中央と南アルプスのパノラマと人生初の舗装林道 大鹿村→しらびそ高原→静岡県(浜松市) 後編
林道に入って数分。
律は「これが林道?」といった感想を抱く。
普通に舗装がされており、まるで152号線と様子が変わらない。
いや、一般的な国道や県道からすると狭いのだが、152号線のクオリティの影響で、国道152号線がそのまま続いているように感じる。
実際には地蔵峠からハイキングコースが続いており、その先の152号線に徒歩で向かうことが出来るので車などが迂回しているだけなのだが、走ってみるとそんな感覚がしないのだ。
ただ、道路などは落ち葉や植物由来のゴミなどが散乱しているので確かに国道とは何かが違うとは感じさせられる。
舗装林道。
かつて日本の財政状況が悪くなった際「車の往来の少ない殆どの道路は舗装林道と同じ程度の整備でいいのではないか」と主張した政治家がいる。(道交法を改正してコストを抑制しろという話)
そうすることで、ランニングコストは3分の1に抑えられるからいいだろうと。
例えばドライバーやライダーの人間は県道や国道を走ったとき、道にゴミなどが殆ど無いことにお気づきだろうか。
これは日夜掃除などが行われているからであって、林道はそこまで頻繁に清掃などが行われない関係上、道は枝とか葉などが散乱していることが常。
地方の往来の少ない道路はそれと同じでいいだろうというわけである。
しかし実際にはそういう道がそうなってしまうと緊急車両などが通れない事から、却下された。
道というのは個人だけが通るわけではない。
道を整備するというのは緊急車両含めた公的な者たちのためでもあるのだ。
道路財源に乏しい発展途上国は、こういった舗装林道のような道が当たり前なのだが、
ある程度発展した国、例えば中国などですら、道路自体が歪んで車が頻繁にバウンドすることはあっても、ゴミが散乱するという事はない。
道路とは、ただ舗装した道を敷いておけば良いというわけではないのである。
そんな蛇洞林道は一般補助林道とされる、国や地方自治体が道路を整備して地方自治体などが管理する道路。
いわば県道に近い道路ではあるが、県道の条件を満たしていないため、林道という扱いとなっている所だ。
こういう場所は長野県や山梨県に多くあるが、以前も説明したように県道とは「集落など、人が住まう地域間を結ぶための道路」であり、地域間を結ばない道路だと「林道」という枠組みに入れられてしまうのである。
地蔵峠から続くこの林道は、上村という村へは繋がっているが、県道となるためには大鹿村までの接続が必要だということだ。
地蔵峠という無人の場所にしか繋がっていないから県道と名乗れないというわけなのである。
律の中で「林道」とは本当に一般的な森林保護などを目的とした整備用の未舗装路という認識があったものの、
蛇洞林道はそれとは趣旨が異なる「152号線の往来を可能とするための、県道に極めて近い道路」であり、道路規格も一応は道交法に沿ったものとなる。
いわば広域農道と同じような立場にある道路だが、純粋な林道でなくとも、林道というだけあって、道幅などはそれなりでも道路状況は国道152号線と比較するとよろしくなかった。
秋などに訪れると、そこら中が落ち葉だらけで転倒しそうな予感がするほどである。
だがアフリカツインには最大7段階のトラクションコントロールがある。
律は、光が最も安定しているとしていたレベル3の設定のままだったが、その状態でも木々によって生じたゴミなどものともせず進んで行くことが出来た。
(……なんでこっちの方がガードレールなどがきちんと整備されているんだろう……斜面はコンクリートで固められているし、道路自体は落ち葉や枝が散らばってるけど、152号線の方が怖かったな……)
律は今朝方通った生活道路と同じく蛇洞林道の方が道としてのつくりは良いため、「酷道とは何か」ということが段々と理解できるようになってきた。
少しずつだが国の予算がかけられて整備が続く国道152号線は、一応震災などを想定した駒ヶ根付近の国道153号などの「迂回路」としての利用を想定してはいるものの、
今後も工事はゆったりとしたペースで進むため、完全に整備されるのは何年後かわからない。(それでも2010年からここ10年で随分と各所の印象がかわるほど拡張工事が進んだ)
蛇洞林道の区間もこの先10年は使い続けられる予定であり、上村までの道のりは険しいままだった。
そんなヘアピンなども施されたほどほどの峠道を20分進むと、しらびそ峠と152号線へと向かう分かれ道に到達する。
152号線方面は下り坂、しらびそ高原は上り坂である。
現在の標高は1500m前後といった所だが、ここからさらに400mほど登った1918mのところに、本日の重要目的津の1つである「しらびそ高原」がある。
随分標高の高いところを走っていることに驚く者もいるかもしれないが、実はドローンなどで撮影すると蛇洞林道はものすごい山の中腹あたりに「どうやってこんな道を作ったの!?」なんて思えるような状況で道が敷かれているのだが、走っていると中々気づくことはない。
走ってみると普通の峠道のように感じるが、その標高は先ほど通過した地蔵峠より高いのだ。
そこからさらに自動車で向かえる日本の山では屈指の高さを誇る1918mのしらびそ高原まで道は続いている。
その場所までは夕立神パノラマ公園と同じくバスなどは通っていないため、仮に観光旅行で訪れようにもかなりの額を支払ってタクシーなどでくるしかない。
周辺に本当に何もないので、徒歩や自転車で向かうのは無謀とされ、一般的に律のようなライダーやドライバーだけが楽しめるとされる観光地である。
律は、その分かれ道の景色も綺麗だったために一旦停車してデジカメで周囲を撮影した後、しらびそ高原へ向けて発進したのだった――
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走り始めて数分。
律は標高の高さについて思い知らされる。
雪である。
日陰などにはまだ雪が残っており、大鹿村より気温が低かった夕立神パノラマ公園周辺よりもさらに寒い。
これまでの道程においては木々によって風がさえぎられていたので、そこまで寒くなかったが、分かれ道を駆け上ると木々が減り、風が吹きつけるようになっていた。
このあたりは屈指の強風地域。
自転車や徒歩が無謀と言われるのは、その風の強さに起因する。
ヒューヒューと横風が吹く度に寒気がし、バイクが少しだけ揺さぶられるが、重量による安定感によって転倒するといったような恐怖感はなかった。
ただ、かなり寒い。
一般的に標高が上がると1000mにつき6度気温が下がる。
単純計算でもしらびそ高原は11度低下と、10度以上下がる。
太陽が出てきて気温があがるはずがなぜか気温が上がった気がしないなと思っていた律だが、その最大の原因は夕立神パノラマ公園より高い標高の場所を走る蛇洞林道をずっと走り続け、さらに気温が下がるような高さまで登っていることにあった。
しかし一方で、標高が上がったことで空気が澄んで景色はバツグン。
少なくなった木々の間から見える山とこちらを照らす太陽は非常に美しく、
落ち葉だらけで走りにくい林道のイメージすら、綺麗な風景の1つとして捉えることができるほどだ。
律は思わず走行中に停止して何枚か正面に広がる道路の風景写真を撮影したが、それだけでも絵となるほどの情景が目の前に広がっているのである。
(……この辺りは、秋になると紅葉が楽しめる木々ばかりだな……シラカバ……ナナカマド……割と寒い地域か高地でしか育たない木々ばかり……来る時期としては秋がベストか)
走っていて律が気づいたのは、春向けの植物より、秋向けの植物が道沿いに多く生い茂っていること。
そう、実はしらびそ高原は「紅葉の名所」として有名なスポットなのである。
秋になると、SSバイクなどではトラコンがないと泣きを見るような大量の落ち葉で道が埋め尽くされ、自動車の通ったわだちを走らねば転倒しかねないほど落ち葉が降り積もるが、
一方で、それを含めて走るには最高の道で、このために必死の思いで浜松方面や長野方面から訪れるライダーが後を絶たない。
それこそ紅葉のために奥日光のあたりから群馬に入り、そこから秩父へ行き、国道140号線など紅葉が美しいとされる秩父を通って雁坂トンネルから山梨県に入り、
20号を通って茅野に向かって大鹿村からしらびそ高原へ――なんていう全長800kmにも及ぶ大きな孤を描いた紅葉ツーリングに出かけるタフなライダーもいるほどである。
無論、割とガチな装備やバイクでないと非常に怖い思いをするか転倒してしまうので、しらびそ高原に向かうライダーはそれなりに経験を積んだ上級者が多い。
ヘタに整備されていないバイクだと、標高の高さや連続する登り坂などの影響で故障したりするが、周囲にバイクを修理するためのバイク屋などの環境も一切ないので、舐めてかかると恐ろしいことになる。
とはいえ、新車同然で光が丁寧に整備を施したアフリカツインにとって、標高2000mなど対した障壁ともならず、気圧が下がると性能が低下するキャブレターでもないので律は寒さは感じつつも恐怖などは感じずに道を進むことが出来た。
しかし、しばらく走り続けていると律は少しずつ息ぐるしさを感じ始めるようになった。
標高1700mを突破したためである。
景色はどんどんよくなっていくばかりか、雲が手に届きそうな高さに感じるほどで、そこにきてようやく「尋常でない高さに、今自分はいるのではないか」と気づきはじめる。
特に眩暈や頭痛などはしていないが、深呼吸をしながら肺に十分な空気を送り込んで山酔いともいえる軽い症状を緩和させようとした。
しばらく走ると息苦しさだけは感じるが、それ以外に特に症状は悪化せず、単純に酸素が薄くなってきただけなのだと理解する。
そのまま15分ほど走らせると、「しらびそ峠」と呼ばれる駐車場に到着した。
しらびそ峠。
標高1840m
南アルプス登山口の1つであり、この場所から南アルプスでも有名な赤石岳などに向かうことが出来る。
冬ともなると、命知らずの外国人含めた登山家がこの場所から赤石岳などの一連の南アルプス一帯へと向かう姿を目撃することが出来るが、
4月初旬の現在ですら南アルプスには雪が積もっており、駐車場からその雄大な山脈の姿を拝むことが出来るほどだ。
律の向かう目的地は、これよりさらに80m近く登ったしらびそ高原だが、目の前に美しい風景が広がっているため、休憩がてら一旦停車した。
周囲には登山に向かったと思われる人が駐車させた車中泊仕様の車や、この場所に写真撮影に来たと思われる人がポツポツといた。
駐車場に停車させてある車はビーゴやランドクルーザー、パジェロといった「本気仕様」の4WD車両ばかり。
また、ライダーの姿はないがR1200GSがあり、「そういう車の者達がこぞって集まる場所」というのを体現している。
無論、律のアフリカツインも21インチタイヤを装備の見た目だけはビッグオフなツアラー車両。
そこに混じっても違和感のないバリバリ戦闘力の高い姿を誇ってはいた。
駐車場に停車した律は南アルプスの写真を三脚を用いながら撮影する人達などと会釈を交わしながら、自身も購入したばかりのRX1RM2でパシャパシャと撮影する。
途中、律の姿を見かねたカメラ撮影が趣味という男性の方が予備の三脚を貸してくれたので、それを使って綺麗な風景を手ブレなどで失敗することなくレンズに収めることが出来た。
カメラ撮影が趣味と証する男性は、山を舐めていませんとばかりに全身モンベルで固められた姿だったが、
しらびそ高原に一旦行ってから戻ってきて、ここで順光となる午後の風景と、そのまま夜の星空を撮るためにひたすら待ちながら時間による風景の移り変わりを撮影して楽しんでいるのだと言い、
「しらびそ高原に行くならハイランドしらびその軽食コーナーのコーヒーが美味しいので是非オススメ」と言ってきたので、律はそれを目標にしらびそ高原に向かうことにしたのだった――
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しらびそ峠の駐車場を出発し、再び林道へ。
そのまま10分ほど駆け上がると「ハイランドしらびそ」が見えてくる。
標高1918m
しらびそ高原に佇むホテルのようなもの。
外観に反して中の部屋は和室ばかりで構成されており、洋室もあるものの、和室22部屋に対して洋室2部屋しかないという面白い場所。
「それは旅館ではないのか?」とも思えるが、旅館ではなく宿泊も可能な総合施設となっている。
日帰り入浴も可能だが、周辺にはキャンプ場なども多くあり、そういう人のための施設でもあるのだ。
外観は完全にアルプスの少女ハイジなどの世界に出てきそうな洋館であり、宿泊した際のギャップは凄まじい。
律はハイランドしらびその駐車場にバイクを停車させると、まずは周囲の風景撮影を行い始める。
周囲にはハイキングコースなどもあり、そこから望む信州の山々も美しかった。
そして歩いていると信じられないことに、すぐ近くにオートキャンプ場があるのを見つけ、標高1900mの高さでの「ガチキャン△」を楽しんでいる者たちの姿が確認した。
その中には、キャンプツーリングを楽しんでいるライダーすらいた。
大鹿村周辺に殆どライダーがいなかったのと比較すると、不思議な光景であった。
無論それは、このあたりの新緑が非常に美しく有名なスポットであるからなのだが、それに負けない大鹿村にも、もっと人が集まって欲しいと律は思わずにはいられなかった。
一連のキャンプ場なども一望できるハイキングコースは15分ほど歩く程度の長さなので、それらの場所に赴いて風景を楽しみながらその映像をカメラに収め、30分ほどゆっくりすごした後にハイランドしらびそへと向かう。
中に入ると洋館といったような雰囲気があり、木で彩られた素朴な印象のあるレストランコーナーがあった。
律はそこで休憩がてらオススメのコーヒーを頼む。
基本的に律はかつて虫歯に苦しんだ影響で間食はしないので、五平餅やここでも鹿肉によるジビエ料理が提供されていたが、空腹感もなかったのであくまでコーヒーだけを注文してレストランで休憩する。
コーヒーは苦味も少なく、とても飲みやすくて美味で、それを少しずつ飲みながら、今後の行程について確認する。
すると、なんとなんと国道152号線に向かうというだけなら、来た道を戻らずにこの先を進んでも接続されていた事に気づいた。
その際には国道152号線の一部を迂回するような状態となる。
この場所からさらに先を進むと「御池山隕石クレーター」などの観光地があったものの、スマホナビは「浜松まで行きたいなら引き返せ」と案内している。
道の姿を航空写真などで見ても凄まじい山道となっており、しかも複数あってそれぞれが繋がっていて、
今度訪れても1日中しらびそ高原周辺の道路で楽しめるぐらいに自動車が通れる山道が敷かれており、村道という形でそれらは整備されていた。
スマホナビが引き返すことを提案していたのは、その区間を国道152号線を進んだ方が距離が短いし、道こそ狭いがそこまで苦ではないからであったが、
律としても今回の目的は「国道152号線制覇」であり、しらびそ高原周辺の攻略は次回以降として来た道を折り返すことに決めた。
その後、飲みきったコーヒーを片付けてもらうとすると驚くことに「コーヒーカップ」がプレゼントされる。
ハイランドしらびそなどではジュースなどを頼むとコーヒーカップが貰えるらしく、律はなぜだかお得な気分になった。
この手の飲み物を飲むための道具をツーリング中に手に入れるのはスズキの湯のみから数えて2回目の経験。
以前は自ら購入に踏み切ったものだが、今回は偶発的な要因で手に入れた。
しらびそ高原に訪れた記念になり、そのカップを手に入れたことで幸福感を満たした律は、そのまましらびそ高原を後にして来た道を引き返すのだった――
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25分ほどで来た道に戻ってきた律は、分かれ道から再び152号線目指して蛇洞林道を突き進む。
分かれ道からはずっと下り道となり、しばらく下り坂を下り続けることになる。
このあたりから頻繁に対向車が来るようになるが、道幅的にバイクなら対面通行による交差に支障はなかった。
律は減速しつつも対向車を回避し、道を突き進む。
15分ぐらい進むと、信じられないことに林道なのに2車線道路に。
そのまま2車線と広めの一車線を交互に林道は繰り返した後、7分ほど進むとついに国道152号線へ再び合流した。
飯田方面の国道474号線と国道152号線が重なっている交差点で律は右折し、浜松方面へ。
この辺りは長野県飯田市上村のため、国道152号線は大鹿村と同じく二車線道路となる。(実はここ最近殆どが二車線に拡張された)
そのまま律は南下を開始。
現在時刻10時15分。
休憩を重ねた割には随分と速いペースであった。
(……このままがんばればドリーム浜松は午後には到着できるかな?)
律のそのペースに驚きつつも、やや余裕が出来てきて安心する。
しかし国道152号線はまだ「本性」を現していない。
律は美しい景色によってそれをすっかり忘れてしまっていた。
本番はこれからなのだと。
それを知るには、もう1時間ほど走らねばならない。
上村周辺は二車線道路が続く。
以前は片道一車線だった場所も、近年再整備されて全て二車線となっている。
2010年ごろまでは迂回していた区間には橋やトンネルなどが設けられ、新たに国道152号線として設定されているほどだ。
ここは比較的交通量が多いので拡張されたのだ。
ここから、この周辺に唯一ある昭和シェルのガソリンスタンドを過ぎて道の駅「遠山郷」まではずっと二車線である。
そう、この辺りまではツーリングライダーすら訪れることもある快走路となっているのである……
本番はここからなのであった――。
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「なんだ、大したことないんじゃない?」
上村を30分ほど進んだ律は、ずっと二車線道路であり、その道路は常識的な「国道」というイメージそのままなので、安心しきっていた。
途中、道の駅遠山郷でトイレ休憩などを済ませ、再び南下。
20分ほどで兵越林道へと差し掛かる。
南信濃和田を通ると、再び152号線は狭くなった。
嫌な予感がしつつも律は突き当たりの交差点に到着し、兵越林道へと入って行く。
この先は兵越峠を越える道。
兵越峠。
ここも武田信玄ゆかりの地であり、戦地に向かう信玄が祈りを捧げた場所ということで、この名前が付いた。
近くには神社などもあり、割と神聖な場所。
標高は1156mなので、高さ自体は対したことがない。
律は外気温が上がってきたことで標高が下がってきたことを実感する。
兵越峠の登り坂はとにかく心が躍った。
標高こそ1000m級だが、周囲の山々もその程度の高さがあり、そこを3kmほど横切るのである。
まるで山の中を高速で駆け巡るようで非常に楽しい。
このような経験など生まれて一度もしたことがない律は進行方向右側を見て「日本にこんな場所があったんだ……いや、俺が知らないだけでまだこんな所がきっと沢山あるんだ」と興奮気味だった。
武田軍のことを考えると、当時は徒歩であったため大変苦労しての行軍であったであろうことは想像できる。
唸るエンジンは95馬力。
当時の馬95匹分以上のパワーでもって総重量約300kgの塊を運んでもらっているからこそ楽できているが、とても歩いてここまで向かいたいなどとは思わない。
律はここに来るまでに少しだけ兵越峠のことについて調べていたが、武田信玄本人は青崩峠を進んだ一方、驚くことに、この人が歩くには険しすぎる場所は上洛を目指す武田信玄の家臣や雇った野侍などが向かったとされる。
つまり、武田軍や武田の血筋の者はここを歩いたのだ。
理由はそこを走れば一目瞭然。
偵察に非常に適した道にある。
当時、武田信玄は青崩峠と兵越峠とで二つに部隊を分けて上洛を目指して進軍したことはわかっているが、あえて兵越峠にも向かわせたのは兵越峠に敵や諜報員(忍の者)が潜む可能性を考慮してのこと。
また、非常に景色が良い場所だけに偵察行動にも向く場所であったため、この場所から周囲に目を張り巡らせつつ過酷な山道を越えていったとされる。
兵越峠の兵越という名前自体がこの二手に分かれた武田軍の兵達が文字通り越えていった場所というところから名づけられているわけだが、蛇洞林道とは立場が違う。
律は、当時兵が歩んだ街道をそのまま林道として自動車を通していると聞いて「ここを歩いていくなんて絶対嫌だ。青崩峠ですら辛いといのに……」と、想像するだけで身震いするほど、これまで歩くには厳しすぎる道のりが続いてきていたが、(しかも彼らが渡ったのは11月25日の真冬)
だが、もし自分が武田の足軽や雇われた野侍で、信玄の命令によってここを歩むことを強制されたとしても、この山を駆け巡る風景を糧にして足を運ぶ自分の姿が想像できた。
それだけの光景が律の目の前に広がっているのだ。
そんなこんなでバイクの性能に頼ればどうにかなる兵越峠山頂までの上り坂はそこまで問題ない舗装林道だったために余裕をこいていた律であったが、下り坂に入ると凍りついた。
国道152号線の本領発揮である。
実は、この兵越峠を越えた静岡県側こそ「国道152号線最難関区間」であり、生半可なバイクで通ろうとすると泣きを見る場所。
国道152号線を楽しみたいというわけではないなら駒ヶ根など長野県側だけを走った方がマシで、そういうライダーは少なくない。
かつては上村周辺もそうであったが、整備されたためにそうではなくなった。
律はすでに静岡県に入ったことに気づいていないが、兵越峠が長野県と静岡県の県境。
静岡県側の兵越林道は整備状況が悪く、舗装も最悪。
ガタンガタンと下り坂にて揺れだすアフリカツインによって律は慢心しかけていた状況から一変して青ざめる。
何しろ「道が狭い」のに、道の状況が悪いというダブルコンボである。
一部はコンクリート舗装だったり砂利道だったり、
どう見ても「軽自動車しか通れないような」場所すらある。
対面通行はまるで不可能とばかり狭き道を必死の思いで走るが、悲しいことに交通量が多い。
対向車が頻繁に来るのである。
(お、おお、折り返して飯田市に出ようかな……)
無論Uターンなどできない道の狭さであるが、律が折り返したくなるほど静岡県側の兵越林道の状況は最悪だった。
長野県が整備に力を入れるのとはまるで正反対の様子であり、「そういう車しか走れないようにしたほうが事故とか減っていんじゃね?」とばかりにドライバーとライダー泣かせの道が続く。
交通量を減らしたいとばかりに嫌がらせのような道が続くのだ。
普段は他のライダーに追い越されることが多い律であったが、今日に限ってはむしろ律のほうが車両の性能の影響で速いペースとなっており、
いつの間にか後にライダーが続いていたものの、彼らのバイクはトライアンフのスピードトリプルとヤマハのYZF-R6で、舐めきったバイクで挑んだためか両足を地面に着けるように放り出して走っていた。
きちんと乗車姿勢を維持できるのはアドベンチャー風ツアラー+トラコン装備のアフリカツインの性能のおかげであり、
恐らくCB400SBだったら後ろを低速でノタノタついてくる者達と同じ状況になっていることは容易に推測できるほどの道。
対向車が来るので何度も一時停止し、その都度後続車に追いつかれるが、後続車はそのまま律を追い抜くことなく兵越林道を擬似マスツーのような状態で走りぬける形となり、恐怖の30分を過ぎてようやく兵越林道を突破し、片道二車線の国道152号線に再び合流した。
気が気でない走行により律の手は冷たくなっていたが、「ようやく本気が出せるぜ」とばかりに、国道152号線に入った途端、先ほど後ろからノタノタと低速でついてきた物達に高速でブチ抜かれる。
しかし、安全運転がモットーの律は気にせず再び快走路を走りぬけたのだった――。
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快走路かと思ったのは束の間のこと、再び一車線と二車線の道路が交互に訪れ、狭い場所は対面通行すら不可能な場所が続く。
先ほどの林道ほど道は狭いわけではなく、舗装も多少はまともではあったが、その後も二車線と一車線の連続が続き、特に新東名高速付近は非常に狭い兵越林道の静岡区間を思い起こす舗装林道のような道が続く。
ここが兵越林道と並んで国道152号線の難関区間であり、それを突破すると二車線の一般的な国道となって市街地へと進んで行った。
市街地付近までの道は非常に風景の優れた区間がいくつもあり、何度か足を止めては写真撮影を行ったが、
この辺りの場所はライダーも非常に多く訪れる様子で、止まる度に多くのライダーが律を追い抜かしていき、走っている最中も何度もバイクと相対した。
何度か「Yaeh!」されたので左手で応え、そんなこんなで赤嶺館を出発してから約7時間後の午後14時14分。
ついに律はドリーム浜松に到着する。
Uターンのために一旦152号線の終着点に到着した律は、何か「やり遂げた」気分になりつつもドリーム浜松へ。
ドリーム浜松では500kmのオイル交換を事前の光の説明の通り「G2オイル」でお願いした。
幸い本日はそこまで忙しいわけではないとのことで、1時間程度で作業が終わるとのこと。
ドリームの整備士は作業に入る前、オイル交換のためにAltriderのスキッドプレートの外し方を律に伺ったが、律は光よりボルト6本で外せると聞いていたので、それを説明した。
純正よりボルトの本数こそ多いが、実は純正より非常に楽に外せるようになっていて、律はそのことをきちんと説明すると「わかりました」といってアフリカツインは作業場に持って行かれていった。
律は少々遅い昼食を近くのコンビニで採って時間を潰すと、オイル交換の作業が終わったバイクを受け取って一旦来た道を戻り、NEOPASA浜松から新東名に乗って岐阜へと目指すのだった――。




