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悪戦苦闘のダート走行(前編) ~日光市~

「こんなの乗れるのかな……」


 借りたばかりのWR250Rを一旦待機場所に駐車させた律はその場に座り込んだ。


(カウルは傷だらけだが……綺麗な車体だ……俺みたいな人間が借りてよかったのかな……)


 自信の無さから律はバイクを見つめ、そのまま思考が停止してしまった。


 実際のライディングスクールは1時間後。

 午前と午後の部がある。


 コースは入門者、初心者向け、中級者向けの3つ。

 入門者は1から授業を受ける形となり、初心者は実際にある程度コースを走行可能。


 律は午前に入門者コースを、午後に初心者コースを選択していた。

 どちらもバイクは使うことになっている。


 それぞれ3時間+3時間であり、どっぷりオフロードバイクに浸かる予定であった。


「へぇ……WRを借りる人がいたのか……あの価格設定で……中々通な方だね」


 律が振り向くと40代は過ぎているといったような風貌の男性がいる。

 まるで冒険に行こうとばかりの服装だった。

 おおよそそれは「バイクに乗る」といったような見た目ではない。


 なんというかアマゾン探検隊……律にはそのような言葉が浮かんでくるような姿である。


「えっと……参加される方ですか?」


 律は座ったままの状態で振り向いた。


「おっ、よく見たら若いねぇ……もしかして駐車場のCB400が愛車だったりするのかな? 私もライディングスクール参加者だよ」


「あ、そうです……今日がはじめてで右も左もよくわからないのですが、これしかないという話だったので……」


「えっ、ウソ!?」


 探検隊のような風貌の男は想像していなかった発言から驚いている。

 彼の予想では「他にライダーの姿はないので、この者はCB400で来ているのだろう、だとすればスペックばかりにとらわれてWRを選んだのだろう」と考えていたのだが、実際には律はセローまたはトリッカーに乗りたがっていたのである。


 律はそのことを口にする。


「購入時に迷ったセローに一度乗ってみたくて……CRFには乗った事があったのですが、メーカーに囚われずいろんなバイクに乗ってみようかと」


「そりゃあ残念だ……でもWR250も悪くない。少々古いタイプのバイクになってしまうが、かつて250cc最強のバイクと呼ばれた事もある。個人的には今もそうだと思うんだが……」


「そうなんですか!?」


 律は思わず立ち上がってしまった。


「今君の真後ろにあるマシンは競技用のモトクロッサーの設計をベースとしたマシンだ。まあエンデューロっぽいイメージもあるんだが……とにかく、セローなんかよりはずっと早いよ。まぁ実際に乗って体験してみて。CRF250なんかとはまるで違う味付けだが、楽しめることだろう」


「はいっ」


「じゃ、僕は着替えてくるから。君は中級者コースではなさそうだね……入門コースかな? がんばってね」


 そう言うと探検者の風貌をした男はどこかへと去っていった。


「俺も着替えないとな……ちと暑いかもしれないけど合羽フル装備でないと泥だらけになりそうだ」


 律は一旦CB400に戻り、フル装備に着替えて戻ってくることにしたのだった。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 1時間後、ライディングスクールが始まった。

 それまでの間スマホなどでWR250を調べていた律は、実はこれが非常に貴重な機会であることに驚いていた。


 本来はWR250Rは初心者向きではないため、殆どのライディングスクールのレンタル用マシンとして準備されることはない。


 ライディングスクール向けはトリッカーが中心。

 だがこの日は何かあったようで、WR250がエントリーしていた。

 律は何度か中級コース参加者のライダーに声をかけられていたが9割以上が持ち込みの中級参加者達の中でもWR250を所有している人間は多く、あえてレンタルにてWRを選んでいた律に何か感じ入るものがあったのである。


 律は彼らから「なるべくエンジンは軽快に回したほうがいい」と言われていたが、なぜなのかよくわかっていなかった。


 そんな疑問が解決する間もなく、ライディングスクールは始まる。

 まず律達、入門者は皆プロテクターの装着が義務付けられ、ゼッケンと同時にそれらを身につける事になる。


 結果、見た目は教習所内での格好と同じような状態となった。


 しかし教習所内とは異なり、ギアチェンジや取り回しの練習などはない。

 それらは「出来る」とした上で参加している事になっているためだ。


 とはいえ、なぜか第一段階のスクール講習はバイクを用いたものではなかった。


 律達、参加者の目の前には突如摩訶不思議なモノが持ち込まれる。


 それはバイクのフレームの形をした、フットステップとハンドルだけ付いた1本しかない竹馬……またはバネの付いていないバイクのような形をしたホッピングマシーン……もしくはエクササイズ機器……説明不可能な代物。


「これはトラッパーといいます。不整地走行……エンデューロやモトクロスなどで最も重要な姿勢はスタンディングです。立ち上がって乗ることですね。オフロードバイクといいますのは、フラットダート以外は殆ど椅子に座った状態で乗る事はありません。まるで馬を操るがごとく立ち上がった状態、または椅子から少し腰を浮かせたような中腰の状態で姿勢を整えます。その練習用がこのアイテムというわけです」


 トラッパー。

 なぜかいまやそれそのものが米国などでスポーツ競技となってしまったが、元々はモトクロス競技者や国外のバイクパフォーマー達が最も最初の練習を行うために作った道具。


 それは完全に車輪のないフレームだけのバイクといった状態のもので、タイヤなどはついておらず、前に進む事は無い。


 つまり「静止状態」でバランスを鍛えるために使う道具である。

 ネット上での動画を見てもらえばわかるが、正しい姿勢でなければ数秒で転倒してしまうが、ハンドルなどが動くので、正しい姿勢でもってハンドルを動かしてバランスをとることが出来れば何分でも跨ってスタンディング姿勢をとり続けることができる。


 プロのモトクロスレーサーではサッカーでいうリフティングのようなお遊び感覚でウィリーしたような姿勢でホッピングしたりすることが出来るが、トラッパー自体の重量はそれなりにある。


 それだけ高い身体能力でなければあのような走りは出来ないということである一方、この道具で鍛えれば初歩的なテクニックは最低限身に付けられるといわれる。(一部疑問の声もあるが、これすらまともに出来ない人間がオフロードバイクを乗りこなすのは不可能に近いことは認めている)


 そしてこのトラッパー、入門者向けには意外な方法で練習させる事はあまり知られていないようだ。


「今からちょっと二人一組で練習してもらうわけですが、まずはどういう風にやるのかお手本を見せます。ではゼッケン12番の音羽さん。こちらへ」


「へっ!?」


 突然呼ばれたことで周囲をキョロキョロ見回した律だが、他に同じ苗字の人間はおらず、自分が呼ばれた事に気づき、すぐさま指導員の下へと向かった。


「まずちょっとやってみてください。最初の時点で10秒できたらセンスありますよ」


 律が呼ばれた理由は今回のメンバーで一番若く、そして体格が良かったからであったが、もう1つの理由に最も体重が軽そうだからという理由もあった。


 指導員はまずトラッパーを起こした状態にし、その上でハンドルの中心部分を手に持って支えている。


「ではどうぞ」


 周囲がシンと静まり返った状態の中、律はトラッパーに跨るような状態となり、スタンディングの姿勢をとる。


 指導員はしばらくすると手を離す。

 6秒後、ズテッと見事にコケた律の姿があった。


「まあ初心者だとこんな感じになります。これを続けても感覚は掴めません。音羽さん。もう一度先ほどの姿勢になってください。今度は、腕に力を入れ、絶対に落ちないように耐えてください。今から私が前輪を持ち上げた状態にしますんで」


「えっ……あ、はい!」


 前輪を持ち上げた状態というのが意味不明である。

 それはつまり、トラッパーのハンドル部分を持ち上げるということだが、これが何を意味しているのか理解できない。


 しかしやらなければ次の段階に進めないため、律は覚悟を決める。

 指導員はサッと先ほどと同じ状態のままハンドルの中央を握っていた。

 律はその状態で先ほどと同じくスタンディング姿勢となる。


「いいですか、今から持ち上げますから」


「はいっ」


 律が返事をすると、指導員は真っ直ぐ前輪を持ち上げた。


「うっ……お?」


 一旦バランスを崩しかけた律であったが、なぜか先ほどとは違い、非常に楽に姿勢を整えられている。


 トラッパーだけに目をやると実車ではウィリーする形となっている状態だが、姿勢自体は「実車でスタンディングている」状態にきわめて近いものとなっている。


 それは人間の姿勢を整えようとする癖を利用したトラッパーの本当の練習方法であった。

 人間は倒れそうになると前に重心をかけようとする。

 今の姿勢がスタンディング状態にもっとも近い姿勢だ。


 律はハンドルを左右に動かし、とにかくバランスを整えようと必死だが、これがトラッパーの初歩練習なのである。


「そのまま耐えてくださいね。もうちょっと腕を伸ばして、膝を少し曲げて……そうです、その重心をやや前に向けた状態です。いま音羽さんがやってるこれがスタンディング姿勢に最も近い状態です。背中をやや丸め、体重を前にかけて腕と足を駆使してバランスを保っています。トラッパーをいきなりやるとこのコツが掴めないんで殆ど意味がないんです」


 指導員は律の状態を見ながら周囲に説明し、しばらく律がそれに耐えていると一旦降ろしてもらえた。


 指導員はハンドルの中央部分を握ったまま、トラッパーを立てた姿勢で説明を続ける。


「音羽さん、先ほどのイメージでトラッパーをもう一度操作してください。たぶん、今度はもっと長い時間やれるようになっているはずです。ハンドルでバランスをとり、バランスを崩したらハンドルを持ち上げて左右に前輪を動かすようなイメージで倒れないようにがんばってみてください」


「わかりました」


 一旦降りた律は再びトラッパーへと向かう。


「では、手を放しますよ」


 先ほどのイメージを用いてやや前傾姿勢にてバランスをとる。

 腕だけではなく、両足による体重移動も行い、膝を少しだけ曲げた状態でハンドルに体重をややかけた状態で踏ん張る。


 するとどうだろうか。

 6秒しか姿勢を維持できなかった人間は、一気に1分近くその姿勢を継続できたではないか。


「若いと飲み込みが早いねー」


 参加者の一人が律を褒める。

 自分でも驚くぐらいバランスを保てていた。


(そうか……バイクってこうやってバランスをとるのか……今まで怖くてこんな姿勢できなかったけど、これなら走行中にもスタンディングできそうな気がしてきた……凄い道具があったんだな……モトクロスの人とかどうやって練習してたのかとずっと疑問だったよ)


 律は二輪走行では大型免許を取る際に重要なスタンディング走行の基礎技術を取得した。

 実は今日のライディングスクールへの参加は、大型を取ると周囲に説明していた状態をウィラーが耳にし、後々教習所で獲得するにあたっても一発取得するにあたっても重要となる波状路の攻略のための布石などのために参加させたものだったりする。


 律が実際に参加するかどうかは不明だったが、ヨタヨタとガレージから出る姿などを見ていたウィラーは律の能力があまりにもお粗末であることを理解していたため、その改善に乗り出していたのである。


 未だ目標クリアの判定をもらえていない状況から、あんな三輪で妥協されては困るというのがウィラーの現在の考えでもあったのだが、どんな道も向かってみたい律の考えを実現化するという意味でも「CB400でフラットダートや砂利道ごときでコケて弱音を吐くようでは話にならない」というところも関係している。


 実際、CBにアドベンチャー系タイヤを履かせてスクランブラー風にカスタムし、河川敷のジャリ道などで遊ぶような人間は実在するのだ。


 律は「CBはそういうマシンじゃない」と考えていたようだが、マシンの特性こそオンロード主体とはいえ、スーパースポーツでない以上、不可能な道などないとウィラーは理解しており、マシンを言い訳にしていいのはもはや本当の意味で誰しもが「そのマシンでは駄目だ」と認めるような本格的な未舗装林道に飛び込んでからにさせたかったのである。


 幸い、まだCB400ではダートは無理と周囲には愚痴っていなかったため、このあたりで対処させておけば周囲の律に対するイメージ低下も避けられる狙いがあった。


 現代ではネットで噂がたつと、狭い二輪の世界においては妙な誹謗中傷を受けることにもなることをウィラーは知っている。そんなことで二輪を諦められては困るのだ。


 ウィラーは家の中で愚痴る律の様子を確認していたが、それに対して燻っているものがあったのである。

 それと同時に今まで手を出さなかったことでCBを傷モノにさせた反省があった。


 ウィラーの狙い、それは周囲が「おい、CBでそれ以上そんな道をつっ込むんじゃない! 俺のオフ車を貸すからやめろ!」などと言われるような人間になること。


 実際にネット上の動画で確認したが、そういう「変態」は普通に存在している。


 そんなウィラーの考えなど知る由もなく、律は自分自身が成長しているという感覚からテンションがあがってきていた。


 このまま指導員に従えばWR250だって乗れる。そう思えると心が燃え上がる。


「今から二人一組になって、まずは前輪を持ち上げた状態のスタンディング姿勢を体に理解してもらいます。その後、皆さんで軽くテストして、目標としては1分30秒ほどできるようになってみましょう。出来なければ次に行けないということもないのですが、1分ぐらい出来るようになってもらうと次の段階での走行がやや楽になります。私が見回って姿勢を見ますので、皆さんちょっとやってみてください」


 律が燃え上がる一方、指導員は淡々とライディングスクールの講習を進めていった――。


 ~~~~~~~~~~~~


 律は中年の小太りの男性と二人一組になり、トラッパーにて練習した。

 中年の小太りの男性はメガネをかけているライダーらしくない顔つきだが、早期退職をしてライダーになったという、律とは違う意味で第二の人生を歩んでいる男であった。


 練習中、互いにそういったコミュニケーションをとりつつ行えたが、元体操選手と豪語する60手前の男はかつての感覚がまだ体に残っているのか、最初からかなりのバランス感覚をみせつける。

 律も負けじと自分の番においては奮闘するが、まるでもう一人の指導員になったようにバランスのとり方のアドバイスを送ってくれていた。


 ある程度練習した後は簡単なタイム計測が行われたが、トップは2分42秒の律のパートナーの男性、その次が15年ぶりのリターンライダーでオフロード車両が愛車だった男性の2分23秒。律は三番目の2分05秒をトラッパーの状態で姿勢を維持することに成功した。


 経験者や別のスペシャリストに律が肉薄した理由は、CBやインパルス、そしてGL1800の重量にある。

 カーブを曲がる際、それなりの重さを姿勢制御しなければならない。

 律は峠が好きになり、ワインディングと呼ばれる峠走行ばかりするようになっており、それが大きく影響していた。


 特によく向かっていたのが相模湖周辺である。


 このため今までは「コツ」というものをまるで知らなかったから出来なかったのである。


(こんな楽しいことってないよ……バイクは奥が深い……100kg以上の鉄の塊だってバランスをとれば制御できる……CBよりも俺がダメすぎたんじゃないのか……今日が終わった後のツーリング楽しみだ。山だ。絶対に山に行く)


 ライダーとして、一歩、また一歩と成長する免許獲得2ヶ月の男の姿が日光の山奥にあった――。

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