事務員とサスペンションチューン。 ~岐阜美濃加茂~
KAMO Racingから光のいる加茂レーシングへと戻る帰路、ゴールドウィングの乗り心地の良さや非常に運転が楽という点などから律には自身が求めるバイク像というのがだんだん見えてきた。
それは、2つの要素である。
・乗車ポジションをもっと楽にしたい。
・乗り心地はもっと良いものにしたい。
これまで、インパルス、CRF250Rally、三輪となったゴールドウィングの3つで得た最大のものは「乗り心地は身体に大きく影響し、良くなれば良くなるほどツーリングをより楽しむことが出来る」ということだった。
CRF250Rallyはやはり250cc分の、それもパワーがやや控えめのエンジン特性ではあったが既存のバイクの中で最も乗り心地が良い。
だからこそ不整地でも楽しめることが出来たのだ。
例えばゴールドウィングのように楽に乗れてCRF250Rallyのような乗り心地を発揮する……そんなマシンがこの世にあるなら乗ってみたいものだと考えはじめるようになる。
一方CBの跳ね上げは律も我慢できないレベルとなっていた。
これが改善できなければ少々このバイクについて考えねばならぬ。
律はそう強く感じつつ光のいる加茂レーシングへと戻った。
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光の店へと戻ると渋滞もあり、すでに時刻は19時を過ぎていた。
ゴールドウィングを元の状態に片付けると光は作業場にいる。
CB400SBは昼食に出かける前の状態からは大幅に元の姿に戻っており、前輪は再び装着された状態となっていた。
「おう、戻ってきたな。明日の朝にゃ出来上がる。今は純正のままだがちょっと俺が乗ってみてフロントだけ弄ってみたいんだが……お前2万5000円ほど出せるか?」
「2万5000円程度でどうにかなるの? フロントフォークってもっと高くなるもんだと思ってたけど……」
律の認識においてもフロントフォークやリアサスペンションは10万を超える高額なものという認識だった。2万円でどこを変更するのか理解できない。
「フォークオイルとスプリングを交換する。スプリングは最近個体差が酷いんだが指摘してもドリーム保証になる事はないだろうし、どうせ気づかないような場所だから交換してしまう。跳ね上げの原因は基本リアだが、ちょっと跨って前後にゆすった感じでは恐らくフロントのせいだ。オイル量を増やしてストローク量を確保しつつスプリングを優秀なHYPERPROのものへ変える。元々スプリング自体がちょっと長いからストローク量が増える分乗り心地は多少良くなるはずだ」
フロントフォークを指で示し、光はその部分の状態改善を行うことを主張した。
「俺はよくわからないからとりあえず任せる。3万円程度なら十分出せる範囲だから……」
律は光の腕を信じ、CB400のセッティングを任せることにした――。
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翌日、CB400SBは早朝より作業していた光により純正状態を取り戻す。
テスト走行へと向かった光を見送った一方、律は店内や自宅内の掃除を行って光の帰りを待った。
綾華は高校へと向かい、律はしばし光の店で一人となる。
20分ほどで戻ってきた光は神妙な顔つきであった。
「はぁ……溜息しか出ないぜ。散々酷評されたNC700時代の感触だ。俺がお前だったらドリームに怒鳴り込みに行くぜ」
やや力なくCB400を店舗に入れつつ、
何度も溜息を繰り出す光の様子から、CB400SBがまともな状態ではないことを律は理解した。
「NC700?」
「コスパ重視の大型バイクさ。NCシリーズは最近になって改善されたが、ものすごい酷いサスペンションだったのさ。おまけにスグヘタる。ソイツと感触が良く似ている。サスペンションで最悪の個体を引き当てたな。エンジンはそれなりに回るが酷いもんだ。ちなみに昨日バラした時に気づいたがミツマタの裏側にクラッチケーブルが接触して塗装がエグられ見事に赤サビが出来ていた。エンジンカバーの下側にも傷のような塗装汚れか何か。フレームに組立製造時に出来た傷が数点。全部タッチアップしたけどお見事なB級品にございます。お客様」
元々、問題がある部分について光はハッキリと言う性格である。
律はそういう部分が好きだったからこそ、光の診断結果になぜかスッキリとした。
これが純正の本来の性能ではないのだと思うと心が楽になる。
これが純正のCBだと言われた方が厳しいものがあった。
そしてネット上にこう書いている人間がいたことを思い出す。
今のホンダ車両で新車を買う場合、理想の1台を見つけるまで店頭在庫を見比べて吟味しなければ大変な事になるのだと。
いわばそれは個体差が生じるほど品質にバラつきがあるということだった。
律のCB400SBの場合、外面は良いが目に見えない部分において悲惨な事になっていたのだ。
「ホンダはCB400シリーズを大型と同じような代物として扱わない。今後ホンダで大型を購入してみればドリームの対応がまるで違うのがわかる。あっちは問題があればすぐドリーム保証対象にするがこっちは250ccと対応が変わらん。価格は大型並みどころかヘタな大型より高いのにな」
「まだドリームとそこまで関係を結んでないからよくわからないけど……問題が出てきたら言うだけは言ってみる」
律は腕を組みながら、その強い意思を滲ませ光へ応答した。
手にはググッと力が込められ、やや期待を裏切られた車両に対する怒りを滲ませる。
「まあそれは好きにしてくれ。ともかくだ。当初の予定通りフロントスプリングとフォークオイルは変更する。バランスを取るためにややシート高が高くなるが構わんよな?」
「昨日言った通りだよ光兄ィ」
握りこぶしを作り顔の目の前までもってきた律は全力でCBを改善欲しいという意思を示した。
律にとって初めての愛車。
慣らし運転の段階で所有欲を完全に失いたくなかった。
「オーケー。丁度あっちの店に在庫がある。取り寄せるから待ってろ」
「俺が行ってこようか?」
車の運転に飢えているような律は自分が出向いて受け取ってくることを申し出る。
バイクに乗る理由を探していたのと同時にCRF250に乗りたかったからであった。
「あっちから朝1番でいろいろパーツが届く。そこに混ぜ込む予定だ。それよりも他のメカニックマンと挨拶してほしいところかな」
「わかった」
律は光に従い、待つことにした。
待つ間バイク屋内の清掃を手伝う。
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朝8時頃になると続々とメカニックマンが入店してくる。
それぞれ皆バイクに乗っていた。
律は光により紹介を受ける。杉山という若い男性と、上田という光と同年代の男性、そして60代ぐらいに見える山本という男性と軽く挨拶を交わした。
「光くんにゃあまり似てないねぇ」
上田はやや縮こまった律を見て頷いた。
「別に親戚だから似てるってこたないだろ……律、上田……慶介は元オートレーサーで俺の同期だ」
上田のみ名前が上田慶介ということが判明した。
同期だけに光は親しい仲より慶介と呼び捨てとしていることがわかる。
「ケガで引退して光くんとこに世話になってる。改めてよろしくな」
手を差し出した上田に律は握手を交わした。
「そんで山本のおやっさんは俺の師匠だ。すでに自分の店は畳んだ後だが今でもこうやって俺達に指導するために来てくれている」
加茂レーシング内でおやっさんと呼ばれる山本は職人らしい無口な男で、口数少なく手で挨拶をする。
一方、律はなぜかこちらに敵意のようなライバル心のようなものを剥き出しにしている男を発見する。
杉山と紹介された男である。
「杉山は、俺のとこに弟子入りしたいって入ってきた男でな。専門学校卒業してウチで修行中の身だ」
「ういっす!!」
なぜか吐き捨てるように言葉をぶつけられる。
律は男の直感で「あ、こいつ綾華に惚れてるな」と認識する。
恐らく綾華とそれなりに会話して律の話題ばかり出されて事前に認知していたのであろう。
律からすると「若いな」という言葉が脳裏に浮かぶ。
こういう場合、勝負の場に立てるのは「今付き合っているか、一度付き合ったことがある」場合のみ。
彼は戦場に立っていない。
自身も戦場には立っていないが、優位にあるだろうことはこれまでの綾華の態度から理解できるが、律からすれば戦場に立たずにキバをむき出して威嚇する「女々しい男」というイメージが完全に植えつけられる。
ちなみに律は知らないが、光は律と綾華は許可しても現時点の杉山と綾華との関係を許可する気など毛頭無く、戦場に立つ資格すら与えられてないばかりか綾華も杉山自体に何も感じていなかった。
光にとって杉山は21という年齢に対して精神年齢が幼すぎ、感情の起伏が激しいので弟子として可愛がりつつも身内としてはノーサンキューというタイプだったのである。
バイクに対する情熱は本物で努力家ではあるが、仕事で接してもプライベートで接したくない男同士の関係によくある状態なのであった。
光は律に対する態度ももちろん見逃していない。
彼の態度にまるで動揺しない律の方を評価していた。
メカニックマンが出揃った状態となった加茂レーシングには律の知らぬいつもの活気が戻る。
杉山は前日レンタルされた車両のメンテナンスを行い、上田とおやっさんは作業場にてバイク整備を行いだした。
光は律のCB400を作業場に持って行きジャッキをかけ、前輪を外しはじめる。
やる事がない律は光や上田に声をかけると、事務処理の手伝いを行うことになった。
そこで意外な才能を発揮する。
「お前、PCの打ち込みめちゃくちゃ早いな……」
「そう?」
ダカダカダカとまるでマシンガンを打ち込むような状態で大量の情報を高速で処理していく律に光や上田は関心しきりだった。
実は律は車を手に入れられない頃、電子系の工作などにハマり、パソコンにもハマっていた。
電子工作などは得意中の得意であり、回路図や設計図なども理解することが出来る。
光は伝票などの書類整理をPCにデータベースを構築して行っていたが、普段光が暇な時間をみつけて3時間かかる作業を律はわずか20分程度で終わらせてしまった。
「律くん、もしかしてそっち系得意だったりする?」
PCデスク付近に張り出してあった回路図に興味を示した視線を送っていた律の姿を見逃さなかった上田が声をかけた。
「何か仕事とかあります?」
「実はレジスターが故障してるんだが、直せるかな? どうもレシートがちゃんと出ないみたいなんだが俺達じゃよくわからなくてね……そんな高度な構造はしていないはずなんだが……」
もの作りに関わる立場故、やや恥ずかしそうにする上田だったが、特に小ばかにする事もなく律はレジスターの場所を案内してもらうよう上田に頼む。
故障したレジスターは店のカウンターにあるものだった。
現在壊れているので、電卓などを併用しているのだが計算が面倒で困っていたのである。
一般的なレジスターはレシートを出す際にそのデータを蓄積しており、その日の売り上げはレシートという形で出すことで確認できるようになっているのだ。
それをデータベースにまとめ、経費などの計算を行わなければいけないのだが、現状はそれらを手書きでメモ書きしなければならなかった。
高価なレジスターだとPCと接続して自動的にデータを蓄積させられるが、古き良きバイク屋である加茂レーシングにはPCに通じる者がおらずそのような環境は構築できていない。
「ちょっと見てみます」
律はそう言うと、レジスターの具合を見ることにしたのだった――
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1時間後。
故障の原因がレシートの感熱印字システムとレシートを送り出すシャフトにあることを突き止めた律は、電子工作用の工具を借り、分解して該当部分を修理した。
チキーンという音と共に完全にレシートが出る状態となったレジスターは見事に復活を果たす。
「おいマジかよ……壊れてから2週間以上どうしようもできてなかったのにそんなに早く……」
元々手先が器用な男であることは知っていた光も、先ほどからあまりにも早い仕事っぷりに言葉に詰まる。
ふと光は気づいた。
このような光景を1度見たことがある。
最初に律がこちらに来た際の台所での姿である。
そして普段の家を掃除する姿などである。
光はとあるアニメにて好きなフレーズだった言葉を思い出した。
――慌てず急いで正確に――
まさにその言葉が当てはまるようなキビキビとした動きを見せる。
「光兄ィ、俺LANケーブルかRS-232Cを買ってきていい?」
「一体どうした?」
突然の発言に光は戸惑う。
律が何かやろうとしているが何をしたいのかよくわからないのだ。
「また故障しても大丈夫なようにPCにデータを直接転送するようにシステムを構築する。いちいちこんな入力なんてせずとも、エクセルに自動で打ち出しさせられるから簡単に経費計算できるようになるよ」
「……お前どこでそんな技術身につけた?」
本来なら業者の人間を呼び、それなりの対価を支払わねばできないようなモノを律は一人で出来る状態となっていた。
それはとても「非常勤としてブラブラしていた」と周囲から言われていた男ではない。
「まあちょっと東京のど真ん中で扱かれてね。他の人でも触れるように調整しとくから」
「お、おう……じゃあこれ」
光が簡単な買い物用として小銭などを入れてある財布を渡すと律はそそくさと裏口へと向かっていく。
しばらくするとCRF250Rallyの独特の単気筒の音が響いていった。
律のボカした発言に光は「産業スパイか何かをやっていたのではないか」と疑うほどであった。
実際は東京のど真ん中でとある人物より鍛えあげられた結果得た能力なのであるが律は己がどういう仕事をやっていたのか全く語らないため、光は改めて己の中での律の評価が上がる。
そんな光に対し、上田はニマァとした表情で見つめていた。
「な、なんだよ慶介……」
「いやあ、顔は似てないがやっぱ光くんと同じ血が通ってるところがあるんだなってな」
「……むぅ」
上田は光の普段の仕事から、極限にまで集中した状態と先ほどまで見せていた律の姿が被ってみたところより、親戚が真実であるというのを認識でき、そのことで光を弄ったが、光は自身の知らない律の凄さにやや引き気味であった。
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1時間後、近場の電気店にてケーブルを購入してきた律はPCとレジスターを接続させ、レジスターのデータをPCとリンクさせることに成功した。
そこから昼食も忘れ、PCに没頭し、時間帯ごとに自動的にグラフなどを抽出して出せるようなシートを作ったうえでそこにレジスターのデータを反映させていくシステムを作り上げる。
月ごと、年度ごとなどにデータシートを作り上げ、気づいた時には14時を過ぎていた。
そのあまりにも集中すぎる状態に誰も声をかけられなくなっており、律の近くには弁当が置かれていた。
遅めの昼食を採った律は光を呼び出してどういうモノでどういう操作なのかを説明。
数字を簡単に抽出して諸経費などの計算が簡単に出来るように加茂レーシングを近代化させた。
光は律を褒める言葉すら見つからないほどで感謝しきりであったが、律は普段どおりの仕事をやったというような状態でそこまで喜ばなかった。
「一応言うとお前はお客様なんだぞ……そんな働かれたら給料支払わないといけなくなる」
光の戸惑う姿に律は。
「俺はタダ飯で居候したくはないから……」――と滞在費分の働きだと主張した。
おやっさんはその男らしい律の姿を遠くから目撃し、フッとニヤける。
今の時代にもこういう日本人らしい男がいることが素直に嬉しかったのだった。
実際に律がやったことを業者に頼むと10万円単位でとられる。
バイクのストレス解消のための整備費は5万円のサービスであり、フロントフォークの2万5000円は部品代+工賃を律の要求どおり正しく請求しようとした額。
つまり、光の戸惑いとは宿泊費を合わせても律にお小遣いを渡さないといけないような働きをしたからであるが、律は自身が受け取れるバイト料的な計算で滞在費程度と見積もっており、双方に温度差が生じているのだった。
(これが上手く行ったならKAMO Racingのシステムもやってもらうか……)
あちら側もまだそういうシステムとなっていないため、事務員が苦労していることを知っている光は、まずはこのシステムがどういうものなのか試してみてから帰る前の律に一仕事してもらうことに決めた。
光は思う。
今日の仕事を綾華が見ていて、自身が律にどうお礼をすべきか迷っているなどと発言したら間違いなく綾華は自分自身を律にプレゼントしてしまいかねない仕事っぷりであったことを。
それと同時に、綾華が律に惚れているのはこういうのを普段より見てきたからではないのかと理解した。
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フロントフォークスプリングをHYPERPROに変更したCB400SBは15時頃に完成した。
フォークオイルも継ぎ足した律のCB400SBはかち上げテールがやや水平状態になるほどフロントによってリアが沈み込む状態となっていたが、リアサスペンションを調整して元のバランスに戻されていく。
跨って前後にゆすった状態はやや固めであったものの、その感触は間違いなく上質なものであることを理解した光は――
「よし、しばらく硬いと思うがそのうちなじんでくる筈。ちょっと乗ってみてくれ」――と律に言葉を投げかけた。
律はその完成状態に息を呑みつつ、2万5000円をきちんと支払い、その支払いがPCデータにきちんと転送され自動でデータ蓄積されたことを確認したのだった。
その後の律は部品注文など、様々な経費のデータをデータベース化し、1日中業務用PCで作業を行っていた。
加茂レーシングに新たに臨時事務員が加入した1日となった――。




