白い巨神の咆哮 山梨(道志村)→神奈川→東京都
その音は、誰しもが振り返るエンジン音。
およそそれはバイクのエンジン音ではない。
ある者は言う。
「音だけ聞いて国産だとわかるのは重度のバイクマニアかライダーでもそれなりの経験を持つ者だけだ――」と。
オイルパンを破損し、エンジンオイルの全てを失ったCB400SBからバトンタッチしたのはホンダの真のフラッグシップ車両。
水平対向6気筒という魔物。
実はこのマシンが6気筒になった理由が面白い。
米国において「伝説」とされるマシンがある。
いや正確には「ホンダにおいて伝説」とされるレースマシンがある。
RC166。
4気筒という存在で輝かしい歴史を築いたホンダが、レースの世界にて「本気の本気」でヤマハなどの2ストバイク勢に挑むために作った4ストローク並列6気筒のマシン。
そのマシンはあまりにも強すぎた。
249cc 6気筒 1万8000回転 60馬力。
聞いただけで「このスペックで4ストロークだというのか!?」となる代物だろう。
エンジン寿命、バカみたいな価格になるであろう車体コストを省みなければ現在でも排ガス規制を突破した状態で50馬力以上で作れるとホンダのエンジニアが豪語する心臓部だ。
これで「2st4気筒」のヤマハやスズキの化け物達と渡り歩いたのだ。
その中でも伝説となったマシンこそがRC166。
WGP全勝、マン島TTレース優勝。
四輪でいえば「F1とル・マンで勝利」みたいな未だに信じられないような伝説であった。
しかしあまりにも勝ちすぎたたのでレギュレーションで6気筒を禁止とされてしまう。
だがその伝説はアメリカ、欧州全土に轟いた。
「そんな血筋のスポーツバイクが欲しい」
そんな声は特にアメリカを中心に叫ばれ、ホンダが出した答えは「CBX1000」というバイクである。
当時すでにGL1000という水平対向4気筒のマシンがあった中、米国は「こいつ以外にもクルーザーではないマシンも欲しいんだ」といった願望を抱いていた。
そのため当初ホンダは「この水平対向4気筒エンジンを使ってバイクを出そうか」と考えていたものの、米国側の要望により、新たに1000cc直列6気筒エンジンを開発して販売する事に決定する。
この際、現地の技術者はF1の技術を用いた「V6」または「V8」という選択も考えていたのだが、日本の技術者は「それはあくまで変態思考の特殊すぎる高級クルーザーバイクにすぎない」と却下した。
だが、1978年に颯爽と登場した代物は「ただのクルーザーでしかない失敗作」であった。
原因は当時の本田宗一郎が「空冷」という存在に拘り、RC166のレプリカのようにしてしまったことによる。
形状の美しさに拘り、フレームを中途半端な構造にしたことによる剛性不足なども大きく影響した。
売れなさ過ぎたことから前代未聞の直列6気筒という存在は短期間でその生涯を閉ざす。
だが、RC166とこのCBX1000が与えたインパクトは以降も続いた。
時は過ぎ、1985年。
ある男に新型GLシリーズの開発が言い渡される。
現在、とある場所にてカフェを開いているホンダの裏話に詳しいCBR1100XXブラックバード開発責任者だ。
そんな彼に言い渡された使命は「GLシリーズを6気筒にして販売しろ」とのことだった。
6気筒を厳命したのはホンダのアメリカ支社である。
「今最も売れているGLシリーズに欲しいのは、ホンダだけが作れる6気筒エンジンを搭載したモデルだ」
そう言い放ったのである。
だが当時のホンダ社内においてそんなものを作りたいなどと考える者などいない。
誰しもが首を振った。
「作れるわけが無い」と誰しもが思ったのだ。
だからこそ、無理難題を今までクリアし、メガスポーツというジャンルを切り開いた男に白羽の矢が立ったのだが……
それに対しそれまでレーサーなバイクを作り続けていた男は「冗談じゃない、そんなのやるぐらいなら会社を辞める」とまで言い張る。
そんな状況にて本田宗一郎含めたホンダのトップはこう言った。
「GLシリーズはクルーザーじゃない。GL1000を見ろ。これが受け入れられた上で6気筒を求めたアメリカ側の意向が理解できるな? 6気筒で好きに作れ。GL1000に次ぐGLの血脈を受け継いだ6気筒のマシンを!」
その言葉に鼓舞され、しぶしぶ開発者はGLシリーズ開発を受け入れる。
そして1988年にデビューしたGL1500は、後のGLシリーズのデファクトスタンダードとなった存在。
アルミバックボーンフレームに水平対向6気筒。
最後の最後まで直列6気筒と迷った結果採用されたそのマシンは「ビッグバイグながら凄まじい運動性を誇る」というクルーザーではない何かだった。
その性能はブラックバードを開発できた男だからこそ可能だった。
ただ流すだけならクルーザーとさして変わらない。
だが一度本気を出せば生半可なクルーザーはまるで追いつかず、ガリガリとバランスセンサーをこすりながら凄まじい速度で他のスポーツバイクに追随できる。
それはGL1000を受け入れたアメリカ人と、RC166からホンダに魅了され続けたアメリカ人双方の心を鷲掴みにする。
30年後、ドゥカティが史上初のアメリカンクルーザーを販売するために参考にするほどである。
XDiavelの開発者をして「自分達みたいなスポーツバイクを販売するメーカーが出すならGL1800(GL1500)を参考にするしかない」と言わしめた存在の始祖であった。
律が今乗るGL1800シリーズはその血統を受け継いだ存在。
GL1500のキャッチコピーとは「アメリカンクルーザーにはない真の頂点を知る者」である。
残念ながらその車体は前二輪、後一輪の三輪形式のリバーストライクとなっていた。
だがそれでもそのエンジンパワーなどは体感できる。
左右と後方のトランクに荷物を詰めた後にさらに後部座席にツーリングシートバッグを括りつけたソレは、国道413号線を颯爽と突き進んだ。
対面を走るライダーはその殆どが視線をこちらに向けている。
価格的にも律がどう努力したところで手に入らないバイクであった。
車体価格+280万円。
それが、今律が乗る翼を纏った白き巨神の値段。
実は律が乗った数日後、オーナーはまるで何かを思い出したようにこれに乗っている。
光に対し「誰かアタリをつけたかい? 随分状態が良くなっているね……満足した……満足だ」と2回も「満足」という言葉を述べた。
光自身その言葉には寒気がするほどであったが、その悪寒の通り1週間後にオーナーは亡くなる。
原因は不明。
生前、ずっと体調不良を周囲に訴えておりその声は光にも届いていた。
律が帰ったと同時にすれ違いに現れたオーナーは「久々に乗れそうな状態になった。もう2度とないかもしれない」と意味深な言葉を述べるほど、その時点では体調が優れていることを主張していたため光はもっと乗ってもらえるかもしれないという淡い希望を抱いていたのだが、残念ながらそれは叶わない夢となってしまったことになる。
GL1800は遺言にて光もとい光のバイク屋に無償で渡すことになり、車体は今、光が手続きを済ませ新たなナンバーが取り付けられている。
どちらにせよ特殊すぎて処分には困る代物ではあったため、遺族はそこに不快感なども表明しなかった。
光のことを良く知るオーナーの息子は「埃を被ったままになるのも廃車にするのも嫌だが、父が気に入った人らに乗ってもらえるならそれでいい」と伝えていた。
そのため光は売ることも出来たが、生半可な者に譲る気などない。
手元に置いて腐らせないように維持しようとは考えたが、自身が乗り手になる気はもう起こらなかったため、律にその役目を車体ごと預けたのだった。
もともとそういうバイクが好みではないし、それ以上に「気が重すぎて引ける」のだ。
これまで乗ったのはあくまで「状態を良いままで維持させる」のが目的。
それは「整備士」としての仕事でありライダーとしての仕事ではない。
仕事とプライベートは分ける。
そこは律と光のかんがえは同じであるが、律は立場が違うのである。
そういった事情を知らない律は、この白い巨神を縦横無尽に走らせていた。
(3速だ。3速で十分だ……なんて楽なんだろう……)
カーブ、上り坂、下り坂。
すべて3速で十分だった。
カムギアトレーンと水平対向6気筒エンジンの音は、律が気に入っていた4気筒をさらに超える音色を奏で、山間の細い道をヒョイヒョイと軽い足取りで進んでいく。
「すっごいね~普通に乗れちゃうんだ!」
後を追う優衣はその姿に驚きっぱなしである。
それと同時に「これぞ律の姿」というような印象を抱いていた。
優衣にとって律は常に背の高い男であり、前を進む男。
GL1800の後部トランクから微かに見えるその背中は、かつて幼少の頃より追いかけていた姿そのものであった。
「そっちの方が似合ってるよ!」
「えっ!?」
突然の一言に思わず律は後方を振り向いてしまう。
「いやいや、背伸びしすぎたバイクでしょ……こんなの買えないって……親戚曰く600万に届きそうなバイクだって話だし……」
内心とても嬉しかった。
こんな存在に触れられる今の自分の運命に感謝しており、律は周囲に顔こそ見えないがヘルメット内ではニヤニヤが止まらない。
「大きいほうが似合う。絶対」
「まぁ、ちょっと最近そんな感じはしてたけどね……でもまだCB400はやめないよ」
それは完全に自分に言い聞かせた言葉。
選んだ愛車を2ヶ月程度で諦める気にはなれない。
実はバイク沼にかかったライダー病の人間だと気に入らない車体は3月程度で平然と入れ替える。
光は知っている。
複数台所有しながら3ヶ月の間に4台入れ替えた人間がいることを。
自身も最短で半年で入れ替えたことを。
CBは走行距離1200km程度。
まだまだといった所であり、律は不満な部分もそれなりにあるものの、初めての愛車ということでそれなりに愛着はあった。
とはいえ、クラッチは重いはずのGL1800の方が明らかに楽。
そこに起因するのは排気量とパワー。
律の中で大型への渇望が芽生えつつあった。
国道413号を進んだ二人は、相模原市に入ると県道64号へと入り、南に南下。
そこから12分ほどで宮ヶ瀬湖へと到着した。
「ここらで休憩してお昼にしない?」
「そうだね……こいつが停車できる場所があればいいんだけど……とりあえず湖の周りを走ろうか」
律は停車場所に苦労する予感がしつつも湖畔沿いを進むことを提案。
優衣はその提案に乗り、二人はしばらく駐車場所を探し、最終的に宮ヶ瀬水の郷交流館の駐車場へと入った。
サイズ的に横幅が車1台分近くあるため、車用の駐車場所に止める。
ベスパはその駐車枠の隙間の中に押し込むようにして入れた。
時刻は12時20分。
そのまま宮ヶ瀬水の郷交流館にて二人は昼食を採ることにし、しばらく湖畔の景色を楽しんだ――
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宮ヶ瀬水の郷交流館で1時間30分ほど休憩したら、ヤビツ峠の方面へ。
最終的にはそのまま抜けて東名高速まで向かい、東名から帰る事に決めた。
一旦県道64号に再び入った後、南下して県道70号を用いてヤビツ峠へと向かう。
ヤビツ峠へと入った律はすぐさま気づいた。
「ヤバい……バイクの左右の幅が広い……交差は大変だ……」
軽自動車に近い横幅を持つリバーストライクでは道幅の狭い県道70号はやや厳しい道であった。
ここに来て「車と変わらない」と言われるGLシリーズの弱点が露になる。
律の頭の中に言葉が突き抜けていく。
――GL1800? あんな代物買うぐらいならスーパーセブンの軽自動車モデルを買う――
どこかネットの動画か何かで言われていたそんな話を律は思い出す。
実際価格も殆ど変わらなかった。
バイクの方がマシと言われるケーターハム7の660ccモデルよりもある種厳しい趣味の乗り物。
GL1800がこういう道ではやや厳しい存在であることを教えられる。
しかし同時にこの三輪だからこそ安心感があると律は考えた。
一時停止するのに対し、300kgを超える巨体を下り坂や上り坂の狭い道で低速か停止状態で制御するのは困難である。
今の状態は通常時より交差に支障が出るが、それでもまだマシな状況にある――と。
(もし大型に乗るなら……そうだな……横幅は1m以内……それもミラーでそれを達成しないと駄目か)
こういった道も好みである律は、白き巨神をそれなりに評価しつつも、同時にいくつかの弱点にも気づく事が出来た。
(仮に二輪だとしてもこのバイクはあくまでツアラー。スポーツツアラーだ)
己が本当に求めるバイクに近いが、まだ何か違う。
律は思い切って大型を含めた「全てのジャンルのバイク」に乗ってみることを検討しはじめる。
試乗会のイベントは土日を中心に毎週どこかでやっている。
CB400という教習所内で乗らされるバイクだけでCB400に目覚め、購入したのは早計だったと自覚する。
仮にCB400に乗り続けるとしても乗り方を変える方法はいくらでもある。
手元にGL1800も来てしばらく乗れる現状、GL1800のツアラーとしての能力を生かしてイベントに参加しよう。
そう心に決めた。
「もう少し行くとね~景色のいい場所があるんだって。そこで一旦止まろうよ」
「ああ!」
心の中が晴れていく。
二輪ライダーとしての日々はまだ始まったばかり。
まだ何も見えていない。
だからこそ旅に出る前に、まずはもう一度バイクというモノについて考え直す事にしよう。
そう決めると気分も落ち着き、優衣への受け答えも軽やかになった。
しばらくヤビツ峠を進んだ二人は、相模原市が一望できる場所に一旦停車し、記念撮影を行った。
バイクと二人。
まるでそれはデート写真のようではあったが特に気にしない。
旅の記念である。
そしてそのまま南下して東名に乗る。
東名に乗った律はGL1800の機能を試すことにした。
クルーズコントロールである。
優衣に合わせ80kmにセットし、左車線を走った。
GL1800は純正仕様ではないが、高速の継ぎ目をものともしない。
高い安定感でもって風すらもまるでなんのその。
律はすぐさまCBとの違いに気づく。
アレほどバタついてムチを打つように襲い掛かってくるジャケットが今はまるで大人しい。
「ウィンドプロテクションとはこういうものか!」
思わず独り言を叫んでしまう。
「どうしたの!?」
妙なテンションの叫び声に優衣も反応せざるを得なかった。
「いや、なんか風がね……カウルのおかげで全然吹いてこないからすっごい楽でさ」
「あー……リッくんのバイク剥き出しだからね~。私は全然楽だからもっとスピード出していいよ?」
実はVESPA。
ウィンドシールドの能力の高さもありウィンドプロテクションの能力はかなり高い方である。
スクーターといえど案外楽でないものは沢山あるが、VESPAは「VESPAというジャンル」と言われるだけあって、その中でもフラッグシップのGTS300は高速走行も考慮された性能となっていた。
「じゃあちょっと100km出していい?」
律の要望に優衣は「どうぞどうぞ」と主張したため、律は一旦クルーズコントロールを解除してアクセルを入れた。
途端にスピードメーターの針は100kmを越えんばかりで加速する。
100kmまで速度を上手く調整するとクルーズコントロールを再び入れた。
100kmにセットされたクルーズコントロールの状態でもまるで跳ね上げなどなく安定しているGL1800。
その安定感から、「やっぱこういうツアラー的要素は欲しい」と思わざるを得ない律であった――。
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東名から環八を経て地元へ戻った律は優衣の家の近くで荷物を降ろし、その場で優衣と別れ、燃料補充へと向かった――。
甲州街道沿いにガソリンスタンドを見つけた律はすかさず燃料を補充。
しかしそこでGL1800が犠牲にしていたものを理解する。
「ゲェッ!? リッター9km!?」
走行距離と最大燃料容積と補充したガソリン量を合算した数値。
レシートを持つ手が震えた。
それはCBすら真っ青な燃費の悪さであった。
最大でも18km程度しか行かないと言われるGL1800のコスパの悪さが牙を向く。
わずか100kmちょいで燃料ゲージが半分になったことで心配になっての燃料補給であったが、25Lある燃料は13L程度となっていた。
(こ……航続距離200km程度しかないのか? 嘘だろ……)
ツアラーとして「長距離は疲れない」と言われているゴールドウィング。
だが、「長距離をバイク自体が疲れずずっと進める」とは言ってない。
実は燃費はライバルのハーレーの方が優れている。
航続距離の差は約2倍近く。
燃費はVツインと水平対向6気筒にて比較するのは間違っているが、スポーツ性能の犠牲となったのだ……
「もっと燃費いいマシンないのかぁぁぁぁ!?」
あまりの燃費の悪さにて帰り道、甲州街道にて絶叫する男がいた。
名を音羽律。
車の代わりとなるとGL1800に夢抱いた男は、その夢が早々に打ち砕かれたのだった――
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自宅に戻ると光の姿があった。
光の手伝いによってガレージには特に問題なくGL1800リバーストライク仕様が入ったが、他にバイクは1台入るかどうかというぐらいスペースを占領した。
その凄まじい巨体に律の母である音羽 夢は驚きを隠せなかったが、なぜか彼女もまた、律に「CBちゃんよりそっちの方が似合ってるかもね」と主張していた。
すでに母は光より事情を把握していたが、かねてよりCB400と律の体格が合っていないのではないかと考えていた。
身長174cmの律は跨った姿からするとGL1800の方が確かに楽なポジションではある。
しかし燃費などによって精神的ダメージを受けていた律にGL1800を買うなどという言葉は出てこない。
そもそも貯金をはたいて買えるような金額でもなかった。
光が自宅兼ガレージより持ってきた巨大なバイクカバーをかけていた時のこと。
「光兄……大型って……いや、バイクってみんなこんな燃費悪いの……?」
ついついそんな言葉が出てしまう律。
「まさか。俺の知ってる大型は1L/27kmとか平気で出る。998ccで、そして燃料タンク24.2L。航続距離600kmの代物がある。今のお前には絶対に乗れないし、燃費と航続距離以外何も利点がないからオススメしないがな……」
光が呟くバイクの名前を聞きたかった律だが、光はあえて律に教えなかった。
なまじそのバイクは……普通の人にオススメできる存在ではなかったからである。
車体価格も、大きさも、そして車両特性も……
「ホンダが一番燃費はいい。それは確かだ。だが……いや、やめよう」
「むっ?」
律が見た光の表情は、どこか裏切られたかのような……そんな印象を感じたのだった――




