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セット教習

「つまり、目の前が全部ゲームの世界になったような感じで――」


 律は階段を下りながら先ほどのVR方式運転シミュレーターについて説明したものの、結局体験しなければよくわからないものであったため、綾華は律のためにウンウンと頷いている一方、やはりどういうものなのかは完璧に想像できてはいなかった。


「さて、それでこの後どうする? お前は昼飯食ったら帰るんだっけ?」


「そうやねー。明日から学校やから帰らんと光くんも怒るやろうし」


 綾華は別に自分はいいんだけどねっといった感じで舌を少し出して笑う。


「今療養中の名目で無職やってる俺が言うのもなんだが……学校は行くべきだぞ。行きたくないよほどの理由がない限りはな……」


「わかってるって! 別に学校が嫌なわけやないし!」


 あまりに真面目すぎる律の返答に綾華は困り、言いくるめるようにしてピシャッと言葉を投げ返した。

 綾華が学校を軽視しているなどとは律も考えていなかったものの、自分を気にして学校に行かないというのは問題があると考え正したかったという側面があったが、そこについて綾華は理解しなかった。


 妙な空気となりしばし二人は無言となる。

 律は会話を切り出して流れを変えようと画策する。


 頭の中で状況と情報を整理し、今後の予定についてどうするかこちらで決めてしまえばいいのだと判断した。


「じゃ、飯食いに行くか……」


「さんせーっ!」


 律の提案により、場の空気は元に戻り、二人は駅前で昼食にしてから別れることになった。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 その後二人は食事を採り、駅の改札にて別れた。


 別れ際に律は「次くる時は俺が乗って倒れても大丈夫なやつにしてくれー」と頼み、綾華も「あははっ。考えとく」と前向きな姿勢を示し、改札へと向かっていった。


 駅の出口から再び教習所に向かう道に来た律はふと疑問が浮かぶ。


「そういえばアイツこの教習所までの道のりはどうしたんだろうか」――。


 そこのあたりは今時の子、教習所の名前さえ知っていればスマホで1発検索である。

 律は同じ事が出来る一方で今時の10代もそれが可能だということを知らない。


 目的地の場所さえわかれば普通に辿り付けるのである。

 アニメでは未だに道に迷う古臭い人間キャラが出てくることが多いが、実際はどこぞの「君の名は」なんて感じの岐阜に住む田舎の女の子と同様「調べて普通に律の所まで向かう」ぐらい朝飯前なのである。


 いや、昼飯前なのである。


 律はそのまま教習所内で時間を潰し、最終時限にまで備えた。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~


 最終時限における教習内容は最初はシミュレーターの復習に近いものだった。

 1つ目は「高速でカーブに突入し、その感覚を体感」するというもので、40kmのまま外周のカーブに進入して曲がるのと、35kmで内回りのよりキツイカーブに進入して曲がるというのを体験する。


 次にその状態の走り方で指導員がどこかで急ブレーキするのでその体験もやるというもの。


 普段四厘に乗りなれていた律は特段そういった危機対応にまるで問題がなかった。


 その次は急制動の体験。


 今度は指導員が手で合図し、その合図に従って通常、または左右どちらかに避けて停止するというもの。


 シミュレーター的に言えば「突然何かが目の前に現れた際の対応方法」というのを教習所コース内で体験してもらうというもので、実はこれは復習というよりかはこの後にもう1回だけあるシミュレーターの予習に近い。


 車よりも急制動が不得意なバイクにおいて、いかにブレーキをしながら避けられるかというのは割と重要であり、その体験であった。


 これは簡単に言えば最初は急制動と同じで40kmで進入するので、転倒などのリスクもある。


 この日担当の若手の指導員は律に対し「ラインとか考えなくていいので、上手く左右に避けてください」と臨機応変の対応を促していた。


 しかり律は意外にも普段四輪を運転していたからなのか、反応が非常に早かった。

 反応が早いので無茶のない停車ができる。


 その様子に指導員は「50代ぐらいだと冗談抜きで反応が遅れて壁に激突してしまった人がいるんですが、音羽さんは若さもあるのか自動車運転の経験の影響か反応が早いですね」と関心していた。


 しかし反応は早いもののクラッチが遅れ5回試して2回エンストしてしまっていた。


 一連の体験によりその日の教習は終了。


「音羽さん。次回はセット教習といわれてるもので1時限扱いですが2時間連続です。シミュレーターの後、コース内を走ってもらうことになります。時間的には2枠扱いなので、明日はその後もう1回分しか教習は受けられませんので注意してください」


 教習が終了し、いつもの通り教習ファイルに書き込みを行う際に指導員は律に次回の予定と注意点を説明した。


 元より受付側でそれを聞かされていた律は昼前に予約変更した際に、当初は翌日の1時限目に教習をいれ、2時限目と3時限目にセット教習を入れていたが、


 受付からセット教習は前日の変更は出来ないと事前に説明を受けていた関係で1時限目をキャンセルしており、2時限目と3時限目を最初の教習に当て、最終時限にセット教習後の教習を入れていたのだった。


 現時点で12時間分消費。

 残り5回。


 明日が終わると残り3回となり、明後日には卒業検定を受けてしまう算段であった。


 予定では早ければ木曜日に免許取得である。


 律は最低限、再び綾華が来る「土曜」までに免許を取りたかった。

 愛車はしばらくかかるらしく、その間に楽しめるのは週1回チャンスがあるかどうかの綾華の持ち込むバイクだけなのである。


 すでにシルバーウィングに乗った律は、別にCB以外にも乗ってみたいと思っていたので綾華にはあえてCB400以外を持ってきてほしいと願っていたが、あえて何も言わずに期待だけしていた。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 翌日。

 セット教習。


 セット教習とは簡単に言えば1時限目が路上教習を意識したシミュレーター教習である。


 律は再び異世界にログインすることになったのだが……


(次事故って二度と車に乗れなくなったりしたら自腹でこれ買うか……)


 と思わずにはいられないほど完成度の高いシミュレーターにして路上コースを体験することになった。


 セット教習を受けたのはなんと1名。

 律のみ。


 ベテランの指導員は「たっぷり楽しんで乗ってくれー」と律の独占状態の中、さらに背中を押すようにして教習を開始した。


 異世界の公道はなんと言っても「やりすぎ」なぐらい危険な状況。


 この世界の連中は律からいわせれば「誰も安全運転してない」といわんばかりに恐ろしいぐらいに道交法を無視してくる。


 極稀にまともなドライバーが混ざる形で、トラックは幅寄せなど平気でしてくる。


「教官。ちょっとこの人たち過剰なまでに危ない運転してませんか?」


 思わず律も口に出すほど世紀末な世界であった。


「この世界の連中は残機∞で車の修理費もかからないからなー。それはこっちも同じで何度ぶつけてもいいから好きに運転しろー」


 歩行者ですら信号の無い交差点で一時停止などすることなく飛び込んでくる状況にベテランの指導員は「無限1UP済み」とばかりにゲーム的な解説でマイペースな雰囲気を漂わせた声にて教習を続けるよう律に促した。


 ところで、セット教習は地域によってはシミュレーターのない教習所もあるのだが、その場合は路上教習だったりする。


「え? 二輪は危険だから路上教習できないのでコース内でやっているのでは?」と思うかもしれないが、その場合は生徒が車に乗って二輪の指導員がバイクに乗り、車は別の指導員が運転して後に続いて状況を確認してもらうというような事をする。


 地方に行くと公道にて教習所のバイクを運転する指導員の姿があるが、あの後ろにあるただの一般車のようなモノ、もしくは教習車仕様ではないが教習所の名前が入った車、それか珍しい例だが教習車が後からついてきている場合はセット教習中であるわけだ。


 シミュレーターが故障した場合の代替措置もこれとなっている。

 これから二輪免許を獲得する人にもこういう珍しい体験ができるかもしれない。


 車に乗っている指導員は、二輪の指導員が今なにをやっているか逐一説明するのだ。


 教習所によっては教習車の助手席というあまり座らせてもらえない所に乗せてくれるところもあるらしいが、(後ろの席だと視界が悪すぎる)


 基本教官ブレーキがある教習車は踏まれると大変なことになるので滅多なことでは座らせてくれない。

 だから教習所の名前が入った普通の車、つまり教習所で高年齢ドライバーなどの体験教習などに使う車両を使うことが多い。


 よって教習車でかつ助手席に座れた場合は非常にレアな体験となるかもしれない。


 律の通う教習所は何気にシミュレーターが最新鋭のため、そのような体験ではなくビバ異世界バイクライフとなってしまった。


「大阪かな?」


 しかし「赤信号なんて関係ねえ」とばかりに信号無視を繰り返す自動車と歩行者を上手く回避していた律もさすがにそのような感想が漏れるほどの混沌とした世界であった。


「ぬはは。さすがの大阪でも歩行者がこうはならんだろ」


 ヒョイヒョイと慣れた手つきで異世界のバイクを操り歩行者を回避していく律を見て笑いを交えつつ指導を行う指導員と共に、シミュレーターをどっぷり楽しむことができた律であった。


 そのままほぼ1時間丸々シミュレーターを体験した律は休憩の後、まずは先ほどのシミュレーター状況について説明を受けた。


 ベテランの指導員は「速度も守っていたし、回避も十分。一応立場上として言っておくが、普段からこういう世界はありえると頭の中に入れて運転してくれよ。ヒヤリハット防止のためにこのシミュレーターと同じ状況を頭の中に入れておくことは必要だからな」と律に対して声をかけた。


 その後はセット教習の第二段階のディスカッションとなる。

 簡単に言えば「何kmで何m以内にとまれるか」などといったものや、バイク事故において「最も多いケースは何か」ということなどの説明である。


 何kmで何m以内というあたりはすでに律は路上で運転する関係上心得ていた。

 配送という割とその事項を覚えていないと大変なことになる仕事の影響であり、職業病に近いものが心得ている理由であったが。


 ベテランの指導員も「話が早くて助かる」と律を褒めるほどである。

 制動距離や停止距離の違いなどもきちんと心得ていた。


 一方、バイクにおいて最も多い死亡事故について律は知らなかった。

 指導員にそれを問われた律は答えがわからず黙ってしまう。


「それは右折時の事故だ。対向車が右折してきてそれにバイクが激突するのが通称右直事故という、あっちはバイクの大きさの影響で速度を見誤って無理な右折をしてしまう展開とかだな。他にも、こっちがすり抜けしてしまったり、同一斜線で右折する車を左から回避した際に対向車がバイクを見落として……というパターンもある。あとはバイク自身が右折時に側面に激突されるパターンだ。矢印信号など切り替わり画早い信号で急いでいる車が右折する手前の車をやり過ごしたと思って、その車の真後ろにいるバイクを認識できずにぶつけるパターンだ」


「それってもしかしてバイクの種類によっては事故が回避しやすい……とかあったりします?」


 律はその話の状況を脳内で想定した際、デカすぎるバイクだと見過ごさない可能性から事故率が低くなると予想して指導員に質問を行う。


「ああ。例えばビッグスクーターは右折関係の事故率が大幅に低いのは事実だ。というか、単独事故の大半はスーパースポーツと呼ばれる前傾姿勢になるバイクが中心で、速度が出ないオフロードタイプなどは公道での事故が少ない。特に日本においても125ccのビッグスクーターは事故が少ないというが、世界的なデータだと最も事故りにくいのが125ccビクスクと言われていて、データ上じゃデカくてそこまで最高速や加速が高くないようなデカいビッグオフなんてのも極めて事故が少ないのは、そいつらは背が高くてライダーが車の後ろから見えるケースがあって予測しやすいからだろう」


 指導員は自らの知識から、教本などにない話を律に説明する。


 律はその説明に息を呑むほど没頭した。

 ベテランの指導員が独自に調べたデータによる話はとても興味深く、時間がどんどんと過ぎていく。


 その後も指導員はどういう状況で事故や転倒になるかを律に説明し、2番目に多い事故は出会い頭で、実は二輪の事故はそれらを除外すると基本的には「速度超過による転倒や自爆」が大半であり、それらは「一定の車種に極めて偏っている」ということを教えられる。


 そして、一定の車種以外の自損事故は極めて少なく、事故を起こしにくい車種に乗る上では四輪よりよっぽど安全なことをアジアや欧州も含めたデータをホワイトボードに記載しつつ律に説明した。


 大量のバイクが行きかうアジア諸国においても125cc~250ccクラスのビッグスクーターの事故率が低く、それが今日のアジア諸国のビッグスクーターブームに繋がっていることを教えられ、


 律は(この一番最初の教習でいろいろアドバイスしてくれたベテランの指導員が最もセット教習に適格で今間違いなく最高の授業となっているんだ)と断定するほどであった。


 一連のディスカッション終了後、残りの時間はビデオを見ることになった。


 そこで驚愕の事実を律は知る。


 ビデオの内容は「タンデム走行」とタンデム走行の危険性などについてのもの。

 そこで出た説明にて「後述するような方はタンデムできません。免許取得1年未満(免許停止期間を含まず)」と説明されており、ついこの間の綾華とのタンデム走行が完全に違法行為であったことを知る。


(アイツゥ! 違法行為じゃないか! しれっととんでもないことを……今度誘ってきたら注意してやる……)


 律は自身がすでにその違法行為に加担していた事を知り、頭の血行が良くなって痒くなったが、とりあえずタンデム走行をしたという事実については黙っておくことにした。


 ビデオ終了と同時にチャイムが鳴り、そのままセット教習が終了。


「これで後4回だな。ここから4回は徹底的に検定コースを周り、卒研だ。覚悟はできてるな?」


 教習時間終了後、律の意志を確かめるようにベテランの指導員が聞いてくる。

 律は真っ直ぐ指導員の方へ目を向ける。


 目には一点の曇りも無い。


「もちろんです。腕の状態も良くなってきましたから」


 律は傷だらけの左腕を見せ、手に力をこめて拳を作る。

 最初は完全に握れなかったクラッチが最近は何とかハンドルバーまで密着させられるようになってきていた。


「ぬはははは。後もう少しだからがんばれよ。ほれっ」


 指導員はその様子に喜びつつ、教習ファイルを手渡してシミュレーター室を後にした。


「そうだ……もう少しなんだ……」


 教習ファイルを右手で受け取った律は左手の拳に自然と力が入った。


 ~~~~~~~~~~~~~~


 その日も最終時限まで適当に時間を潰した律は本日最初で最後のCB400による教習を行った。

 検定コースを回り、課題をこなす。


 今回からストップウォッチが導入され、タイム計測も行われるようになった。


「一本橋は6秒8で、スラロームは9秒……時間はかかってますが本番でもこれなら合格範囲内です」


 昨日の最終時限の若い担当者は本日も律の担当であった。

 若い指導員は律に対し「100点ではないが合格ラインではある」ことを伝える。


「本番では無理をしてコーンを倒されたり、脱輪するとアウトなので……このまま少しずつタイムを削っていくように心がけましょうか」


 指導員はこの調子を維持するよう律に求めた。


 律の不安が残るのは現在クランク、一本橋、スラロームの3つ。

 自己申告していたため、検定コースを回った後はその3つを重点的に練習した。


 いよいよその日が近づきつつあった。


 明日なにも問題なければ……明後日には免許がとれるという所まで来ていたのだった――

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