初ツーリングの先に見えたもの(後編) ~山梨ツーリング~
県道30号を進んだ光は道の終着地点である大月市内の町並み続く国道20号には入らず、その脇の中央道に沿った小道に入って行く。
そこから見えた景色と山々はまた素晴らしいものであった。
律も一旦テンションが回復した。
周囲の山々は湯気のような霧に覆われている。
それはまるで「もののけ姫」のOPの1カットのような「古来日本」とも言いたくなるような「都心」では全く見ることができない景色。
そんなのが東京から70km程度の場所で見られるのだ。
ふと律が周囲に目をやると近くにある畑の土から湯気のような水蒸気のようなものが湧き出ていることに気づく。
特に草が生い茂らない地が丸出しとなった土部分がそうなっている。
「地霧」である。
2月~3月の上野原、大月周辺ではよく見られる現象。
特に街道から一歩入った畑地帯が非常に美しい。
それらと山の霧を被った景色との融合は時代という存在を忘れる。
日本が「昔から変わってなどいないのだ」と証明する景色。
かつての日本人もこのようなものを見て育った。
マンションやビルによってそれらは押しつぶされたが、多摩地区ですらそんなものは普通に見られたのだ。
今では発展しなかった相模原の奥地や上野原~大月といった限られたで見ることができる。
その神々しさには機械などない時代に「この辺りに神々が宿っている」などと風潮されれば信じ込んでしまいそうなもの。
いや、今ですらそう感じさせる。
多くの外国人バックパッカーがこのあたりをあえて通る理由も周囲の山々の美しさにある。
「いろいろ走ってて思うんだが、富士吉田とかは山が近すぎるし、駒ヶ根とかは逆に山が高すぎる。冬の朝方の美しさは格別だ……お前は知らないだろうが仕事とかで何かあったりすると中央道飛ばして、たまにこの辺りにきてたりするんだぜ」
感動して言葉を失う律に対しその声が届くかない可能性もあったが、光はあえてこの場所を説明した。
そこに先ほどからダンマリでソソソと近寄って横に並び、年頃の少女の様子を見せる綾華が近づいてくる。
その彼女に目線は合わせず光は頭を撫でた。
綾華は深く反省している様子である。
「俺も、一人でこういう所をみつけたい」
先ほどの言葉がきちんと届いていた律は綾華の様子にあえて触れず、光の方を向いた。
「もっといい場所がある。来いよ」
光はここはあくまで一時的な場所だとばかりに再出発を促した。
ここは光のお気に入りの場所の1つ。
実はここよりもさらにお気に入りの場所がある。
そのために岐阜から向かってくる場所が。
今日の最終目的地はその場所であった。
さて、一行は来た道を引き返すことになった。
初心者の律のために光はあえてUターンのための引き回しを行った。
綾華と自身は爽快にUターンを決める。
その姿に律もはやくバイクに慣れたいという思いが募った。
一行が光の案内により向かったのは先ほどの県道30号へ戻った後、大月カントリークラブとかかれた看板の道を走った先にある場所であった。
「大月エコの里」
ファミリーなどが楽しむ場として貸し畑などを提供している施設。
近くを通るだけなら会員でなくとも可能。
バイクを脇に一時停車させた光は律をとある場所に案内した。
そして辿り着いたさきに見えたものは、上野原と同じく山頂だけをひょっこりと出した富士の姿。
周囲の山々を漂う幻想的な山霧によって、その山は神々しい雰囲気を増徴させる。
さながら「あの山の向こうにラピュ……富士があるんだ!」と冒険活劇の主人公キャラが叫びたくなるほどの美しさであった。
「富士へはお前の足で、お前の愛車で行って来い。御坂峠だとかなんとか、美しく見える場所がいくらでもある……だから今日はあと一歩で届きそうな場所に留めた。俺は富士なんて見慣れてるからこの周辺の風景の方が好きだ。地元は山と山の間が近すぎる。ここの方が好きなのさ」
光は「まだこの周辺で教えていないスポットがある」といわんばかりの態度を見せる。
実際にそうである。
この周辺にはもっと、大月の町と山を見られる展望台のような駐車場などがある。
だがあえてそれは教えない。
(そういうのは何度も来る事が出来る律なら自然と見つけるだろうから……)という光なりの配慮。
1から10まで全て教えずとも、この男はすでに追い求める何かを心に宿していることは目の中に宿るものから理解できる。
その場に本当に足を訪れた者にしか見ることができない「本物」というのは、自らの足で見つけてこそ感動が増すというもの。
辿り付けるだけの力と意気込みがある者には導火線となる部分に火を付けるだけでいい。
「(教えるのはきっかけだけ)」
光は当初よりそう決めていた。
それなりに雰囲気はあるが、絶景よりは1ランクだけ落ちる場所。
それでいて都内からは近場。
その結果選んだのがこの場所、大月である。
実は綾華はこの場所へ向かい、納車までの間バイクに慣れてもらうという話になった時、レンタル用のトリシティ155を律へ貸し出すことを提案していた。
まだカーブに慣れない律なら、この三輪が優秀だと考えていた。
しかしそんなもので楽してこの場所まで来ても何も感動が無い上、あれほどまでに車に憧れた律なら四気筒+Brembo+ナイトロンの組み合わせであるインパルス400の方がいいとして綾華の意見をつっぱねた。
しかし不安もあった。
限界まで見直したインパルス400であるが、どこで裏切るかわからないほどの状態。
これが6万キロでもツーリング仕様ならここまで不安はないが、ジムカーナによって極限にまで酷使したエンジンだけにリスクもあった。
そのリスクにインパルス400側は「お前スズキ舐めてんだろ。」とばかりに見事に応えたのだった。
景色に見とれるそれなりに体力を消耗した律は若干疲れを見せていたものの、疲れた中で見た景色は別格だった。
唯一気になる点は「エンジン回転数によって景観を壊しかねない」インパルスの仕様だけ。
それは「愛車ならどうにかなるかもしれない」ということで今は景色を素直に楽しんでいる。
しばらく富士の姿を楽しんだ一行はそのまま帰路についた。
帰りは一度スタンドで給油した上で「中央道もそれなりにカーブが多いから」ということであえて上り線の中央道を使って調布まで移動した。
その後、調布から三鷹へ向かい、律はB-COMをSB6Xやスピーカーなど一式を購入。
綾華はライディングパンツなどの購入も検討したらどうかと提案するものの、律は「必要に応じて」ということで見送ることになった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その後、自宅に帰宅した律は光によりガレージ内にてチェーン給油などの方法を伝授される。
最低限バイクに対してのメンテナンスとして必要だからということであった。
綾華は「エンジンオイル使ってみない?」と誘ったが、光により「まだ早ぇ!」と遮られ見送りとなった。
チェーンメンテナンスの方法は律が驚くほど簡単だった。
センタースタンドをかけ、そして不要となった黒いチェーンルブをふき取り、そして再びかける。
これだけである。
「えっ、チェーンクリーナーとかいらないの?」という律に対し、
「いらない。無駄にチェーンクリーナーで毎回洗車している方がチェーンが汚れる」
と主張し、バイク屋がやるチェーンメンテナンス方法を律に教える。
実はこれ、初心者の頃はチェーンをふき取りすぎて安物チェーンだと錆びさせるリスクもある。
無論チェーンの錆び止めとしてルブを盛り付けているわけではないのだが、その役目も果たしてはいる。
そのため、光はどの部分のグリスを重点的にふき取るかを説明し、その上でどうルブを盛るかを説明した。
盛りすぎると周囲に飛んで汚いので、律に指示して丁度いい塩梅になるよう調整し、それをスマホで高精度撮影させる。
「いい時代になったもんだ。こういうので簡単にメンテ状況ができてるかどうか判別できるんだから……」
自分がバイクに乗った当時、写メールがようやく流行してきたばかりであり、高精度な画像など撮影できなかったことを思い出した光は懐かしき思い出に浸る。
律に対し、数回ほどはチェーンメンテ後に画像でメールを送信する約束をとりつけ、光のチェーンメンテ指導講座は終わった。
その後、律は光の店で余ってて使い古したヤマハのバイクカバーをインパルスと新車用の2つ分受け取り、ガレージの柱に購入したばかりの16mmチェーンをかけ、それとインパルスの後輪を結びつけて地球ロックさせ、バイクの駐車状態を確認し、光るより「合格」の判定を貰い、一行はガレージから自宅リビングへと戻った。
そしてその日は律の自宅に宿泊した。
その夜、律はその目に焼きついた光景が頭の中より離れない。
これまでの律の常識では、東京の近場に「神々しいまでに神秘的な風景」など存在しないとばかり考えていた。
東京から100km圏内にそんなものはないと考えていたのだ。
それが見事に打ち砕かれた格好となり、いい意味で起爆剤となっていた。
夜、実室を綾華に占領された律はスマホでツーリング情報を調べる。
都内にもいくつも美しい景色が見られる「まるで東京ではないかのような」場所があることがわかった。
それを見ると、あえて詳細については調べず、そのまま閉じた。
己にまだ見ぬ場所が沢山あることに気づくと、何者かが律に対し「今すぐ向かえ」と声をかける。
もう一人の律ともいうべき、本能のようなもの。
それは音羽家が代々遺伝する「放浪癖」であった。
同じ音羽家である光にも遺伝している放浪癖は、律にも存在している。
そのための足として四輪を求めていたのだ。
だが、二輪を手に入れた今、条件は四輪より厳しくなるがいつでもそれが可能な状態となる。
眼が冴えてしまい、眠れないほどに大月周辺の山景は美しかったのだ。
律には幻覚のように「大昔の者達の姿」のようなものが見えていた。
街道を歩く人々や馬といったものが、ぼんやりと見えるほど、時代という存在が吹き飛ぶ光景を見てしまったのだ。
もし今日のような光景の中に「夕日」や「朝日」の光が混じったらどうなる?
それを考えると己を押さえ込むのに歯を食いしばねばならぬほどの精神的苦痛と衝動が襲うほどであった。
律はとにかく今はそれを考えないようにし、最終的に目を強引に閉じてそのまま眠りに付いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
翌日の朝方、光と綾華はトランポにバイクを乗せて帰っていった――。
その姿を見送った律はすぐさま着替え、
昨夜かけたばかりのバイクカバーとチェーンを取っ払ってインパルス400を引っ張り出し、早朝の環状八号線へと消えてゆく。
光との約束は守りつつ街中移動しかしなかったものの、こうでもしなければ体が暴走しかねないほど何かが溜まっていたのだった――




