銘茶と街道と地方行政
注意:読者のご指摘があり調べたところ、2018年3月31日でカフェが閉店してしまい道の駅「奥永源寺渓流の里」にて「政所茶」を味わうことが出来なくなっております。
内容の変更を行うのが難しいので内容はそのままとしておきますが、作品を見て頂いた方には大変申し訳ありませんが現在は飲める場所ではありません。
政所茶をカフェで味わいたい場合は道の駅「北方」になります。
ブィィィン
自動ドアの閉まる音と共に、大きく肩を落として店より出る律の姿があった。
というのも、案の定ラーメンはそこまで期待するものではなかったからだ。
そもそも麺類という類というのは好みによるという部分が大きい。
よほどのものでなければ食に値しないなんて事はない。
例えば律が今まで向かった場所の1つに「尋常じゃなく太く量が多い」ということで有名なうどんの店があったのだが、律はこの店を「大したことが無い」と感じていた。
しかしその店は連日行列。
つまり、好みに合わなかったというだけなのだ。
一方で律が「最高に美味い」と思い、かつ昼は何時も満員の店に知人を連れて行くと「うーん?」といったような評価をされた事がある。
麺類というのは一概に評価できない。
好奇心にかられて入ったはいいが、やはり下調べというものは必要だったと痛感することになるのだった。
なんとなくそれを予測して量を少なめにしたのは正解だったことになる。
昼食を終え律は休憩もせず、すぐさまバイクに乗る。
ここから1時間ほどで奥永源寺。
不安要素がまだまだある道なので時計を見つつ慎重に行く。
まずは国道365号線こと「牧田川やまざくら街道」を進む。
ここで余談だが、日本国の道路事情について少し触れたい。
国道というのは基本的には「街道」と呼ばれる存在を母体としている。
それも古の時代より切り開かれ、当時より大通りとして人通りが多かった場所を中心としているか、またはそのすぐ傍を沿うように同じ方向、同じ地域を結ぶものを新たに作った道を言う。
一方で国道という存在にはならなかった街道というのも数多く存在しているが、これらは「抜け道」として十分な能力を発揮する。
なぜなら、「○○街道」といったら一直線にどこからかどこまでかなりの距離を進むことが出来る道を言うからだ。
例え細くて車が入れるかどうかのような場所でも、二輪なら殆ど心配がない。
こういった道は本当にポツンとした所に起点となる場所があるが、その起点から50kmは軽く続くなんてザラであり、よほどの事がない限り次の地域まで向かうことが出来る。
途中から大通りになっているなんてケースもあるが、とにかく別の地域までずっと続くのだ。
だから「○○街道」という看板を見つけたら、律はとりあえず、すぐ調べてそれがどこに繋がるのか検索するようにしている。
逆に何もない道の場合、例え片側1車線の2車線道路だとしても絶対に20km以内に行き止まりにいきつく。
こういった道はあくまで街道などの補助的要因として作られた場所なので別の地域との接続があることなど殆どない。
それが新たに設けられた「国道」や「県道」なら別だが、実は国道、県道と呼ばれ、ある程度の長さを誇る道の殆どは「元が街道」もしくは「街道と同じ方角と同じ地域間の接続」を担う場所であり、
実は法律や法令にて「そういう風などこかとどこかを繋ぐ道だけを県道または国道と名乗っていい」ということになっている。
つまり、「県道ですらない」ながらも「街道」と呼ばれる存在は「何らかの条件によって県道を名乗ることが出来ないだけで県道と同じレベルの優秀な道路」と言えるのだが、この条件が実は「人口5000人以上の地域と地域を繋ぐ」となっており、
5000人以上の地域なんて田舎に行けば行くほど少なくなるので、田舎ほど県道は少なくなる一方、街道が大量にあり、それらが信じられないほど長距離にわたって続く理由となっている。
ちなみに、5000人というのは「起点と終点」であるため、実は一時期、行政が不要と判断し、道路整備の不良などで部分的に途切れてしまった街道が再び整備され地域間が再接続されることで県道や国道に格上げされた例がある。
そればかりか、今現在、律の走る国道365号線は「本来は接続がなかった街道と街道を接続して1本の道路とし、上記の国道としての条件を満たして国道に格上げ」した道路。
古に生きていた人が聞いたらびっくりするようなルートを通るが、3桁の数字を持つ国道はこのような例が多い。
これらは「渋滞緩和」や「地域間接続路の拡充」を目的に整備された所を主として新たに格上げされているが、
これは純粋に国交省が「渋滞緩和措置として元からある国道などを無理して拡張する」よりも「街道など、とりあえず道自体が繋がっている場所を再整備する」方が金も維持費もかからず渋滞緩和が出来ることに気づいたからである。
また、別の理由として阪神大震災の頃から大きく方針転換がされた経緯がある。
あの当時はこの手の街道はおざなりで様々な理由により通れなくなって接続が途切れている例が多々あったが、震災の際に「動脈が完全に経たれて物資がまるで行き届かない」ということがあり、
「そういう場所を再整備すれば局地的極大震災に対応できる」ということに気づいた部分が大きく、日本特有の事情というのが垣間見える。
あの時は主要高速道路すらすべて寸断された一方で、寂れた街道に大量に車が押し寄せるなんていう事があった。
東日本大震災においても同様の現象が発生して痛感したことだが、この手の道を残しておくだけで「もしかしたら物資が届くかもしれない!」という可能性が生じることになり、リスクヘッジとなる。
実は国道365号線については阪神大震災より前にこさえられた国道であるのだが、当時より日本にはそれなりの危機意識があり、実際にこういった「街道と街道を接続して200km以上の道路として成立させた」存在は震災時に大きく役立つことになり、以降この流れは加速したのだ。
そのため、現在の国交省の姿勢は「選択と集中」を掲げながらも「それまでの主要路線とは全く別の区間を経由するが、大きな地域と地域を結んでいる街道ほど整備しなおす」ということをやっていて、東京都内だと八王子あたりの街道はいきなり片側2車線の4車線道路に再整備されたりしている。
しかもその道は元より山梨県や相模原などの神奈川県に接続されていた道なわけだ。
山陰地方などに行くとわかるが、あの辺は「国道以外に地域間を結ぶ道が無く、1本の道で繋がってる」なんてことがよくあるが、全国的に「そういうの危険なんで変えますわ」となっているのである。
他方、近代化された明治時代以降に切り開かれた道などは「接続点と接続点が微妙すぎて話にならない」といった旧国鉄赤字路線のようなものが存在しており、これらについては土砂崩れなどで封鎖されると再整備されることすらなく廃道となることが多い。
特に「バスすら通らない道」ほど廃道になる。
そういう所ほど景色が良かったりするのだが、国としては「地域間接続を優先する」ということにしており、「ちょっとした住宅街と山と集落を繋ぐ程度」の道は他の街道の補助的要因にすぎず、そこに力を入れても仕方ないので今後も見据えて涙をのんで切り捨てしている状況にあるのだ。
現在律が走行中の国道365号はそんな「選択と集中の果てに現在も整備され続ける道路」の1つ。
道自体は大したことがないが、常に道路の状態が保たれているため走りやすい。
この国道365号線を走ると国道421号線に接続される。
ここで律は西にシフトする。
いよいよ「奥永源寺」に向かうための道に進むのだ。
国道421号線。
かつては「酷道」とされた道であるが、近年では大急ぎで拡張工事が行われている。
理由は前述する通りで、別名「八風街道」という。
この道は「東海道」と「中山道」の中間を通り、三重県と滋賀県を結ぶ道路。
つまり緊急時にこれらの代わりとしての役目を果たすため2008年より大急ぎで拡張工事が行われている。
最終的にほぼ全ての区間が片側1車線の2車線道路となる予定。
付近には永源寺ダムがあり水源としても重要な存在だ。
酷道と呼ばれただけあってなかなかハードな道であるが、律は2008年以降に走っているので本当に酷かった頃の状況を知らない。
今や「危険」だとか「狭すぎる」といった場所は優先的に整備されてしまっている。
目的地である奥永源寺は永源寺ダムの手前にあり、そこで「政所茶」を味わいたいのだ。
421号線を入り、30分もすると道の駅「奥永源寺渓流の里」に到着。
時刻は13時30分過ぎ。
丁度いい頃に到着できた。
ここは地元の廃校になった学校を「道の駅」として再利用した場所。
入るととにかく目立つのが「ヘリポート」である。
ここ最近の道の駅にはよくこの「ヘリポート」が設置されているが、これらは災害時のヘリ運用やドクターヘリの到着地点など、様々な利用のために設けられている。
どういう時に利用するかというと、周辺の東海道と中山道が震災で完全に封鎖された際にここが生き残っていたという場合は、救助した人らを一度ここに運びそこから別の場所にさらに移動させるといったことを行わせたり、自衛隊の中継地点としてヘリの燃料補給場所として使ったり、
とにかく「前述した目的で道路を切り開いただけでは不足なので拠点としても別途確保する」目的により用意されている。
田舎の道の駅ほどヘリポートが多いが周辺地域に住む人間が病気で倒れた場合などはドクターヘリを使うことになっている。
これは「救急車なんかで運んたら間に合わない」「というか、消防署が付近にない」という道路事情なども鑑みてのものであり、現在の日本国の状況がどうなっているのか垣間見えるが、
実際にドクターヘリで救われた命は多く、救急車が30分かけて向かうならまずは道の駅に病人やケガ人を運んでそこから応急処置をしつつ30分以内に都市部の病院へといったほうが、「より命が救われる可能性が高い」のでそうしている。
ここの道の駅が面白いのはなんといっても「市役所の出張所が併設されている」点。
つまり地域住民にとっては「買い物を行う場所」「憩いの場」だけではなく、行政サービスを受けられる数少ない拠点の1つであり、道の駅が決して旅行者のためだけにあるわけではないことを教えてくれる。
421号線という存在と並び、現在の国交省や地方自治体、日本政府などが各地域についてどう認識していてどういう風に行政サービスや地域サービスを展開しているのかというのはこの場所を見ることで大いに理解できることだろう。
鈴鹿山脈の山間のため、極めて静かで周囲は山に囲まれ、天を仰ぐ形でないと空が見えないこの場所は律にとっては耳鳴りがするぐらい静かな地域だった。
専用のバイク駐車場には誰も駐車していない。
やはり場所としては、ライダーにとってもそこまで利便性の高い地域ではないということなのだろうと思うと、ふぅと溜息が出た。
「いい場所なんだけどね……まあ俺にとっては、人が少ないほうが、落ち着く」
バイクを停車させた律はすぐさまカフェに向かう。
そこで頼むのは当然「政所茶」である。
政所茶、かつては京都宇治と並ぶ銘茶として名を連ね、東北の地の歌にもその名が刻まれていたりする。
東北の果てにまで運び込まれて愛飲されるほどの銘茶。
現在では「幻の銘茶」として極一部の者達に飲まれている。
注文して数分後、すぐさまお茶が出された。
少し啜ると、いつもの味。
律は別にそこまでお茶が好きというわけではない。
だが、政所茶というのは本当に他のお茶とは異なる点があり、好きなのだ。
このお茶は清水や宇治の茶と比較すると非常に「シャキッ」とした味わいなのである。
この地域は他より平均気温が低くて寒く、そして寒暖差も激しい。
そのためお茶の葉はより引き締まる傾向にあり、味は極めて爽快感のあるものとなる。
とにかく今風の若者が好むしつこくない、舌に残り続けない味なのだ。
無論それは葉だけでなくお茶として精製した際の手法も影響はしているが、とにかく舌に残り続けることがないというのが律の好みに合致した。
宇治の茶はなんというか舌に苦味が残って美味しくない。
というか、一般的に大体の銘茶は「舌に苦味が残り続ける」という「スッキリしない」味付けで、律が飲む場合は玄米茶などとブレンドしなければ厳しい代物。
しかし政所茶は元よりそういう「スッキリした味わいのお茶」として室町時代より成立しているもの、まさに「現代のライトな若者の舌を満足させる本物の中の本物」であった。
ちなみにカフェの店員曰く、「政所茶はかつて江戸時代、偽物が多く出回った」という話をしていた。
理由は「茶葉が大きく艶が一切無い」というそこらに出回る三流品と見た目が極めて似ているためだという。
銘茶の基本は「茶葉が小さく、宝石のような艶」が基本。
よって見分ければすぐにわかる。
だが政所茶というのは見た目だけは下町の町人が嗜むものと同じレベル。
そのため、匂いを嗅がず、見た目だけで判断しろと言われると茶を嗜む者でも判断がつかず「嗅ぐか飲んでみるまでわからない」といった品であるため茶の産地の最盛期とされた江戸時代においては本当に偽物が多かったという。
確か水戸黄門でその話が出ていた気がするが、時代劇ではストーリーを作りやすい品物なのである。
現在においても当時と同じクオリティのものが世代を超えて生産されているが、生産者の殆どが80代。
最も高齢な人では90歳近くであり、年々生産者を減らし続けている。
他の地域よりも新たな生産者が増えにくい背景には、過酷な環境故、生産者として最低限一人前になるために20年はかかるという厳しい状況故だが、その味は律からしても「幻の銘茶、ここにあり」と断言できるほどのものである。
ちなみに、現在でも茶の愛飲家に殆どが通信販売などで買われていく上に高級品のため、こういったカフェなどでないとまともに手に入らない。
近江などの地域にも卸しているが本当に見ることが無いもの。
この道の駅ではそれを販売しているので、興味がある人間は奥永源寺まで行くといいだろう。
ラーメンの失敗を見事に茶で挽回した律は満足し、1時間ほど休憩してから次の場所に移動することにした。
しばらくゆっくりしていると、そこに軽快な四気筒サウンドを響かせた見慣れない真新しいバイクが1台訪れる。
「お?」
律が目をやるとヘルメットやジャケットから、それは間違いなく彼だった――




