銀の翼を纏う者
スズキワールドを立ち去った後、律は副都心線に乗って自由が丘へと向かう。
ホンダドリームに立ち寄るためだ。
しかしそこはこの間向かったところとは異なり直営店である。
バスで約1時間かけ、直営店へと向かう。
実は昨日、ネットで調べていた律は気になる存在を見つけていた。
CB400SBカスタマイズペイント車両。
カスタマイズされたにも関わらずそのバイクの車体価格は標準価格より安いのだ。
これは向かわねばならぬ。律はそう肝に銘じていた。
まるで呪いに誘われるかのように、これまでピックアップされた車両など無視してドリームに向かう律の姿があった。
ドリームに到着した律は一瞬でそのCB400SBの虜になる。
展示車両として展示されていた車体。
なによりも目立つは銀の立体エンブレムの翼。
燃料タンクにひときわ目立つ翼。
「ウソだろ……」
律は思わず息を呑んだ。
彼の知っているCB400の翼のエンブレムは立体などではない。
ペイントもしくはシール。
値上がりしすぎていて本当なら全車立体エンブレムでもいいような価格だが、未だにCBはそんな状態。
しかしブラックにレッドのラインが入れられたそのCB400SBはタンクに悠然と翼を宿していた。
実はこのCB、たんなる展示用だった。
販売車両ではなくカスタマイズ車両のお手本。
2018年度より再編がされたドリームは、実はある事に手を出すようになっていた。
それは「カスタマイズ」と「カスタムペイント」
一部直営ではない個人経営ドリームでは以前より行われており、またウィングプロス店なども積極的に展開されていたが、ドリーム再編に伴い、直営でもこれに乗り出すことになった。
というか、今までそれを担っていた店舗が250cc以下しか扱えなくなったため、扱わざるを得なくなったという背景がある。
直営ドリームは製造する工場と連携し、元来では無茶なカスタマイズが一定の範囲で可能になっていたのだった。
立体エンブレムのCB400は限定車両専用の意匠である。
しかしタンクを付け替えてオールリペイントという方法でカスタマイズする事が可能となっていたのだ。
実のところ律がホンダに憧れる原因はこの翼の意匠の格好良さにあった。
そのため、スペシャルエディションと呼ばれる限定車両の存在は早期に認知、理解はしていたものの、新車のスペシャルエディションなど存在しないので、サポート保障が中古では厳しいことから購入を避けていた。
だが、目の前にある真っ黒に赤ラインが施されたCB400SBは紛れも無く新車。
そして価格はそこまで高額化していない。
こちらは新車扱いのカスタム車両。
つまり、「立体エンブレムがほしい」というだけならこのカスタマイズを施せばいいわけである。
しばらく見とれていた律はさっそく商談を行うことにした。
その上で律はある線引きを決めた。
その価格が合計で税込み120万円以上ならCB400シリーズを諦める。
これまでの経験から、ここまで高額になってしまうと間違いなく「大型を購入した方がマシ」となるからだ。
そのため、店員に対し「予算上限120万以下」を突きつけた。
その価格が110万円程度までなら即決。
その場で購入を確定させる。
その意気込みを持つ律に対し、ドリーム店員は下記の条件をつけることで驚きの額を提示する。
1.工場倉庫にある1年型落ちの車両(Eパッケージのグラファイトブラック)を購入する(年度入れ替わりしてからまだ時間が経過していない)
2.エンジンガード、センタースタンド、メーターパネル、シガーソケットの3商品も同時に購入してもらう。
3.ガラスコーティングも施してもらう
4.その状態でリペイントはほしいのは立体エンブレムだけらしいので「燃料タンクのみ」とし、無塗装タンクを指定工場にてグラファイトブラックに塗装
5.盗難保証もつけてもらう(最大値の2年)
全て込みで「116万」(免許キャンペーン適用後の価格)。
いわば、全て込み込みにするから価格を下げて予算内に収めようというのだ。
しかし律、ここで謎の交渉力発揮。
「エンジンガードは別の会社のを考えている」と、純正を拒否。
代わりにプロスマンのタイプ1を指定した。
理由は光より事前にメールで「エンジンガードとか必要かな?」と聞いた際に「どうせ100%納車からすぐさま1回はコカすから初心者は傷が怖いならエンジン全体を覆うものにしろ」と言われており、キジマのエンジンガードを元にした純正は怖かったからである。
それに対し店員は一旦離籍。
しばらくすると戻ってきて「本日契約可能でかつ、先ほどと1円も変わらず価格据置でいいならば」という条件付でボールが即座に手元に戻ってきてしまった。
純正エンジンガードは1万4000円。
対するプロスマンは1万2500円。
1500円ほど安くなるかと思えばそこは安くならないという。
(くっ……こやつめ、できおる!)
販売側も商売人。
いかにも手を出しそうな所の価格をチラつかせ、すぐさま反撃される。
値段交渉に自信があった律は破格の条件を導き出してはいたものの、それでも110万を超えている現実についてどう判断するかという最後の分水嶺にて迫りくる水に溺れかける。
脳内では2人の律が争っている状況にあった。
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「バカ野郎。いきなり116万とか10年乗るつもりか? 普通二輪を足がかりにステップアップするなら本体価格70万程度のバイクでいいだろうが! この間のCBR400Rなら60万だぞ! そこわかってんのか!」
「だが、CB400SBには今やホンダにしかない普通二輪で乗れる四気筒エンジンというステータスがある」
「そんなもん大型にゃあ腐るほどあるだろうに!」
「でも、やっぱ新車のが所有欲満たされて良くない? だってさ、ロードサービス無制限3年とかさ……」
「どうせすぐ倒して傷物になっちまうんだぞ、それに116万かけるのか!」
「それは全てのバイクに言えること」
「400ccの中型バイクに116万だぞ。XSR700の価格を忘れたのたかもう一人の俺! さっき見回したときに見つけたNC750の方が30万円以上安いんだぞ!」
「それでも……それでも俺は……現時点の免許で乗れる中で最大級のパワーが欲しい!」
「後悔したって知らんぞ!」
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もう一人の警笛を鳴らす律の存在を打ち倒し、「……買います」と後先考えずに購入してしまった律なのであった。
本来なら他の車種についてもある程度見たり試してみたりしてから決めても良いはずが、どこかへ向かいたいというあまりにも強い思いがCB400の呪いを生み、その呪いによって見事に引き込まれ、空前絶後の高級バイクなどと言われるようになったCB400SBに手を出してしまった。
最後の決め手はやはり銀の立体エンブレム。
どこを走るか、何をしたいか、何を求めるのか。
何も固まらないまま、律はCB400SBを購入してしまった――




