信州長野 長野(軽井沢)→長野市
上越市。
なぜ律がそこに向かおうとしたのか。
実は律、生まれてから一度も「日本海」という存在を見たことが無かった。
海は常に東や南側にあるものという自分自身の考えを打ち砕くためにあえて上越を目指したくなったのである。
軽井沢へと向かった律はまずガソリンを補給した。
この場所を過ぎると道の様子からどうなっているか不明であるからだ。
どう考えても上越まで補給は簡単には行かない。
それがわかるだけにある程度の規模の人口をもつ軽井沢市において準備を整えるのは必然のことと認識していた。
「それにしたって、燃費が悪い……200kmほど進んだらゲージ2つ以下か……」
本日2度目のガソリンスタンドとなった律は不満をこぼす。
律は未だに燃料ゲージがどういう仕組みで点灯するのか理解できていなかった。
実はCBシリーズは燃料タンク半分以上でもゲージ上は半分以下を示す。
最初の4Lで1つのゲージを消費し、以降、2Lごとに1ゲージ消費。
例えば最新型のアフリカツインアドベンチャースポーツでは燃料ゲージが大幅に増加したが、実はこの計測の仕組みはこちらでは変わっていない。
ノーマルのアフリカツインでも同じゲージとなっているが、24Lタンクの状況に合わせられたのである。
殆どのホンダの車種が大体こんな感じを基準にしており、基本的にゲージ状況は割と正確。
CBの場合、10Lを切ると残りゲージが3つとなる。
つまり、実際には半分以上燃料を残しながらゲージ半分という事になっているわけだ。
なので知らない人間だと「いっつも燃料カツカツ」に感じられる。
世のバイクには航続距離200kmなんて代物もあるが、万能を目指したバイクにしてはやたら燃料の減りが早く感じてしまうのだ。
6L以下になるとゲージ1つとなる。
ここから4L以下になるまでゲージ1つのままなのだ。
よくNC42の中期以降に乗る者は「ゲージ1本になってからスタンドを探す」「ゲージ1本になった際にアラームがほしい」というが、ここから2L消費までに40km近くは走ることが出来、そこから点滅状態となり、そこで走れる距離が約70km前後。
そのためゲージ1本までは特に気にしないでいいのだが、律は見る度に減るゲージが嫌になってきていた。
余談だが、最新のホンダのバイクの場合、ゲージ1つになるとガソリンスタンドのマークが点灯するようになった。
その際、平均燃費から残走行距離を示すRANGEに設定を合わせても燃費のいいバイクは残り110kmとか表示されるが。
一方でCBの燃費が良くなかった。
他のホンダの車種は平気で30km台をたたき出すのに対し、古いエンジンそのものなのでそんなことになっていた。
燃費の良さについては世界でも評価され、低燃費のホンダと言われるほどではあるので完全に時代に取り残されたのだと言える。
同じ四気筒でも恐ろしいのはCB1100で、これは低燃費運転をすると20kmは軽くオーバーするし、高速でもCB400より燃費ががいい。
逆にCB400の場合、4バルブにすると2スト並みの燃費となる。
律の乗るCB400SBの平均燃費は1L/16km前後。
航続距離は良くて300kmといったところだった。
そのため、ガソリン補給が難しそうな地域を走る度に不安にかられるのだ。
ガソリン補給が多くなるということはその分時間を無駄にするということになる。
ガソリンスタンドを探さねばならなくなるし、運転に余裕が無くなる。
こういった航続距離の問題について律は真剣に考えるようになってきていた。
燃費についてはインパルス400もゴールドウィングも同程度ではあったが、CRF250Rallyが40km以上をたたき出していたのと、他のホンダ車両なら燃費が良いと聞いていたため、律は気になっていたのだった。
「以前よりちょっと移動距離が伸びた気がするとはいえ……400km以上は欲しいよなあ……」
先ほど秩父の地で獲得したばかりの限界までタンクにガソリンを詰め込む方法を実践しながらも、航続距離がさほど改善しなかったことに律は肩を落とした。
ガソリンの明細票とこれまで進んだ距離から簡易的に180kmで半分以下となった燃料に懸念する律。
CB400は実際問題18.3L入ったとしても航続距離は360km程度なのである。
上越市でガソリン補給は可能だが、上越市周辺で適当にブラブラするほどの燃料的余裕がない。
これまでの走行経験と、日本の地理からすると400km前後で大体大きな都市部へと入っていく。
名古屋から東京までが約350km。
東京から仙台までが同じ程度の距離。
そこからさらに大都市までの距離も同じぐらい。
となると、田舎では寄り道をしてもまだ都市部へ向かうことが出来る航続距離が欲しくなる。
現状だと迂闊な寄り道は命取りになっていたのだった。
「やっぱ航続距離400km~450kmあたりが理想かな。300km程度じゃ少なすぎる」
バイクに跨りながら、律はブツブツと独り言を続ける。
ヘルメットを被ったままなので周囲には聞こえていないが、愚痴に近いものがあった。
燃料タンクを増大させる方法や予備燃料タンクという存在があるのかどうか理解はできていない律であったが、そういうものがあれば欲しいと思うほど、CB400は中途半端な航続距離であった。
(ここから上越まで150km。握力もちょっと気になるが……)
ここまで進んでくるにあたり、今まで以上に体力を消耗していた律であったが、そのまま進むことに決めた。
ここから上信越道を用いて引き返すという方法もあるが、1泊2日以上の旅はしたいと思っていたのである。
ガソリンスタンドを出た律はまず国道146号線。
別名日本ロマンチック街道と呼ばれる場所を北上した。
こちらには有料道路が1つあるが、格安なのでそのまま通ることにする。
浅間山を左手に北上するルート、鬼神ハイウェイである。
極めて眺望に優れた道路の1つであり、その値段の影響もあってこちらを走るライダーも多い。
途中、浅間山をバックに見ることができる地点にて六里ヶ原休憩所というサービスエリアや道の駅に相当する場所が設けられているが、ここではかなりの頻度で浅間さんをバックに自車を撮影する者を目撃することが出来る。
そのような事が可能な数少ない場所なのである。
実はこの道路の周辺には「モトクロスの聖地」と言われる、「軽井沢モーターパーク」があったりするのだが、律は特段それを気にしていなかった。
走ると目に入るのはいくつもの別荘やペンションなどであり、「なぜ有料道路上に!?」と律が驚くほどである。
一方、その先には先ほど述べた軽井沢モーターパークもあり、土日となると大会などが開催されているような場所だ。
オフロードバイクの聖地の1つであり、ここから本気でモトクロスのレーサーやラリーレーサー、エンデューロレーサーへと成長していった者達がいる。
イベントなどもよく開催されているが、イベントが開催されるとそういうバイクとライダーで犇めき合うのだ。
そういった事を知らない律は六里ヶ原休憩所にて他のライダーもよくやる浅間山をバックに愛車を撮影する行為をしつつも、特にそのまま休憩する事なく鬼神ハイウェイを突き進んだ。
鬼神ハイウェイを過ぎると一旦西へ向かう。
国道144号「長野街道」である。
この道の特徴はなんと言っても「戦国や江戸当時のまま残った街道」であること。
戦国の頃は武田系の武士に利用され、江戸の頃は沼田藩の上田家が管理を任され、関所を設置した。
現在においても「大笹関所跡」という形で残されているが、箱根などと並び非常に重要な大規模な関所であったと記録が残っている。
律が進むこの道は当時、「信州街道」または「大笹街道」と呼ばれたが、現在ではなぜか「長野街道」と地図上には記載される。
しかし古くからこの地に住む者達は皆「信州街道」ということが多く、「新幹線といい、でしゃばりすぎだ」という群馬県民の声が響く。
ここ嬬恋村は当時この辺りでも有名かつ大規模な宿場町であり、多くの者が行き交っていた。
律が進む道は今回、そういうような場所ばかりであることを本人はあまり自覚していなかった。
ちなみにこの一帯は上州真田家が収める領地であったため、近辺の神社には六文銭のマークなどが多くみられるが、別段「大河ドラマに合わせてあしらったもの」などではなく、真田家にあやかって施されたものである。
幕府はこの地域を非常に重要な軍事拠点として考えていた一方、明治を過ぎると次第に「地理的に不利」なことから寂れていった。
そういった場所は日本各地に存在するが、ここも元来は鉄道が通るだけの理由があった地域であり、この山に囲まれすぎた周辺から考えるとかなり発展している場所だとも言える。
ちなみに国道144号沿いには古い町並みがそのまま見られる場所もあり、極めて珍しい場所の1つ。
国道1号のように新道が作られていないのだ。
付近にはかつて宿だった場所や銭湯だった場所などがそのまま歴史的建造物として残されている。
律はただ「上越に行く」としか考えていなかったが、上越に向かうにあたり戦国から江戸といった時代の人々が歩んだ歴史ある道をおのずと通っていたのだった。
それは通った本人ですら「この道は間違いなく古より伝わる道そのもの」と理解できるような場所であり、その偶然の出会いに一旦足を止めて写真を撮影してしまうほどである。
宿、蔵、商店。
これらは当時の建物がそのまま残っているケースが多々あり、この場所がいかにそれで発展し、現代までその力を温存しているのか証明しているようなものであった。
しかし時刻はすでに17時を回り、辺りは暗くなりつつあった。
夕日に照らされる古い建物に名残惜しさを見せつつも、目的地へと突き進む。
本来ならこの場所で名物である「キャベツ料理」などを嗜んでも良かったと思われるのだが、夕食には速すぎるなどと考えた律は後先考えず走り続けることを選択した。
嬬恋村を出ると国道406号線へと入る。
ここからは本当に何もない山道である。
40分ほど進むと街並みが見えてきた。
律はこの目で見るのは三度目の光景だが、こういう「山を越えた先に人口の多くいそうな街並みに出る」というのがたまらなく好きであった。
例えば群馬県ならば上部道路を進むと高崎の町を一望できる地点などがあるが、律はこういう所に「日本という国とはどういう地理なのか」というのを地図や航空写真では味わえない形で味わうことができてとても楽しいのだ。
特に406号線などは旧道そのまま。
つまり、今目の前に見えている須坂市などは当時の人間もみた光景を今でも見られるわけであり、その感動は言葉には言い表せないものがある。
律が山道を進んだ先にあるのは須坂市。
上田市の北に位置する信州は長野の南に位置する地域である。
そのまま少し走ると長野市となり、須坂市は通過する形となっている。
時刻はすでに18時。
(……今日はここで一泊するか)
時計を見た律は、左手の握力の低下が顕著になってきているのを感じ取り、この長野の地にて一泊することに決めた。
バイク旅行では2度目のネットカフェ利用である。
近くには三軒ほどあったが、最も大規模な所を利用する事に決めたのだった――




