夢を追い求めて
翌日、おろしたての黒のマットな塗装のグラフィックモデルのGT-Airを身につけつつ、腕にライダーグローブを身に着けた律の姿が教習所にあった。
律が3回目の教習中で驚いたのは、ライダーグローブの性能。
店員がとりあえず教習中に役立つからとススメたKOMINE GK-162の3Dプロテクトメッシュグローブのバイク用品店オリジナルブランドのOEM品は、軍手などとは比べ物にならない高性能さである。
このメッシュグローブは律が何も身に着けていない状態と錯覚するほど、手にフィットしていたが、
まず何と言ってもハンドルのホールド能力。
内側に貼られた牛皮は、ハンドルをしっかりとホールドし、アクセルレスポンスが大幅に改善。
また、ブレーキ、クラッチレバーも全く滑ることがなくガッチリと握りこむことができた。
このグローブには外側にゴムなどの対衝撃吸収剤が貼り付けられ、裏側の手首部分にはプロテクターとしてカーボンが覆う。
はっきり言ってそこそこ以上の代物というか価格に対しては大当たりの存在。
ただ、価格なりの個体差があり、人によっては「プロテクター部分は手に当たって痛い」ということがあったが、律は同じ商品をいくつも試して手にフィットするものを選び出していた。
定価5000円以上のグローブは型落ち扱いで4割引。
確かに型落ちではあるのだが、OEM品としては2018年も継続して販売が続く春夏モデルである。
高いコストパフォーマンス性からネット上でも「コスパは高い」と評判の代物。
実はグローブを装着したままスマホ操作が可能なのだが、律はそこを気にして購入したわけではなかった。
ホールド性の向上は、律の負担を大幅に軽減した。
「――ライディング用ツールは、良い物ほど負担が減ってツーリングが楽しくなる――」
その言葉をその身でもって体感する。
さて、GT-Airについてであるが、律が一番驚いたのは遮音性にあった。
シールドを下ろし、さらにロックさせるとかなりの遮音性を発揮する。
インナーバイザーの能力も折り紙つき。
ただし、やはり「窮屈である」という感じはした。
なんというか長時間身に着けていると辛そうだった。
今回の教習では初日と同じ熟練の壮年の指導員であったが、律がGT-Airを持ち込んでいる様子を見るや。
「良いセンスだ。やっぱHONDAといったらSHOEIだよなぁ」などと褒めてくれていた。
また、本日は他に若い男性が同時に教習を受けていたが、「GT-Airマジカッケーっすね! オレもZ-7買おうと思ってるんすけど、それ見たら浮気しちゃいそうだ!」などと、周囲の反応自体は極めて良好なものであった。
律は「いやぁ……」とニヤけ顔がとまらなかった。
――――――――――――余談――――――――――――
ところで、壮年の若い指導員は「やっぱHONDAならSHOEIだよなぁ」と口走ったが、実はこの手の壮年ライダーほどホンダ=SHOEIというイメージをもっている。
理由はなぜか。
それはそもそも、SHOEIとは「ホンダのためのヘルメットメーカーとしてその道を歩みだした」という過去があるからであった。
1960年代。
ロードレースに挑戦し続ける本田宗一郎。
そこで様々な人間から指摘を受けたのは、「日本にまともなヘルメットメーカーが無い」ということである。
当時のヘルメットといえば外国製。
しかし外国製は「日本人の頭にはまるで合わない」という代物。
アジア人系の人間の頭の構造は欧州や欧米などとまるで違う。
どっかのチョビ髭なんかは部下に命じ、頭のサイズを測って「こいつはアーリア」「こいつはユダヤ」などと判定させたりしていたが、実際に人種ごとに頭のサイズというのには特徴が現れるのだ。
当時SHOEIは船舶系のFRPやポリエステル素材を利用したパーツを製造するメーカーで、ヘルメットとはまるで縁が無い。
しかし、副業で経営していた旅館にホンダのレーサーチームがよく訪れており、皆一様にヘルメットに不満を漏らしていたのを耳にしていた。
それを聞いたSHOEIの社員。
「俺達で日本人の、日本人による、日本人のためのヘルメットを作ろう」と奮起。
ある日突然、旅館に訪れたホンダの社員とおやっさんこと本田宗一郎に「ちょっと作ってみました」と試作品を提供。
こういう企業姿勢が大好きな本田宗一郎はすぐさま手を取り合って共に歩むようになる。
以降、ホンダのレーサー達はSHOEIを身に着けることが当たり前になった。(例外も一部いる)
その性能、品質、極めて素晴らしく日本人にフィット。
結果、SHOEIは「ホンダ純正ヘルメットメーカー」としてヘルメットメーカーとしての土台を構築していく。
つまり、壮年のライダーからするとSHOEIというのは「ホンダのヘルメット」という印象が根付いており、現在においても「やっぱホンダならAraiじゃなくSHOEIだよな!」などと唱える者が多い。
実のところ筆者もそれを知らずにSHOEIに手を出していたが、おやじライダーから大変よく声をかけられてたりする。
その後SHOEIは一時期バブル時代に傾きかけたりするものの、現在は持ち直している。
SHOEIの特徴は何と言っても「機能性」の高さ。
遮音性の試験では同じく世界トップクラスの品質の高さを誇るBMWモトラッド純正扱いのシューベルトと肩を並べ、
この手の検証が大好きな人間は「日本のものづくりここにあり」と高く評価している。
(遮音性に関してはAraiも非常に高いものを持っているが、同じレベルの性能を持つものを世に送り出しているメーカーは他にあり、突出する2社として評価されるのがシューベルトとSHOEIだったりする)
特に最新鋭のNEOTEC2では既存製品の中でトップクラスの数値をたたき出しており、よりストレスフリーなヘルメットを世に送り出したわけだが、SHOEIのヘルメットに対する妥協の無さはすさまじい。
なにしろ彼らは、風洞装置を自社にもっていて、それでヘルメットを開発しているのだ。(国内では他にAraiも所持している)
これは、空力性能を突き詰めると、案外風切り音が激しくなるというジレンマをいかに克服するかにおいて必要不可欠なもので、
走行する速度帯や姿勢を考慮し、最新鋭の流体力学などのデータを用いて徹底的に快適性能を突き詰めるもの。
インナー構造にまで徹底して手を加えられたSHOEIのヘルメットの快適性は世界のライダーも魅了する代物であった。
Araiが質実剛健で徹底的な安全性を担保し、真面目なライダーが愛用することが多いのに対し、
SHOEIは現代の全世界の若者ライダーが思い描くデザインや機能性を満たした一品を提供するメーカーとして愛用される。
途上国ですらこの2社を愛する者がいるが、やはりヘルメットは「妥協しにくい産物」だということがよくわかる。
途上国では日本国内で使い古された中古品などが用いられることが多いが、「粗悪品なんかとは比べ物にならない」と、3年以上経過していたりするものの、
粗悪品の性能がそれ以下のため日本ブランドの信用性もあって身に着けている者が少なからず存在した。
(FRPの帽体自体の性能は6年ぐらいは保つので、インナー全とっかえなんかを試みている影響か、独自の社外インナーが販売されていたりする)
律が入手した存在というのは、それだけ素晴らしい物なのだ。
ただ、仮に彼がAraiを手にしても、やはり同様の評価は得ていたであろう。
AraiとSHOEIとは、そういう存在である。
――――――――――余談終わり――――――――――――
3回目とあって、律もさすがにバイクに慣れ始める。
手のホールド感の向上によって他に神経を回すことが出来るようになり、ニーグリップが少しずつ出来るようになってきていた。
3回目の教習にて、初めてクランクを足をつかずに成功。
フラついていてまだ怪しい挙動ではあったが、確実に成長していた。
今の所、懸案事項といえば「スラローム」「一本橋」の2つで、この2つを最も不得意としていた。
クランクは何とか攻略可能、急制動は7回に2回程度失敗するものの、5回は確実に手前2本のラインの範囲内に停止可能。
壮年の指導員は「急制動は1回目失敗しても2回目までチャンスがあって、そこで成功すりゃいい!」と主張していたので、こちらはどうにかなりそうである。
問題は一本橋であった。
まるで乗っていられない。
いまだに1度も成功したことが無い。
壮年の指導員は「もっと顔を上げて前を向いて一気に抜けるようにしてやれ!」と主張していたが、中々それが出来ない。
バランスを崩すとすぐコースを外れる。
何かコツのようなものを掴めていなかった。
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「んぐぐぐ……」
教習を終えた律は悔しさを滲ませる。
第一段階見極めまで後5回教習がある。
その際にはクランクと坂道発進とS字を見ることになっている。
そのため、まだ一本橋の攻略ができなくともいいが、第二段階は一気に加速していくのと、他の課題などをこなさなければならないため、中々挑戦できないということを壮年の指導員に伝えられていた。
「――まぁ、このペースならどうにかなるだろう――」壮年の指導員は律が順調に成長していることからフォローしたとはいえ、現状の課題として一本橋が一度も成功していないことについては釘を刺していた。
――ロビーに戻った律はいつもの通り、教習ファイルを返却する。
次の教習の予約を端末で行おうとした時である。
左腕に余力があった。
これがグローブのおかげか、日夜200kgと格闘している恩恵かは不明であったが、「休めばいける」と思わせるほど回復している。
端末で空き状況一覧を見ると、本日の最終時限に空き。
すかさず律はそこに教習予約をブチ込んだ。
現在時刻10時を15分過ぎ。
律は最終時限までの6時間あまりの間をどこかで過ごすことになった。
とりあえず休憩しつつロビーを見渡す。
そこで奇妙なポスターを発見してしまった。
「免許取得キャンペーン実施中! 最大5万円キャッシュバック! ――HONDA DREAM」
そう書かれたポスターと、その下にチラシ。
そしてチラシの地図を見ると、歩いて15分ほどの場所にホンダドリームが存在している事に気づく。
向かうしかなかった。
店頭に並ぶホンダ車両を見ないわけにはいかなかった。
チラシの地図の場所をスマホにインプットした律は、近場のホンダドリームへと足を運んだ。
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自動車学校から北上し、甲州街道を越えた先にその店はある。
ホンダドリームの中でも老舗中の老舗。
かの本田宗一郎と交流がある人間が初代オーナーの個人経営店舗であった。
初めてのドリームに緊張する律であったが、とりあえず店の外からまず眺める。
(でかい……なんだこれは……)
ひときわ目立つ1台のバイクがあった。
律からすれば、それはおおよそ、人が乗るようなバイクではなかった。
外に陳列されたそのバイクは誰がどう見ても大型バイクそのもの。
大型の中でも特段デカいと感じるそれはCRF1000Lアフリカツインであった。
他にもX-ADVやNC750Xなどが並んでいる。
CBなんかよりはよほど大きく、律は乗りこなせるような気がしなかった。
受付とみられる場所にはもはや「車か!?」と思うような赤いバイクもある。
新型ゴールドウィングの姿であった。
(こんなの乗ったら左腕が死ぬな)
思わず心の中で苦笑いしてしまう。
店内を外から見ると、多数陳列されたバイクの後ろの壁にポスターがあった。
「夢」
大きく書かれたそれは、本田宗一郎直筆の文字を拡大したもの。
右上には「駆り立てるものはあるのか――」そう書かれている。
これも本田宗一郎の遺したメッセージ。
駆り立てるものはあった。
律を今駆り立て、そして遠くへと向かわせてくれるのは、今、真後ろで走り回っているタイヤ4つの代物ではなく、今、真正面に鎮座されているタイヤ2つの代物である。
「いらっしゃいませ~ どうぞ店の中も見ていってくださいね~」
若い店員の一人が、外でバイクを舐め回すように見ている律に声をかける。
律に声をかけたあとは足早に隣の整備工場に向かっていった。
「あっ……はい」
10分ほど外から眺めていた律は店の中に入った。
CBR1000RRやCBR250RRなど、スーパースポーツバイクから、スーパーカブ、CB1100、CB1300などありとあらゆるものが並んでいる。
そこにふと目に付いたものがあった。
「あれぇ……ボルドールってこんな見た目だったっけ……?」
目に入って即座に気になったのは、CB400SBボルドール。
実は律、ボルドールが2014年より大幅に現代風にマイナーチェンジしたことを知らなかった。
律の知るボルドールとは、2014年より前のもの。
トリコロールに塗られたその存在に近づいてみる。
しかもこのとき、律はとんでもない勘違いをしていた。
「初めてですか?」
先ほどの店員であった。
律の様子を見て再び店内に入ってきたのだった。
「あ、えーっとちょっと初めてのバイクを探してまして……格好いいですねこれ……CB1300っていうんですか?」
「これはCB400です」
「えっ……」
律は背後に稲妻が迸らんばかりの衝撃を受ける。
ピシャーンと稲妻の破裂音が背後から聞こえてきそうなほどであった。
律の中でのこれまでの常識。
CB400SBのボルドールは1990年代風のデザイン。
あの丸っこい割と可愛い顔つきのソレが律の中でのボルドールのイメージ。
よって、2014年にマイナーチェンジし、大幅に見た目の印象が変わったボルドールをCB1300と誤認するという恥ずかしい過ちを犯す。
「こんな形でしたっけ……」
あまりの状況に、店員の言葉が信じられず聞き返してしまうほどであった。
「2014年にマイナーチェンジ入りまして、LEDとか結構装備が豪華になったんですよ。この色は人気ありますよー。失礼ですが、お客様は大型免許はお持ちではないんで?」
「あーえっと、実はこのチラシを教習所で見つけまして……」
「ああ、なるほど、普通二輪を取られて初めてのバイクをお探しになられていると」
律はいつもの癖で後頭部に手を当てた。
髪を弄りたくなるも、場所が場所だけに必死で堪える。
大切なバイクが髪の毛などで汚れる可能性を避けるためだ。
「これがCB400……まるで教習所のものとは別物……」
それはトリコロール仕様、最新式のCB400SBであった。
フロントは一眼であったが、LEDになっており、2013年以前のモデルより非常に鋭くなった顔つきである。
何やらメーター類についても律の知っている古臭いイメージではなかった。
特に中央に謎の液晶パネルがあることについて気になり始める。
「あの、この中央の部分ってなんですか?」
「ギアポジションインジケーターですね。ちょっとキースイッチ入れてみましょうか」
律が気になったことで、店員はCB400を一旦移動させ、キーを回して電源を入れる。
「この真ん中の部分は今は非表示ですが、現在のギアをだしてくれます。1~6まで表示しますがNだけは表示されません。」
目を凝らしてみると現在はニュートラルとなっていて、Nの表示が別途点等していた。
店員はそのままセルスイッチを押し、エンジンをかける。
ブァァン。
凄まじい音圧が律を襲った。
教習所のCB400より明らかに煩い。
しかしその音は、普段教習に使っている赤いタンクのCB400に似ていた。
「よいっしょ」
店員はギアチェンジを変更して一速に入れたまま、クラッチを開いて動かないようにさせる。
「見てのとおり、こんな感じで表示されます」
再びニュートラルに戻すと、アクセルを煽る。
ブァァォオオン ブァオオオン
「いい音でしょう? 他の400ccとは馬力が違いますから」
店内にこだまする四気筒サウンド。
まるで四気筒のレースカーのような凄まじい音である。
律は知らなかった。
実は騒音規制がゆるくなり、CB400は2018年モデルより社外品のマフラーよりも勇ましい音を奏でるようになったことを。
その結果、今までのモーター音みたいなものはなりを潜め、完全に「ただのレースカー」と化したことを。
その音圧だけで律は魅了されてしまった。
CB400の呪いは新車現行モデルを見たことで第二段階へと進行した。
第二段階のCB400の呪い「新車現行車を買わせる」。
(あ、もうこれCB400以外とかないな)
律は呪いによって様々なバイクが見えなくなりつつあった。
「見積もりとかってできたりします?」
ここで買うつもりはなかったものの、とりあえず価格が気になったので簡易的な見積もりを出してもらうことにした。
「いいですよー」
店員はエンジンを止めると、CB400を元の位置に戻す。
その後、律にロビーの上の階の待合室に待ってもらうことにした。
~~~~~~~~~~~
20分程待った律は凍りついた。
その価格の高さに。
店員はABSモデルとEパッケージモデル双方の簡易見積もりを出したが、消費税、自動車税、その他諸々の費用を足した上で何もパーツをつけない額を提示。
その額は110万を超えている。
それは完全に400ccのバイクの価格ではなかった。
そう、CB400はもはや「ブルジョアな高級バイク」となっていたのだ。
豪華な装備は、価格が凄まじいことになっている裏返し。
購入したら10年もの間違いなしの後戻りできない価格。
キャッシュバックキャンペーンを入れても尚、110万を超えているのだ。
(これ衝動買いはアカンパターンや!)
思わず脳内にてエセ関西弁が炸裂するほどの価格である。
欲しい代物がCB400であることは間違いなかったものの、律はSFにするかSBにするかまだ決めていなかったので今回は保留することに決めた。
ここで決めていいものではない。
ただし、「2014年以降のモデルは買おう」と心に決めた。
理由は「ギアポジションインジケーター」
やはり初心者の律は何も表示されないと怖い。
あった方がエンストの心配が減る。
よってNC42中期以降のバイクがいいということだけは理解できた。
後は「カウル付き」か「カウル無し」か「どの色にするか」「新車か中古か新古か」
車種は決めても他に何も決まってない。
ここで決めるのはあまりにも後先を考えていない愚か者であると感じる。
結局、律は一通りの説明を聞いて店を後にした。
そこでいくつか重要な情報を得る。
・初心者で400cc以上のホンダ車を購入する場合は新車でないとドリーム保証がないので維持はなかなか難しい。
・免許キャンペーンは教習中に教習所の印鑑などが必要で、かつどこのドリームでも有効。教習終了後は適用されないので注意。
・教習車のCBと本家CBはかなりイメージが違う車種なので、一度レンタルか何かに乗ったほうが良い。
・新古ならもっと安くなり、かつドリーム保証も受けられる(未登録新車だから)
また、店員曰く「このあたりはバイク屋が沢山ある」とのことだったので、歩いて見回ることにする」
すぐさま目に入ったのはYSPである。
ヤマハディーラーがなんと道を挟んで反対側にあったのだった。
CB400の呪いにかかっている律ではあるが、やはり他にもいろいろ見てみようということで、そちらにも足を運ぶことにする。




