敦賀の半島と舞鶴 敦賀→京都府(舞鶴市)
社会人ならすでに仕事に精を出し始める時間帯。
春先のやや冷たい風を受けながら、松の生い茂る海岸で休息していた男は自分のおかれた状況に震えていた。
「あっれえー…おっかしいな。なんでないんだろうか……」
本日の最終目的地に目星をつけるため、舞鶴~豊岡あたりを検索していた男は、地図上のアイコンにネットカフェ関係のものが何も表示されないことに凍りつく。
そう、原因は西に向かうにあたり、北近畿がその地獄の片鱗を見せたからである。
敦賀を越えて西に向かう場合、それも海岸線沿いを走るとした時、ツーリングライダーゆかりのネットカフェは「鳥取」まで存在しないのである。
あれだけ田舎だどうだこうだと叫ばれる鳥取と島根だが、ちゃんとネットカフェぐらいはある。
だが、舞鶴から豊岡を経由しての鳥取まで「何も」ないのである。
直近の場所は舞鶴から南、福知山まで下ってはじめてある程度。
つまりは、寄り道などしていると宿泊地に困る状態にあるのだ。
現状判明している方法は2つしかない。
国道を駆け抜けて鳥取まで向かうか、舞鶴から福知山に下るか。
だが、律は今回「日本海」を徹底的に楽しみたかったのである。
今の時間から鳥取に向かうと鳥取では何も出来ない。
砂丘を楽しむのは翌日としても、その鳥取までの間に一切寄り道出来ず、舞鶴にて昼食を採ったらそれで終わりである。
そこから南の福知山に下るのは「負け」のような気がして絶対に嫌だった。
山陰から北近畿に下りたくないのだ。
困り果てた律は光に相談をしようとした所、オートレース出場中の光は不在で、代わりに上田が電話に出てきた。
律は、現在敦賀にいることと、敦賀に向かえと教えてくれたことに感謝している旨を伝えた一方、格安旅にしたいのに周辺の宿泊地域に恵まれないことを素直に嘆いて助けを求める。
すると上田は「丹後半島に行けばいくつか安宿があるし、最悪野宿という手もある」と主張した。
丹後半島。
天橋立などを代表する名勝地がいくつもある観光スポットに恵まれた地域。
一般的に「ただ鳥取を目指す」というだけなら、下道ならば福知山付近から9号線を走ったほうが速い。
渋滞を回避するために山陰と山陽の中間を縫うようにして走るという方法もある。
だが、「観光」という形も含めて道を楽しむなら丹後半島の海岸線沿いに迂回した方が景色に恵まれ、バイク旅らしいツーリングが出来る。
国道27号線や国道175号線、9号線の途中までは山側を走るので、それなりにワインディングは優れた道路でかつ走りやすい場所なのだが、走った際に記憶に強く残るのは丹後半島側を迂回した方だと言える。
丹後半島側を走っても、結局は鳥取あたりで9号線を走ることになるのだが、鳥取以西の9号線は湾岸線沿いを走るので素晴らしい景色が広がる反面、9号線のその鳥取までの道のりは割とどこにでもある山間の風景。
上田は、そのことを説明しながら「急がないなら丹後半島を楽しんで、丹後半島内の安宿、例えば俺も昔使ったことがある、はしうど荘あたりにでも泊まったら?」――と、律に勧めた。
その上で「あそこはムカデとかナメクジとか普通に出るような金額相応の安宿だけど、近くの海岸には立岩などもあって日本海などを楽しめるぞ」と言い、
その後も、数分ほど世間話を続いた後に電話を終えると、
律は「はしうど荘」について調べてみたが、確かに「そこまで高くは無い」状態だったので早速ネットで予約した律は、丹後半島へ向けて日本海側をずっと進むルートでツーリングを行うことに決めた。
敦賀からは途中「三方五湖レインボーライン」を通り、山頂公園を楽しんでから舞鶴、そして丹後半島へと舵を切る予定を作る。
そうと決まったら時間が惜しいので即座に出発。
まずはすぐ近くにある昭和シェルのスタンドでガソリンを補給し、満タンに。
そこから西へとアフリカツインを走らせる。
ただし、いざ俊敏な動きでガソリンを満タンにして向かった先は国道27号線ではなく、県道33号線であった。
なるべく「海岸線沿い」を走りたい。
そう考えたためである。
律は、敦賀半島側へのアプローチを試みたのだ。
ガソリンを補給して再び戻った松原公園付近を左折し、そのまま県道33号線にて北上を開始したのだった。
敦賀半島。
別名「原発半島」
この半島だけで7基もの原発が存在する。
日本至上初の原子力発電所敦賀原発1号機と、散々金を浪費した割には大した活躍もせず終わった高速増殖炉もんじゅはこの半島に存在し、上記2基が廃炉が決定された後も新たな原子力発電所が2基作られ、7基体制は変わらない。
関西に向けて電力を生み出す要の地域は、こんな所にある。
敦賀の都市を昭和以降発展させた要員となった施設であると同時に、常にリスクを背負って生きている敦賀の実態がそこにあるのである。
律も敦賀原発については知識としてはあったものの、それがどこにあるかはいまいち把握できていなかった。
ナビから見える「もんじゅ」という文字と「原子力館」といった文字からようやく、今走っている場所が原発関係の施設へ向かうための県道だと知り、少しヒヤっとした気分になるものの、
「(まぁ爆発したわけじゃないしな)」と、特にそれを気にせず33号線を北上した。
北上して数分は木々が邪魔をして敦賀湾がまるで見えなかったので「失敗したかな」と感じた律であったが、
次第に木々は無くなり、やや高台に位置する道路から右手に広がる敦賀湾を見ることが出来るようになり、己の選択に間違いがなかったことを確信し、そのまま進む。
この県道は途中で半島を横断する形となるが、半島外周を周遊する道路は無い。
事前にそれを調べていた律は、素直に県道33号線を突き進むということを心に決めていた。
途中、名子という漁村を通りつつ、北陸のリアス式海岸を堪能した律は左折して竹波方面へ。
すると、しばらくの間上り坂に入り、トンネルへと至った。馬背峠トンネルである。
やや長いトンネルを過ぎると今度は下り坂となる。
周囲の山々の植物からして「紅葉」の季節はツーリングスポット並びにドライブスポットであるのは間違いなかった。
両サイドを畑に囲まれた状態で5分ほど進むと突き当たりに。
右折すると、よくニュースで話題になる美浜原発にいけるらしいが、今度は南下しなければならないので左折する。
左折すると驚くことにガードレールがなく、右手に砂浜が広がる状態で県道が敷かれていた。
律は「こういう所に来たかったんだよなー」などと呟きながらも南下。
稀に松が見える海岸線沿いの景色は素晴らしく、
どうせなら敦賀半島を周遊したかったと思わざるを得ない。
道路がないので不可能だが、恐らく行き止まりまで向かえばそのような景色が続いていたのであろうことは予測がつく。
その分の鬱憤は丹後半島にて晴らすことに決めた。
10分ほど南下すると弁天岬へ。
本来なら観光スポットである弁天岬だが、道路から岬が見えただけで十分だった律は、特に途中下車することなくそのまま33号線を南下した。
正面にはリアス式海岸が広がり、太平洋のように、陸地から遠い場所でなければ雲が日本の山脈にぶつかった影響で妙な形状になるということがなく、ありのままの雲とリアス式海岸の組み合わせはまさに「日本海」といったところなのだが、
律は「(走るだけでこれほど楽しめる道もそう多くない)」と感じ、車体を腐らせる潮風は気に留めつつも「(海岸線沿いも悪くない)」と感じずにはいられない。
33号線は稀に山を切り開いた場所なども通過し、その際は海岸線沿いからやや離れた場所を通るが、基本はずっと海岸線沿い。
そこを走り続けるのは間違いなく「車体にはよろしくない」状態ではあったが、そんなものがどうでもよくなるほどの景色がそこにあった。
そのまま美浜町を進み、北田にさしかかると律は一旦停車する。
日本海を一望できる展望台と駐車場があったためである。
律はそこで小休止し、短時間ではあるが写真撮影会を執り行った。
日本海や天王山を背景に愛車を撮影し、それに満足すると再び出発。
そのまま33号線を南下し、道の終わりの突き当たりにぶつかると左折して県道225号線へ。
こちらも景色にすぐれた快走路で、ツーリングスポットとしては人気がある道であった。
県道225号線も先ほどと同様の景色の優れた道が続くが、そこをそのまま進んで坂尻へ。
坂尻の交差点に入ると、律は特に意味はないが右折した。
225号線はこのまま国道27号線とぶつかるのだが、律は、なんとなく「なるべく海に近い場所を進みたい」と考えたのである。
右折した先にはトンネルがあったが、
この周囲の天王山がある周辺には人家もなく、道もないのであるが、何となくだがそのような道を通りたくなり、市道のような場所を走り抜けて美浜町美浜へと向かう。
トンネルを抜けた先はずっと田園風景が広がり、そのまま道なりに進むとレインボーラインと書かれた看板が見えたので右折して県道214号線へ。
214号線に入って進むと、しばらくして「三方五湖」と「レインボーライン」と書かれた看板が再び目に入り、それにしたがって左折する形で214号線をさらに西へと進む。
田園風景の広がる場所をさらに突き進むと突如左手に海のようなものが現れて驚く。
地理的に「こちら側に海」はないはずであった。
ナビを確認するとそれが三方五湖が1つ、「久々子湖」であることを知る。
案外大きい湖に驚きつつも、三方五湖は山頂公園からの眺めが最も良いとの話から、一時停車などすることなくそのまま214号線を進んだ。
ナビを見ると、次第に陸地は狭くなり両サイドを海と湖に挟まれる状態となっているが、残念ながら住宅が広がりその様子は殆ど見ることが出来なかった。
海と湖をつなぐ橋を渡り、湖の北端を周遊する形で214号線を進むといよいよ有料道路の三方五湖レインボーラインへと入っていく。
今回のツーリングにて二度目のレインボーラインである。
常神半島を横断する場合、このレインボーラインを通らなければならないため、この場所に来て西に向かうという場合はここを通らなければならない。
214号線で日向湖に向かった場合は、三方五湖を無視して南下して国道27号線に入っていかねばならず、常神半島はスルーして進む形となる。
ただ、この三方五湖レインボーロード。
あの「高い」と言われることで有名な箱根ターンパイクより高額な700円。
「旅行」という名目でなければ中々気軽に入れる金額ではない。
予め料金について調べていた律ですらも、覚悟を決めたとはいえ「痛い出費」と感じるほどの値段だった。
だが、「きっとそれなりの景色が見られるはず」と意を決して左折し、三方五湖レインボーロードに入ってみると、
信じられないことにしばらくは全く景色が皆無の両サイドを木々に挟まれた道路が続く。
数分後、料金所に到着するが「(引き返そうかな)」と思わずにはいられないほどの状況であった。
しかし、ここから引き返すとなるとかなりの時間のロスになる上、「せっかくの旅行であるし」ということで700円を支払って料金所を通過した。
が、残念ながら料金所より先が景色に優れているというわけではなかった。
料金所を通過すると本来は「日向湖」が見えるはずなのだが、全く見えない。
しばらく進むと稀に木々が減ってチラチラと見えるのだが、律が想像していた道と違っていた。
そのまま我慢して進むとようやく待避所らしきものを見つけ、日向湖が一望できるので一旦停車。
日向湖と水月湖を見て写真を収め、すぐさま出発。
そこから再び景色に優れぬ道が続き、律は「これ有料道路じゃないの!?」と独り言を嘯いてしまうほどだった。
迂闊であった。
三方五湖道路は、観光サイトの紹介においても「道路からの景色が素晴らしい」などとは書いていないのである。
他の有料道路は景色も売り物としながら有料としているのだが、ここはあくまで「三方五湖を通りぬけながら常神半島を横断する」だけの道路だったのだ。
道沿いに観光スポットはあれど、道路自体が景色という思い出となるものを提供してくれる事はなかった。
それを証明するがごとく、先ほどの待避所から5分ほど進むと「日本海展望台」という場所が付近に二箇所続いて存在し、
この道が「一時停車して眺望を楽しむスポットが各所にあるだけの」単なる峠道であることを律はその身でもって理解させられる。
日本海を臨む展望台で数分休憩しながら双方の展望台にて写真を撮影した後、再び出発した際には、少しの間だけ日本海の景色が見えた後は単なる峠道に戻ってしまった。
ヘアピンを2つ抜けると今度は美浜町や日向湖、久々子湖を一望できるスポットに到着。
「(走りながら風景を楽しませたくないのか……ここは、ライダーにはあまり優しくないな……)」
停車する際にそれなりにリスクがある大型二輪にとっては、駐車場など、取り回しが必要だったり低速転回などを多用しなければならない場所では気を使う。
一見すると傾いていないように見えて下り坂になっている駐車場では、出る際に苦労するので体力も消耗する。
なので、まだ経験が浅い律としては峠道の駐車場はなるべく駐車したくないのだが、「三方五湖レインボーライン」はそれを売りものとしている道なので、仕方なく集中を切らさないようにして展望台を楽しんだ。
その展望台は上り坂にあったため、出入り口にかなりの傾斜があり恐怖を感じたものの、何とか転倒することなく、少々の一時的な休息の後、再び三方五湖レインボーラインへと戻ることができた。
そこから1分ほどの距離で山頂公園に向かうための駐車場があるY字路に差し掛かる。
本日の目的地の1つがそこなので、左折してそちらへと向かい、上り坂を上って駐車場へ。
駐車場は二輪専用の区画がないために自動車用の場所を使わせてもらう。
駐車させてカメラなどの荷物を取り出すと、発券所のある受付へと向かった。
料金は公園の入園料とリフト&ケーブルカーの往復料金を合わせて800円。
律は「(これだけで映画1本分か……)」――などと思いつつも、その金額を支払った。
その上でリフトとケーブルカーどちらに乗るか迷うが、どちらも絶景が見えるとのことでリフトに乗る。
リフトからの景色は「絶景」というほどではなかったものの、リフトに乗った先にある山頂公園からの景色は三方五湖全てが見渡せるので「絶景」で間違いなかった。
さすがに観光名所として宣伝されるだけあって、汽水湖といっても塩分濃度の影響によって色合いが異なる3つの湖と、淡水湖と海水湖の2つからなる計5つの湖全ての違いを視認できる山頂公園は料金を支払ってまで見る価値があると言えたものの、
それが無ければ「700円」という金額は絶対に納得できないクオリティの有料道路であった。
二輪での有料道路走行の経験は未だに殆どない律であったが、
学生時代の修学・観光旅行での自身の経験や、車などで旅行に行く者たちが口々に「有料道路は走行中の景色も楽しめるような場所だ」と言っていただけに期待していた所、見事に裏切られてしまったので、「山頂公園に向かわないなら三方五湖レインボーロードに向う価値無し」と素直な評価を下す。
後に別のツーリングにて同じ区間の国道27号線を通ることになる律だが、その際に景色が良かったことでその評価は不動のものとなる。
15分ほど山頂公園からの景色を眺めていた律は帰りもリフトを使った。
そこでようやく「リフトから見える絶景」の意味を理解する。
そう、登りよりも下る方が絶景を見ることが出来るのだ。
ようは「登りはケーブルカーを使ったほうが景色は優れている」のである。
リフトだと後方を確認しにくいため中々気づかないが、周囲の地形を冷静に見てみれば当然である。
律は今度、この場所に向うという人間と出会うことがあったならばそのことを伝えることを忘れないようにと頭の中にその光景ごと刻み込み、
そしてリフトを降りた後で即座にCRF1000に乗って休憩も無しにそのまま三方五湖レインボーロードの出口まで進んで行った。
途中2つほど展望ゾーンがあり、そこで多少休憩がてら写真などを撮影したが、結局、その後の道も殆ど状況は変わらず、稀に景色が良い場所がある程度であり、
道としてみた場合は「最後の料金所あたりまでの下り坂から見る水月湖と水月湖の先に広がる町並みが三方五湖レインボーロード内の道路からの景色で最も記憶に残るほど美しく」、そして有料道路を越えた先にある県道216号線の方が、湖畔沿いを進むので景色としては優れていた。
県道216号線を進んだ後は、右折して国道162号線へ。
再整備が遅れたこの周辺は別名「酷道162号線」と呼ばれているのだが、つい最近通った「酷道152号線」よりさらに酷な状況で、
右折した後に通った長いトンネルを抜けると、対面通行不可能な狭い海岸線道路が続く酷道であった。
そこを当たり前に大型ダンプなどが通ってくるので大型車両が通るたびに一時停車しなくてはならず、律は「この先もずっとそうなのか!?」と発狂しそうになるものの、
15分ほど進むと片側一車線の二車線道路となり、舗装状況も良くなった。
若狭町の食見海水場を抜けると再びトンネル。
トンネルを抜けると、若狭湾へと向う道と小浜市方面へと向う分かれ道が見えたが、若狭湾の先は行き止まりなので小浜市方面へとバイクを進ませる。
以降は2度トンネルが連続し、田鳥へ。
田鳥では日本海の姿を何度か目に過ぎるが、田鳥の集落を過ぎると再びトンネルが連続する。
律は「(この道はリアス式海岸の山をくり抜いて通した道なのか」と、国道162号線が割と新しい道であることを理解し、「まるで東海道新幹線の静岡付近みたいで面白い」などと思いながらも走り続けた。
志積を抜けると再び景色が良くなってくる。
特に志積を抜けた瞬間の高台の右カーブからの若狭湾の景色は素晴らしく、一時停止しようか迷うほどだった。
だが、舞鶴に午後までに到着したかったので景色を心に焼き付けながら進むことにする。
どちらにせよ車載カメラによって道からの風景映像は常に録画している状態にあったので後でそれを楽しむことは可能だった。
犬熊を抜けると国道162号線は福井県道33号線と同じく内陸側を走る。
この内外海半島もまた、周遊する道もなく人家も西側を除いて殆どない。
律はナビの状況を見て「こういう所に秘密結社とか悪の組織の連中が秘密基地をこさえていそうだなと思う自分は子供なんだろうか」などと妙なことを考えつつも、162号線をそのまま進んで行く。
そしてトンネルを抜けしばらく進んで交差点付近に到達した時のことである。
突然妙な名前の看板を見つけて立ち止まった。
「エンゼルライン」という見慣れない名前の言葉がある。
一時的に路肩にCRF1000を停車させた律はすぐさまスマホで調べだした。
「久須夜ヶ岳エンゼルライン」
元有料道路で、現在無料で開放される 久須夜ヶ岳山頂付近まで向うことが出来る県道。
複数ある駐車場から眺める若狭湾・小浜湾などの景色は絶景であり、行楽シーズンともなるとその景色を見るため多くの観光客が訪れる場所。
スマホで検索した律は一連の写真を見るや否や即座に右折して県道107号線に入った。
「三方五湖レインボーライン」の失敗をこちらが埋め合わせてくれるのではないかと期待したのである。
「海近っ!?」
左折した律をまず出迎えたのは県道107号線のガードレールの脇を波が漂う小浜湾の状況。
思わず一時停車して、その道路の状況をデジカメで撮影してしまうほどだった。
台風などがあれば間違いなく「通りたくない」場所であるが、幸いにも本日は晴天であり、ユラユラと太陽光を反射しながら揺れる水面を横目に走り抜けると、それだけでも「迂回した価値があった」と思わずにはいられなくなった。
律はなんだかテンションが上がってきていた。
そんな状況がしばらく続き、一旦内陸側に入るとエンゼルラインの看板が見えたので直進。
いざ山頂へと目指す。
久須夜ヶ岳エンゼルラインは最初のヘアピンカーブを抜けた先からレインボーラインとは全く異なっていた。
木々に囲まれた道ではあるものの、かなり開けた場所から日本海側の景色が見える。
元有料道路らしく「景色を見せようと」努力した形跡が見られ、しばらく進むと未だに解体されぬ料金所施設を通り過ぎる。
料金所を抜けた後のカーブでも綺麗な景色が見え、以降も「ここは景色が良いだろう」と言えるような箇所は木々が生い茂ることなく開かれた状態となっていた。
その道は完全な峠道ではあったものの、半島の中央を縦断する形で久須夜ヶ岳の山頂付近へと駆け登る道であったが、
かつてのこの道が「レインボーラインより安かった」とはとても思えないほどの景色とワインディングの良さである。
長い時は500mほどの直線の間、ずっと景色を横目に走れるような状況で、その直線が終わって再びクネクネとしたS字カーブに入ったかと思えば今度は左手側に景色が広がりを見せる。
左側に広がる景色はある程度長い間続き、行きも帰りも楽しめることを律に教えてくれ、「700円払うぐらいだったら、エンゼルラインの方がよほど言い」とハッキリ認識させた。
内外海半島の山々の景色も美しく、山も見えなければ海も見えないレインボーラインとは違う。
標高が上がる度に角度が変わって表情を変える海と山の姿は、見ていて飽きることがない。
右側、左側と開けた場所が続き、しばらく進むとT字の交差点にぶつかる。
第二展望台と書かれた看板があるので律は迷わず左折した。
左折して150mほど進むと駐車場があり、そこから徒歩で向うことができる場所に簡易展望台ともいえるような場所があって、その場所から目にする宇久湾は絶景であった。
宇久湾の先の東側、その遠くに見えるのは若狭湾だけでなく、敦賀湾すら見える。
この場所、実は霧が出たり雲に囲まれたりする上、度々通行止めになる。
運が悪いと4回、5回と訪れないと、まともな景色を見ることが出来ない。
たった1度目の挑戦でクッキリとした敦賀湾すら見えたのは律にとっては幸運なことであった。
本人は全くそれを理解しないが、少なくとも第二展望台から見る若狭湾とその先の敦賀湾が絶景であることは理解し、何度もカメラのシャッターを切ってその姿を記録する。
自身が塞翁が馬とも言うべき幸運に恵まれている事も知らない律は、10分ほど周囲の絶景を楽しんだ後、再び出発した。
第二展望台駐車場を出た律は左折。
左折してしばらく進むと待避所のような展望台のような場所があったので再び一旦停止。
そこから臨む小浜湾の姿もまた素晴らしく、第二展望台と合わせて時間をロスしてでも見る価値があるものだった。
それらをきちんとRX1RM2のレンズに収め、律は再び出発。
その後も開けた場所から小浜湾などが見える状態が続き、7分ほど進むと入り組んだ道路に入り、第一駐車場へと到着する。
その場所に到着した律は言葉を失ってしまう。
大鹿村の360度パノラマとは言えないまでも、270度パノラマはあろうかという雄大な日本海の景色は、そこが「無料」であることなど忘れてしまうほどの眺望である。
大鹿村と違う点は、そこから臨む景色が「ここは日本である」とはっきりと伝えてくる日本らしい、日本でしか見えないような表情のリアス式海岸の半島が目に入ってくること。
これまで律は、このような「日本の半島」というものを目にしたことがなかった。
途切れ途切れに存在し、やや遠くにある雲がその景色を表情作り、自分が今「日本にいる」ということを強烈に思い起こさせてくれる。
たとえば長野県などの高原などに向うと「ここが日本であることを忘れる」というが、この場所はその真逆。
その景色をみた律は「そうか……俺って日本人だったんだ……ここは日本だったのか……」などと、現実感を喪失して妙なことを口ずさんでしまうほどである。
立てられた看板から小浜湾や若狭湾、越前岬などを確認すると、それらをカメラに収めつつ、その光景を目に焼き付けた。
レインボーラインの失敗はその時点で完全に帳消しされ、 再び北陸に訪れることがあれば間違いなくここに来ようと思うほどの景色が今、律の目の前にあるのだ。
実はこの場所、稀に山切りや雲が現れることによってまるで「天空」にいるかのように錯覚しながら一連の雄大な景色を拝むことが出来るのだが、それはさらに幸運に恵まれなければならない。
まずこの場所は晴れてまともに景色を見ることができる機会すら少ないといわれる。
晴れた日に訪れたことが出来た律はそれだけでも幸運だが、それ以上の幸運を目指すならば何度もトライしなければならない道路なのであった。
律はその景色の素晴らしさによってしばらく言葉を失ってしまい、終始無言ながら様々な方法によって写真を収めた。
特に、他のライダーがやっているようにバイクをなるべく展望台の柵ギリギリに近づけるなどしてバイクの後ろに若狭湾などが広がるような状態として写真撮影をし、
まるでアフリカツインの撮影会のような状態となってしまったが、それをやりたいだけの凄まじい背景がバイクの向こう側にあるので、他のライダーを模倣した律をさらに模倣するライダーが続くほどだった。
この場所には律以外に5人ほどライダーがいたが、それ以外に車は少なく、他のライダーも言葉を失ってしまったのかお互いに声をかける事無く、各々は自身が満足するとそれぞれバラバラに来た道を戻って行った。
律も20分ほどその場所で過ごした後、満足したのでエンゼルラインを下山したのだった――
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次の目的地は天橋立。
そのためにはまず舞鶴市へ向う必要性がある。
律は本日の最終観光地を天橋立と決めていた。
以降は「丹後半島にて偶発的に見つけた観光地に立ち寄りしてみる」程度に抑え、17時頃までに「はしうど荘」へ到着することを目論む。
エンゼルラインを下山し、再び162号線へと戻った律は、小浜市へと入っていく。
小浜市。
弥生時代の頃から開かれた土地であり、古墳時代に大きく発展した地域。
かつてここは国府であり、小浜市と敦賀を結ぶ道(現在の国道27号線)は平安時代に整備された官道と呼ばれる当時の朝廷が整備した道である。
ようは「小浜市と敦賀」までの道は古来においても国道と同じ扱いだった。
そのような場所であった結果、この地では平安時代以降に開創した寺が多くあり、国の重要文化財に指定されている。
とはいえ、寺好きでないと中々楽しめない地域であり、現在は付近の他の地域の方が発展している影響でツーリングライダーが立ち寄る地域とは言い難い。
どちらかといえばライダーにとっては舞鶴以西や南下して福知山方面などに向うための通過地点であり、律も同じようにして小浜市内の市街地を通過する。
周囲の建物の状況から、162号線が古来よりそれなりの街道として整備されていた場所だということがひしひしと伝わってくるのだが、周囲には立ち寄る店などは無く、律はほぼ無心のような状態のまま小浜駅まで162号線を進んだ。
小浜駅ではナビの指示に従って右折し、そして県道14号線を少し進んで左折。
狭い路地に左折して進入し、路地を抜けてさらに左折し、コの字を描く県道14号線を南下。
突き当たりの信号を右折して国道27号線へと入った。
国道27号線。
この周辺区間は進む方向によって2つの呼ばれ方をした街道だ。
敦賀から丹後方面へ向うのは「丹後街道」といい、逆に丹後から敦賀へと向うのは「若狭街道」という。
これを道路で当てはめるならば北側若狭街道で、南側が丹後街道ということになる。
律が走るのは丹後街道ということだ。
小浜市以西は別名「鯖街道」とも呼ばれ、丹後半島などで収穫された魚介類を小浜市まで運ぶための交易路であり、平安時代からすでに整備されていたとされる。
その一連の道が現在国道27号線となっていたのだった。
やや内陸側を進む27号線は新たに整備されたバイパス区間も多く、その多くはトンネルとなっている。
国道162号線も再整備されたことで旧道が廃道となっている区間がいくつもあるが、27号線も同様で、小浜市周辺の殆どがトンネルという形で挿げ替えられた新道という名のバイパス区間となっている。
付近には県道235号線などの湾岸道路もあったが、律はエンゼルラインで時間を消費しすぎた影響と、若狭湾はもう十分に堪能したため、27号線をそのまま直進した。
実は県道235号線は非常に道が狭く、湾岸道路なのに海側にガードレールが無い険道なのだが、律は偶然にもそれを回避していた。
その結果、田園風景が広がる田舎道である国道27号線を只管西へと向うことになったのである。
「(しかし不思議だ……同じ田園地帯でも茨城とは何かが違う……茨城から直線距離でも700kmは離れてるとは思うけど、周囲に生える植物の種類とか……何かが違うんだろか……)」
律はその田園風景が日本らしいありきたりな感じの印象を受けるが、それでも目を凝らしてみると茨城などとはイメージが異なることに不思議な感じがした。
説明は出来ないが何かが違うのである。
それが周囲を飛ぶ鳥の影響なのか、山間の植物の影響なのか、山陰地方という日本海側が成す何かによるものなのかはわからなかったが、とにかく「ここは茨城ではない」と風景を見るだけで即答できた。
田園風景を最も良く見たのはこれまでの律の人生経験上茨城県であったが、まちがいなくこの場所の写真を見せられても「茨城ではない」と即答できる何かがあり、それを律は感じるのだ。
同じ山間でも山梨と栃木では微妙にイメージが違ったことからも、自然が織り成す地域性の違いというのは地元文化に影響するだけの何かをもつことを理解させられる。
きっと、田畑でも用水路の工事手法などが異なることでそういうものを生み、さらにそこに複合的な要因が絡まってそう感じるのだろうと律は結論付けた。
その後、CRF1000はペース維持したまま小浜線と舞鶴若狭道路と併走する形で加斗を通過し、稀に見える日本海の姿を楽しみながら舞鶴市へと入って行ったのだった――




