彦根の黄ばんだ猫 守山市→夢京橋キャッスルロード(滋賀県)
コミネマン3シーズンへと、その姿が変貌した律。
店員からは「ライディングシューズもどうですか?」と勧められるものの、さすがに予算オーバーのため断った。
商売上手な店員によって選び出されたジャケットとライディングパンツの性能は、これまでの中途半端な状態とは「別次元」であった。
まずジャケット。
あれほどまで苦労したバタつきが完全に消える。
テキスタイルのデザインにしっかりとしたハードプロテクター。
JK-122は完全に律の体にフィットしており、走工事はふんわりとした感触で走行風によってジャケット全体が体に押し付けられる状態であったが、風で生地がはためくというようなことはなかった。
律はSALE品とはいえ、偽物ではない本物のライディングジャケットの性能を体感すると同時に、破損してしまったジャケットとこれが同じ価格なのだとは信じられなかった。
インナーは現在メッシュインナーを装備させているが、春先の現在はちょっと暑いかなといった程度の状態で、
適度にベンチレーション部分から流れる清流がそれなりに涼しく、ジャケット内部で循環して汗によるムレなどは感じない。
あれほど下道でもバタついたフードすらピシッとし形態を走行中にも保つことに「メーカーが違うだけでこうも違うのか……」と驚くと同時に、ライダーが口を揃えて「せめてライダージャケットだけは身に付けろ」という言葉の重みを理解した。
もし自分が他の駆け出しライダーから「最初に何が必要か」と問われることがあるならば、今後は「まずコミネあたりのジャケットを買え」と言ってもいいぐらい、まるで違う。
とにかく楽そのもの。
ジャケット自体の重量はハードプロテクターなどによって大幅に増加したのに、走行中の負担はまるで無い。
JK-122の方が、ずっと着ていても疲れ知らずである気がするほど優れたスペックを誇っていた。
次にライディングパンツ。
曰く、ライダーへのオススメのライディングパンツは「カーゴパンツ」だという。
律が訪れた南海部品の女性店員からだけでなく、ネット上でもよく言われていたことで、以前からツーリング時に身に付けるズボンについて調べていた際に律もその情報を見かけていた。
ジーンズも丈夫で割と人気だが、何よりも「いろんなモノが突っ込める」カーゴパンツは使い勝手がよく、ライディングパンツの基本はポケットの多いカーゴパンツ。
今回律が購入したのは、そんなメッシュタイプのカーゴパンツである。
ソフトタイプとはいえ、きちんとプロテクターが入っていてそれなりのクオリティ。
それまでエンジン熱によって汗をかいてて、元来は通気性がそれなりに良いはずの綿生地のものですら汗を上手く処理できなかった。
だが現在、そういった不安は一気に払拭され、走行中の不快感は消える。
エンジンから適度に流れてくる暖かい風は、メッシュ生地のライディングパンツには心地よく、女性店員が「パンツ類はメッシュの方が1年のうち最も長い間使えます」と主張した理由を理解した。
実際、速乾性が高いライディングパンツの場合、ここに「オーバーパンツ」を身に付けるという方法でオールシーズン運用を行っているライダーは少なくない。
冬用を用意する場合、ネックとなるのが汗だ。
通気性と保温性が良いといっても昼間の太陽が出てきた頃に冬用ライディングパンツは暑すぎることがあり、そこで汗をかくと日が傾いてきた頃から一気に寒くなり、体調を崩すなんてことがある。
だが通気性の良いライディングパンツとオーバーパンツの場合、日が出ている頃、14度以上の場合は割とメッシュでもエンジン熱の温風によって寒さを緩和させることが出来るので、
14度を下回ったあたりからオーバーパンツを身に付けることで、適切に体温調節することが出来る。
オーバーパンツは見た目がダサいとか言われるが、
非常に高額なスパッツのようなインナーパンツを使って冬用ライディングパンツを身に着けて格好つけるよりかは、オーバーパンツ+3シーズン使えそうなメッシュや速乾性タイプの生地のライディングパンツの方がコスパは高い。
コスパを考慮する場合はレインコートを簡易防寒着として使いまわせるため、温度に合わせて素の状態、レインコートで簡易防寒着、オーバーパンツで-10度の世界へ挑むといったことが出来るのが強み。
律は、南海部品を訪れたことでオーバーパンツの入手こそしなかったが、3シーズン運用可能な高い汎用性を持つジャケットとライディングパンツを手に入れたのだった。
さて、律がどうしてそんな感想を抱くことができたかというと風が非常に強い湖畔を北上中だからなのであった。
南海部品を後にした律は彦根城を目指して北上。
レインボーロードを少し北上した後はナビを見ながら右折して県道559号線へ。
県道559号線。
通称「さざなみ街道」である。
よくある一般的な湖畔道路であるが、この道路は滋賀県が「ドライブ用途のために」整備した道路であり、途中休憩施設がいくつも設置され、琵琶湖の湖畔を楽しむことが出来る。
実は隠れた快走路の1つで信号が割と少なめ。
信号を少なめとしたのも「観光ドライブのために作った道路に信号増やしてどうする」という県の考えによるもの。
道の周囲には水門や公衆便所などが多数設置されており、夏場などシーズンには自転車乗りやライダーによる「野宿」する姿も見られる。
律はこの近江八幡市まで繋がる道路を進み、琵琶湖のほどほどに強い風を受けながら新たな装備品のテストを行ってその性能に満足していた。
近江八幡市まで入ると律は左折して県道25号線へ。
県道25号線。
律の目的地である彦根城まで、ほぼ湖畔を通る湖畔道路。
周辺には休憩村などの施設があり、こちらも観光旅行者向けのドライブロードと言える。
しばらく進むと律もその場所に到着し、見慣れない名前に看板の目の前で一時停止した。
そして、スマホをスマホホルダーから取り出して調べてみることにする。
休暇村。
またの名を「国民休暇村」という。
この施設の設立目的は、国が保護する景勝地などの国定公園などにおいて従来は民業による高級リゾート地が主体だったのに対し、時の厚生省が「一部の者がそれらの景観などを占領する状態は好ましいと言えない」と判断し、整備をすすめたもの。
いわゆる「安価」なリゾート地を目指し、国が支援をして成り立つ総合観光施設といったところで、
キャンプ場やスキー場、温泉施設などが景観に優れた国立公園や国定公園のすぐ近く、もしくは国立公園や国定公園として指定された土地の範囲内などに作られ、
一般人でも利用できるよう、広く開放している場所のことを言う。
特徴はなんと言っても「安価(一部地域を除く)」
たとえば近江八幡の場合、特にフリーサイトのキャンプ場が安価なことで有名だが、歩いて5分たらずで琵琶湖の景色が一望できる湖畔があるフリーサイトキャンプ場が1泊1540円である。
大半の湖畔沿いキャンプ場が2000円以上なことを考えたらお手ごろな値段設定となっている。
しかもこれは有料とはいえ様々な施設が充実したキャンプ場の価格。
温泉など周囲にある施設のおかげで、この場所だけで全てが成立すると考えればむしろ安い。
フリーサイトはウッドデッキで組まれているので狭いが割と環境は良く、雨などに強い。
キャンプ場から駐車場までがやや遠い以外は、環境的には素晴らしいの一言。
まぁ地元やよく訪れるライダーから言わせれば「東側なら神明キャンプ場だろ」と言いたくなることは間違いない。
では、少しだけ琵琶湖キャンプについて話をしようか。
あちらはフリーサイトながらバイク自体をテントのすぐ近くまで持ち込める、地元老人会が運営しているキャンプ場だ。
ライダーも割と多く見かけるキャンプ場なのも事実。
管理棟が老人会の休憩施設もかねているため、老人会所属のジジババが琵琶湖から吹く涼しい風を浴びながら談笑している姿を目撃することが出来る。
彼らが管理者も兼任している形だ。
付近に何もないのでソロキャンだと非常に辛く、トイレなどの施設も最低限のものしか整っていないが「1泊900円」は破格で、
7月~8月末までしかオープンしていないが、夏の琵琶湖ツーリングでは最高峰のキャンプ場の1つと称される。
何しろ水泳場と併用のキャンプ場であり、テントの目の前が琵琶湖。
雨の状況によっては波風の被害すら受けるような近さに定評がある。
オートキャンプ場でないのでバイクを持ち込めないが、駐車場からの距離はそこまで遠くない。
だからこそ、それが良いともっぱら言われるが、休日ともなるとカップルやファミリーでひしめき合うので、
まるで何もない開けた場所で一人壁が欲しくなるような……孤独なライダーには割と辛い場所でもある。
かくいう筆者もせかせかキャンプ場内で活動していたら、カップルが二人で夕日を眺めていた最中、突如男がエンゲージリングを見せて暖かい未来を迎えつつある状況が生まれ、壁が欲しくなった。
東側の湖畔系のキャンプ場でかつ安価な場所というと、価格面ではやはりこの2つが二強といえ、休日はかなり早くから入らないと満員状態で入れない。
他にも価格が安価というだけなら景色的にはちょっとどうかなという感じだが「矢橋帰帆島公園キャンプ場」というキャンプ場もある。
こちらは350円と安価な代わりに駐車場とキャンプ場までがやや遠く、さらに割と治安があまりよくない。(立場上はあくまで公園のため)
二輪専用駐車場があって、そこが屋根付きなのでバイクに優しいことは優しいし、350円という価格に対して「ゴミを持ち帰らなくてよい」という条件は破格なのだが、
恐らく、キャンパー狙いの窃盗犯などが狙い目にしているのであろう。
キャンプ雑誌でも盗難が多いと言われていて、価格は民度を表すとは言いたくないが、安すぎるというのは後で高くつく可能性も考慮に入れる必要性がある。
一応、キャンプサイト内が空いている際は「エンジンオフで二輪のみ乗り込み可能」となっていて、キャンプシーズンではない時でのみ、選択肢に入る。
とはいえ、筆者も周囲が満員で何度か利用したもののライダーの姿は少なく、やはりライダー向けではないキャンプ場と言えるかもしれない。(ライダーが少ないのは他にも理由があるので後述する)
さて、次に東側を中心とした琵琶湖キャンプにおいて説明しておかなければならないのが都市公園湖岸緑地だろうか。
24時間までの利用という条件なら「無料」「予約不要」で使える野営地。
基本的には「バーベキュー禁止」なので、食事などに気を使う。
一部の場所は「バーベキューキャンプ場」と区画分けされてバーベキュー利用可能な場所もあるが、そちらは非常に人気で常に満員状態。
これらは完全な野営地としては優秀で、自転車乗りや日本一周を目指すライダーが使うのを目にするが、ここはあくまで「緑化」のために作られた公園なので迷惑行為は許されない。
無料なので利用者は割と多く、ライダーの姿も多く見かけるが、基本的には「デイキャンプ」を目的として開かれた場所であり、筆者は緊急事態などの野営地などの目的に利用している。
24時間以内としているのは、24時間以上の利用が法的な「占用」にあたるために許諾を得る必要性があって、そのためには理由が必要で、かつ許可証をいただけなければならないのだが、
よほど正当のある理由で無い限り許可が出すことはないので、一般的に「24時間以内」と対外的に宣伝しているわけだ。
ちなみに筆者は都市公園湖岸緑地は全くもってオススメしていない。
理由は1つ。
地元民もよく知っているが「琵琶湖の南側は水質が悪い」
地図などて見てもらってもわかるが、泳げるのは西六ツ矢崎浜オートキャンプ場側で言えば近江八幡士より北側。
つまり琵琶湖大橋より北側に位置する地域だ。
地図で見てもらえば「矢橋帰帆島公園キャンプ場」も南側。
それも南端ともいえる場所に位置する。
このあたりに前述する都市公園湖岸緑地も多く展開されているが、正直臭いも酷い時期があったりするのでオススメできない。
そのあたりは滋賀県が公表する水質データなどを見ても一目瞭然だ。
(http://www.pref.shiga.lg.jp/d/biwako-kankyo/lberi/01shiru/01-05suishitsu/01-05suishitsu.html)
休暇村付近は水質が良い方だが、この辺りの場所でないと「泳ぐに適さない」からこそ、水泳場も少ないのである。
そして西側の湖畔キャンプ場が基本的に「高い」のも水質が圧倒的だから。
筆者は、この水質マップの緑色以下の場所の湖畔でキャンプしたいとは思わない。
だからこそ「矢橋帰帆島公園キャンプ場」はめったに利用せず、「都市公園湖岸緑地」を野営地として捉えているわけだ。
調べてみればわかるだろうが、都市公園湖岸緑地は水質が悪い南、または東側の場所にしか存在しない。(良くても上記水質データで緑色の場所など)
湖畔からの景色が楽しめるといっても、綺麗かどうか問われるとノーなのである。
そのため、西側を中心とした琵琶湖周辺が完全満員状態なら筆者は普通に山側に向かう。
安いし空気も澄んでいるからである。
では、高いと言われる「西側」に全く泊まれる余地がないのかというと、そんなことはない。
西側には「白浜壮オートキャンプ場」という琵琶湖屈指の美しさを誇る白浜沿いのキャンプ場がある。
駐車料金と合わせて2100円。
圧倒的な風景には十分「安価」と言える範囲のオートキャンプ場。
つまり「バイク自体を」持ち込めるキャンプ場である。
ただし、その人気も尋常ではなく、シーズン中は平日ですらまともに宿泊できるか怪しい時もあるほどだ。
ただ価格が価格なので平日なら割とどうにかなる場所。
そしてツーリングライダーとして絶対にかかせないのが、東側にある「コスパ含めて琵琶湖最強」と名高い「六ツ矢崎浜オートキャンプ場」である。
ライダーなら1泊1500円。
こちらもオートキャンプ場だ。
オートキャンプ場ながら価格は休暇村以下なのである。
ライダーによるブログでもよく紹介される理由は、北端の西側にあるため。
水質が良く、景色も良いからだ。
ようは休暇村より安いのに風景もバツグンなため、ツーリングライダーが「まず最初に空いているか確認する」キャンプ地として有名なのだ。
筆者も「とりあえずここを起点に西側で探し、ダメだったら山へ行く」のが基本。
よほどのことが無い限り、南側へは行かない。
ちなみに、六ツ矢崎浜オートキャンプ場は、近年ではYoutubeなどの動画サイトによる紹介によって有名になりすぎた影響もあって、シーズン中は平日ですら昼ごろには間違いなく埋まる超人気キャンプ場。
つまり朝の時点で確保できなかったら宿泊は無理。
最初から「琵琶湖で宿泊する」ということを考えて行動して初めて利用可能な超人気キャンプ場である。
お盆などは「朝に行っても間に合わない」なんてことがあるほどだ。
だが、あまりにも環境がいいので筆者はこの2つが利用できないと山行きやネットカフェを考え始める。
それぐらいの場所である。
――などというと、「おい北小松水泳場キャンプ場は? 1000円~1500円だろ?」なんて言う者が出てくるかもしれないが、あそこは非常に子供連れがよく利用するキャンプ場。
キャンプ場といっても、元々浅瀬で子供向けの水泳場なのだから、子供が多くて当然である。
大の大人が一人ないし数人で無精ひげなんて生やして行った日には怪しまれること間違いなし。
風景が撮影したいなーなどとカメラを持ち出せば最悪警察を呼ばれて職質されかねない。
同様の場所が滋賀県立びわ湖こどもの国キャンプ場。
ここのキャンプ場は安価というわけではないが、名前が名前だけに基本子供連れが利用する。
ネーミングの雰囲気こどもの国より近づきにくいイメージはないが、北小松水泳場キャンプ場とは上記と同じような場所と考えてもらいたい。
別段筆者は怪しい人物ではないし、これまで様々な場所でキャンプツーリングをして職質されたことなどないが、基本的にこういう場所は「人が少ない日」以外は避ける。
トラブルのもととなるリスクは負わない。
ファミリー利用の中でも、小さい子供が多く訪れる場所は避けるのが大人としての一種の社会的マナーではないだろうか。
だから、ここをオススメはしないのだ。
はてさて、琵琶湖キャンプというのはこういうものだと少々説明したわけだが、スマホにて休暇村を確認した律はため息をこぼした。
今回「キャンプ道具」は積載していないのである。
(むー。地方のキャンプ場は高すぎるという話だけど、滋賀県って長野や山梨とかと違ってキャンプ場の利用料が安いのか……キャンプに最適な地域とそうでない地域、長期長距離の旅においてはそれらを考慮しながら準備を整えて移動する必要性があるな。俺は今回、キャンプ場なんてこの辺りに微塵もなくて利用なんて出来ないと思ってたけど、滞在費用を安く済ませるなら滋賀県はキャンプが最適だったか……失敗した)
もし、仮にキャンプ道具があったならば山側など、とても安価に宿泊できそうな場所がいくつかあったが、残念ながら不可能なので素直に諦めて休暇村を後にするのだった――。
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県道25号を進んだ律。
湖畔の景色を楽しんでいると、彦根市に入る。
「彦根城」の看板に従ってナビも使わずに進んだ先には、彦根城駐車場があった。
夢京橋キャッスルロードこと城下町の商店街近くの駐車場である。
その日は無料ではなく有料の日であったが、二輪は100円なので100円を支払い駐車。
二輪向けの駐車区画があるので、そこにアフリカツインを停止させる。
時刻は午前11時30分。
今回律が彦根城を訪れた理由だが、目的は実は「彦根城」そのものではなく「ひこにゃん」にあった。
やはり20年以上猫を飼っている律は「猫派」及び「猫好き」なのである。
それと同時に、ひこにゃんにはとある猫系ゆるキャラと別の縁があり、その関係の影響でどうしても一度見てみたかったというのがある。
東京は世田谷の豪徳寺。
猫神社として非常に有名な場所であるここは、律も猫を飼う上で法要など度々お世話になっている。
この豪徳寺周辺には「たまにゃん」という、イベントなどでないと滅多に出てこない遭遇率の低いゆるキャラがいるのだが、
このモデルとなったのはひこにゃんと同じ井伊直孝が出会ったとされる白猫である。
つまり、実質的にはこの2名は同一人物である。
それは両者自体が認知しているので、双方は一度イベントで顔合わせしたことがあり、双方の顔が並ぶグッズも販売されている。
そのグッズを目撃していた律は、これまで「たまにゃん」は見ても「ひこにゃん」は目にしたことがなく、「まぁどうせないだろうけど、いつか琵琶湖付近でも行くことがあれば彦根城にでも行ってみるか……」――などと、これまで頭の片隅に記憶していたが、
二輪という移動手段を手に入れ、さらに琵琶湖方面へ向かうことになったということでそれを思い出して現在彦根城城下にいるわけなのだ。
ところでこの豪徳寺を知る者なら有名だが、地方の者にはあまり知られていないことがある。
それは豪徳寺の招き猫は小判を持っていないこと。
これは井伊家が武士のため「お金に執着する者に福など来ない」と考えていたためであり、タマニャンのグッズを展開する上では小判と絡むのは厳禁とされていることはあまり知られていない。
元々無病息災といった意味が強い招き猫であり、猫観音もそういった方面のものであるためだ。
ひこにゃんも「ひこねのよいにゃんこ」と絡んでいた頃はその辺がきちっとしていたのだが、
例の訴訟が和解へと向かうと同時にそういうルールは形骸化し、小判と組み合わせたグッズが販売されてしまうに至った。
徹底的に小判と避けた原作者のことを考えると、筆者から言わせれば「その程度の認識か」と言わざるを得ない。
お役人はこれだから困ると言いたくなるエピソードである。
そんな招き猫に感嘆した井伊家だが、その後、豪徳寺のある世田谷村への関係は江戸時代まで続く。
井伊家が彦根藩という形で領地を治めた際、当時様々な大名が行っていたように「飛び地」という形で世田谷村とその周辺の村々を幕府より貰い受け領地としたが、
現在の世田谷区の南側を広範囲に渡って領地とし、遠隔地のため代官という形で元々この地区にて力をもっていて帰農組である大場家に代理で統治してもらっていた。
この大場家は、35万石の領地を持つ井伊家からかなりの支援を得ていたが、井伊家の言いつけもあり彦根藩が管轄する領地の住民はそれなりに厚遇だったとされ、法事や法要などで駆り出される際には大変だったとされるが、
井伊直弼が水戸藩の者により暗殺された際には、江戸にいた彦根藩共々水戸藩の襲撃すら考えたと言われる。
そこには大場家すら参加の意向を示したとされるが、その最大の理由は当時、このような形で藩主が死亡すると藩自体は取り潰しと言うことで別の大名が藩を継ぐこととなり、
そうなると領地は没収という形になり、幕末の混乱期においてはどうなるかわかったものではないからなのと、井伊家自体への強い信頼感があったためだ。
井伊直弼が暗殺ではなく「病死」とされた最大の要因としては、それまで一揆などがなかった世田谷村周辺の彦根藩領地の団結力が尋常ではなく、「村民総出で水戸藩を殲滅する」とまで大場家含めて考えていたからなのが理由の1つだったりする。
そうなってしまった場合は、彦根や同じく彦根藩の飛び地である佐野といった地域も間違いなく「その行動に参画する」ことは目に見えていたことから、
幕府は本気で「それが原因で倒幕しかねない」と判断し、これを沈静化せんがため「病死」という形で収めようとしたのだ。(病死なら跡継ぎが藩を継ぐことができる)
だが無論、代官である大場家を含めた村民の大半は水戸藩によって暗殺されてことを知っていた。
この「桜田門外の変」についての記録は大場家が如実に記しており、
表向きは闘病中とされ、すでに死去した井伊直弼のために豪徳寺で病気平癒祈願を行わねばならなかったなど、一連の「罰当たりな行動」を幕府より強要され、村民共々幕府への憎悪を募らせていった。(役職の立場上、表向きは幕府の役人への説得などに尽力したが、裏では幕府への愚痴が多く、この桜田門外の変での遺恨が相当あったのだと思われる)
大場家の古文書を見てもわかるが、彼らが幕末の農民にとって動乱の時代、つまり一揆や打ちこわしが多発した際には、
その牙が大場家に向くというよりも、大場家自体が幕府を必死で説得する中、横暴な行動に出る幕府の役人に向けてのみ行われている様子があったことが記録によりわかっている。
世田谷村周辺を見た場合、江戸時代に入って1年に1回執り行われる形になったボロ市では、現在でも販売され続ける「代官餅」が、江戸時代当時は彦根藩の支援などを受けた形で村民に振舞われるぐらい統治する代官が村民に友好的であり、
村民自体も代官である大場家と井伊家もとい彦根藩を大変信頼していたことが、地域に残る言い伝えや周辺地域の古文書などからわかっている。
周辺地域を領地とする旗本なども、井伊家の統治の手腕に対し「井伊直弼などはまことに名君である」といったような言葉を残すが、周囲から見ても雰囲気が良かった様子が一目でわかるような状態であったようだ。
当時の大場家の当主も「こちらに牙が向くことはないが幕府の衰退は激しく、市民だってバカではないのだから抵抗はするだろう。農民を押さえ込むのにも限界がある」と、
年貢などで苦しむ様子は他の地域ほどではないにせよ、幕府の強引な行動を止めるのに必死になりながらも農民の心情に一定の理解を示す様子がある。
そんな割と一揆や打ちこわしと無縁となった最大の理由が「たった1匹の白猫から始まった」のだというのだから、
本当の意味で福を授かったのは井伊家ではなく、彦根藩が統治した世田谷村周辺と豪徳寺だったのではないかと思うほどである。
今、律がいる彦根市とは、自宅のある烏山とは無縁だが世田谷とは少なからず縁がある地域なのだった。
さて、スマホを確認した律はひこにゃんの今日の予定を確認。
すでに午前中の部は終了しており、以降は午後13時と午後15時の部の登場のみである。
律は次の出現場所が夢京橋キャッスルロードを渡った先の四番町スクエアに出現する情報を掴み、 城に向かう前に昼食がてらそちらの城下町方面へ向かって歩いて行くことにした。
しばらく歩いて交差点にぶつかり、夢京橋キャッスルロードを目の前にすると、その視線の先には本当に雰囲気のある城下町のようなものが広がっていた。
律はアフリカツインからすでに取り出していたカメラを手にしているが、その様子や背後の彦根城、そして堀などを撮影し、夢京橋キャッスルロードを南下していく。
すると、とてもいい匂いがし、立ち止まった。
店の看板には「近江牛と近江鶏の店」と書かれており、外から覗いた店内はとても雰囲気がある場所だった。
立ち止まっていると店員に声をかけられ、空腹感も感じていたため、そのまま店内へと連れ込まれてしまう。
店名は「近江や」という場所であった。
律は「せっかくですのでお二階の座敷席はどうですか」と言われ、階段を上って座敷席へ。
そこはまるで座頭市がよく利用しているかのような雰囲気のある座敷であった。
下を覗くには足元の小窓からである。
とても「趣のある」店である。
かなり古い時代の古民家を飲食店としているものであったが、律は「近江牛なんて聞いたことが無いな……」などと思いつつも美味しそうだということで、やや価格の高いローストビーフ丼を注文したのだった――
~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ぬわぁぁぁ、肉が、口の中でトロける!」
待つこと15分ほど。
しばらくして食事が出てきたが、その食感には律の舌を唸らせるだけのものがあった。
1680円という、やや高額な昼食代となってしまったが、その味は絶品。
そのローストビーフは律が知るローストビーフなどではなかった。
近江牛。
実は、和牛でも非常に歴史が古いブランドであり、その歴史を遡ると戦国時代にまで遡ってしまう。
当時から黒毛和牛を用いていたか定かではないが、少なくとも400年前から牛の飼育と食肉加工が行われていた。
現在の黒毛和牛の近江牛は、1990年代に入ってから生まれたものであり、実はそれまでは近江牛の毛色は限定されていない。
明治以降は国外への輸出などのために様々な種を輸入などして育てていたといわれ、固有品種において何を使っていたかも定かではないのだが、
少なくとも現在は他の国産牛同様、但馬牛を素牛とする関係上、神戸ビーフや松坂牛などと同じく黒毛和牛を用いたもののみ近江牛と称することが出来るということになっている。
歴史的には、どうも種に拘らず、牛の飼育ノウハウでもって高い評価を得ていたのが近江牛であり、受け継いだノウハウを現在も活かして味の質を保っている。
世間では、やれ松坂牛だ、神戸ビーフだ…と騒がれるが、肉通から言わせれば「近江牛もトップクラスの品質だぞ」というだけあり、
京橋キャッスルロード周辺ではかつて彦根藩が近江牛を幕府などに献上していたこともあるということから、近江牛を用いた飲食店が数多く店を構えるが、
律はその中でも「A5ランクなどを良心的な価格で提供する」と言われる「近江や」に入っていたのであった。
A5ランクの肉とは、2980円のステーキ御膳のことであったが、ローストビーフもそれに負けず劣らずの味。
噛めば噛むほど溶けていく。
(ななななな、なんなんだ!? 近江牛って聞いたことないけど、いつか食べた松坂牛と同じぐらいのハイレベルな和牛なんじゃあ……)
三大和牛とされる近江牛であるが、実は割と提供する店が少ないので肉通などしか認知しておらず、一般人からすると「なんじゃらほい」となるようなブランド。
歴史は古いが、食べれば一度でその確かな品質を理解できるだけのものがある。
律は、あまりに衝撃的な美味しさだったので、すぐさまスマホで調べ、近江牛の実態を知ると同時に「旅をすればこういうこともあるのか……」と、1680円のランチがまるで高く感じないほど美味であったことに非常に満足し、
(近江牛というのを両親にも教えておこう)と律は胸に秘めつつも、12時45分に店を出て四番町スクエアへと向かうのだった――
~~~~~~~~~~~~~~~~~
キャッスルロードをしばらく南下して左折すると四番町スクエアがある。
観光案内によると、ここにはひこにゃんの石造などがあり、観光スポットとなっているとのことだった。
ここは明治時代の雰囲気を再現した商店街となっていて、その目玉に、ひこにゃんの石造があるのだという。
「そんな存在は是非レンズに収めねば!」
商店街には目もくれず、一目散に石造の下へ向かう猫好きの男。
近江牛のおかげで軽いステップにて訪れてみると、そこには薄汚れた石造の姿があった。
「(え……なんか思ってたのと違うんだけど……観光スポットじゃあないのか?)」
燦々とした人の気配がほとんどない商店街のど真ん中にソレはいた。
しかし、薄汚れたひこにゃんの石造は「もうブームとか終わったしなー」とばかりに、どこか遠くを見つめている。
一応RX1RM2にて撮影してみたが「なんでも小奇麗に見えてしまう」このカメラですら「加工が必要」と思うぐらい薄汚れている。
なんだか嫌な予感がしつつも、時間がくるので律はひこにゃんが出現する四番町ダイニングの中へと入っていったのだった――
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四番町ダイニングの内部にて待っていると、13時になり、その猫は現れた。
豪徳寺近辺の商店街で何度かみた「たまにゃん」と実質的には同一人物の「ひこにゃん」である。
しかし、残念ながらそれは律の期待したものと何かが違っていた。
そう、「黄ばんでいる」のである。
白の毛色が実に美しくない。
まるで使い古した着ぐるみをそのまま使い倒そうとしているという感じで、石造同様、薄汚れた白猫の姿だった。
たどたどしいゆったりとした動きでアピールし、周囲の女性などから歓声があがるものの、律は「(なんか汚れてるな)」と思いながら、その姿をレンズに納めていたが、
同じ事を思った老夫婦などが「なんか思ってたのと違うねぇ」と呟いてしまうほどであった。
無理もない。
有名どころでは、熊本のくまモンやふなっしーなどは登場から何年かで着ぐるみをチェンジし、新しいものにチェンジして微妙に見た目が変わっていってるが
ゆるキャラブーム火付け役とされる彼は、2007年登場以来、実に10年以上「同じものを使い続けて」いるのである。
しかも登場は毎日である。
それも外などにも平気で出てくるのである。
汚れないわけがなかった。
実はどうもひこにゃんは「外で広報活動する1体」と「彦根城周辺で活動する1体」がいるらしいのだが、
後者はFacebookなどの本人の公式ページで見ても「加工では誤魔化しきれないほど」白くなくなっている。
雑誌などに登場する広報活動用の1体は真っ白だが、彦根城周辺に登場する彼は色がなんか薄汚れているのだ。
実物を見ている人から言わせれば「なんかヘタってきてないか」というような状態で、10年という月日は何か「哀愁」のようなものを漂わせている。
猫なら10年経過すれば人間でいう50代中盤ぐらいの状態なのだが、まるでそんな状態だといわんばかりの姿に律は言葉を失った。
その後30分ほどパフォーマンスを堪能した後は、その足で彦根城へと向かうのであった。




