沼田にある村民3000人の村が作った関東一の道の駅(前編)~栃木日光ツーリング~
長くなったので分けます。
後編は出来れば本日中に投稿します。
国道120号を湖畔沿いを進んだ律は、いよいよ山側へと進む。
先にあるは戦場ヶ原。
このあたりは車中泊スポットとして有名な場所である。
ただしその利用はあくまで車中泊限定だ。
どうも勘違いしている者がドライバーには多いので各地の自治体などが頭を悩ませている問題について今一度解説しよう。
車中泊。
一般的には「仮眠」という扱い。
これはつまり「車の中で全て完結し、車の中で仮眠する」というスタイルである。
サービスエリアや奥日光各地においては「仮眠」というものは認められている。
というか、全国的な無料駐車場においては「夜間閉鎖」しない限り、私有地でない場所においては「仮眠」は基本的に認められているといっていい。
この「仮眠」というワードが重要で勘違いされやすい。
仮眠はあくまで「仮眠」であって、休憩と同じようなもの。
寝泊りする事ではない。
日光自体も現在は「仮眠」までは認めているため、各地の無料駐車場には夜になると車の姿がある。
しかし実は2008年頃あたりまでの間、周辺の駐車場の利用はもっと自由でオートキャンプに近いものも可能だった。(実際、それを目撃したこともある)
雑誌などでも「日光無料駐車場でオートキャンプ」なんて宣伝されたほどだった。
それが2010年代になると看板が変わり、「キャンピングトレーラーなどの利用を禁止」という看板に変わる。
原因は「キャンピングトレーラーを置きっぱなしにして観光する人間が駐車場を埋め尽くした」からである。(当時の無人のキャンピングトレーラーが埋め尽くされた光景を見た者ならトラウマとなっていることだろう)
しかしそれらの行為を禁止しても「キャンピングカー」が駐車場を占領して盛大にテーブルなどを広げて大量のゴミなどを投棄するなどした結果、日光市においては現在、無料駐車場については「仮眠」のみ許可している状態にある。
栃木県は一部山奥に仮眠可能な駐車場付きの公園のような広場を作ったりしているが、それらは周囲に観光地も何もないような場所限定であり、こういった場所にはキャンパーも来ないためまだルールが厳しく制限されていないが、それらも2010年代を境に「キャンピングトレーラーや大型キャンピングカーが入ってこられないように」駐車場の出入り口を改修してしまうほどだった。
日光市近辺の道の駅などに向かうとわかることだが、ある程度ルールを守っているとはいえ大量のキャンピングカーが夜になると駐車場を占領している光景を目にすることだろうが、これらが原因であり、冬に近づき、寒くなればなるほどそのような状態になる。
一応、この状況まではあくまで「グレーに近い白」ということで看板にも「仮眠」という形で許しているが、「連泊するなどの居座り行為」は明確に禁止。
車中泊のルールの基本は「夜を一時的に過ごすビバーク」と同等のものであることを考えれば、無料だからと居座る行為は普通に迷惑行為に他ならない。
しかし金を持っている団塊などの世代を筆頭に、全国各地の観光地の無料駐車場ではこういった居座り行為で頭を抱え、それによってライダーなども迷惑を被っている。
元々ライダーで仮眠するとなるとバイクの傍に寝るかバイクの上で寝るかといった状態しかない。
よく見るのがバイクミラーなどにシートはタープのようなものを括りつけてサイドスタンドの横で寝る行為である。(大き目のバイクカバーを掛け布団のようにする者もいる)
このような形にて道端の待避所などで仮眠することは可能だが、待避所はトラックなどが進入してくる事からバイクがいつの間にか倒されるなどという可能性が高く非常に危険。
待避所に簡易ドライブインが備え付いていて仮眠可能な駐車場が兵庫や京都の山奥などに存在するが、これらが利用できるかどうかといった所だろう。
そんな時、無料駐車場などはバイクの上で仮眠するといったような用途で休むことが出来る貴重な場所なのだが、それまで無償開放されていた場所が「夜間利用禁止」といった事になるケースが相次いでいる。
これらは全て「無料で寝泊りできる」と勘違いした迷惑なキャンパーによるものであるが、東京の山奥も夜間利用禁止の無料駐車場は増加しており、あまりに睡魔が強い場合に一時的に1時間~2時間ほどバイクの上などで仮眠するビバーク的な使い方が出来なくなっているのは非常に困りものだ。
殆どのケースにおいて「ライダーならいいだけどねえ」と言われてたりするのだが、実際には「夜間二輪利用のみ許可」「二輪と軽自動車のみ夜間利用可」などされるケースが最近ポツポツと現れはじめたことから、いかに問題がキャンパーないしキャンピングカー限定でおきているかというのがわかる。(軽自動車が許可されるのは大人数で利用される可能性が低いからであると思われる)
律が今向かう戦場ヶ原周辺もそういう対応に苦労した場所の1つなのであった。
現在時刻17時20分。
律はそのような事は知らず、近くの休憩場所にて夕食を済ませつつ、宿泊地を探すことに決めた。
15分ほど進むと明かりと共に大きな駐車場らしきものが見えてくる。
三本松園茶屋と三本松園地駐車場であった。
「んお? こんな時間なのにこんな山間部でも開いてるのか?」
ナビの表示を見ると「三本松園地駐車場」と書かれている。
まだ明かりがついている事や無料駐車場と書かれている事から、律は一切躊躇わずにそのまま三本松園地駐車場へと入っていった。
時刻からして絶好の休憩ポイントであった。
三本松園地。
古より神聖な地とされた戦場ヶ原を一望できることから、江戸時代後期を境に道が開かれ、その後休憩場所や宿場町として栄えた場所。
現在では国道の反対側、戦場ヶ原側に展望台があり、人気スポットとなっている。
名前の由来は当時、非常に目立つやや平坦な場所にポツンと三本の松があったことからそう名づけられた。
現在ではすでにその松はないが、松があった周辺には民家が立ち並ぶ。
すでに宿場町はなくなったものの、当時の痕跡として山奥ながら戦場ヶ原とは反対側のすぐ近くには田畑が残っており、そこで農業を営む者が現在もいる。(北側には牧場もあり、牧場側の道から川保湖周辺までの道まで繋がっていたりする)
かつて宿場町は昭和の頃まで、まだいくつか宿として残っていたが、それらは男体山などへの登山客で賑わっていた。
それも現在は寂れたが、明治時代より創業している三本松茶屋がまだ残っている。
三本松茶屋。
このあたりでは最もみやげ物が豊富で、レストランなどもある場所。
紅葉シーズンなどを含め、冬でも観光客やファミリーなどで賑わう。
創業100年以上という地力は伊達ではないのか、戦場ヶ原の神々しいまでの景色が人を惹きつけるのか、苦戦する中禅寺湖周辺とは異なり、現在でも休日は満杯の自動車で駐車場が埋め尽くされ、レストランも大忙しといったような状況である。
レストランはライダーからも非常に評判が良い。
なぜなら、定食系は山奥にある影響もあってか観光地価格だが、肉まんやおにぎりなどが割とリーズナブルな価格で提供されているからである。
特に特大豚まんは250円ながらかなりのボリュームがあり、2個も食べれば腹いっぱいとなるボリューム。
定食以外はテイクアウト可能であり、営業時間内なら購入可能。
駐車場にCB400を停車させ、ヘルメットなどを括りつけた律は明かりのついた三本松茶屋へと足を運んだが、すぐさま食べ物の匂いに誘われてフラフラとレストラン側へと向かうこととなった。
律は、WR250Rのレンタル価格が高額すぎたがために財布の中の現金に心もとないため、メニューを凝視して吟味した後、特大豚を2つとちまき1つを購入。
店員から「かなり大きいですが大丈夫ですか?」と問われるものの、モーマンタイとばかりにテイクアウトを要求した。
すると律の手には女性の胸のサイズでは一体何カップなのか説明もつかないような大きい肉マンが2つも手渡され、それに合わせてそれなりの大きさのちまきも1つ渡される。
(えっ……ガチで特大だったの?)
観光地でよくある罠に見事に引っかかった律なのであった。
茨城県や北海道など、「商売っ気がない」といわれる場所で稀によくあるトラップの1つ。
観光地においては通常、「メニューの写真が大きく感じる」ほどに料理の量が少ないなんてことがある。
ゆえに「特大」などと書かれていても「コンビニレベルの普通サイズ」なんて当たり前だ。
しかし例えば茨城県などは「大盛り」なんかにしたら特盛りにされたり、「ご飯、コーヒー、紅茶、お変わり自由で定食850円」な上、通常の状態から野菜、おかず大盛りで「食べきれないよ!」なんて状況に陥ることなどがある。
一般的なイメージの量になっているおかずハーフサイズが500円だったりして「ここ山奥じゃないの!?」なんて価格設定になっていたりするが、この三本松茶屋においても割と食べ物の量は多めとなっていた。
ハードに運動した影響でそれなりに空腹感があった律ではあったが、1000円以下の構成にも関わらず、凄まじいボリュームに戦慄するほどである。
そのまま一旦外に出た律はCB400を駐車させた場所へと戻りながら、その特大で通常の肉まんより1.7倍はあろうかというボリュームのものを2つ残さず平らげた後、ちまきも腹の奥まで押し込んだ。
胃に圧迫感を感じるほどのボリュームであったが、すぐさま自動販売機にて飲み物を購入し、流し込むようにして腹の中を押し込むようにして体内の状態を整える。
その結果、食べ過ぎたという感覚が律を襲うが、同時に満腹という満足感も得ることができた。
そうこうしているとトイレに行きたくなり、そのままトイレへと向かった。
するとトイレからは凄まじい異臭。
「うへっ」
思わず鼻を摘まむほどの臭いである。
原因はなんだろうかと周囲を探るとすぐさま理解できた。
看板に「再生水を使用しており、臭いなどが発生する」という注意文が記載されている。
戦場ヶ原。
神宿る大地とされるこの地においては水洗便所といってもちゃんとした水洗便所などは無い。
水は貴重品。
よって、トイレは最近この手の地域で流行りの再生水という新幹線などにも採用されている循環方式。
ただし新幹線ほど浄水能力が高くないのか、トイレの水は小便所すら茶色に濁り、大便所の方はというと人によっては食後に見たら臭いと合わせて間違いなく食べ物をリバースしてしまいかねない状況にある。
こういったトイレは実はホンダの有名なツインリンクもてぎなどにもあり、施設やトイレ自体が清潔感がある一方で水が汚くトイレ内が非常に悪臭で満たされており使いにくい。
律は、「大でなくて良かった……」と安心するほどの状況だった。
謎の好奇心によって便座のある洋式便所の方を見て見たが、「このまま近づくと間違いなく豚マンを無駄にする」ということが本能的に理解できたので即座にその場を離れる。
流石に手を洗う場所だけはまともに水が流れたが、それも臭い。
「ここじゃ歯磨きは出来ない……」
その臭いと水の状態から非常に危険と判断した律は、習慣の1つとしている歯磨きをここでは行わない事に決めた。
まだ中禅寺湖の水の方が綺麗な感じがしたほど汚いイメージがあるからであった。
(潔癖症じゃここは利用できないな……間違いなく近づく事も出来ない)
律は小学校時代の修学旅行で尾瀬に行ったことを思い出す。
戦場ヶ原からは北北西の位置にある尾瀬もまた同様のトイレ。
ここがそういう場所なのだということを改めて理解した。
そして律はそのままトイレを後にし、CB400へと戻る。
CB400の下へと戻った律はスマホで現在地についていろいろと調べだした。
そして現在地が戦場ヶ原であること、すぐ近くに戦場ヶ原を一望できる展望台があることを知ると、すぐさまカメラを持ち出してそちらへと向かう。
車に気をつけつつ国道120号を徒歩にて横断し、戦場ヶ原展望台へ。
するとすでに日が落ちかけた状態ではあったが、かえってその方が美しく見える平野と山が広がっている場所へと到着する。
周囲には三脚を用いたカメラマンなどもおり、それなりに人がいて賑わっている。
律はシャッター速度を調節し、手すりなどを利用してカメラを固定。
その風景を何枚か撮影した。
その後、しばらくその景色に見とれるが、まだ宿泊地を探していないことを思い出し、そのままCB400の場所へと再び戻る。
愛車のある場所へと戻っていった際、改めて駐車場周囲を見回すこととなったが、そこで律は気づくことになった。
「なんだこれは……すごい量のキャンピングカーだ……」
まだシーズン前にも関わらず、大量のキャンピングカーが駐車場に停車していた。
一見すると通常の自動車に見えるだけのハイエース型などのキャンピングカーなどもあり、それらはサイドドアを開いて外の空気を取り込んだりしながら車内で食事を採ったりしている者の姿をみる事ができた。
(入り口や駐車場に大量にある禁止ルールを定めた看板は、こういう人らの影響か……なんだかなぁ……)
定期的にパトロールが訪れるようになった影響もあって、現在はマナーがそれなりに守られた状態とはなっているものの、それでも多すぎるキャンピングカーの姿に流石の律も引いてしまう。
ブームになっているとはいえ、世帯的、世代的な格差を感じざるを得なかった。
それは嫉妬でもある一方、己が身を粉にして働いて到達できるのかという不安でもあり、そして単純に生理的嫌悪感というものも合わさった複雑な感情であった。
律はそんな中で格安の宿を探すためにCB400の停車してある所まで戻ると、CB400に寄りかかりつつスマホを弄りだす。
するとライディングスクール初級の指導員が言っていた沼田市にやや格安な宿を見つけた。
ファミリーロッジ旅籠屋・沼田店である。
ファミリーロッジ旅籠屋。
素泊まり専用の簡易宿泊施設。
簡易といってもドヤ街の簡易宿所よりかは間違いなく施設的に充実した場所。
チェックインが事前連絡次第で11時まで可能ということできわめて利用しやすく、一方で価格は非常にリーズナブルでありながら24時間利用可能な風呂がついている。
沼田店の場合、通常料金は土曜日だと8000円だが、インターネットサイトで予約すると運が良ければ5000円など格安プランにすることが可能。
このファミリーロッジ旅籠屋だが、なんと東北道沿いにはSA内(佐野)にあったりもする。
そしてこの佐野SAにおいて最も利用するのはライダー。
そりゃそうである。
車がある人間はあえて利用する利点があまり無い。
首都圏ツーリングプランが出た当時、佐野SAのファミリーロッジ旅籠屋は常に満杯状態であったが、ライダーにとってああいう場所に5000円程度で一泊できる場所があるというのは心強い。
しかも佐野SAの場合、ファミリーロッジ旅籠屋側に専用駐車場があるのだ。
尚更盗難に強く心強い。
律はそこで調べて初めてファミリーロッジ旅籠屋という存在を知ったが、シーズン前のため、運よく外部インターネット予約サイトを利用することで通常8000円のところ5000円で宿泊可能となった。
朝食付きで翌日のチェックアウトは11時。
チェックアウト時間が遅いのもライダーには優しい。
事前に電話連絡で現在位置だと9時頃にチェックインになるかもしれないと伝えると「その場所ですと8時頃には辿り着けそうだとは思いますが、大丈夫です。お待ちしております」と店員が丁寧に応対してくれ、そのまま120号を沼田まで突っ切るだけで宿泊が可能な状態となる。
安心した律は一休みしながら19時に閉まる土産屋などを物色した後、30分ほど休憩して三本松園地駐車場を後にしたのだった――
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休憩し終わった後、律は再び国道120号にて北上した。
目的地は国道120号線沿いにあるため、このまま国道120号線を真っ直ぐ進めばいい。
すでにナビに目的地は入力してあった。
戦場ヶ原を抜けてしばらく進むと湯ノ湖の湖畔を真横に坂を駆け上がるような道となる。
じつは本来の街道はここが終点。
現在の国道120号線は明治時代以降、新たに切り開かれた道だったりする。
律が左側に視線を送ると谷間にも見える湯ノ湖の湖畔沿いの低い場所にホテルなどが見えた。
ほぼ真下を覗き込むような位置にある。
日光湯元である。
日光湯元。
その昔、日本が鎖国から開国へと至った後、国外の数々の冒険者を自称する者達が訪れたといわれる。
戦場ヶ原と合わせて人気のスポットであり、当時の宣伝文句としては「神々が住まう大地」や「神々が宿る温泉」などと称されていた。
日本奥地紀行を後に書き記すイザベラ・バードもここに訪れた一人。
未開の地とも言える関東の奥地に踏み入れた彼女は現地の生活様式などを詳細に描いているほどだ。
当時の日本人は湯治などに訪れていたそうだが、非常に清潔感もあり、温泉街は大盛況だったとされる。
それも今や昔。
鬼怒川温泉と並び、日光湯元も今や寂れつつある。
1990年代、すでにその危機感を露にしている者が雑誌に記事を書き記していた。
曰く、湯元や鬼怒川温泉などについては「戦後、観光ブームなどが訪れた際にこの地は蹂躙された。大昔から残る和風の景観など、どこそれとばかりに新たに建てた建物は、和風ではなく洋風でもない今や古き建物で、環境も悪く、いずれか見捨てられることだろう。温泉の質は天下一なれど、景観や風情を捨てたことで見捨てられるのだ」といった記録が残っている。
30年後。まさにそれが現実のものとなった。
先見の明がある者たちは30年前にしてアジアなどが活性化し、外国人観光客などが訪れることになっても、日本の「わびさび」のようなものを感じない場所には訪れることがないだろうと考えていたが、本当にそうなってしまったのだ。
そのため、草津の湯なども以前は「このままでは危険」と主張されていたが、草津は景観保全に勤めて建物などを改修することで現在の勢いを保ったままの状態を維持している。
一方ここは江戸より日本人が好み、番付においても上位に位置した温泉地でありながら、「日帰りで手軽にこられる」などという事から昭和の頃に活性化した際、「古き建物など不要」とばかりに当時としては最新鋭だった建築物を新たに建てて風情ある温泉街を捨ててしまう。
その結果どうなったかというのは現地を訪れればわかるように、温泉の質によって訪れる観光客はそれなりにいるが、やはり徐々に経営が維持できなくなり、廃業するホテルなどが出始めている。
行けばわかることだが統一感もなく、「和」というものも感じられない。
良く言えば「昭和」悪く言えば「西洋に毒された混沌とした風景」が広がる。
寂れた観光地によくある光景だ。
2020年代、外国人観光客で盛り上がりを見せる場所はほぼ全て「和」という存在がのこり、「この場所に来るために日本に来たようなものだ」といわんばかりの所が口コミで広がりを見せる。
とあるライターの言葉を借りれば「経済が活気付いた頃にブームに乗っかって短絡的な思考でもって中期的な収益しか考えなかったことが、古より伝わる名湯を破綻させた」のである。
仮に新しい技術などで作られた建物であっても「和の装い」というものがあれば問題ないというのは熱海などの状況を見れば理解できることだろう。
ペンションやホテル街が盛り上がるのはこの先にあるスキー場周辺。
湯元自体は「バスと歩きだとまともに食事にもありつけない」ともっぱら評判が悪い。
遠くから眺める形となった律もそれが何となく見えたため、中禅寺湖と並び日光の現実を目の当たりにすることになった。
二輪という車を手に入れた現在、律の中では様々な観光地のイメージがあり、そこへ向かいたいと思っているのだが、
日光はもっと盛り上がっている、そう考えていただけに現実とイメージとの違いにただただ閉口するばかりであった――




