引き起こしと岐阜のライダー(後編)
翌日、東京は烏山。
戦時中、東京下町から退避してきた神社や寺が大量にあるこの地域に住む律は、始発の電車に乗って下高井戸に移動し、そのまま世田谷線に乗り換えてあえて豪徳寺に向かう。
カバンの中にはハルの髭を所有している。
ハルの49日の法要のため、猫神社とされる豪徳寺に向かおうというのだ。
律にとってハルはとてつもない猫であった。
ハルがきてからというものの、律もとい律のいる音羽家は運気が大幅に上昇。
どんなに律が諦めたくなってもどうにかなっていたのはハルのおかげではないかと考えていたのだった。
音羽家にとってハルとはまさに「招き猫」そのものであったのだ。
それを表すかのようにハルが体調を崩し、死亡してからは不運続き。
母が入院費を入れた財布を無くすわ、父の会社が倒産するわ(定年直前だったのでそのまま早期退職でフェードアウトし別の会社へ)
とにかく音羽家の不運が凄まじいので、四十九日の法要を行い、心機一転を目指そうというのである。
また、いまだ現実が受け入れられない部分がある律にとってはハルの死を自覚するためのいい機会だとも考えた。
どう足掻いてもハルは戻ってこない。
もう彼女はいない。
それを理解するための行動でもあった。
~~~~~~~~~
ハルの法要を済ませた律は再び烏山側へ向かう。
自宅より一番近い二輪教習所は世田谷のど真ん中にある教習所であった。
しかし律は「値段が安くキャンペーンをやっている最中」ということでなぜか上北沢にあった方を選択する。
カバンの中には自身の銀行口座より引き落としたお金が30万円ほどある。
このまま二輪教習所にて予約してしまおうという算段だった。
昨日の段階で教習所に連絡をとっていたが、教習所は。
「軍手を持って長袖を着て来てください」と言っており、その通りイボ付きの軍手と、長袖を着込んで向かう。
長袖についてはまだ寒い季節であるので中にはそれなりに着込んでいたのだが。
教習所の受付に向かい、教習所の受験申請を行う。
すると係員は。
「音羽さん。偶然ではありますが、週に数回だけある安全指導と運転者適性検査がありまして、それが本日の午後あります。その後でしたら1枠空いているので技能講習も予約できます。実技もやりますか?」
と、冬休み明けでかつ春休み前ということでスカスカであったことから、いきなり「ライダーとしての第一歩」を踏み込めるということが案内された。
(え? マジで……)
最低限の準備はしていたものの、まだ完全に心構えが出来上がっていなかった律はたじろぐ。
夢の中で何度も練習したが、実は夢の中ですら1度も引き起こしに成功したことがない。
「もちろん1回目の技能で引き起こし……でしたよね」
やや不安な表情を浮かばせつつ念のために伺う律。
それに対し受け付けは笑顔で応える。
「はい。大丈夫ですよ。指導員が≪丁寧≫にサポートしますから」
その言葉に律はそのまま教習予約をとってしまった。
覚悟はまだ完了してなかったが、失敗しても次がないわけではないという言葉に乗った形である。
午後から適性検査、その後すぐさま1回目の受講となった。
お金に余裕がる律は追加料金を支払い、予約できる上限枠を増やした。
教習所ではほぼ都心部ではどこの場所も通常は「2枠」までしか取得できない。
しかし追加料金を支払うとそれを「4枠~6枠」まで増やすことが出来る。
一例を出すと、通常料金の場合、律は本日1枠とったらもう1枠までしか技能講習の予約ができない。
しかし追加料金を支払うと、3枠~5枠を予約して予定を組むことが出来る。
つまり先の先まで予約できるということ。
なるべく速めに取得したいからだった。
受付側は「かなり余裕があるので、別に2枠でも大丈夫だ」とは言っていたものの、不安だったので予約上限数は最大の状態にしてもらっている。
実は最速で免許を手に入れる場合は「教習所側が技能の予定を全て組み立ててもらう」という方法も可能だが、いかんせん体の状況が不明のため、律としてはこちらの方がいいだろうと考えたのだ。
余談だがその場合は「最優先で組み込まれる」上、さらに「キャンセル待ち」まで優先権を得る場合がある。教習所のサービスは各教習所に委ねられているが、基本的に「キャンセル待ちの優先権」まで保証することは少ない。これは「必死で待つ人間より優先させるのは不平等」と考える教習所が多いからだが、地方の余裕ある教習所においては「事前相談を前日にすると翌日のキャンセル待ちを最優先で回す」ということが出来る場合がある。(キャンセル待ちの事前予約ということ)
一応、いつでも追加料金を支払うことでサービス変更が可能だった。
「それでは音羽さん。教習の有効期限については、本日技能を受けられたらその日より9ヶ月です。技能を受けるまでの間に期限はありませんのでご注意を。検定の有効期限は見極め終了後より3ヶ月となります」
受付上は律の様子を見て一息おいた。
「四輪と異なり、仮免許というものは二輪にございません。第一段階の技能終了後に見極め、その後第二段階にはりますが、第一段階の1日の受講上限は2、第二段階は3と、そちらは四輪と同じです。教習は全て構内となります」
受付の丁寧な説明に律は頷く。
「講習時の格好は本日の状態で構いません。それではまた午後に受付にいらしてください」
全ての受付を済ませた律は午後まで3時間ほど余裕が出来た。
周辺には何もなく、またこの周辺事情に詳しくなかったのでコンビニで手軽に昼食を済ませてその時を待ったのだった。
~~~~~~~~~~
午後、安全運転のための指導や心構えの講習と適正試験を受けた。
実は律は大型特殊自動車免許を何気に持っており、この講習は普通自動車に次いで3回目。
すでに慣れっこである。
いつもの通り適正試験を済ませると、学科のない律はそのまま解散。
そしていよいよ生まれて始めてのバイク体験であった。
これまで周囲にバイクに乗る者が結構おりながらも、まったく乗る機会がなかった律。
触った事すら全くないので不安しかない。
しかしすでに「覚悟完了」といった面持ちであり、後は「バイクに覆いかぶさってバイクを押し上げるだけ」だということを何度も脳内で言葉として再生しつつ、夢の中で謎のオッサンに教わった方法を実践しようと勤めていた。
受付より「二輪は講習ペースが速いので教本にはしっかり目に通して欲しい」とのことだったので昼食の間など、空いた時間に一通り目を通していたが、引き起こしについては一番基本の方法しか記載されていない。
よって律は不安で一杯になってしまったのだった。
もし仮に、この方法でどうにかしろといわれたら白旗である。
しかもその状態でもはや引き返すのは不可能。
残り9ヶ月以内に全てを終わらせなければならない。
だからこそ、「今日駄目でも1回目の講習は早めに何とかせねば」と焦っている部分があった。
そしてついにその時が訪れる――
~~~~~~~~~~~
時間となり、1つ前の終業のチャイムが鳴る。
それは次の講習の始まりまでの休憩時間を意味する。
受付で指示された通り、律は二輪の待合室へ向かう。
しかしそれはどう見ても「待合室」ではなく「ガレージとガレージの片隅」であったが、特に気にしなかった。
そのガレージの中においては指導員と見られる壮年の男性が荒々しい声にて講習を追えたライダーの卵に指導を行っていた。
見た目は、夢の中のオッサンと雰囲気が似ている。
同世代であることは間違いない。
一通り指導を行い、印鑑を押した壮年の指導員は律のほうを見ると。
「君、今日が初めて? じゃ、手に持ってるファイル一式頂戴」
指導員が手を差し出すので律は「宜しくお願いします」と一声かけながらファイルを渡す。
「ん? 名前に見覚えがあるな……どこかで……あ、君もしかして例の大事故の被害者じゃないの?」
さすがは指導員だった。
常日頃指導を行う傍ら、指導員としての知識を高めるためにも彼は交通事故の状況や原因について調べることについては余念がない男であった。
やはり世間を騒がせた律の事故について認知していた。
「え、えぇ……まぁ」
律の回答に壮年の指導員ははーっと息を呑む。
「植物状態と聞いてたのにこっちに戻ってこれたんか……いやそれは失礼な言い方か。あの事故から復活してよく車の世界に、オートバイの世界に入ってこれたな……」
指導員用の椅子に腰掛けた壮年の指導員はふむふむと状況を推察する。
「そうかそうか……しかし病み上がりじゃないの? 大丈夫?」
「がんばります。というか、やらせて下さい。どうしてもバイクに乗りたいんです」
心配そうに見つめる指導員に対し、律は真っ直ぐ目を向け、己の意志が強いことを見せ付ける。
「体はどうなんだ?」
「正直言って。多少不安があります」
「受付では何も聞かれなかったか?」
「何も」
律は首を横に振る。
「受付のやつ本当に駄目だな。ちゃんと確認しておかないといかんのに……備考に事情は書いておく。もしかしたら教習がスローペースになって17時限では終わらないかもしれないが、いいね?」
指導員の言葉に律は「はい!」と首を縦に振った。
「じゃ、まずはプロテクターを着けてもらう。装着方法はホワイトボードに張ってある画像の通り。普段はこれに合わせてゼッケンも付ける。ゼッケンは第一段階と第二段階で色分けしていて我々が一目でわかるようにするだけの印で特に意味は無い。ヘルメット無しとのことだが、貸出用ヘルメットはそこにある。見た感じサイズはLだな。そこのキッチンペーパー2枚を使ってヘルメットに仕込んで汗を防いでくれ。衛生面を考慮してのことだ」
「わかりました」
律はすぐさま準備にとりかかった。
プロテクター類は基本的にスポスポと手や足を入れるだけで済むようになっており、太ももだけ巻きつけるよういになっていた。
「一連の準備は休み時間中に済ませること。今日の指導は私がやる予定だ。そこに準備を終えた女性と一緒にね。彼女も君と同じことをやる」
プロテクターをせっせと装着していた律は、ガレージ内にある教習者用の待機用の椅子にフル装備で座り込む女性の方へ目をむけ、宜しくお願いしますと挨拶した。
指導員の発言から「1時限目を1回では突破できなかった」ということが想像できる。
女性は無言で挨拶した。
(俺も次回同じようになるかもしれないけど、ちょっとだけ安心した)
女性とはいえ、1時限を突破できなかった者が一人いたということは律にとって気を楽にさせるものだった。
「別に今日駄目でもいい」と誰かに言われたような気がしたからである。
そんなこんなをやっているとチャイムが鳴り、律は集合をかけられて指導員の下へ再び向かう。
すでに準備は完了。
ヘルメット置き場からはAaraiと書かれたヘルメットを何気なく取ってもってきていた。
「さて、君は前回もやったがもう一度説明しなおす。今から君達には引き起こし、推し引き、8の字などをやってもらい、搭乗したままギアチェンジの練習もやる。速ければ今日コースを回ってもらうことになる。それではちょっと後ろを見てくれ」
指導員はそう言うと後ろ側を指差した。
「今後ろでは二人の人間が第二段階で講習を受ける予定だが、ウチんところでは教習前の準備運動として3周だけコースを時計回りに回ってもらう。3周回る間にバイクの状態を確かめ、そして教習に入るわけだ。彼らはもう終盤に入るので頭の中に叩き込んだコースを周回し、我々はそれを見て改善部分を指摘する。つまりコースは完全に君達の頭に入れてもらうことになる」
突然の発言に律は動揺した。
それもそのはずである。
今までは指導員が同乗し、「はい右回ってー」「はいクランクはいってー」「はい後退してー」といった指示でやっていた。
しかし二輪は「同乗などできない」代物。
つまりコースを覚えなくてはならない。
その当たり前のことが不安によって失念していたのである。
記憶力に自信がない律はさらに不安になった。
自信が駆け足すぎたことに後悔するももう間に合わない。
目の前には教習所仕様のCB400の姿がある。
CB400は今か今かと待ちわびていた様子だったが、一先ず律と女性は別の場所に案内された。
そこには赤いタンクにHONDAと書かれた不動車と見られるCBが鎮座された状態で放置されている。
「ってことでまずはこいつの引き起こしをやってもらうからな。コイツの中には燃料タンクに砂が入ってて、220kg~240kgぐらいある。もうこんな重くなくていいって言ってんだが教習所の局長が認めなくてな……大型並みに重いんだがこれが持ち上がれば大型二輪も取れると思ってくれていい」
律はその発言に血の気が引いた。
確か記憶ではCB400の教習仕様は200kg~210kg程度。
引き起こしはそれをそのまま使うこととされていた。
しかしやや古くからやっているこの教習所では、伝統的な「最大240kg砂入りCB400」を引き起こしの条件としている。
つまり難易度の高さは折り紙つき。
壮年の指導員の言うとおり、文字通り「これができたら大型できるだろ」という代物。
何しろ教習仕様NC750やゼファー750などの方が軽い可能性があるからだ。
(終わった……完全に終わった)
律はすでに諦めモードに入っている。
「ということで音羽くん、先にやってくれ。やり方は教習本とかで見てるよな?」
教習指導員は律の思いをよそに元気一杯に律を指名。
律はもう覚悟を決めるしかないが、顔は青ざめていた。
女性を指名してお手本を見せてもらってからやろうと思っていた律だが、その安易な考えは早々にひねり潰された形である。
「えーと、教習本にないような方法でもいいんですかね……」
教習本には最も基本の引き起こしの方法しか記載がなかったたため、念のため律は自身が行いたい方法でもってやることを指導員に申し出る。
「あん? いいよ。ただ尻から持ち上げんのは無しな。アレはウチで認めてないからそれ以外な」
夢の中でのオッサンの予想通り、殆どの場所でその方法での引き起こしは認めていないので、指導員はその方法だけ否定した。
しかし、律の方法は否定しない。
前方から引き起こすならどう持ち上げてもいい、そういうことだった。
律は意を決して倒れたバイクの下へと向かう。
(まずは……左腕の肘当たりを左ハンドルに当てて、それで……右腕をクラブバーあたりに…)
律は感触を確かめるようにしてダブルクレードルフレームの一部と、右側のクラブバーを掴んだ。
そしてそのまま覆いかぶさるような状態となる。
「ふっぐッ! くぅっ!」
そしてそのまま前に押し上げるような形で持ち上げようとする。
しかしバイクはすこし持ち上がったところでそのまま動かない。
(うっ、これホント重い! こんなの持ち上がるのか!?)
律は息を切らしつつ、必死で持ち上げようとする。
「もっと前の地面側に重心を向けてな、顔を上げて正面に向けて」
その様子を見た指導員はサポートをすべく率に声がかかる。
すると先ほどより持ち上がり、タイヤが地面に設置した。
あとはこれを軸足に、前に押し倒す気分で持ち上げるだけである。
「いいか、そのままの状態から一気に力いれて前に押し出せ、こっち側で支えてやるからこっちに倒す気分でいけ」
そう言うと指導員は律の正面に立ち、バイクをそのまま支えるために中腰になった。
しかしバイクはまるで持ち上がる様子がない。
だんだんと腕や足、そして腰が痛み出していく。
律の手からは血の気が引き、冷たくなっていく。
諦めムードが漂い、律は目の前が真っ白になっていく。
その時であった。
どこからともなく「ウニャア!」と強い威勢で叫ぶ猫の鳴き声が聞こえた気がした。
まるで「今だ!」といわんばかりのタイミングである。
その声を聞いた律は歯を食いしばり、ウグググと歯を食いしばりつつも声を張り上げながら、全ての力を出し切るつもりで前に押した。
そして240kgの鉄の塊はついに持ち上がり、そのまま律は勢いあまって前に倒れそうになる。
そこを指導員はいとも簡単に受け止めてしまった。
「はいスタンドだしてー」
ほぼいつも通りの様子のごとく、律に対して壮年の指導員は指示する。
力を出し切って疲労困憊の律はゼーゼーと息を切らしつつもスタンドを出し、そのまま240kgのCBは正常な姿勢を保った。
「はい合格。取り回しの指導をやるがこっちの子が引き起こしやるまでの間、そっちで休憩しとけ~」
あまりに力を使いすぎた故に律は力尽き、立ち上がることができなかった。
そのため、這って移動し、座り込む。
気をしっかり保たないと泣きそうだった。
聞こえた声は間違いなくハルのソレであったからだ。
律は、最後の最後までハルに世話になりっぱなしだと思うと涙がこぼれそうになるも、
今は教習の真っ最中のため、泣くのは家に戻ってからと必死で堪えた。
そのような状態で女性の方を見ると、女性はまるで持ち上がらない様子であった。
「んー小林さんこれ厳しいな。今日これ一旦教習中止しようか。乗るのはまた今度でいい?」
しばらくすると、壮年の指導員は結局持ち上げられなかった女性である小林という方に見切りをつけたように言い放った。
女性はうつむいたまま息を切らし、静かに首を縦に振る。
ライダーになりたい理由は不明だったが、その顔は諦めきれないといった表情だった。
「後で引き起こし方教えて、それでもってできたら取り回しをやるんで、今は音羽くんに指導するんですこし休憩しといてな」
指導員はそういって小林に休憩室に入れさせると、律の方へ向かってくる。
「さっきので大丈夫でした?」
律は思わず右側に倒しそうになったことが不安になり、指導員に確認を取った。
「引き起こしは起こせるかどうかが重要だからあれでいいんだ。右側に倒しそうになった件については実際に乗り出してから慣れてくれというしかないが、基本的にゃ最初に倒れる方向自体が右側だからさ……スタンド出しながらだと通常はどうにかなる」
律はあまり知らない事であったが、実はバイクというものは左側より右側に倒れることが多い。
理由はマフラーなどが右側などに配置される関係上やや右側に重心が寄っているからだが、日本は左側通行だからという理由もあった。
倒すときは決まってUターンや右折時の不注意などであり、そういう場合は右側に倒れるのだ。
左側に倒すというのは駐車時にスタンドをきちんと立てなかった場合など限定的である。
警察24時などの白バイの訓練でも右側に倒すシーンが大量にでてくると思うが、本当に右側に倒れやすいのである。
「ってことで、取り回しをやってもらうから。そこの7番のCB、その赤いタンクのやつ。それ君が今日乗る車な。今日っていうか基本的に二輪教習ってのは特性の違いが大怪我に繋がるんで同じバイクで試験含めて最後までやってもらうのが、ここの教習所の基本となっている。そいつが君のここでの愛車だと思ってくれていい。今からこちらの後についてきて8の字やるぞ」
そう言うと指導員は隣に置いてあった青いCBを後ろに下げ、手で合図して律に呼びかける。
すでにかなり体力を消費していた律だが、教習本にならって何とか後ろにバックさせ、指導員の真後ろにCBを配置させた。
「自転車の要領でゆっくりやってもらえばいいから。そこの目の前の黄色い線の通り8の字やってみて」
そう言うと指導員が自分用のCBをゆっくりと押し、取り回しの実践を先行して行う。
その後ろを律は追いかけるようにしてついてくる。
(なんだこれ……すごい軽い)
間違いなく20kgは軽いと律が判断する状態のCBは先ほどの鉄の塊と比較して軽かった。
それもそのはずだ。
実は律が認知していないことだが、この赤いCB、なんとNC31だった。
最近では非常に珍しくなった初代CB400SFである。VTECのない常時4バルブモデルであり、教習仕様も常時4バルブ仕様。
こちらの重量は195kg~197kg程度しかなく30kg以上も軽かったのである。
教習車のCBは取り回し重視のため、燃料は満タンにさせない。
入れても8L程度。
となると装備重量が標準で194kgのNC31は10kgもダイエット可能だが、その分は安全用のクラッシュバーで相殺されていた。
そのため、重いことは重いが、先ほどの「スタンドを出すのにも一苦労した」240kgの存在と比較すると非常に軽い。
取り回しについて律はフラフラしながらもなんとかこなすことができた。
「じゃこっちきて」
8の字をなんとか成功させた律は、そのまま指導員に促され、広い場所に停車させられる。
「ちょっとまってな、よっと」
指導員はそのままセンタースタンドをかけた。
「これがセンタースタンド、メンテナンス時なんかにかける時のものだ。今からちょっと見てもらいたいもんがある」
そう言うと指導員はCB400のエンジンをかけ、そして計器類の確認を行った後に律に各種計器やボタンの基本的な説明を行う。
「見てのとおり、こうやってクラッチ入れてシフトチェンジすると――」
壮年の指導員はセンタースタンドをかけたまま右足でシフトチェンジペダルを操作する。
ガチャコン ドルルルン
CB400が1速に入る。
回りだす後輪。
「――後輪が回って制動力が得られると、じゃまずはまたがってくれ」
いよいよその時がはじまった。
「コースを周回前にギアチェンジが出来るようになってもらわんといかんからな」
そう言って、教習のため自身もセンタースタンドをかけさせられ、その状態でさらに乗車させられた律は、ギアチェンジの練習をすることになった。
~~~~~~~~~
ガシャコン、ガシャコン、グオオオオン
「おりょ、音羽くん、君MT車かなんか乗ってたか?」
ギアチェンジの練習をしてすぐさま、特に違和感なくシフトチェンジする律に対し、指導員は驚いていた。
「事故直前に仕事で乗ってたヤツMTだったもんで……」
「マジか、配達車両はまだMTなんか……いやはや……よし、よし、これで十分だ。じゃあこれからコース周回に入るが、一緒に2週したら私は小林さんの指導に入らないといけない。今日は後30分ある。ここのコースは3速までで周回するが、彼女に指導した後私が戻ってくるまで、ギアチェンジの練習をコース内でしつつコースを時計回りで回り続けて感触を確かめてくれ。君は免許所持者なんでコース周回に常に付き合う必要性はないんだが、くれぐれも交通ルールは遵守するように」
二輪ライダー律、デビューの瞬間であった――




