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番外編:整備士の悩み

 ここは岐阜は美濃賀茂。

 未だ30代を少々過ぎたばかりの若き整備士はその存在に頭を悩ませていた。


 悩ませる存在は2つ。


 1つは乗り手。

 体力に余裕があればどこまでも走っていきそうな危険さを臭わすライダー。


 もう1つは乗り手の生まれて始めての愛車。

 見たところ、己の知る過去のモデルから随分印象が悪くなっている。


 現在のところ、実はこの二つの存在は噛み合わないようで上手く噛み合っているというような状態にあった。


 分解整備が終わり、一度試乗した後にわかったこと。


 クラッチがやや近く、ギアシフトに違和感を感じる彼の愛車は乗っていると不快というよりかは疲れる。


 もしこれでジムカーナなどのアマチュアレースをやろうものなら大規模な改造が必要になるのは間違いない。

 現状の状態でクラッチを素直にするには5000回転以上を回し続け、オイルごとクラッチを無理やり温めてやらないといけない。


 乗り手はそのような意識が全くなく、楽に乗ろうとするので明らかに相性が悪い。

 だがその相性の悪さが乗り手に無理をさせないリミッターとなっている。


(できればサスペンションの悪さもそこまで改善したくない……慣れたらほうっておくとどこまで行くかわからん……下道で1日移動できる距離なんぞたかだか400km程度。だが、都心部を抜けて高速まで併用したら1日で東京から岡山あたりまで行っちまいそうな雰囲気がある……俺にはわかる)


 わかっていても乗り手の要望だけに最低限の処置は施さねばならない。

 手首の状況は本当によろしくない。

 それでも無茶して走行したらどうなるかわかったものではない。


 だからこそ、今再びフロントを分解して作業を行っている。


 彼自体を止めることなど出来なかった。

 元々乗り手がそういう男であることを知っていたからだ。


 そしてこの世界に呼び込んだのは己であもる。


 だが何よりも今気になったのは、どうして乗り手が二輪の世界に引き込まれたのかということだった。


 長年の経験上、レースを本業とする整備士にとっては車は乗り手に応えるものであるという認識がある。

 巷でよくいう「車は擬人化したように心のようなものをもつ」というアレだ。


 不動の中古車が20年以上乗りそうな運転手と出会ったとき、突如として復活するといったようなことが現実世界にはある。


 中古ディーラーや解体屋が原因不明とした故障が乗り手が現れると直る。

 そんなことがある。


 だとすれば――


(だとすれば、エヴリィとジェミニはどうしてアイツを裏切った? 車においては命すら捧げる思いで生きていて……そして未だにその領域に踏み込めていない哀れな男だったはず……まさか)


 作業中の手が止まる。


 整備士はふと思い出した。

 乗り手が8ヶ月もの意識不明となったエヴリィの事故の写真だ。


 まるで完全な鉄くず。

 時速80kmで飛び込んだトラックに側面から激突されたため、もはや車種の特定すら困難な状態となった。


 それに対し、運転席はなんとか形状を保っていたのだ。

 左側から激突されても、何度も地面を転がれば貧弱な軽ワンボックスなど話にならない。

 天井も運転席も押しつぶされて運転手諸共乗車している者たち全て亡くなるという可能性はある。


 特に荷物などを積載し、中の状態を保とうと働けるような状態ではない空荷なら尚更だ。


 それでもエヴリィは乗り手を生かした。


 生き返るまでは二度と起き上がらないことも覚悟していたが、今になってみれば大した事故ではないようにすら思えるほど回復している。


 だが回復しているだけで、一度本気で三途の川まで叩き落されたという事実は覆らない……


 ふと整備中のバイクに目をやった。


「……譲ってもらったんじゃないのか、お前」


 ボソッと周囲に聞こえない声で呟く。


 いつまでも求めて止まない男のために、四輪はその立場を譲り、二輪にバトンを渡したのではないか。

 ただ移動したいというだけの者に対し、タイヤを2つ捨てた最後の希望に立場を譲ったのではないか。


 あのまま生きていても、愛車を手に入れるのは30代。

 それからではいろいろな者を失っているかもしれない。


 例えば家族が出来ているとか、両親に何かあって身動きが取れなくなるとか。


 乗るなら間違いなく「今」しかない。

 だが、その「今」において四輪の大半は目の前にあるバイクの乗り手には維持できない。


(だとしたらだ……裏切れねえだろ、俺も、お前も……)


 整備士は思い出す。

 一番最初に二輪に乗ろうか口にしたのは大切だった祖父の遺産の1つであるジェミニを他者によって鉄くずにされた頃だった。


 思えばあの時、機会はあった。

 そして大学時代のバイトと平行し、二輪なら維持可能であった。


 だが乗り手はその時点では二輪を選ばなかった。


 その様子を周囲の四輪車が憂いていたとしたら。


 ただの社用車なのに毎日居残りで洗車をするほど車を愛していた者なら、やや強引な方法を用いて二輪に誘い込むような真似をするのかもしれない。


 そうすると二輪と二輪に誘い込んだ整備士には重い責任がのしかかる。

 同じような状況となって二輪車では生きているわけがない。


 そうならないためには、無茶な走りをさせないかもっと楽に走れるものにするか……航続距離が短く何度も休憩を強いられるものにするか。


 そういう意味では、中途半端な航続距離のこの目の前にあるバイクは、ある意味最適解ではあったのだが……


(時速100km以上出そうと思えば高速道をまともに走っていられず、90km前後を強いられ、同じく低燃費運転を心がけると思った以上に低速になる……一方で6速までつなげようとすると70km近くで巡航してしまう……6速に拘らなければいいんだが)


 ただ1つの弱点として、6速が60km走行に合っていない、これがどう影響するか整備士は気になっていた。

 また、自身が最初狙ったデュアルパーパス系バイクの道に進ませるという方向性に本人も相性の良さを理解しかけてきている。


 数回試乗したが、明らかに感触としてそちらを好んでいた。


(アレに乗ってからだろうが……こいつに最初は興奮してたが、段々と見る目が変わってきたな……そうだよ……お前は元々オンロードだけを進みたい人間じゃないからな……近いうちに何かありそうだ)


 最初は購入した際に「120万円ぐらいだけど最高のマシンだから!」と言い張っていた様子は日に日に変わってきている。

 大きな変化は擬似大型バイクと軽量オフロード系アドベンチャーバイクに乗ってからである。

 整備士は、乗り手がすでにこのバイクの呪縛から解かれつつあるのを認識しつつあった。


(まぁ、そうなった際に対応できるよう準備しておかないと駄目だな)


 まだ走行距離500kmの段階で整備士は今後について検討し始める。

 銀色の翼をタンクに宿したCB400は整備士の声や意識を静かに見守っていた。

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