金の翼再び(後編) ~道志村~
夕食を食べ終えた二人は食器の洗浄(ふき取り)や片付けなどを済ませ、焚き火で暖かいココアを作り静かな暗闇の森の中で会話に花を咲かせた。
昔話などで盛り上がり、そして時間が過ぎていく。
そうこうしているうちに時刻は21時となった。
優衣は律のテントがあまりにもお粗末な事から自身のテントで寝るよう誘ったが、律は盗難防止のために荷物一式だけを優衣のテントに入れさせてもらい、あくまで持ち込んだテントで寝ることを固持した。
恥ずかしさもあるが、若い男女が一緒の部屋で寝るというのに問題を感じたというのもある。
律はCB400にはカバーをかけ、その上でドームテントと中で寝ることにした。
ベスパは巨大なテントの中に仕舞い込まれる状況となっている。
律が焚き火にあたっている間、優衣はシャワーを浴びに行き、着替えた状態で戻ってきた。
「ぬ……なんか懐かしい顔つきになったなー」
着替えた状態で髪がややくしゃくしゃになりメガネをかけたその姿は8年前ぐらいの優衣の雰囲気を漂わす。
この状態で初見で見ていたならばすぐ彼女だと気づけるほどに過去の雰囲気があった。
「もーやめてよ~」
その言葉に優頃もは恥ずかしがる。
赤フレームのメガネは今の彼女にもよく似合っていた。
律は交代でシャワーを浴びに行く。
シャワー室は管理棟の近く。
ここは中から施錠できる上、非常に広い空間となっている。
一人で使うにはもったいないが、ファミリー用途を考慮してとのことである。
プライバシーや盗難などに配慮すれば実も知らぬ者たちと共用することはせずに、心を鬼にして施錠して使うことが推奨されるだろう。
4分200円とのことだが、律は7分ほど使い、体を清めつつ暖めた。
テントまで戻ってくると焚き火も消えかかった状態であり、優衣はテント内に明かりをつけた状態で中に入っている。
律はその様子を見ながら「じゃあ、おやすみ」と一言言うと、「おやすみ」と優しげな女の子の声だけが戻ってきた。
その様子に満足そうな笑みを浮かべつつ、焚き火を完全に処理して鎮火させ、テントの中に入る。
テント内にはランプ類も全くない状態で、スマホだけが頼りというような状況だった。
そしてすぐさま気づく。
テント内が寒い。
「おかしい……俺は安物でも3シーズンテントを買ったはず……」
シュラフが超高性能なのでどうにかなりそうではあるが、テントは正直使い物にならないレベルの何かだった。
安物の恐怖というのを今まさに体感している。
冬ではないのに真冬のベランダと似たような状態である。
また、銀マットもさほど役に立っていない。
何が役に立たないかというと石がゴツゴツしすぎて痛いのである。
「うぐぐ……これは全面的にキャンプ道具見直さないと駄目か?」
調理器具、ナイフ、シュラフに一流の器具を持ち込みながらテントなどで妥協したことに律は後悔しはじめていた。
素早く手に入るということを重視しすぎた結果である。
今回、新たに購入して大活躍していたのは耳栓とゲルザブであった。
レース用として使われる耳栓。
これはとにかく大活躍。
彼女も持っていたことでインカムで道中会話が弾み、とても楽しい高速道路での移動だった。
音楽も適度に聞こえ、大当たりの品。
そこに並ぶのがゲルザブR。
今現在、律は感動するほどに尻にダメージを負っていない。
初めてのツーリングで座った状態になることすら苦痛になったのとはまるで違う。
無論、そこには7kgもあったリュック背負いをやめたという部分も関係しているがゲルザブも大きな効果を挙げていた。
一方、一気に揃えたテントと銀マットは大失敗。
もしここでシュラフも安物にしていた場合を考えるとゾッとする。
シュラフにスッポリ収まった律は仰向けになり、テントの天井を見つめるような姿勢となっているが、天井を見つめながら「やっぱモンベルは凄いな」と思うほどにシュラフ内は暖かかった。
-17度まで利用可能と言われる性能は伊達ではなく、風除けにしかなっていないテントを見事にカバーしている。
そのまま目を閉じ、律は眠りについた。
ピチャッ。
翌朝、何か冷たい液体が顔に当たって目が覚めた。
「うわっ」
驚いて起き上がるとシュラフなど周囲がビショビショの状態である。
シュラフは完全な防水で踏ん張っていたが、それでも表面は湿った状態となっていた。
「くそっ、一体何が!?」
飛び起きた律は一旦テントから脱出する。
辺りの地面が湿った様子とCB400のカバーがびしょ濡れの様子から察した。
水が近くにある。
朝露であった。
朝露がテント内の空気を冷やし、それがまともに施されていないベンチレーションのおかげで逃げ場がなく結露となり、律に雨として襲ってきたのである。
「んあぁぁ……どうしたのリッくん……」
律の声が聞こえたことで優衣がテントの中よりおきだしてきた。
「ああ、ちょっとテント内で結露がね……そっちは?」
「ん~? らいじょうぶだけどぉ~」
ふぁぁとあくびをしながら優衣は背筋を伸ばした。
「ちょっと失礼して中拝見してもいい?」
「いいよぉ」
やや寝ぼけた様子を見せる優衣に対し、律は高級品の本物のテントの状態を確認したくなり、中をのぞいた。
中にはインフレーターマットが敷かれ、その上に春秋用とみられるモンベル#0よりかは性能が低そうなシュラフが置いてある。
むわっと暖かい空気が律を襲うが、中は結露している様子がなかった。
(うっそだろ……あんなに寒かったのに俺の方が結露したってのかぁ……)
程よく蒸気を逃がすことができるベンチレーション能力によって、優衣のテントでは結露は発生していなかった。
フライシートなどが完全に仕事をしていたのである。
前室にあたる部分の地面には一切湿った様子がなく、湿度を保った状態でベスパが保護されていたことがわかった。
(よし、テント買いなおし。決めた。今決めた!)
律は両手の拳を握り締め、テント購入の失敗を理解したと同時に新たなテントの選定を行うことに決めた。
朝露に濡れたことで少々寒気を感じており、急いで自分のテント内を処理する。
暖をとるため急いで薪を組んで火をつけた。
薪は優衣が気をきかせて自分のテント内に退避させていた影響でしけっていなかった。
火をつけた律は暖かいココアを作り、体を温めつつ朝食を作りだす。
朝食は定番のクロックムッシュであった。
食パンにチーズとハムまたはベーコンを挟めて焼くとてもシンプルなもの。
8枚入りの食パンをチーズとハムで挟んで2枚重ねて1つの構成。
それを4つ作った。
寝ぼけた様子を見せていた優衣は律が食事を作り始めると残った野菜を使ってトマトサラダを作り、朝食は量はやや多いが軽めの内容となった。
その語、先に食事を終わらせた律はテントを乾かすために薪を新たに購入、タオルを用いて水滴をふき取りつつ、湿った状態を火を上手く使いながら乾かし、その上で再びパッキングした。
シュラフも優衣のテントのポールを活用させてもらい、吊り下げて湿った部分を乾かす。
おおよそ1時間ほどそんな作業をしつつ、律の方は先に撤収作業を終えた。
シュラフを乾かして収納し、ミッドシートバッグの中に仕舞い込んだら律の方はいつでも移動できる状態となった。
優衣は律よりやや遅れて食事を終えると、律のテントなどが乾くのを待ってから撤収作業に入った。
律は自発的に撤収作業を手伝い、時刻は午前8時45分。
「さぁて、今日はどこ行こっか~?」
「オススメとかはある?」
二人はどこかでひとっ走りツーリングしてから帰路につくことに決めた。
「ヤビツに行ってみない? こっちから行けるはずだから」
ニカッと笑いながら優衣から突然出てきた知らない地名に律はおどおどする。
「ヤビツ……ってどこ?」
「ちょっと待って、知らないの!?」
ヤビツ峠。
自転車の聖地などと言われるが、相模原周辺では非常に美しい夜景などが見られるスポットとして有名。
正直なところバイクだと「峠としては短い」部類。
しかし付近の宮ヶ瀬湖などが観光スポットとして様々な施設があり、ツーリングで行く場合は「通り過ぎた先にある、または通る手前にある宮ヶ瀬湖を楽しむ」者が多い。
「なるほど……相模湖の南側にこんな場所が……」
スマホですぐさま調べた律はヤビツがどういう場所なのかを理解した。
「景色いいんだってさ、行こうよ」
「ああ、そうしようか」
すでに管理等に滞在費を支払い済みの二人はヤビツへ向かう事にしたのだった――しかし。
いざ向かわんとCB400のエンジンをかけた律はいつもと違うエンジンのアイドリング音と、立ち込める臭い、そして油圧警告灯から顔が青ざめる。
「どうしたの~?」
「ちょっとね……」
優衣が心配そうに声をかける中、律はキョロキョロとエンジンを見回し、そしてサイドスタンドからオイルが滴り落ちた形跡を見つけた。
そしてその反対側にはオイルパンに穴が空いていることを確認する。
「あっちゃあ……オイルパンに穴が……」
「え? え? どうしたの?」
聞きなれない単語と律の様子から混乱する優衣。
「エンジンオイルが全部抜けてしまったんだ……このまま走り続けるとエンジンが死ぬ……自走不能になってる……昨日気づいておけば……」
気づいたとしても律だけでは対処のしようなどなかったが、それでも光などに助けを呼ぶことなどは可能だったことで頭を抱えた。
「くっそう……どうするかな……」
「えーっと……バイク壊れちゃった……?」
「正確には穴が空いただけなんだが、その部分が良くなかった……自走は今はできるが走り続けたら……エンジンが焼きついて死んでしまう……」
オロオロする優衣に対し、律は割と冷静だった。
ただし、「CBってもっと頑丈じゃなかったのか」といった不満はくすぶっていたが。
そのまましばらく時間が経過した――
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
10分後、あれこれ言っても仕方ないので、律はドリームオーナーズカードを用いてレッカーでバイクを運んでもらう事にする。
しかし今はマスツーの最中。
優衣とのキャンプをブチ壊したくなかった。
そこでもしかしたらとても不機嫌かもしれないが、他に頼れる者がいないので光に事情を話しつつ救助を要請することにしたのだった。
レッカーを呼んだ後はすぐさまスマホを弄って光に電話をかける。
「おう、どうした。 ツーリング中に綾華の恨み節が呪いにでもなって襲い掛かったか」
光はそこまで機嫌が悪い様子ではなかったが、綾華は確実に不機嫌であることを吐露する。
「実はかくかくしかじか……」
「あっはっはっはっ。まさかこの世に呪いというものが本当にあったとはな。ただ横に倒れただけでホンダのCBシリーズがそう簡単にオイルパンに穴なんて開かないのに、ガレ場でも飛び込んだか」
ざまぁ見ろというよりかは、綾華の祈りが通じた状態となっていた事を笑う光。
特に律本人に身体的被害は出ていないので笑うしかなかった。
律本人も反省した様子で肩を落とす、
「レッカーは呼んだんだろ? 一体何が必要だ?」
「今キャンプツーリング中で荷物大量。レッカーに荷物は載せられないことになってる……おまけに……その……他にも一緒に来ている人がいて……正直レンタル車両を借りたいというか、助け舟がほしいというか……」
律は情けなさにところどころ言葉が途切れるが、どうにかしてほしい思いを言葉に乗せる。
「残念だがお前が乗れる免許区分におけるレンタル車両は先客で埋まってる。おまけにそんな量だというんじゃCRFでは無理だな。しゃあねえなあ……じゃあお前に爺さんの弔い走りをしてもらうか。2時間ほど待ってろ」
「えっ、ちょっと待って……弔いって……あっ」
慌てて聞き返すもすでに光は電話を切っており、以降出ることがなかった。
「ふぅ……2時間ほど待ってってさ……知り合いってか親戚の人が来るから、それで帰ろう」
「大丈夫?」
「まあCBは駄目だけど俺は大丈夫。こいつをレッカーが入ってこられる場所まで運ぶの手伝ってもらってもいい?」
「うん……」
多少落ち込みつつも、それなりの笑顔で優衣に応答する律。
「――別に優衣が悪いんじゃないからね……運がなかったのと……俺がビギナーすぎた……もっといろいろ学ばないとね――」
CB400を砂利道の中でレッカーの来る広い道まで押す中、律は優衣に懸命にフォローを入れた。
(そうだ……彼女のせいじゃない……彼女が自分を責めるとしたら俺が良くない……情けなくなったもんだ俺も……)
CB400を懸命に押しながら坂を登っていった際、律は歯を食いしばって涙を我慢した。
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レッカーは1時間後に到着。
レッカーの人間が車両の状態を確認し、応急修理で走行が可能となるかどうか調べたが、やはりオイルパンの破損などにより応急修理が不可能であると判断され、CBは修理のためにホンダドリームへと向かっていった。
その40分後、光のトラックが1台の白い巨大なバイクを乗せて到着した。
律は電話で呼び出され、トラックの駐車されている場所へと一人で向かう。
「あれぇ? 他の奴らは?」
周囲を見回しても誰もいないため、光は何かを勘ぐった様子を見せる。
「まぁ、ちょっとね……」
「フッ……女か。彼女?」
律の言動からすぐに異性であることを見抜いた光はどういう存在なのかを聞きだそうとする。
「いや友達以上程度だよ。そういう仲じゃない。男なら親友みたいなもんさ……」
「そっかそっか、じゃあ綾華には言わないでおこう。発狂して包丁持ち出してくるかもしれないしな。はっはっはっ」
それは冗談半分ではあったが、半分本気である。
律に彼女が出来たもしくは律に彼女になりうる女性がいるなど聞いたらどういう行動に出るかは光すら想像がつかない。
「それよりも、これゴールドウィングじゃないか。一体どうして……」
「お前が帰ってから2週間後にオーナーが亡くなった。家族の人が俺にってさ……買い取ると言ったのにそのまま渡してきてな。でもなんか、走りにくくて1月ほど走ってなかったからな……他にお前が乗れるバイクが無いのも事実。だから俺の代わりにしばらく乗ってやってくれ。たぶんCBはしばらく乗れないだろうから」
光の表情から律はすべてを察する。
恐らく、かなりの間ゴールドウィングは本来のオーナーに乗ってもらっていなかったのだろう。
そして常に最高の状態にと維持し続けた光にとって、
最高の状態を維持するために乗るということはあっても、押し付けられる形で戻ってきたこのバイクの処遇をどうするか決めかねていたのだろう。
自身が1からすべて仕上げたゴールドウィングは、自分が乗りたいためではなく、いつまでもGLシリーズに乗り続けたいという意志を持った人に乗ってもらいたかったが、それが叶わなかったのだろう。
「わかった。乗る。また乗ってみたいとは…思ってた」
「ぶつけられてもいいがぶつけんなよー落ち込むから」
珍しくしんみりした表情を見せる光に律は心の中で絶対に事故など起こすものかと誓いをたてる。
それは表情や周囲に漂う空気でもって光に伝わり、光はフッと笑った――
――そしてゴールドウィングを運搬車両から降ろした光はそうだとばかりに思い出したように呟く。
「俺はこれからインパルスの回収に行く。ガレージのスペースに余裕欲しいしな。それにもうアレも潮時だ。これ以上使わせたら不具合が出るかもしれん。頃合だな」
「うん……わかった」
律はしずかに頷いた。
「貸し借りはゴールドウィングで相殺だ。今日のコイツの高速代やガス代、ゴールドウィングのオイル代やタイヤ代とかは後で請求しとくがいいよな?」
「勿論。そうでなきゃ駄目だよ」
律の返答を聞くと、光はニィと笑いながら運搬車両でそのまま立ち去っていった。
光が立ち去ってしばらくすると優衣が律の前に姿を現す。
実は優衣、事前に顔出ししないでと言われていたが、一言お礼を言いたかったのだった。
綾華という存在を知らない優衣はなぜ律が顔出ししないでくれと頼んだのか理解しかねていたが、律は綾華が一緒に来るケースを考えていたのである。
「ふぅ……(なんかちょっと気が重いな……まぁいい、それでもこいつにまた乗れる……人間万事塞翁が馬ってやつか)」
「うわぁ……すごいおっきい……リッくん乗れるの?」
駐車場にポツンとおかれた巨大な白いバイクを見て優衣は息を呑む。
律への思いすらどこかへ行くほど、そのバイクからは何か妖しい雰囲気を纏っている。
「三輪だからね。免許は大丈夫ヘルメットすらいらない。それにコレ自体には前にも乗ったことがある……今何時?」
律の言葉に優衣はスマホを確認する。
「11時15分」
「じゃあまだヤビツへは行けそうだな。昼飯がてら行く?」
「おー!」
振り向いた律が高まるテンションを隠せないでいることで、優衣は心の中で渦巻いていた不安が吹き飛んでいた。
「こいつは倒れない。だから詰めるだけこっちに荷物積んじゃおう。その方が楽でしょ?」
「うん!」
二人は荷物を置きっぱなしにしている場所へと向かい、荷物を積み替えつつ、再び休日のツーリングへ出かけることにしたのだった――。
金の翼は「待ってたぜぇ! この時をよぉ!」という声を押し殺しつつも押し殺せないような感じで、静かに佇みつつも今か今かと律を待っている。




