兄ちゃんを一番簡素化した言い方である『兄』を引っつけただけの、なんとも御免被りたい蔑称だ。


 二年前、くるみが一華に俺のことを『京矢』と呼んだのは、おそらくはそういうことなのだろう。

 つまりは、より深い仲であるという明言であると同時に、より強い絆でつながっているという宣言……そういうことだ。


「それで……それで……」


 言いにくそうにもじもじすると、一華はまるで判断を仰ぐように、俺の目を見る。


 俺は一華の目を見て頷くと、話しやすいように、言いにくいだろう結論を先に口にする。


「くるみが言ったんだろ? 俺のことが好きだとかなんとか」


「う、うん。……そう。私、びっくりしちゃって……。なんて言えばいいのか分からなくなっちゃって……。とにかく聞いたの。どうしてそれを私に言うの? って」


「そしたら?」


「そしたら……あの……その……私が、京矢に、色目を使ってるとか、なんとか……」


 一華が俺に色目? それは違うだろ。

 どちらかといえば俺が、一華にかかわっていたというのが正しいだろ。

 あの頃は、罪滅ぼしのために、なにかしてやれないかと、常に考えを巡らしていたから。


 一華が続ける。


「私、すぐに否定したの。違うって。そういうつもりじゃないって。でもでもくるみちゃん、全然信じてくれなくて……。それからも、色々ひどいことを…………」


 ぽたぽたと、重ねた手になにかが滴った。


 顔を上げて一華の顔を見ると、一華の目から涙が溢れていた。


「――ちょっ、一華?」


「へ? あれ? ……あれ?」


 どうやら、自分が涙を流していることに、今初めて気がついたようだ。


 溢れ出る涙を手で拭いながらも、俺に対して謝罪の言葉を述べる。


「ご、ごめん。ごめん。泣くとか、そういうつもりじゃ……ごめん。な、なんで、だろ……」


「一華……わるかった」


 肩に手をやると、そっと抱き寄せる。


 恥ずかしいし、照れくさいけれども、さすがになぐさめないわけにはいかない。こうしないわけにはいかない。

 どこまでも完全に、過去の傷を暴いた、俺に責任があるのだから。


 ……というか、くるみは一体全体どんな悪態をついたんだ?

 トラウマになるようなレベルの悪態ってなんだ?

 女同士の恋愛のもつれ……殺人レベル!?


「もういい。もういいから。ごめんな。妹のぶんも、謝るよ」


「だ、大丈夫」


 一華が話し始めたので、俺は腕を緩める。

 すると一華が、上目遣いで俺を見る。


 甘い匂いがした。

 甘い、いちごミルクの匂いが。


「な、なんか、勝手に涙が出たけど、全然、大丈夫だから」


 勝手にってことは、無意識にってことだよな?

 それって普通よりやばいんじゃあないのか?

 詳しくは知らんけれど。


「ていうか、今ここで、全部言っちゃった方が、いい気がする。心に、いい気がする」


 確かに、一理あるような気がする。

 精神科医の重要な仕事は、患者の思いを傾聴することだと、どこかで聞いたことがあるような気もするし。


 どうするべきか……どうしたらいいのか……。


 答えが出ぬまま迷っていると、一華の方から、話し始めた。


 俺は一華の背中に腕を回したままの状態で、耳を傾けた。


「くるみちゃん……言ったの。京矢のことが好きだって。愛しているって。家族だし、実の兄だけど、そういう愛じゃなくって、あの……あのあの……男の子に対する、愛だって」


 やっぱりか。

 信じられねえ。

 こんな超マイノリティーなことが、いつの間にか、同じ屋根の下で起こっていたなんて。


 確かに昔は仲がよかった。

 小学校低学年ぐらいまでは仲がよかった。

 でもそれはどこの家庭も大体同じだし、幼い兄妹特有の、信頼関係みたいなものだと、そう思っていた。

 だからこそ、いつの間にか、二人の仲が悪くなっていても、特に気にかけることはなかったし、そんなもんだろうと、どこかで納得していた。

 嫌われた、明確な理由に、全く心当たりがなかったとしても。


 話はここで終わりだろう。

 くるみにつながる手がかりのようなものは見つからなかったが、一華の口から話を聞けただけでも、まあ、一歩前進といったところだろうか。


 俺は腕をとき、涙で濡れた一華の顔を手で拭ってやると、上田さんの家に戻ろうと、パンの袋を持ってそっと立ち上がる。

 しかし一華は、ベンチに座ったままの状態で俺を見上げて、待ってとでも言わんばかりに、俺の手首をつかむ。


「ん? まだなにかあるのか?」


「う、うん。最後に一つ」


「なんだ?」


 もう一度座ると、一華へと身体を向ける。


「な、なんていうか……確認、なんだけど」


 気まずそうに人差し指と人差し指をつんつんする。


「京矢って……くるみちゃんと……結婚、してるの?」


「は? 結婚?」


「う、うん。結婚。あの時、くるみちゃんが、言った。私、京矢と、結婚してるからって」


「そんなわけないだろ。俺とくるみは兄妹だぞ。結婚なんかできるわけがないだろ」


「だ、だよね。そうだよね。あれはくるみちゃんの……でまかせ……だよね」


 胸に手を当ててほっとしたように息をはくと、一華はいちごミルクのパックを手に取り、話し疲れた喉を潤すように、ゆっくりと飲み始める。


 俺はそんな一華の姿を眼前に見つめながらも、他方では過去の、あの丘の上でした、結婚式の真似事を、思い出していた。


 ……まさか、くるみはあれを、本気にしているわけじゃあないよな。


 あんなのは、幼い兄妹の無垢な戯れであって、時と共に恥ずかしくも懐かしい思い出になる、そういう類のできごとだよな。

 そんなのは、説明しなくても、自ずと察するものだよな。


 だがこの時、俺はかすかな違和感に、完全に意識をもっていかれた。

 それは、なにかをしないといけないなあと思っていて、不意に忘れてしまって、どうしてもそれを思い出すことができない時に感じる、あの歯痒すぎる感覚に似ていた。


 なんだ? なんだこの違和感は。

 どこかになにか気になる点でもあったか?

 なにかくるみにつながるようなヒントでもあったか?

 俺は、なにかを見落としている……?


 自問しながらも、頭の中に過去の思い出が、映像として流れてゆく。偶然にも昨夜夢に見た、あの映像が。

 しかし残念ながら、なにかに気づくこともなく、忘れたことがどうでもよくなった時と同じように、違和感も、胸に引っかかった嫌な感覚も、やがては薄らいで、消えていった。




「話は、聞かせてもらったのです」




 唐突に、何者かが、俺たちの背後から話しかけた。

 そしてその者は、俺たちが振り返るよりも先に、俺と一華の間に手を突っ込み、引き離すようにして、真ん中にちょこんと腰を下ろした。

解体工事落ち着いた?

いやでもまだ工期はあるっぽいし。

静かな時にちょくちょく更新していきます。

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