南信州唯一かもしれないライダーの楽園。
東京から西に行く場合、絶対に障害物となる山がある。
富士山ではない。
南アルプス。
またの名を「赤石山脈」という。
富士山周辺は意外にも道がある。
だが、この赤石山脈については真っ直ぐ西へ突っ切るルートがない。
実はかつて中央自動車道はこの赤石山脈を真っ直ぐ貫くルートで考えられていた。
もしそれが完成すれば東名に負けない時間で名古屋に向かう事ができる。
だが、その当時の技術では……その壁はあまりにも高すぎた。
現代になってようやくその壁を突破することが可能となり、リニア中央新幹線という形で実現する予定であるが道路が横に通る予定はない。
そのため、西に向かうのだとしても名古屋方面へ行くという場合、八王子方面にきてしまえば回り道を覚悟で途中で南側にシフトして海岸線沿いに向かうか、そのまま松本や塩尻方面に飛び込んだ後に南に下るしかない。
律は国道152号線などを走った経験があるものの、これまで試した事が無いルートがあった。
それが今回のルートで、塩尻から山側を走り、名古屋市内などの愛知県都市部を孤を描くように、まるで大砲が弾道を描くようにして回避するルートを思いつく。
ちなみに、経由地が奥永源寺でない場合で何気なく長野県側から西に向かいたいならば素直にさらに北上して福井県は敦賀まで西に進んだほうがいろいろ困らない。
経由地が奥永源寺だからこそ、渋滞を避けようとするとこんなルートになる。
律はとにかく都市部を避けたいのだ。
ドライブ、ツーリングにおいて都市部などロクな思い出がなかった。
渋滞だけでなく運転マナーの問題など運転手のストレス要素が都市部にはギッシリと詰まっている。
とはいえ、どうしても都市部が避けられない場合もある。
地図アプリなどを用いて都市部とその道路を見てもらうとわかるだろう。
日本国というのは都市部を迂回することが絶対できないケースがある。
甲府がその一例である。
甲府を避けるということは不可能ではないが凄まじい遠回りになる。
塩尻方面に向かいたいとなると素直にバイパスを通るしかない。
幸運なことに大動脈の1つとして認識される国道20号においては甲府周辺に甲府バイパスが存在する。
そこまで渋滞に悩まされる事は無い。
ただし、それなりに車量は多いので事故等があると面倒なのは事実である。
今は事故などないので夜の甲府周辺は快走路である。
なので今回あえて律はわけのわからない遠回りはせず、素直に国道20号を用い、まずは塩尻まで目指す。
当然理由もある。
どこかで仮眠をかねて宿泊しなければ体力が保たないからだ。
変な道に入って取り返しがつかない状態で睡魔に襲われ、そのあたりの道端でビバークするということは避けたいという思いが律にはあった。
これも律自身の経験から来るもの。
ビバークなどツーリングにおいてロクなことにならない。
デタラメに体力を消耗した先には……立ちコケかそれ以上のダメージをバイクに負わせることになる。
リスクは回避すべきなのは当然のことと認識できる人間ならば、愚者は経験に学ぶという言葉こそあれど数々のツーリンガーにおける記録、つまり歴史においてもそれが示されているので素直に従うわけだ。
こういう時に便利な施設が1つあるので律はそこを目指すことにした。
相模湖東で降りた律はそのまま国道20号を下り路線で突き進む。
ここからの国道20号は快走路。
カーブが沢山あり、バイクだととにかく楽しい。
昼間だと新緑と秋、そして枯葉の舞う季節などはとにかく楽しめる。
よほどトロトロ運転する人間がいなければ塩尻周辺まで3時間は絶対にかからない。
相模湖から大月を過ぎて甲府に入るまでずっとこの調子である。
ふとメーターの時計を見ると、現在時刻8時ジャスト。
これは電波式などではない、ただのデジタル時計のため誤差±5分。
塩尻到着は10時30分頃を見込む。
しかし目的地は塩尻ではない。
金が無い律にとって最適な場所が1つある。
20号をひたすら進んだ律は塩尻まで到着すると、高出の交差点から国道19号に入り北に向かう。
今日の寝床に向かうのだ。
時刻は10時40分を回っている。
ここから後15分ほどかけて<信州健康ランド>を目指す。
そう、24時間運営しているスーパー銭湯である。
ここを使うのには理由がある。
「これなら寝カフェでいいのでは?」という声が聞こえてくるが、塩尻や諏訪周辺のネカフェは極めて盗難が多い。
行けばわかるが、夜のネカフェには暴走族か不良と見られる連中が駐車場にて平気で居座っている。
彼らの集合場所となっているのだ
そこにホンダの大排気量の証たる赤エンブレムを持つバイクを停車させたらどうなるか想像するのは容易いだろう。
跨る程度ならまだしも最悪どこかに持っていかれておかしくない。
寝カフェは安全地帯で、かつ人が少ない場所が最適。
つまり、都市部から少し離れたポツーンとした所が最適。
やたらライダーやドライバーが集まる寝カフェは都市部から離れているが、これは当然にして「安全だから」である。
都市部に近ければ人が集まるというとそうではなく、そういう場所ほど車、バイクが多い。
ネカフェを新たに企画する者も地方ほど立地を考えるのが難しいと主張するのはここにある。
もはや地方のネカフェは仮眠室付きドライブインに代わる新たな仮眠所となっているからだ。
正直言えば、「長野県でも松本~諏訪湖周辺での宿泊なんてやめたほうがいい」というのが律の経験からくる本音。
いつもならここは避けて別の場所を宿泊場所として選択するが、今回は時間などの影響によってここで一泊しなければならなくなった。
キャンプ場はネカフェより高く3000円オーバーがザラだが環境は大したことがない。
ネカフェは前述のとおり暴走族の集合場所であり不良のたまり場だからだ(彼らはネカフェ自体は利用していない)
そんな状況で漫然と輝くのが、「信州健康ランド」である。
屋根付の第二駐車場の二輪専用駐車場は一部が柱が近くにあり、地球ロック可能。
ブーツ、ヘルメットを保管可能なロッカーを用意。
信州の南側においては唯一かもしれないライダーの楽園。
特にお金のない若者ライダーほどそう思える。
ここのサービスで最も評価できるのは「雨の日にジャケットを預かってもらい、乾かしてくれる」というところ。
特筆に価する。
貴重品は財布以外全てロッカー保管でいい。
ヘルメットとブーツロッカーがあるのは極めて珍しい。
特にヘルメットは盗難に遭うことが多く管理が難しいがここでは安心して預けられる。
利用料金2000円を支払えば、仮眠室での宿泊が可能。
+3000円でシングル個室宿泊可能だが、よほど疲れていない限りは仮眠室を使うことになるだろう。
2000円で風呂に入れて仮眠まで出来る。
律も基本的に相部屋とも言える仮眠室を使うだけであり+3000円を支払うことはない。
ただ、5000円一泊というのはここら辺では比較的格安だったりする。
7000円以上がザラなのである。
ちなみに「トリ○ゴ」とかいう検索サービスなどで検索すると殆どが1万円以上。(元々アレは大手ホテルが基本の検索サービスなので殆ど使い物にならないが、信州のこのあたりはビジホもあれど7000円~)
たまに4000円とかいうプランがあるが「チェックイン23時、翌朝5時チェックアウト厳守。チェックアウトが遅れた場合は通常料金」とかいう「ラブホの休憩かな?」なんてプランぐらいしかない。
とすれば「1日」単位で5000円は破格。
近場のライダーハウスですら6800円だ。
律がこの地域を夜間に突入していくのがいかに嫌いかというのはこういった点に集約される。
律は改めて思う。
ここのバイク駐輪場の治安は最高であると。
なぜなら、第二駐車場は立体駐車場で屋根付きでアレコレあって暴走族は絶対に入ってこれないからだ。
野宿という条件でいいなら諏訪湖SA下りや千代田湖キャンプ場などがある。
実際に双方を試したが、片方は朝露で大変な事になって体調を崩したし、もう片方は暴走族の就寝妨害によって翌日結局行動不能に陥った。
湖のすぐ近くで寝るなど朝露があって当然なのだが未熟な頃はそんなことすら気づかず失敗した経験が律にはある。
他方、松本~諏訪周辺において、「治安」「価格」「サービス品質」全て揃っているのが信州健康ランドだということを知ったのは実は最近の事だったりする。
だからそれまではこの辺りでの宿泊は避けていたのだった。
――荷物を降ろしながら「これからライダーを目指す人間、今ライダーだがこの周辺で寝床に困ったライダーは頭の片隅にでも入れておくといいだろうな~――」などと思いつつロビーに向かう準備を整える。
そして実感するのだ。
こういう場所が、この宿泊料が高すぎるこの地域にあるのだと。
一泊1万2000円だの、9000円だのものすごい価格の割にまともな二輪駐車場をもっていないことが多い中、全ててが揃い、そしてネカフェとほぼ同じ金額な場所があるのだ。
とはいえ、ここも万全ではない。
だからこそ、バイクから貴重なもの、というか「高価なもの」というのはみんな降ろしてしまう。
トップボックスはガッチリと車体に固定されているため金庫代わりになるが、タンデムシートなどに積載されこの中に入りきらない荷物は全て降ろす。
また、トップボックスからは着替えと風呂セットを持ち出す。
あとはヘルメットなども全て持ち出す。
そして、いつものように愛車にカバーをかけ、チェーンロックをした律は貴重品含めて全てロッカーに預ける。
ここで周囲から「ディスクロックはせんのか?」という声がありそうだが、ディスクロックほど信用できない一方で自爆する代物はないと考える律は使わない。
あれはそこまで頑丈な代物ではないがそこそこ頑丈で自爆した際のバイクのダメージが極めて大きい。
特に倒立フォークでは脆弱なパイプ部分がブレーキディスク付近に来るため、万が一装着したまま発信したら最悪フォークが折れる。
成立フォークですら頑丈なディスクロックは大きな傷を与えかねない代物。
愛車の倒立フォークは安くないのでそんなもの付けられるはずがなかった。
リスクは徹底回避するならばチェーンロックが最適であるというのが律の持論である。
というか普通の人間は出先にチェーンロックを持ち込む事すら珍しい中、4kg近く一気に重量が増加する出先用チェーンロックを律は常に持ち運んでいた。
これが本当に安心できるのだ。
ハーレー乗りなどはよくやっているが、律も同じようにしてバイクをまるで犬のように鎖でつなげていた。
仕事の疲れとここまでの移動の疲れ全てを流し、そして風呂上りに何か飲んで失った水分を補給する。
この日はスポーツドリンクにした。
実は律はコーヒー牛乳が大好きなのだが、この状況で飲むと眠れなくなり大変な事になる。
なぜかカフェインが非常に良く効く体質なのだった。
時刻はすでに11時過ぎ。
すでに睡魔が襲ってきていた。
風呂に入った律はそのまま仮眠室へ。
連休だと仮眠室は取り合いになるが、臨時仮眠室が開放されるため困らない。
風呂セットの中には「アイマスク」があるが、それを用いて仮眠する。
こういう仮眠室は明るすぎるのだ。
アイマスクは手放せない。
仮眠室にはコンセントが4つしかないのだが基本的にスマホの充電はバイクで行うので特段問題なく、コンセント争奪戦に参加することはなかった。
いつも通りラジオを聴きながら、寝るのだ。
そして日の出と共に次の移動が始まる――




