引き起こしと岐阜のライダー(前編)
思った以上に長くなかったので分割。
「ああ、うん……んぁ? あぁ……」
男性は電話を一通り終えると舌打ちした。
「どこの世界にバイク屋もやってる男にライダー目指す人間に対してその行動を抑制しつつ説得しろとか頼み込む親戚がいるんよ全く……」
イライラ感から貧乏ゆすりのごとく足踏みを小刻みに繰り返し、まとまらない考えにさらにイライラを募らせる男の姿があった。
岐阜は美濃の美濃加茂市の離れ。
男の経営するバイク屋は今日も盛況であり、いつものごとく営業を終え夕食がてら一杯やろうかと思っていた矢先の出来事。
突如親戚からかかってきた連絡は、自身の弟分の復活の知らせと「まるで狂ったように突然ライダーに目覚めたのを静止して欲しい」という親心による助け舟の要請。
しかしこの兄貴分たる男、音羽光にとってむしろ弟分がこちらの世界に来ることなど全力で応援したい気分であり、
かといって良心もある光にとっては兄貴分なら説得できるであろうという両親の思いとの板ばさみに心悩ませていた。
光は律の両親に何度も助けてもらった恩がある以上、本来なら助け舟の要請に応じて律を説得しなければならない立場であったが、出来ればこちらの世界に引き込みたい。
何よりも律が目指す夢を否定する気になどなれなかった。
そして光はどうして律がこの世界に突如目覚めたのか、その理由もなんとなく予想できていた。
「たっだいま~」
追い詰められるとよくやる癖である親指のツメを噛んでいる所であった、光の下に燐として元気のある少女の声がこだまする。
「お、おう。おかえり」
普段ならやや遠くから聞こえるかすかなエンジン音で、今目の前にいる愛娘の帰宅にすぐさま気づく光ですら、この日は声をかけられるまで気づくことができなかった。
「光くん……なにかあったん?」
父親の様子が普段と違うことに娘はすぐさま気づき、心配そうに顔を覗く。
「あ? ああ、律がな、復活したんよ」
光の一言に少女は目を輝かせた飛び跳ねる。
「ウっソッ! 律くん復活したんか!?」
「それだけじゃなくてだな……どうも突然ライダーに目覚めて言う事を聞かないらしいんだわ。最近歩けるようになったばっかだってのに教習所に行くと言い切ってるらしくてな」
光は溜息を吐きながら腕を組む。
「え、だってクリスマスの頃まだ目覚めてなくてチューブに繋がれた状態やったやんか!」
「せやか……コホン、だからまぁ俺に説得しろってことらしいんだが」
「ほへー あ、私着替えてくるっ!」
ライダージャケットを着込んだ少女はドタドタと走りながら店の奥の自宅に入り、自室へ駆け込んでいった。
その姿に今までの悩みが吹き飛び、「ほんといつも元気やなー」と思わず光は笑ってしまう。
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「それで、律くんはいつから教習所行くんやって?」
「明日だと。せめて俺の助言ぐらい聞いてからライダーになってほしいとは思うんだが……」
食事時。
シングルファザーである光はいつものごとく夕食を娘と共にした。
「あ、じゃあ私この後律くんに会いに行ってくるっ!」
「は?」
突然の一言に光は思わず掴んでいたおかずの竹の子をテーブルに落としてしまった。
「何を言ってんだ綾華! 本気かぁ、お前」
「お見舞いついでに様子見てこようかと思うんよ。あかんかな?」
「そなことないが……(うっ…)」
ふと光が綾華の方へ向けると、少女は頬を赤くし、まるで思い人を見るようにテーブルのどこかへ視線を向けていた事に気づく。
その姿に光は(まだアイツの事思ってたんかいな……)と娘の一途すぎる思いにやや引き気味だった。
音羽綾華
年齢16
ようやくその年齢に達して二輪免許を獲得したばかりの娘は、二輪に乗り始めたのは3歳の頃。
幼い頃はポケバイにハマり、その後ミニバイクレースへ。
父親は「稼ぐならオートレースだぞ」と助言していたが現在はジムカーナに精を出す、いわゆる「絶滅危惧種の中の絶滅危惧種」たる女性……女の子ライダー。
実は父親である光はライダーにするつもりなど毛頭なかった。
しかしカエルの子はカエル。
バイク好きが講じて生活のためにオートレーサーになり、現在も現役である父親の濃すぎる遺伝子を受け継いだ綾華は、「自転車に乗るよりも先にバイクに乗ってしまう」という恐ろしいまでのバイク好き(中毒者)となってしまった。
普通なら補助輪をつけた自転車か三輪車をキコキコと動かす年齢ですでにポケバイを乗りこなす彼女にとって自転車などというものは「旧世代の異物」であり、16歳となった時に免許を獲得する際は、
「これまでレース車両しか乗ってこなかったから」と父親に教習所で今一度初歩から学びなおせと指示され教習所に出向いた際は、指導員に「この道13年のベテランやから!」と言い切るほど自信があり、
事実指導員をして「一発試験でよかったんじゃないの?」と言われるほどの腕前だった。
そんな彼女は幼い頃、一時期律の両親に預けられたことがあり、彼女にとって律は「兄」そのものであったし、「兄以上の何か」という想いを心に秘めていた。
しかしその一方、律は「車! 四輪!」という信じられないほどの熱狂的四輪フリークであり、これまで何度もあの手この手を駆使して誘惑して二輪の世界に引きずり込もうと必死だったものの、ついに叶わなかったという過去がある。
その律が己と同じ道へ進むかもしれないと思うと綾華にとっていてもたってもいられるものではなかった。
「本気で行くんか、お前」
父親の正気か?というメッセージに綾華はものともしない。
「せやって、律くんとこ行ってウチの店の在庫のどれ買うかアドバイスせなな! 丁度FTRとCB223Sの在庫あるやんか? アレええと思うんやよ」
「いやアレは真にかつてのホンダを求めるお客さんに売約済みだから……」
「なんや。どうせ売れへんのにぃー。律くんの性格からして私は絶対FTRがええんやないかと思っとるんよ」
その視線は父親を向けていたが、光には自身を通してその背後に浮かび上がっているであろう律の姿を背中に感じた。
今の彼女にはもはや律しか見えていない。
しばし考え込みつつ胃を満たすために箸で夕食を口に運び込む光であったが、脳内では情報整理ができていた。
(ふむ……あえて綾華を送り込んで親の方を説得させた方がいいかもしらんね。俺が直接出向いたら律も気負ってしまうかもしれんし。どちらにせよ説得してやめさせようなんて気はサラサラ無い……だとしたらオブラートに包みつつ邁進させるには綾華の方が清涼剤になるか?)
「よしわかった。お前明日休みだったか。んじゃ行って来い」
あえて自身の考えについてベラベラとはべらせて困惑させることなく娘の背中を押す光。
実は光は綾華と律が付き合う事についても特に否定的なものなどなかった。
一応、どう考えてもただの片思いであるという確信はあったが。
自身も両親含めて何度も律に助けられ、そして律という男の性格を良く知る一人。
律が事故に遭遇し、その姿を見て一時期生気を失っていた綾華が、周囲にオーラのようなものをまとうほど元気になっている以上、今後の事を考えても律に会わせた方がいいと思ったのだ。
「ホント!? じゃこの後すぐにでも――」
「出るなら早朝な。深夜の走行はお前にはまだ早いし美容の大敵。俺も流石に律と一緒でもなけりゃ許可できんぞ」
「うぅぅ……そんなぁー」
「早く会いたい気持ちはわかる。AM4時以降の出発は認める。深夜の中央道なんて走ってみろ。高速の経験もまともに無いお前とお前の愛車じゃ危険すぎる」
早まる気持ちから肩を落とす娘に対し、光は父親として声を荒げる事なく冷静に嗜めるようにして綾華を説得した。
こういう時が一番危険である事を光はよく知っていた。
この32歳の青年である光はこれまで何度も修羅場を経験し、人生経験は豊富である。
人生初のガールフレンドを不注意から妊娠させてしまったこの男は責任感が非常に強く、
周囲が「中絶しろ」と圧力をかける中、「命を粗末にはしない」と真っ向からそれを否定した。
「自分が全責任をとる」といいつつも、高校を卒業しつつ子育てをしながら働きつつ大学へ。
綾華の母親にあたる人物は若すぎた故にすぐさま育児ノイローゼを起こして育児放棄。
責任を取ると主張していた光は婚姻も考えるほど本気であった一方、母親のほうは「若気の至り」としてそのまま彼女の家族共々どこかへ消えていった。
以降、彼らとは完全に音信不通のまま現在に至る。
そんな時、何時も頼りになったのは当時まだ10代真っ盛りの律とその両親。
律は数多い親戚の中でも年齢が近い故か特に光を慕っていたが、その姿を懸命に支援し続けた。
当時ボランティアでジュニアリーダーとして地域活動を行っていた律は、周囲に「あの子の兄だ」と言い切っており、それによって綾華は周囲から虐め等を受けることなく明るく元気に育つことができた。
特にイベントなどを主催するなどして地元の子供に慕われるジュニアリーダーという立場は綾華の幼い頃の育児環境にとってプラスに働いた。
授業参観などがあると律の両親は仕事そっちのけで駆けつけ、周囲は完全に律の両親を本当の親だと勘違いしていたが、教師や学校はあえてそれについて一切触れなかった。
同じ一族であり、苗字が同じということでこれらの作戦は完全に上手く行ったのだった。
彼女の事情を知るのは担任、学校の校長など一部と本人のみ。
綾華は恵まれた家庭環境と、光の姿からグレることなく育つことができた。
その後9歳になった時、光の努力も実り岐阜の光の親にあたる祖父母と住むことになり、そのまま時が過ぎて現在に到る。
そのような環境を提供してくれたため、律とその両親には恩人なんて言葉では言い表すことのできない恩義を感じていたものの、常日頃「俺はどうしても10代で車に乗りたいんだよ……光兄と何度も相談を持ちかけられた事を知っている光は現状の状況は血が沸騰するほど悩ます問題ではある。
しかし綾華なら、乙女チックモード爆発中の現在の綾華なら「仕方ないか」と両親が諦める可能性がある。
なぜなら律の両親もまた、綾華を実の娘のごとく大変かわいがっており、綾華には律と違いかなり甘い対応をすることを知っていたからである。
綾華が律に対して初恋の相手としてみてしまうのも当然として理解していた。
あの頃の律は、律が自分自身で知らない以上に黄金に輝いて見えたのは綾華だけではなかったのだ。
律自身が「格好つけただけの過去の栄光、ただの道化」と吐き捨てる姿は、決して律が思うほど悪いものではなかった。
だからこそ「もしそういう状況になっても律なら任せられるな」と常日頃考えていたのである。
むしろ、綾華が律以外の得体の知れない人間を連れてきて「私の彼氏を紹介するわ!」とかやりだしたほうが精神的ダメージは計り知れなかった。
父親としては綾華が律へ向けば向くほど安心できるという謎の状態が存在していたのである。
ところで綾華は自身のことを「光くん」と呼ぶが、これには律の両親に原因の1つがある。
「光と私、両方ともおとーちゃんと呼んでいいぞ」と常日頃、律のの父親は綾華に言い聞かせていたが、やはりあまりも若すぎる光の姿に「おとーちゃん」と呼ぶのは難しく、いつからか「光くん」と呼ぶのが癖になってしまった。
父だと思ってはいないわけではないが、光も自分の年齢から「お父さんなんて呼ばれる歳でもないしいいか」と思っていたが、30代を過ぎた頃から「たまには父と呼んでほしい」などと思うようになってきた今日この頃である。
さて、その後夕食を済ませた二人は仲睦まじくいつものように二人で洗物を片付けると、綾華はいつものごとく風呂に入っていった。
ただしその姿は完全に「想い人にうつつを抜かすメス」そのものであり、光はその姿に複雑な心境となった。
風呂場からリビングまでに響くテンションの高い鼻歌から、
(もう……そういう歳か……)と感じずにはいられない。
晩婚の今の時代、お互いに今の年齢ぐらいがそういう時期であると認識する光は何やらおいてかれたような気分のであった――




