加茂のひととき。そして大人へ歩み出す― ~岐阜美濃加茂市~
新東名など高速を使ったことによって、律は岐阜に19時30分頃には到着することが出来た。
途中、迷惑をかけないようにと夕食を食べてから向かった光の実家こと加茂レーシングは、すでに閉店時間を過ぎている。
上田らは帰宅した後だった。
そんな加茂レーシングで待っていたのは……なぜか綾華のみ。
妙にハイテンションで気合を入れて髪形まで普段見たことないように結ってまとめている綾華は、「夕食にする?」「お風呂にするぅ?」――などと、まるで律の妻を気取っていたが、
疲れもあった律の口数はしばらくの間少なかった。
加茂レーシングに綾華しかいなかった理由は当然、光がオートレースに参加していたからだが、事前に2日前に連絡した際には普通に応答していたので、律としては「なんで教えてくれなかったの……」といった状態である。
律と二人っきりということでハイになっている綾華は、血行がよくなりすぎているのか、顔がやや赤い状態で少し動くだけでも汗が浮かぶ状態だったが、
律としては、出来れば今の綾華と二人っきりというのは避けたかった。
セーブする人間がいないと、何をするかわかったものではないからである。
ただし、あえて連絡しなかったのは光の狙い。
「本当に興味がないなら自分で物事を処理しろ。もうお前はガキじゃねえだろ」という、光の律に対する信頼と信用の裏返し。
以前から、律としては綾華は良き妹であったという程度である。
現在も、そこまで大きく立場は変わっていない。
そもそも律の好みのタイプと、現在の綾華、そして優衣はかけ離れている。
キャピキャピしながら学校での様子や最近の出来事を話す綾華に相槌を打ちながらも、律は昔を思い出していた。
その昔、律が憧れる女性は二人いた。
一人は、まるで漫画の世界にいるような美人+頭がいいという、生徒会長もやるような中学時代のアイドル。
1歳年上で同じ学校だったのは2年間しかなかったが、ボランティア活動などもしていたので多少の交流はあった。
律とは違うグループに所属していたので大きなイベントでもなければ見かけることはなかったが、その女性は絵に描いたような王道人生を歩む者で、
中学時代に区が行っている成績優秀者の中から特に優秀とした者だけが選ばれる交換留学となるなど、周囲からすれば(一帯何に困ることがあるのだろう)というような人物。
実は律と同い年の弟がいて、その弟は小学校時代からの仲だったのだが、その弟をしてもコンプレックスを抱くぐらい家庭内でも完璧であったようで、
今でも、律はその弟と交流があるが、すでに律とは縁が無くなった彼女は現在も王道を歩んだまま家庭を築いている一方、
弟は迷走中で、つい最近も律の復活祝いにと飲みに誘われたが、その際も愚痴ばかり溢しているような状態だった。
彼曰く「人が悩まないような、人が聞いたら嫉妬するような贅沢な悩みしかしない」らしく、自分が優等生でありつづけるのが当たり前で、
100点を取ろうとして非常に強い自信があって挑んだテストで98点だった際に「周囲から笑われている」などと、周囲に「100点を取ります」宣言もしていないのに落ち込んで、
その時にいくつかの教科で丁度平均点以下を採って落ち込む自分に相談するなど、
弟からすれば「努力したくなくなる気すら」起こるようなな話ばかり相談として持ちかけていたといい、
両親も子育ての上で、この差をどうするか大変苦労したが、自分でも、もはやどうにも制御できないと落ち込んでいた。
そんな弟と律は案外相性が良かった。
律は普段の力が出せるならテストで平均点以上採れる力はあったが、彼もまた似たような存在が親戚にいたからである。
旧家の夢の家庭は「頭がよいエリート」を多く排出している。
音羽家とは違っており、特に一部の親戚は非常にエリート意識が強かった。
だから成績表はオール5が当たり前で、100点以下は無能のレッテルを貼るような親に育てられている。
その血筋の中で夢は達観した視野を持っており、「100点取って国の代表にでもなったつもりかな?」とか、「例えば研究者が偉大な発見をしたとして、彼らはその偉大な発見をするまでに100点を取り続けた?」と、100点自慢をするだけの周囲を嘲笑っていた。
夢にとって点数とは「その場限りの、とても狭い範囲での小さき栄誉」でしかなく、例えば免許や資格などはテスト形式が多いわけだが「取った後が本番」と言われる世の中であり、
ペーバードライバーになぞらえて「彼らは100点で試験受かって免許とることが、イコール最高の運転手だと思っていて、その後に放置してゴールドになっても、その過去のどうでもいい栄光だけで喜ぶ程度の人ら」と、
60点ギリギリで免許を取ったが、その後も交通ルールをしっかりと理解して常日頃運転を続けてゴールドを維持する者と同じ立場でモノを語る姿をとても滑稽に捉え、そのことをそのまま律などに伝えていた。
そんな夢と同調してした複数の親戚+その子供もいたが、実際、大学を卒業してみれば最後に笑ったのはそちら側であった。
あれだけ点数やオール5ばかり重視されて親の自慢だった者達は、片方は一流企業に入った後、企業の債務状況の悪化でリストラ。
現在は中小企業で部下として年下から扱かれている。
公務員になれそうにないからと楽な道を選び、東京電力に逃げたと東大に入った後に周囲に笑われていた者は3.11で絶望の淵に陥り退職後、そのままトラック運転手に。(一橋や東大クラスだと学部や学科によってはこの手の企業に逃げるのは嘲笑される)
一方、点数が採れることが優れた人間の証明ではないと主張していた夢やその周辺を見ると、律は形だけだが本省公務員経験あり、
夢に同調した親戚とその子供は国立大の研究者になったり、超一流IT外資系企業の実務部隊のリーダーになって国外に移住するなど、結果だけを見れば前者は敗北したことになる。
母、夢は常日頃から「考える事は良いこと」としつつも「覚えるのと考えるのは別だから」と、覚える形式が当たり前の日本のテストに懐疑的で、
「創造力と想像力が無い者は、社会では使い物にならないが、なぜか学校はそれを教えない」と批判していることがあった。
だからこそ、律や綾華に対しては「自立することとは、想像して自分で行動できるようになること」と言って育てていたが、
両者共に自身の考えがしっかりとあり、特に社会に出ても問題ないような能力があることを考えると夢の子育ては間違っていなかったと言える。
点数ばかり考えて結婚しても妻に頼りきりな結果、仕事でも会社がピンチになればなるほど行動力を失ってリストラされた者や、
周囲からの声に怖くなって逃げた先に「学」以外の何もなく、その性格から誰も救わなかったことで3Kの仕事しか得られていない者から比較すると社会適応性という部分では両者の方が上。
それが形となって現れるのが成人後というのを、夢は自身の人生経験も含めてよく理解していた。
夢から言わせれば「敷いたレールの上でしか走ることを知らずに家庭を築いて、これまで人生において何の失敗もせずに歩むことができて、それが当たり前だと思って子供を自分と同じように育てたら、今のような世界と本気で闘わねばならない厳しい時代に対応できるわけがない」わけで、
自分達が、周囲が努力して作った蜜で満たされた楽園にいることにすら気づかないまま過ごした結果、「どうして、何で」って状況理解すら不可能なまま子供が堕ちて行くのは当たり前なのだ。
しかし、そういうエリートの中にも本物がいる。
いわば「己の力でもって考えて行動できるが、テストなどでも点数が取れてしまう本物の中の本物」
律は弟の愚痴を聞きながらも、彼の姉が明らかに本物であることが言動から理解できていた。
真の天才には理解者が少ないというが、彼女の考えは、親戚のようなテンプレートの意見しか述べずに自分の考えをもたないのとは違う、
ハッキリとしたビジョンがあって、その上で行動することができるのを何度か会話して理解していた。
だからこそ、弟の気持ちは理解できるが、弟に対して自分の親戚の話をした上で「姉はもっとすごい存在だから、お前がそうしょげるのも理解できる」と、
本来は律の復活祝いだったのに、律が人生の路頭に迷う弟を励ます会となってしまっていた。
姉であり、律の憧れかつ初恋にも近いものを抱いた彼女が、どうして親戚と違うのかという点については、その飲み会の席で弟に対しては初めて話す過去のちょっとした出来事を、律は回想しながら語っている。
それは高校生になって、中学校にて高校受験を目指す者達に高校生活について語る授業があった際に、律が高校生代表として呼ばれたときの事。
元来、ここに呼ばれるのは彼女のようなスーパーエリートのみ。
高校三年の彼女は都内トップの公立から国立大に受験することを決めていたが、公立高校内トップの成績で、高校でも生徒会長を勤め、あまりにもお手本として相応しいということから3年連続で呼ばれていた。
他の者も、同じく私立の進学校などに入学した者などを中心としている。
ただし、基本は高校1年を中心に呼ばれるため、召集されたメンバーは律と同学年の者達が8割を占めていた。
そのメンバーの中で、唯一律だけが違う立場だった。
律は「ノーマルな高校生の代表」として呼ばれたのである。(無論、ボランティアなど続けていたのでノーマルとは何かという部分はあったが、学校側は成績表や偏差値でしかモノを見ていなかった)
正確には当初「落ちぶれた奴を呼んで来い」と比較用に呼ばれてたりする。
この授業は父母会などが中心となって行われるのだが、父母会の中で律は有名人。
エリート以外を呼ぶとなると、父母会の中で最優秀とされる、父母会が考える「今まで呼ぶことができなかった本当に呼びたかった人物」代表として召集され、期待を背負って授業に臨むことになったのだった。
実は律、中学時代に自動車の件があり、一時期グレて成績は大きく低迷。
各種ボランティア活動と普段の学校生活は別人とも言えるような状況で、教員側と父母会側でのイメージに大きく乖離があった。
都立だと不良しか行かないような場所にしか行けないと教師も突き放すほど。
しかし母である夢は「高校にいい出会いがあったら復活するだろう」と考え、周囲から非常に評判が良く、教師が最後まで生徒を見離さない偏差値が中の上程度ある私立高に入学させた。
その時の受験時にはツテによって校長と事前に会って話したりしていたが、校長は「君はこの学校に来るべきだな」といって、なぜか律を暖かく出迎え、
受験で律は人生なんて捨てたとばかりに手をぬきまくっていたにも関わらず「最下位の点数による合格」と言う形でなんとか入学。
実際に点数的にギリ最下位で合格は合格なのだが、教頭から「予備合格同然だったけど、がんばれよ」と言われるほど、心配されていた。
しかし高校に良い出会いが重なり、成績は一気に上位へ。(卒業時に校長は再び律に声をかけるが、本当に己を見捨てる人間は、受験時の答案には名前しか書かないからと、それ以上の領域に踏み込んだ律は自分をまだ諦めていなかったのだと言い、目が死んでいなかったからこそ、ここで再び輝くと思っていたと言い切るほど)
律が呼ばれた理由は「手本として呼ばれるメンバーが輝きすぎていて、子供が萎縮してしまう」という、一部の親から出た割と正論なクレームによるものだったが、
最初に声をかけられた時点では「最低レベル」だった律は、実際に秋に開かれるその授業の際には「作文や論文コンクールなどに受賞して学校から表彰され、成績は進学クラスを入れて中の上」と、
その時点では進学クラスを抜けば上位に位置する立場にあり、その学校の偏差値が60近くあったので、普通に「至って普通の高校生」という枠の扱いに改めた上で呼ばれたのだった。
だが、本来は「他とは違う言葉が欲しい」と期待されての召喚。
他の者と同じような話をしただけでは駄目と、まるで嫌がらせのように中学の教員から注文を付けられる。
心底迷った律はあれこれ考えながらも当日となってしまった。
実は律、その際には彼女が来るというのは事前に知らされておらず、久々に彼女と会うことになる。
中学時代と異なり、髪を伸ばした姿の姉は、一瞬で「一目ぼれ」するかのような大人な雰囲気のある姿であったが、
不思議なことに律をよく覚えており、当日周囲の他の男性陣から殺気立った目で見られるほど、授業が始まる前は彼女を独占状態にしてしまっていた。
あちら側は事前に律が来ることを知っており、最初に律が部屋に入ってきた瞬間に笑顔で手を振ってくるほど。
その日は報酬として昼食が振舞われるのだが、昼食の際も彼女はなぜか律にしか話をしない。
律もさすがに驚いた一方、相談したいことがあるとして、今日話す内容をどうしようかということを食事中に話すと、「まだ時間あるし、ちょっと屋上に行こっか」と言われて二人っきりになる。
律もさすがにその状況に硬直するが、彼女はそこで律が想像もしないような話をしはじめる。
「なんかさ、今日のメンバーってみんな何も考えずに生きてるよね。私、同じ目線で見られるの嫌でさ。音羽くんを蔑んだ目で見てるのを見て、ああ、何も彼のことを知らないし、そういう風にしか人を見られないんだなって嫌になったら、ここに君と二人でいたくなったんだ」
風に揺られて髪が揺れるだけで律が言葉に詰まるほどその子は美しく、突出した美人であったが、
一方で他人を批判する姿を一度も見たことがないので、それは律が……
いや、殆どの同級生ですら聞いたことがない彼女の本音を聞き、律は驚きを隠せない。
そういうことすら言わない聖人君子のような人物だと思われていただけに、
内心、人間とは違う枠で捉えていた律は、その言葉によって、彼女もまた人であるということを理解する。
「私知ってるよ。隆(弟:タカシ)から聞いたんだけどさ、今、成績上がってきてるんでしょ? それに、音羽くんの高校って周辺の都立より全然偏差値上じゃん。最下位で入っても、その後の自分のがんばり次第でどうにかなるんだよ。っていうか、私は私の学校ぐらい音羽くんなら入れると思ってたんだけどなー……」
「なぜ? 自分は貴方みたいに勤勉じゃないですよ……」
律は買いかぶりすぎだと考え、己を自重した。
ギュッと手を握り込む。
「勤勉じゃないなら、ボランティアで君の歳であんなに周囲から頼られたりしないって。困ったことがあった時、周囲の場が混乱してまとまりが崩れたとき、何時も引っ張って行ったのは君だったよ。私はそれを見てた」
それまで校庭を見ていた彼女は振り向き、ハッキリとした目線を律に送る。
「さっき、何を話せばいいのかわからないって言ったけど、君の生き方と生き様を見せればいいんだよ。私が私の事を包み隠さず言っても綺麗事にしかならない。そんな教科書に書かれたような言葉をそのまま伝えるようになるのは嫌だけど、この場で嘘もつきたくない……期待されるって困るよね。こっちは、死に物狂いで天才である自分はどう行動するか…なんて、常にもう一人の天才の自分を想像して、凡人を天才に見せかけているだけなのにさ……」
それは弟である隆も聞いたことがない彼女の本当の悩みだった。
夢がいう「想像力があり、自分で考え、行動することができる」力を、彼女はいつからか手にし、以降は孤独のまま闘ってきたのだ。
それはある種、天才にしかない悩み。
天才で完璧であるもう一人の自分を想像して、その通りに行動して結果を出すなど、容易ではない。
それが出来ないから、人は苦しむのだ。
だが彼女は、そういう自分になりきるための手順なども全て考え、土台を作ってその領域に踏み込むだけの地力もあった。
1分1秒を常に無駄にしない生き方。
まともなメンタルでは、そんな生き辛い生き方など出来ない。
だが、ある意味でそこは律にも通じる部分があった。
彼女はそれを見透かしていた。
律が「周囲のヒーローのような自分」を想像して、それに成り切っているのを、いつからか看破し、「同属」だと考えていた。
そして律は、あまりに力を入れすぎると身が保たないからと、息抜きのようにして力を抜く部分があったが、本気だけで生きていれば自分の同じ領域にいると考えている。
それらはボランティア活動を通してよく理解しており、それらの活動時のコミュニケーションなどを通して「自分以外にも自分と同じような生き方をする人がいる」と、己を奮い立たせる糧にしていたのだ。
それは夢しか知らないことだが、律が本気を出した場合の能力は凄まじく「この資格は1発で取る」と、
目から殺気が漏れ出るほど本気で主張したりする際などは、倍率20倍でも平気で取得してくるので、律は天才と称される彼女から見れば「手を抜いているだけの人間である」というのは当たっていた。
ただ、無論のことだが、そこにはメンタルも大きく関係してくるため、律と彼女はメンタル面で大きな差があるということである。
常に状況を想定しないとパニックになる律は、そこまでメンタル的に優れているわけではなく、どんな状態にも動じない彼女とは、そこが人生の分かれ道となっていた。
「君は、どういう生き方をしているのか自分でよく分かってるはず。等身大の自分を、ボランティアの時と違って語ればいい。変に肩に力なんて入れないでさ、私もあまり見たことがない、いつも通りの自分で、どういう高校生活を送ってるのか言えばいいだけなんだよ。それを求められているんだよ……多分ね」
自信に満ちた表情でハッキリ、ガツンと心に響く言い方で律に言葉をぶつけてきたので、律もさすがに「はい!」と応えるしかなかったが、
それが自信となり、律はその後に始まった授業では、他者が自分でも抱いていないような夢や希望を高らかに語る中、
一人、まるで違うことを語っていた。
――高校生活はリズムと仲間。自分は地下鉄の駅で終電になるまでベンチで高校に入ってから出来た友人と話し続けたり、――
――遠い高校から帰る方角が同じ友人達だけで歩きながら、都内を散歩するがごとく帰宅して新しい発見をしたり、――
――自分に対する行動範囲がより自由に広くなる代わりに、より重い責任がのしかかってくるが、中学時代の狭い世界で生きてるより、よほど楽しい。――
――正直テストなんて数日前にやりゃ平均点なんて採れる。だけど、俺の取る点数は、普段の休み時間や放課後にみんなと苦労して復習やテスト対策して採ったみんなで助け合って、支えあって取った点数であって、その教室には授業科目がまるで違う担任教師がいつも傍にいて、俺達を見守りながら指導してくれる――
――みんなで試行錯誤して、お互いを小バカにしながらも笑いあいながら勉強した先に、平均点以上という点数が自分にあった、それだけのこと。遊ぶときは遊び、勉強する時は勉強する、常にお互いに支え合うからそれが出来る――
――高校に入って仲間の大切さを知ったが、今の自分にとって、それは、テストや授業よりも大切なものであって、そんなのなけりゃこんな勉強なんてやってられないし、下らないものだと思ってる。――
――今日この場にいるメンバーの中で、全ての人間が勉強が楽しいとは一言も言わなかったことがハッキリ言って気に入らない。俺は、嫌なものをこれから受験に、そして高校に向かう人達に押し付けたくない。勉強がそうだなんて間違っても言うものか。俺の言葉を聞いて考えて欲しいのは、受験はそれを得るための試練だということであって、そういうのがないような高校という名の形だけの勉強道場に行くなら、その学校はやめたほうがいいということ。――
――偏差値など高い学校にいる成績優秀者が本当に優れているというなら、失礼ながら作文や論文、研究コンクールで多数受賞して、今勢いに乗っている自分をどう評価するのか。もちろん、それは仲間あってこその結果だとも言っておくが、挑戦したら取れるだろと―この発言を聞いて考えていそうな者がいるが、挑戦しなかった事が問題なんだと気づいて欲しい――
――俺にとって挑戦とは、日ごろの全ての経験から生まれた疑問や発見を通して昇華させたものでしかなく、ただ勉強するだけではそんな疑問も生まれないし、何も得るものがない。仲間と高校生活を楽しめるからこそ、他にも力を入れられる。ゲームセンターで競い合うのも、勉強で競い合うのも、同じ次元になるからだ――
などと、その後も与えられた20分を自分の現在の高校生活と生き方だけに焦点を当てた話をし、
勉強することで良い大学に行けるとか、良い大学に行けるから就職もよい企業に就けるといったことかしか話さなかった他の者達を一蹴し、
「自分がやりたいことをやらないで生きるぐらいなら、死んだ方がマシ」と言い切った律の言葉は受験を目指す生徒に響いたのか、拍手喝采だった。
後に父母会は、律が話した「まずは自分がどう生きていくかを考え、その上で仲間と共にその方法を模索するのが学生で、その先に勉学があるだけに過ぎない」という、その言葉を高く評価するほどで、
この授業には後ほど、高校生のスピーチに対する感想文を作って提出するのだが、この言葉を挙げて律の言葉がもっとも響いたと評価する生徒が相次いだ。
ところで、律はスピーチ中、途中から姉がクスクスと笑いを堪えるのに必死だったのに気づいていたが、終わった後に隆の姉は「名スピーチだったよ」と言って握手を交わしたばかりか、
なぜか突然抱きしめてきて律は完全に頭の中が真っ白になってしまったほどである。
律は一連の話をした上で隆に対し、「物悲しい表情をして抱きしめてきたことを覚えているが、きっと自分と同じ領域には絶対に来ないんだろうっていうのが今生の別れにも感じたんじゃないか」と、当時を振り返りながら推察し、
その上でそういうのも含めて人を逸脱した何かではなく、一連の彼女の悩みは決して贅沢な悩みじゃなく、
最上位の人間だけが抱える不安を常に抱えて生き辛い世界を生きてきた彼女だからこそ、今があるんだと律が言うと、
隆は「俺はリッチャンを兄と呼びたくはないし、もう可能性も0だろうからカミングアウトするが、ねーちゃんはお前にここまで来いって伝えられなかっただけで、リッチャンがそこの領域まで踏み込んでれば……今頃、兄貴と呼ばなきゃいけなかったところだ」――と、
実は密かにちょっとした想いを寄せていたことを暴露し、それを匂わす、隆でも恋話と理解できるものを、今まで家庭内で何度もしていたことを明かす。
その際には常に「律」の名前が出てきていたことは、今まで隆だけが知っている姉弟間の数少ない秘密の1つ。
姉が律には言うなと言っていたことを今日の今日まで守っていたが、すでに時効だろうと考え、律に打ち明けたのだ。
少なくとも、あの時の彼女が求めていた人間は追いかけてくる律だったのだ。
その日、隆と別れた後で律は「くっそぉおおおおおおぁぁぁぁ」と、天に向かって絶叫するほどだった。
隆は、姉を人として捉えることが出来たからこそ、お前も同じ次元に行ける数少ない人間で、最終的に結ばれた今の旦那はその領域にいたから姉と結婚できたのだと言っており、「もしかしたらお前がその場に……」――という部分に含みを持たせた形で飲み会を締めくくった。
過去を鑑みても律にそれが出来るわけではないのだが、ある種あのスピーチは律が彼女を「振った」のと同じで、10年経過してようやくそれに気づかされたのである。
もしあの屋上に呼ばれた時に、「俺も貴方の隣にまで追いかけます。好きです」と言って、追いかけていれば……と思うと悔しくて仕方なく、
想像力の足らなかった、弱い弱い自分に、飲み会の後コッソリと向かった広い誰もいない公園で涙した。
それが一人目。
もう一人は3歳年上の女性。
彼女は律と同じグループのボランティア団体に所属し、常に「姉」という立場で律と接していた人物。
その家庭では他に律と同い年の弟と、妹2人がいたが、一番の年長者にあたる長女であった。
前述した隆の姉と比較すると成績優秀者ではないし、可愛い顔つきだが美人というほど美人でもない女性だが、とにかく「姉」としての威厳がバツグンで、行動力もあり、自分でもモノを考えて動くことが出来る人物。
10代なのに30代の姉御という風格があるが、同じボランティアグループでその姉と同い年の男、
つまり律の先輩にあたる立場の者からも「竹を割ったようなサッパリした性格で、ある種、男より男らしい」というリーダー気質に溢れた人物。
綾華の姉代わりともなった人物だが、やはり、その行動力などはお手本ともいうべきものがあり、律も参考にしていた部分があった、
重要なのが、律はそういう人間を想像して演じていたのに、彼女はそれが素であること。
律は常日頃「どうしたら、あんな風な思考を常にできて、器の大きい人物になれるんだ!?」と必死で背中を追いかけていたが、やはり憧れというか恋心みたいなものはあった。
律は彼女を普段「姉貴」または「姉さん」と呼んでいたが、稀に「母さん」と呼び間違えそうになるほどの包容力があり、10代いてそれなのだから、たまったものではない。
その割には中学校や高校でそこまで目立っていたというわけではなく、彼女の存在が目立つのは大学に入ってから。
かなり精神年齢の成熟が早かったためなのか、中学や高校では微妙に周囲と壁のようなものがあったらしく、大学時代になってようやく周囲が追いついてくるようになったようなのである。
というのを知ってるのも、本人が常日頃それで悩んでいたからだが、一方で「まぁ、しゃーないか」と割り切れる大人でもあった。
律は、どちらかというとまるで手が届かない隆の姉よりも、結果的に付き合いが長くなった彼女を手本に大人を目指して成長していったわけだが、
成長して20代中盤となった現在ですら「10代後半の頃の姉さんよりガキな自分がいるんだが……」と、未だに追いつけないことに悩んでいたりする。
一方の彼女は、海外青年協力隊で海外を渡り歩いた後にフリーのジャーナリストになってボランティア活動と平行しながら現地を取材して世界に状況を訴えるため、中東などを駆け回るような人物となっており、
日本に戻ってくると、かつてのボランティア仲間などが飲み会などを開いて彼女を招待してくれるのだが、現地の写真などを見ると不安で仕方なくなるほど危険地帯にいた。
もはや、その飲み会が生存確認のために開かれているようになっており、参加できない際も、律は彼女が生きているのかどうかのために彼女の参加確認だけ問い合わせるようになっていたが、
割とハードな中東地域でも平然と足を踏み入れるその姿に「ある意味で追いつけない」と、律は未だに背中を追い続ける自分に悲しくなる一方、「そうでなくては駄目だ」と追い抜かしたくない自分もいて、複雑な心境の境地にあった。
そんな彼女とのエピソードだが、実は律はあるキャンプの数日だけ、彼女を明確に追い抜かして泣かしてしまったことがある。
それは8月上旬の夏の2泊3日のキャンプ。
それは児童館の開催するキャンプであったが、その児童館は館長交代して、人格的に非常に不評な人物となってから子供が集まらなくなっており、
学童保育も、本来はその児童館で行われていたものの、組織として不審がられて律の通う小学校に移動してしまうなど、
とにかく子供が集まらないことで喘いでいたグループが開催していたイベント。
律は小学校3年から中学2年になるまで、ずっとそのイベントに参加していたが、中学2年の夏が最後の参加となった。
原因は、やはりというか児童館側にあり、律はボランティアの成績から本来、「リーダー」という立場で招かれたはずだったが、肩書きも剥奪され、リーダーとしての扱いはまるでされず、子供扱い。
しかも、事前にもう1名、同じく小学校3年から中学2年までボランティア活動とは別にキャンプだけ参加していて、
この時点で生徒会長の中学2年、後に3年生時においても生徒会長をやる人物が人数不足のために呼び出され、律と一緒に参加する予定となっていたが、雰囲気が怪しいことを看破して「ドタキャン」
律の立場はさらに悪くなる。
それでも子供を惹きつける力はある律。
キャンプ内のキャンプファイアーなどのイベントで冷遇されまくるも、子供は律についてきてしまう。
要因は、普段のボランティア活動によって律は祭りなどに顔を出しているので顔を知られていたこと。
綾華の良いお兄さんを演じていた律は周囲の子供からも信頼され、
児童館職員などの言葉は全く聞かないのに、復唱するだけの律の言葉を聞くなど、イベント自体が破綻していた。
律自体は、非常に逆境に強い人物のため、不遇の扱いに奮闘し「立場上、リーダーという肩書きを与えてくれないなら、行動と結果でリーダーだと示す」と、普段以上に意気込み、
その結果、夢や隆の姉などが知る「別次元の律」へと一時的に変身した結果、本来なら同じく顔も認知されていて人気を集める律が姉貴と呼ぶ彼女は、信じられないことに児童館グループと同じくヒールにされ、
子供はまるで本音を隠し、困ったことがあっても律にしか相談しなくなってしまった。
彼女が泣いたのは1日目の夜のこと。
これまで、ここまで子供に無視される経験もなく、まるで言うことを聞かないため、初めての壁にぶつかる。
律はこの時点で「姉の方が全ての能力において上である」とはわかっていたが、例えば料理する際などは班分けをし、12×6班で分けていたのだが、その6班全体の様子を見て声をかけていたのは他でもない律であった。
でないと、子供がまともに動かないのである。
完全に集団心理において、大人とされる人物がヒールとされた。
原因はキャンプ開催までの事前の炊き出しなど一連のイベントにおける不手際を重ね続けたことと、当初、律を他の子供が憧れるような「リーダー」として据え置いたのに、
不評だった館長が「中学のガキにしゃしゃり出られてなんかあったらどうすんだ」という鶴の一声で、ただの「参加者」に変更されたことなど、多岐に渡る行いの連鎖によるもの。
元々、律がリーダーという立場になる予定だったのは、律がボランティア団体から派遣されたことに由来する。
中学から本格的に「子供のリーダー」として活動がゆるされるボランティア団体では、律はリーダーとして活躍してイベントに参加するようになっており、
これが大学まで続く。
児童館のキャンプにおいてはそれまで、リーダーは大学生以上というルールに近いような暗黙の了解があったが、それまで200名を越えた参加者が半分未満になるなど、参加者集めに苦労するようになっただけでなく、
「いや、あんな子供をまともに見られない連中と仕事なんかしてなんかあったら責任取れないし」と、それまでリーダーとして参加していた体育会系の大学生などのサークルが参加を拒否
結果、助けを求められて、長年このキャンプに参加経験がある律を「派遣」という形で「リーダー」という立場で送り出したが、
その最大の目的は、あまりにも参加者が集まらないので、律のいるボランティア団体のイベントに参加する子供達にキャンプ参加を促し、その子供を40人ばかり集めたことによる、
他の団体が主催するイベントでも「リーダーはリーダーとして活動できる」姿を見せ、子供達に後のリーダー候補、もしくは、ボランティア団体の活動者となってもらうことを狙ったためであるのだが、
ようは、普段の律を知り、律を目指している子供達が多くいて、律が必死で動き回る姿を冷遇することに我慢ならず、子供心の反抗および反乱を起こしてしまった。(稀にこういうイベントで発生し、その手のマニュアル本でも事例が書かれる集団心理の恐怖というもの)
姉貴と呼ばれる人物がヒールになった原因は、年齢こそ律と殆ど変わらないのにあまりにも大人っぽい雰囲気があったからで
リーダーはその日の夜に反省会のようなものが行われるが、そこで泣き出してしまったのである。
律はその反省会にすら呼び出しを受けていなかったものの、いつもと様子が違うことを認知しており、聞き耳を立てるように他の子供達と遊びながら遠くからその様子を見ていたが、
「律の姉のような立場でならなきゃいけない自分が、まるで足を引っ張っている」と泣いている姿をみて、
一時的に肩を並べて嬉しいような、自分の誇れる姉とも言われる人物がぞんざいに扱われて悲しいような、どうすればいいのか気持ちの整理がつかない状況となった。
結局、キャンプ自体はそんな状態で3日間を過ごし、2泊3日の中には山登りイベントなどもあったが、
2日以降は律と同じボランティア所属の7歳年上の先輩が「このまま親御さんにも説明できないイベントにして破綻させるか、律を矢面に立たせて形だけでも成立させるか、選んでください」と成人を越えた大人の立場で児童館の者達に圧力をかけ、
以降は律をリーダーに据え置いて全体をまとめあげるという形で終える。
姉貴とされる人物や律の先輩にもあたる「派遣組」は律をサポートする形で、彼をうまいこと活用して修羅場を乗り切ったものの、
姉貴本人はこれが相当トラウマになったらしく、以降は参加しなくなったが、
翌年に律も召集がかけられた際には「俺、去年と同じ事になって今年は姉貴と喧嘩に発展したり、みんなとギスギスしたくないですし」といって律も参加拒否すると、翌々年からは律が参加するボランティア団体も児童館とは縁を切り、
児童館キャンプは翌々年を最後に人が集まらないので開催されなくなったのだった。
立場が変わったのはあくまでこのキャンプの一件でだけであり、8月下旬に開かれる、律が所属する団体が開催するキャンプでは、前述するキャンプに参加した子供の多くも参加していたが、特にそのような状況にはならなかった。
実はそのイベント、1日目と2日目はリーダー2名体制で、3日目は日帰り隊が合流して一部リーダーもそちらに合流してリーダー1名体制になるのだが、その年、2名体制の2日間は姉貴と律が同じ班だった。
実はこれが初めて律と彼女が直接組んだキャンプイベントだったものの、「姉さんの肩を借ります」と言う律に対し、割と対等な立場で接してくるので普段以上に心労を重ねた律はキャンプ後に体調を崩して始業式まで行動不能に陥ってトラウマとなっている。
さすがに、以降は律がそうなったことを同じくボランティアに参加する弟から聞かされてその後のイベントでは対応を改めたものの、
一時的とはいえ追い抜かしたことで、姉貴と呼ぶ人物は律がその時に実力以上のものを出していたことを知らず、同じ立場で問題ないと普段以上に負担をかけさせてしまったのである。(正確には100%中の100%というべき状態)
そんないろんな経験のある姉貴だが、律の成長にもっとも影響した女性の一人と言え、律自体もそれなりの想いを抱いていたものの、
ある種、大学以降は急成長して手が届かない存在になってしまった。
律としては逆にホッとした部分があり、今でも昔以上の姉御肌で周囲を引っ張っている様子だが、そうやっていつまでも追いかけている対象であり続けて欲しいと思いつつも、今でも淡い想いを少しばかり抱いているのだった。
さて、そういう2名がタイプな律としては、必ずしも自分よりも上の立場で引っ張って行く必要性はないが、綾華や優しい衣は「まだ子供」という感じで、年齢相応の甘えがあることが最大の障壁となっている。
別にテストで100点を採れるような天才である必要性はないが、少なくとも律が「姉貴」と呼ぶような人物の10代の頃に20代になるまでに並ぶような状態でいてほしいというのが本音。(現在までの状態までは望んではいない)
優衣は名前どおり性格は優しいが、やや精神的に弱い部分がある。
綾華は一言で言って、体が成長しただけの子供。
どちらも年相応だが、上を見て育った律にとって、綾華は「背伸びしているだけの子供」という印象があり、足りないのである。
綾華を冷静に見てみると、言動、行動、1つ1つに幼さがある。
恐らくそれは「自分を兄として見ている部分がある」のが関係しているのではないかと思うが、
妻を気取る姿も「おままごと」に感じる幼さがある。
無論、10代の中学生~高校生の時代の律が見た年上の女性2名と、20代中盤となって、そこそこに成長してしまった律が見る高校2年生と大学1年生は違うのだが、
周囲から「大人より大人っぽい」といわれる両名は今でも律の憧れの存在で、そして届かない目標なのだ。
そこを目指して欲しいのだから、今の状態は違うといえる。
律はそれを思い出しつつ、夕食を食べてデザートを頬張る綾華に思い切って発破をかけてみることにしたのだった。
本当に彼女らがその気があるというなら、律も応える準備はあるからであった――
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「綾華。料理も美味しく作れるようになったみたいだし、一人で全部出来るようになったのは正直言って本当にすごいけど……俺にはまだ足りないな。お前、里奈先輩と、美希の姉貴を知ってるよな?」
綾華が作ったデザートを口にしていた律は、タイミングを待って呟いた。
それまでデザートをおいしそうに食べていた綾華は「ドキィ」とした表情で、スプーンを動かす手が止まり、律の方を向いたまま黙っている。
「両方ともボランティアなどで知ってるけど、お前には今までハッキリと言わなかったな。俺はあの二人に本気で恋してた。片方は絶対に届かないという儚い片思いで、片方は絶対に追いついてやるという本気の片思いだ。結果、どっちにも届かず終わってる。ひょんな事から2度ほど彼女は出来たりしたけど……その子と別れた原因も、俺が彼女に二人を重ねてて未練タラタラだったからだ」
綾華は2度付き合ったガールフレンドが誰かを知っている。
そして律が恐らく男女の関係を築いていたことも。
だが、その2名を振ったのは律なのを知っていた綾華は密かに自分にもまだチャンスはあると考えていたが、自然な成り行きで成長すれば、律と付き合う事は可能だと楽観視していた。
よって、最近、優衣と積極的に連絡をとっていることで優衣に負けないようにと自分に渇を入れていたのだが、律との距離がまるで遠いことを、その表情や言葉より自覚して青ざめる。
「申し訳ないけれど……お前の渾身の女の子アピールは、俺の心には響かない。今みたいに、俺好みの髪型にしてくれたり、肌の露出の多い服装にしてスタイルをアピールするよりも、もっと大切なことがある。里奈先輩は最強クラスの学校のアイドルで、美希の姉貴は俺の姉そのものだった。けど、俺は本気で、あのどちらかをガールフレンドにしたい野望があって、努力してた時もあったんだよ……そして後に別の女の子と付き合ってわかったのは、その領域に迫るような子じゃないとだめだ……お前の気持ちを理解した上で言う。本気で俺と付き合いたいなら、子供心に考えた悩殺アピールじゃなくて、人として成長した姿であれに追いつかんばかりに大人になった状態で来い。今のお前はあくまで成長しただけの妹。体は大人っぽくなっても、それだけで付き合うほど、俺は子供じゃないぞ……」
律の言葉にしばらくじーーっと目を向けて考える綾華。
律は綾華を全否定していない。
今の幼い危険な行動を抑制したい気持ちはあったが、綾華の気持ちは否定していない。
呪縛とも言える、憧れの両名に囚われた状態にあることを素直に吐露し、
その上で、かつて隆の姉である里奈が屋上でやったのと同じように綾華に迫る。
「あは……あははははは。もうーいきなりどうしたん律くん……そんな顔せんでもええんやよ?」
「俺は本気で言ってる。お前が嫌いになったわけじゃない。俺は今でも、あの二人が縛った鎖を解き放ってくれる人を待ってる。自分らしく生きて、己を中途半端に磨き続けたまま……」
律は綾華の手を握り、真剣な眼差しで綾華に問いかける。
そこで目線を逸らせたら、その時点ですべてが終わると思ったので、綾華は汗だくになりながらも必死で応えようとする。
「じゃ、じゃあ私が……私が、里奈さんまでとは行かずとも、美希さんぐらいになれば、律くんは振り向いてくれるの? 背中を見せて前を進むだけでなく……」
「違うよ。お前が俺を追い越さんばかりの勢いで、一時的に俺の横か前に立つだけでいいんだよ。俺はそれを否定しない。光兄は、どうもそこがわかってない様子だ。俺は綾華だけじゃなく、全ての女性にソレを求めてるが、悲しいことに俺より前にいる人間は手が届かないか、すでに結婚してるかみたいな状態だ。顔やスタイルの好みを正直言えば、お前は割と俺の好みだが、大人の恋愛って顔とか体だけじゃないからね……」
律はその言葉を述べたあとに、16の綾華には割とエグい話だと気づいてハッと手で口をふさぐも、綾華はその言葉を理解していた。
「なんだ……じゃあ私じゃ絶対駄目ってわけやないんやね……無理して背伸びせずとも……必要やったんは美希さんみたいな何かやったんか……」
「まぁ、優しくない課題を与えているとは思ってるけどね。でも、正直言って、お前と今、恋愛ごっこみたいなことをするのは簡単だが、それじゃ、絶対お互い満足できない。お互いに傷つくって言い切れる。お前が憧れていた俺はもういない。あの時は二人を追いかけるあまり無理しすぎた。今はもう背伸びはやめたんだ」
それはすでに優衣にも見せたことがある、優衣が逆に好いている等身大の律の言葉。
必死で追いかけてもモチベーションなど保てるわけがなく、ありのままの今を受け入れて自分らしく生きる。
必死にあれこれもがいた結果、虚無の心理状態になってグレた後、高校時代になって得た友人たちにより見出すことができた新たなる意志。
綾華は律がグレる前の段階で別れていたため、第三者的に見ると最高の状態の、必死でもがく律しか知らない。
しかし律はそれを否定した上で、高い目標に挑まねば自分が振り向かないと迫る。
ある意味で大人のズルさでもあったが、律の本心でもある。
何しろ律は歩幅が狭くなっているので、本気を出せば追いかけることは不可能ではない。
綾華がそんなにアホの子でないこと、そして可能性があることをよく知っている。
だから、こんな真似を続けるのはやめてほしいのだ。
既成事実化のような形で付き合っても本当にお互いにパートナーとなることなどできないことを律は経験上よく知っていた。
「もう一度いうぞ、お前は妹として俺にとっては大切な子だし、嫌いになったわけじゃない。本当に共に歩むのと兄妹の関係は違うのはわかるよな。お前は今、妹とは別の形で年下の女の子が妙な知恵でアピールしてるだけの状態だ。違うべ。恋愛って、そんな簡単じゃねーぜ。言葉じゃない。お互いに言葉すら言い表せない何かを共有する……そうなるには程遠い。そういうことだ」
「……わかった……でもこれだけは言っておくから! 私は律くんが好き! ずっと好き! いつも隣にいてほしいって思ってるッ!」
「知ってる。だから、目を背けたくないから本気で言ってる。別にお前を抱き寄せるのは簡単だ」
律はすぐ隣で座る綾華の肩に手を回し、抱き寄せる。
「でも、今の話きいたらもう満足できないだろ……男女の恋愛って浅いようで深いから……」
「うん……でも好き。」
律と肩と肩でくっついた状態になる綾華は、少し満足したような、悔しいような複雑な表情を浮かべた。
「まぁとにかくだ、もう妹らしくない変なアピールはしないで。俺も困る。なんか無理してるような気もするしな。恋愛は、恋愛行動を模倣すればいいってわけじゃない。自然とそうなるんだ。わかった?」
律は肩にまわしていた手を綾華の頭に回してなでる。
肩をくっつけたという状況を除けば、どう見てもソレは、父親が娘にするかのような物言いと行動である。
綾華は「だから好き……」と、小声でつぶやき、その上でバッと律から離れた。
「別に無理はしてないんやけど、目標がわかったから、これからは本気で律くんに挑むからね! 里奈さんにすら負けない女になるんやから!」
それは指で指し示す恋の宣戦布告。
律の、二人三脚できるパートナーを求めるという姿に挑むという少女の本気の意気込み。
「…………別に甘えてもいいんやよね?」
しかし、突如としてふと現実に戻ったようにビシッと向けていた腕を下ろして綾華は律に本音をぶつけた。
「妹として、なら…ね。 今みたいな感じではなく。まあさ、俺が伝えたいのはそれだから……変に無理して空回りすると体調崩すぞ。いつかの俺みたいにさ」
律は明らかに様子がおかしい綾華を気遣い、今まで彼女に伝えたことがない本気の言葉を伝えたが、
律が言葉を伝えたあたりから綾華は普段のテンション及び体調にもどっていき、現在は体中汗だらけだが、普段通りの様子に戻っている。
その状態に少々安心した。
(これで多少おかしな関係が元に戻ってくれるといいな……再び再会してからしばらくの綾華はなんかおかしかったし……今日は明日が心配になるぐらいハイになってたしな……)
律の安心をよそに、綾華は汗だらけになったので「シャワー浴びてくる」と言い、再び戻ってくると普段通りのTシャツやハーフパンツの寝巻き姿となった。
その後、綾華と律はそれぞれ別の部屋で寝たが、律がこの前も使わせてもらって今回も寝室とした個室に綾華が訪れることは一切なく、二人の新たな関係が始まったのであった――
次回「人生初のレンタルバイク」




