排気量を縛る鎖が解かれる時(後編) 教習所→府中運転免許試験場(東京都内)
教習所を出た律と光は、免許の追記のため、府中運転免許試験場へと向かう。
道として一番楽なのは遠回りになるが環八から東八道路に向かうのが車線変更が少なく一番楽。
だが、律はあえて地元勢ということもあって、やや狭い道路を選んで北上した。
結局は東八道路にぶつかるまで只管北に向かえばいいだけなのである。
ぐねぐねと住宅街を針で糸を縫うようにして進むと、都道117号へ。
広いわけではないが片道2車線道路。
この場所に出れば後は東八道路とぶつかる突き当たりの交差点まで何も考えずに直進すれば良いだけであった。
東八道路にぶつかると左折して東八道路を西へと向かう。
野川公園、武蔵野公園を越えた先に目的地がある。
余談だが、付近にある多磨霊園を除いた野川公園と武蔵野公園は、実は調布飛行場と同じく旧帝国陸軍基地である。
また、多磨霊園の東側の住宅街も旧帝国陸軍の基地で、かつ米国が接収して一時期「関東村」として栄えた地域。
現在も「関東村跡地」として一部が残されている。
地図や航空写真でみるとあまりにも「飛行場っぽい」ような「軍事基地」っぽいような区画整備がされて住宅街が広がってるのは、実際、一部の箇所は元はそういうものだったからである。
つまり実際の調布飛行場はもっと広かったのだ。
ちなみに、関東村と呼ばれた米軍基地では主に何をやっていたかというと、水耕栽培だったりする。
米軍が各地に進駐軍として入ってきた際、彼らが最も嫌だったのが当時の日本による「人糞肥料」だった。
それが寄生虫などの原因になっているのを知っていた米軍は「俺達にだって人権があるんだが!?」と言って政府や上層部に訴え、
その結果、接収地域の一部に農耕地域を作った。
調布飛行場は実のところ「広大な面積を利用した関東進駐軍のための農業プラント」であり、日本人とも交流を行って、日本の地域に合う野菜を主に育てていた。
この影響は交流があった周辺の農家にも影響し、ブロッコリーなど、それまでこういった地域はおろか、日本ではまるで育てることがなかった野菜が育てられるようになる。
調布付近ではブロッコリーの栽培が割と盛んだが、これは1945年の終戦後に米軍が持ち込み、共同で試行錯誤した結果根付いたもの。
栄養価が高いブロッコリーは進駐軍にとって貴重な栄養源になったと同時に調布の農家にも苗が提供されてそのままその地域に根付いた。
歴史上、ブロッコリー自体は明治初期に持ち込まれて栽培が開始されたが、関東では殆ど栽培記録がなく、ブロッコリー自体がジワジワと浸透していくのは20年後の昭和40年代から。
その20年前の段階でこの近辺ではキャベツやブロッコリーといった栄養価の高い野菜が食されていたということになる。
当時の資料を見ると米軍は野球などで交流試合を開催するなど、関東村は割と開放的で炊き出しなども行われていたことがわかっている。
特に野球に関しては複数のリトルリーグチームを結成しており、日本人向けに日本チーム(調布リトル)を作って周辺地域の子供達に積極的に参加するよう呼びかけた上で、野球の養成所のようなものを開設していた。
ここに参加した子供は後に日本チームにて日本一および極東一、そして世界一のチームになり、その選手の中にかの有名な「荒木大輔」投手がいる。(世界一になった際のエースピッチャーが彼)
彼は幼い頃、関東村の野球養成所のような場所で米国のコーチ陣らから野球を教えてもらい、進駐軍の家族らによって組織された米国のリトルリーグチームと何度も試合を行いながらピッチャーとしての才能を開花させ、リトルリーグ世界大会の決勝でノーヒットノーランを達成するなど、進駐軍の者達からも太鼓判を押された者。
世界一のピッチャーとなった後に早実に入って甲子園で活躍したわけである。
どうも彼は「大ちゃんフィーバー」ばかりが注目され、甲子園に出場する前は大したことなかったような印象がもたれているのだが、
関東村では「最強の日本人ピッチャー」として認識されるだけの実力を持ち、そして日本チームにてリトルリーグ世界一をノーヒットノーランでもって達成するなど、
甲子園に入る前の段階で、相当ヤバい結果を残していることをここに記述しておこう。
さて、今律らが向かう府中運転免許試験場もまた、そんな歴史が残る旧陸軍基地でかつ関東村の跡地ともいうべき場所に設置された施設である。
この前と同じ場所にてUターンした律は二輪駐車場へ。
非常に狭い場所であるため、律はサイドミラーで何度も光の様子を伺っていたが、光はまるで問題なく安定した状態で律の後ろについてきていた。
その日も二輪駐車場には様々なバイクが駐車されている。
二台駐車できそうなほどのスペースを見つけた律は、CB400を駐車させ、光はその隣にアフリカツインを停車させた。
律はそれを眺めてみたかったのだが、
「そういうのは後だろ、後!」と、光に半ば強引に手続きをするようにと施設内に引っ張られていったのだった――
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府中運転免許試験場内では、いつも通りに手続きを済ませ、視力検査を行い免許証の発行待ちとなる。
すでに午後14時を過ぎていたが、この日は事前に昼食を食べてから検定試験に臨んだため、特段空腹感などはなかった。
律は「時間もあるし、アフリカツインや駐車場にある他のバイクを見に行きたい」といって、桜咲く外へ向かうことを促し、
光は「しょうがねぇなぁ~」と言いながら屋内で寛ぎたかったところを、律の意思を尊重して再び駐車場へ向かうことにしたのだった。
二輪駐車場へと戻ると、律は先ほどまではよく見ていなかったアフリカツインを見る。
まず気になったのが、純正で装着されているはずのタンデムステップがないことである。
「……タンデムステップ外しちゃったの?」
律は光が外してしまった可能性を考慮し、あえて聞いてみることにする。
だが、律の予想とは異なる返答を光がしてきた。
「いや? これがロスマンズカラー版の純正ではあるが……なぜか付いてない。理由は知らん。別に無くとも問題ないが……気になるなら付けてもいい」
「純…正…? これが?」
一旦アフリカツインを見た後、再び光の方を向いた。
律の中でアフリカツインにこのようなカラーなどあるとは思っていない。
「こいつはな、2017年にスイスホンダで発売された、ロスマンズカラーのアフリカツインのパーツをスイスから取り寄せて日本の現行車に組み込んだコンプリート車両だ。当時あっちはパーツ単位で販売してたのを購入したんだろう。ロスマンズカラーってのは、かつてパリダカでホンダが纏ったNXR750の――」
――ロスマンズ。
イギリスのタバコメーカーである。
かつてタバコメーカーは割とレース関係に対し、積極的にスポンサード活動を行っており、マルボロなどがF1マシンのスポンサーメーカーとして名を連ねるなどすることがあった。
ロスマンズは主にラリー系統でスポンサーになることが多く、ホンダはパリダカに参戦したNXR750が契約を交わし、通称「ロスマンズカラー」と呼ばれる姿を纏う。
このNXR750は、XRV750アフリカツインの基となったアドベンチャーの祖とも言うべき競技用バイク。
ロスマンズは4連覇を達成した際にスポンサーだったメーカーである。
中でも1989年のNXR750は特に速かったことで有名で、あの転倒が相次いだ砂漠地帯を170km以上で爆走し、周囲の度肝を抜いた。
一連のXRV時代のアフリカツインに根強いファンがいたのも、このカラーを纏ったNXR750の4連覇などが大いに関係していると言える。
後にXRV750でも限定版としてそのカラーリングのものが販売されたが、CRF1000Lとしてアフリカツインが復活するといったとき、このカラーを模したものの復活はなかった。
原因は完全に「タバコメーカー」という昨今の時代的な悪いイメージが纏わりついていたためで、純正で出す事はできなかったのである。
しかし、根強いファンによる要望から、スイスがスペシャルコンプリート車両を登場させながらパーツを販売し、
そのパーツを購入したオーナーが何らかの方法を用いてトリコロール版の現行車種に取り付けたのが、今、律の目の前にあるロスマンズカラーアフリカツインというわけだ。
このスペシャルコンプリート車両には、なぜか純正販売で「タンデムステップが外されていた」のだが、そこも無駄に再現されるほど気合が入っている。
カウルなどのロゴはすべてがペイントではなく、細かい部分はシールとなってたりする。
それでも、燃料タンクなどはきちんとペイント。
純正車両はノーマル車+20万円というかなり高額な設定だったが、販売されたパーツ自体がそれと同一価格のため、ほぼパーツ代だけで販売されていたようなもの。
特段特別な、CB1300SFドリームスペシャルに装着されたようなマフラー類などといったカスタムパーツなどは施されておらず、あくまで違いはカラーリングだけ。
そのカラーリングだけで本来は+20万もする代物なのだが……
律はその車体のフレームを見つめた時、ある違いに気づいたのだった。
それは塗装が違うこと。
このロスマンズカラーのアフリカツインのフレームは、非常に光沢のあるパウダーコート塗装となっていた。
「……事故車?」
フレームをオールペイントする可能性など、それぐらいしかないと考えた律は、光にその状態について難色を示す。
「いんや? どこも歪んでいない。オーナーは元の塗装が気に入らなかったんだろ。ここんとこのホンダの塗装は、すこぶる評判悪いしな。フレームオールペンの話なら何件か国外のオーナーがやっているのをネット上に出してる。車両重量が2kg~3kg増えたって下地塗装+パウダーコート塗装+クリア塗装施すほど愛車に長く乗りたかったんだろうよ」
光は、それは自身がやったものではないと否定しつつも、バイク屋として、そういったフレーム的な歪みは一切ないと断言した上でフレームの塗装状態を開設した。
律に対し、インナーカウルを保持するフロントカウルステーの接続部位に一切の歪みがないことを見せ、その上で次のように語る。
「俺はね、ここがこのバイク最大の欠陥箇所だと思ってる。変にコケるとここが逝く。にも関わらず、この部位はフレームと溶接されてて、ちょっとの衝撃ですぐ曲がる程度の強度しかなく、最悪折れてしまう。このバイクは、絶対にフロントカウルにダメージを与えられない。LEDが吹っ飛ぶだけで12万円の部品代+数万円の工賃だ。他の部位も3万~5万と安くない。なのに、それらの部位ときたら、オールプラスチックのフロントインナーカウルだけでアウターカウルを支えてる構造で、壊れてくださいといわんばかり。普通ならサイドステーも入れる所、大型バイクなのにプラモデルみたいな構造をさせているんだ……ありえねぇ」
実は、この車種を過去にも自身の手で整備したことがある光は、この部位が完全に折れてしまったバイクに遭遇し、そのバイクはその影響で廃車となった経験がある。
この部位だけでフロントカウルを支えているわけではないのだが、このフロントカウルステーは正面からと縦の衝撃に強く、風を受けて振動してしまうフロントカウルが高速走行中などに吹き飛ばないようにするための仕事をしながら、横からの衝撃にまるで仕事をしないので、
ヘタに走行中に林道などで転倒してその部位をぶつけると廃車。
それは、光にとって「アドベンチャーバイクの構造ではない」と断言するほどであった。
無論、律に売りたいと言い出した以上、そこの部位については対策も施している。
「見ての通り、Altriderのクラッシュバーを上下で入れた。おまけに、サスのリンク部分まで覆うスキッドプレートまで付けた。AltriderとGIVIのクラッシュバーなどはカウルをクラッシュバー側で支えようとがんばるんだが、ここまで頑丈な構造だとフロンカウルステーの仕事を果たすことがわかったんで純正ステーを外し、新たにフレームにゴムで衝撃を吸収するような構造の後付金属式ステーを自作して装着し、さらにクラッシュバーとの接続を試みている。実は、このアイディアは以前廃車になったバイクに該当部位を切除して施そうとした修理策の1つだったんだが……そっちはオーナーの意向で廃車になった」
「へぇ……でも、おかげでめっちゃ重そうなんだけど……」
律は光の細かい説明に対し、グサッと槍で突くような勢いでもって真理を突こうとする。
律は「+10kgは増加した」と素人でも思うような外観となっているのでそう言ったのだが、光はしれーっとした表情のままだった。
「そこがキモなんだよな。元々こいつは現行車両だからリチウムイオンとかで軽量化されてて4kg近くダイエットされた239kgだ。これ以上軽くする方法と言えば確かに少ない。だが、このバイクの重量は247kg。フフフッ……フレーム塗装による重量増加を考えたら軽いだろ……前輪と後輪で3kg軽量化しているのだよ……」
「え……前輪と後輪で? ホイールは純正に見えるけどな……」
律はホイールを見つめるが、別段純正と違いがあるように見えない。
純正はステンレススポークのアルミリムホイール。
少なくとも、律がドリームの店頭で見たものと遜色なかった。
「チューブタイヤをやめたのさ。フロント21インチともなると、ゴムチューブの重量もバカにならねぇ。チューブレス化したことで思った以上に重量は増加していない。2017年モデル+2kgで納まった。恐らく、タンデムステップも軽量化に寄与してるから装着し直したら+1kgになるな」
「なるほどね……それでさ、すごいのはわかったけど……カスタムされすぎじゃない? すごく金かかってるような気がするけどさ……」
「そう、そこっ! 良く聞いてくれた。それが、ワケありという理由の1つでもあるのさ――」
光はそれを聞いてほしかったとばかりに話をはじめた。
実はバイク業界では「カスタム」は嫌煙される。
それも「純正パーツが無く、元に戻せない」ようなカスタムは嫌煙される。
例えば律のCBの場合、律は納車前に自宅に配送されてきたノーマルの燃料タンクを、大切に自室にて保管しているが、
仮にCB400をドリームで売る際はカスタムタンクと交換され、カスタムタンクだけ手元に残る状態となる。
純正オプション以外は全て外すのがドリームでの常識だからだが、光のような真っ当なバイク屋においても「純正が理想」というのは同じ。
このアフリカツインが訳ありとなった最大の理由は、純正パーツが消失していたことにあった。
実はこのバイク、オーナーが高額でカスタムした後、殆ど乗らない状態で手放すことになった。
手放した理由は手に入れた数日後にオーナーが仕事中の不慮の交通事故に巻き込まれて亡くなったため。
そのオーナーは既婚者であり、妻がいたものの、妻はバイクについてまるで知らず、各所のバイク屋を巡って処分しようとするも、「パーツが無い」ということや、何も知らぬバイク屋は「逆輸入車」と勘違いしたりして買取を拒んだのだった。
その後、処理に困った妻は、生前に夫のライダー仲間だった者に相談。
そのバイクはその者に100万円で引き取られることになった。
だがそのライダーは、悲しいことに「末期癌」だったのである。
その者はブログを開設し、癌患者に勇気を与えようと「末期癌だってライダーになれる!」といった題目でライダーとしての活動風景を投稿していたが、その当時乗っていたのは軽量オフローダー。
だが、周囲からの「大型は無理なんだよねぇ」という期待に応えるがためにその車両を調達し、数回ほど乗ったものの、
容態が悪化してバイクに乗ることすら不可能な状態となり、終末期治療を受けることとなった。
光はこのライダーにこのバイクが売り渡される前にバイク屋の情報網を利用して「そういうアフリカツインがあるで」と聞いており、
「律の大型練習用に使える!」と考えて探していたのだが、
この末期癌のライダーに渡ったことで、一時消息が掴めなくなっていた。
再びこのアフリカツインに出会ったのは、このバイクの買取相談を受けた別のバイク屋が光の知り合いで、「治療費のために処分に困っているという謎のアフリカツイン……お前が探してるブツと特徴が一致するんだが」といって紹介し、光が大急ぎで買い付けたというわけである。
その買取価格「60万円」
光としてはもっと高額でも良かったのだが、相手側のライダーは光より律の話を聞いていて「60万でいいい」といって、そのアフリカツインをパワーアップさせる約束を光に要求しつつ、その分安く譲っていた。
実際、光以外のバイク屋が買取場合も値段がついて50万円前後といったところではあり、相場的にはそこまで間違った金額ではない。
50万円の原因は「ノーマルに戻すためのパーツ費用を差し引かれている」所による。
だが、元よりノーマルで乗せる必要性なんて無いと考えている光は、割と負のエネルギーで満たされていそうなバイクを、
律の大型のステップアップ用車両として、様々な部分に光なりの強化を施した上で律に譲るつもりだった。
すでに30万円以上を各種パーツ代などで消費しており、
このアフリカツインは、「CR-1ガラスコーティング」「ツアラーテックのヘッドライトガード」「K&Hのローシート」「Altriderのクラッシュバー上下+スキッドプレート」「SW-Motechのスタンドエクステンダー」「ヤフオクで見つけたメーカー不明のフロントフェンダーエクステンダーにCTX700用のマッドガードを装着したもの」「同じくメーカー不明のリアインナーフェンダー」「チューブレスキット」を装着。
100万のうち約7万円分ほどが光の工賃であり、価格としてはほぼ適正。
バイク屋によっては「120万」でも安いような状態であった。
いわゆる「加茂レーシングフルカスタムコンプリート車両」といって差し支えは無く、中古下取りなどは考えてはいけないほど、カスタムされすぎたバイクとなっていた。
「ようは、これを安いと見るか高いと見るかは人それぞれとはいえ……俺はドリームと今後も付き合うというなら、高い買い物だと言い切れる……全体論で考えたらCB400+30万円とは思わない方がいい。まともに下取りは出来ないステップアップ車両だと考えてくれ」
光が「ドリームと今後も付き合うというならば……」というのは当然買取保証などを意識してのこと。
例えば、今ドリームでCB400を買取るなら60万円だが、+30万円払って新しく手に入るこちらは値段はつかないどころか買取拒否の代物。
つまり、ホンダドリームで新車を買うという場合、0から計算しなくてはならず、律は少なくとも90万円分の大損と引き換えにホンダの大型バイクを手に入れるということだ。
例えば、ここで律がCB400を手放してCB1100を購入したとすると+70万円+パーツ代その他。
一見すると高く見えるが、5000km程度なら80万円以上はつくCB1100を土台にさらに次のバイクに移行できる。
しかし、このバイクからCB1100の新車に乗りたいと思ったら、CB1100の130万円前後の価格を払わなければならない。
光の言う「高くつく」とはこの事。
中古バイクの、それも「カスタムされすぎたバイク」に潜む罠のようなものだった。
光が言いたいのは「ステップアップとしても乗りつぶす前提で乗れ」ということである。
その間に働いて貯金を貯め、もう一度、ゼロから次のバイクに乗るだけの覚悟がないなら、素直にドリームで次の新車を買うべきと、そう言いたいのである。
律は光の言葉よりそれを理解したが、今一番気になっていることは1つ。
「俺さ、光兄の言葉に従ってレッカーサービスとか保険につけてないんだけど……」
律がアフリカツインに踏み込めず、未だに悩んでいる最大の部分は、なにも車体が大きすぎるからといっただけではない。
いろいろ調べた律としては「レッカーサービス」という、まだ活用はしていないが万が一のために使う重要なサービスなどが受けられなくなることがわかっており、
メーカー保証合わせた各種緊急対応について不安が大きいというところを気にかけていた。
「バイクにおいて、乗り手が問題となっていない部分で不具合だしたらメーカー保証がついてっから後1年以上は問題ない。工賃は俺が責任を持つから、その部分については0にする。レッカーは近場なら俺が行くつもりだが、素直にZUTTO Rideあたりの距離無制限レッカーサービスを、この車両に乗る間だけ契約しろ。どうせサービスの中身はドリームのオーナーズカードのモンと同じだ。あそこが委託先だからな」
光は自身の店から100km未満ならば自分が運ぶと言い、レッカーについては別途契約することをススメた。
一方で、「お前の乗り方でレッカーが必要になるケースなんて、初期不良ぐらいしかありえないとは思うが……」とも付け加えていた。
律はしばらく考え込んだ後、アフリカツインを見つめる。
改めてみても大きな車体だが、それ以上に思うのは――
「変ッ身!」とかいってバッタか何かの怪人になり、
その上で「ゆ゛る゛さ゛ん゛!!」とか言いながら乗らなきゃいけないようなフロントフェイスであることだ。
非常に有機的で、ホンダの中でも図抜けて生物っぽいデザイン。
これが「来年の仮面ライダーのバイクです」と言われても、違和感をまるで感じない。
しかし、この二眼スタイルが嫌いというわけではなかった。
自分には「格好つけすぎてる」ようなデザインではないかと思えただけ。
(……まずは乗ってみてから判断したほうがいいな。うん…乗せてもらえることになったんだし……)
律はここにきて忘れかけていたことを思い出す。
光は「今日、今決めろ」とは言っていない。
400km走った後で決めろと、そう言ったのである。
つまり、まだここで決めなくていい。
今は事情を聞いて、その上で「乗ってみる」
それだけである。
「とにかく、乗って決める。 それでいいんだよね?」
律は、なんか周囲が妙な空気となっていたため、改めて確認をとる。
「ん? そのつもりだが? 俺はあくまで車体の状態などについて説明しただけのつもりだったが……今ここで決めろとは言ってないぞ。まぁ乗ってみてくれって」
光はキョトンとした表情を見せながら律の言葉に同意する。
律はその言葉にフゥと肩の荷が下りたように息を吐き出し、その後は、日常的な会話を交わしながら周囲のバイクについて光と談笑しながら時間を過ごした。
そして、ついにその瞬間が訪れる。
律に施された乗車バイクの排気量を縛る鎖が解かれる瞬間が――
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免許の交付が終わり、大型免許を手に入れた律。
なぜか裏側の備考欄に普通二輪を3ヶ月前に取得したことが書かれていたが、別にそれでゴールド免許から格下げするわけでもないので、気にせず駐車場へと向かった。
駐車場へと向かった律はDCTについて説明をうける。
「まー自動変速なんだけどな、気をつけて欲しいのがお前の普段の乗り方だと変にエンストする可能性があることだな。Nに戻さずサイドステップを出したら、キルスイッチが入ったのと同じ状態になる。ただし、ギアはNになるから、例えばスーパーカブみたいに1速に入るとバイクが動かないなんてことはない。逆を言えば、坂道でサイドスタンドを出した際、クラッチレバーみたいなパーキングブレーキをかけないと大変なことになるから気をつけろよ」
光は、一見するとクラッチレバーにしか見えないものを「パーキングブレーキである」と言い、律に操作方法などを説明した。
他の操作はエンジンをかけてからという事になり、光は「とりあえず取り回してみろ」といって、駐車場内から出るため、教習所を卒業した律がどの程度の実力となったかを見定めるために指示を出す。
実は、それは律の以前の取り回し方法に不安を感じての事で、250kg近い車体をあのような方法でやらせられないと思っていたためであったが、
既に律はライディングスクールにてそこについて補整を受けており、特に問題なくアフリカツインを取り回してUターンさせる。
「なんだ……普通に取り回せるようになったんか……」
律の成長速度の速さに光は驚きを隠せず、(すげぇな教習所ってやつは)――と自身は独学による一発試験で免許をとったことで後で苦労したこととの違いに教習所に行っておけばよかったと後悔した。
「コホン、んじゃ、乗車はCRF250Rallyと一緒だ。サイドスタンドを立てたまま左足を左ステップに乗せつつ跨るんだ」
律はその言葉に「わかった」と言いながらヘルメットを被り、アフリカツインに跨る。
すると、アフリカツインはトフッといった感触でサスペンションが沈み込み、ハイポジションに設置されたローシートながら、両足が地面に着く状態となっていた。
「あれ? 思ったより軽い……」
律は教習所でこれに近い重量のバイクに乗り続けていたことと、このバイク自体が見た目に反して軽いため、非常に不思議な感覚だった。
軽いわけではないが、重すぎるというわけでもない。
乗車ポジションは完全な殿様乗りで、車体が大きいだけでなく座席位置も高いために背伸びしたかのような状態で前方を見ている感じは大型バイクなのに軽量オフロードバイクのようで妙に新鮮である。
CRF1000も一応「オフロードを模した」バイクではあるのだが、車体イメージはフルカウルともハーフカウルとも言えない状態で、
アドベンチャーには区分されるがそんなにダートは攻められない、今世界で流行の四輪車でいう「SUV」みたいなポジションであり、そのへんなチグハグさのあるバイクに今まで乗ったことがないためであった。
律はその状態姿勢のままエンジンをかけようとする。
しかし、セルスイッチがないので戸惑った。
「ああ、スマン、言い忘れてた。そのバイクはキルスイッチとセルスイッチが一体型で、既存のバイクでいうキルスイッチを解除した状態にしようとすることでセルがかかる仕組みだから」
「えっ……何ソレ……」
律は独特すぎる機構に(なんでそんな構造に……)などと考えつつもキルスイッチのボタンを押す。
するとギュオォォと言いながらエンジンがかかり、まるでアメ車のような重低音があたりに響き渡る。
その独特ともいえる「ドッドッドッド」というエンジンサウンドは完全に今まで聞いたことが無い音だった。
第一の感想としては「信じられないぐらい振動が強い」こと。
削りだしのアルミバーハンドルはその凄まじい振動を直接伝えてくる。
第二に、「CBよりやかましい排気音」だということ。
今まで聞いた中で一番大きな音に感じた。
「D-Sと書かれたスロットルレバー側のスイッチ類のボタンを押せばDレンジに入る。Nがニュートラルなのはわかると思うが、A/Mっつーのはセミオートにするかオートマに戻すかといったボタンだ。走行中にオートマとセミオートの切り替えが出来る。左側のスイッチ類は今は気にしなくていい。トラコンのレベル設定とかは後でもいいだろ? とりあえずDレンジにすりゃ走れる。それで走ってみろ」
律は光よりそういわれたのでD-Sボタンを押すが、なぜか反応しなかった。
「スタンド出したまんまだぞ……」
「あ……」
光の指摘により、大急ぎでサイドスタンドを上げ、再びボタンを押すと。
スダンといった音でDレンジに入った。
インジケーター上では「1」と表示されており、今「1速」に入っていることがわかる。
「他の操作は普通のバイクと一緒だ、スロットルを煽るなよ! クラッチは常に繋がった状態と考えろ!」
「ああ、わかったよ」
「じゃあ駐車場から出て自宅に戻るぞ、お前のペースに合わせるから先に行け」
そう言うと光はサッと律のCB400を取り回して跨り、すぐさまエンジンをかけて律の後方についた。
律はゆっくりとスロットルを入れると、アフリカツインは「ドドドド」というパラツインらしい音を響かせながらゆっくりと走り出す。
それは思った以上に「バイク」であった。
クラッチがないバイクといった感じで、スクーターの加速とは明らかに違う。
そのまま駐車場を両足を出しながらゆっくりと抜け、左折して東八道路へと入った。
律は普段と同じくゆったりとした感覚でスロットル操作を行うが、アフリカツインは2割程度のスロットル開度で至って普通に加速し、至って普通に変速し、至って普通に走行する。
初めての公道での大型バイクなのに「まるでそのような感じがしない」安定感のある走行状態。
DCTの感触はクラッチが無くなっただけで、変速ショックなどがあり、その度にエンジン回転数が落ちたりする。
エンジンブレーキも普通に作動していて、律は殆どブレーキを使わずに減速できるほどだった。
「何これめっちゃ楽ぅ!?」
スクーター的な「ブレーキでないと減速しません」といったようなものはDCTにはない。
あくまで「貴方の代わりにギアチェンジします」がDCT。
なので、まるで律の代わりの誰かが非常に素早くギアチェンジしてくれているような状態である。
その感覚はクイックシフターを用いたCBR250RRなどの感覚に良く似ているが、足での操作すら不要。
唯一の弱点は「走行中にアクセルを煽ってエンジンサウンドを楽しむことが出来ない」ことだったが、ギアダウンは可能だった。
細いタイヤのため、挙動は独特だがバイクから逸脱した何かではなかった。
乗り味としては「CB400の10倍安全に感じる」ぐらいで、優秀なサスペンションはCRF250Rallyと遜色がなく、CB400のような跳ね上げとは一切無縁。
まだ走行120kmなのに、まるで硬さというものがない。
それは羽毛布団のベッドの上に乗っかっているような状態である。
そのまま500km走っても、まるで体力を消耗しない気がするほどだ。
一方で気になったのは「ミスファイアシステム」のようなものが存在していること。
速度を乗せた状態から一気に減速すると「ボガンッ」といって、ものすごい音が響く。
加速する際もそのような音が出る。
まるで旧車のチューンドカーのようである。
このような経験は今までなかったので故障を疑うが、実はこれ、アフターファイア対策である。
排ガス規制が厳しくなって以降、マフラーは複雑な構造となり、アフターファイアは発生しにくくなった。
しかし、近年の技術的発達によってマフラーの構造は再び単純化し、ガスの抜けが良い状態へとなり、アフターファイアが発生しやすくなる。
アフターファイアはエンジンへ優しくない症状であるため、この手の大気の流れを制御しようとして構造的に出来るように今のバイクは出来ており、
結果的に一気に減速させようとすると瞬間的に大量のガスを開放することでこのような「炎は出てないけどアフターファイアを起こしたような音」が鳴るのだ。
インジェクター式となった現在のバイクでは殆どアフターファイアなど発生する事がないが、なまじ1L級大排気量バイクのため、急なエンジンブレーキなどかかると、こうなるようだ。
特段「○○システム」というような名称はついておらず、2018年以降のアフリカツインなどマフラー構造が変わったバイクを中心に確認されている。
炎は出ない上で仕様とされている。
信号停止中に律はマフラー故障かどうか光に問いかけると「アフターファイアじゃなく仕様だ」といって、近年の大型バイクの挙動であることを説明し、律を落ち着かせた。
その後、特に問題なく東八道路を走りきり、律は甲州街道まで向かって甲州街道をUターンして自宅へと戻ったのだった――




