排気量を縛る鎖が解かれる時(中編) ~大型二輪教習~
後編は後ほど投稿します。
次の時限、最初に簡単な説明をうけた通り、外周コースは一部閉鎖された状態で律は緊急回避の課題へ。
指導員が赤と白の旗を持って正面に立ち、律は左右または指導員より大きく手前の停止ラインにて停止することが求められた。
律はとにかく集中し、指導員にばかり気を取られて二輪を操作することを忘れないよう心がけ、そして旗の動きに合わせて見事に左右にバイクを回避させながら凄まじい短距離でNC750Lを停止させていく。
特にエンストをさせることなく、見事にNC750Lを振り回した。
この時間の担当は若い男の指導員。
最初の教習時に律の担当になった者である。
男の指導員は律に対し、「音羽さんめっちゃ反応早いですね……課題走行の後半の方は旗を出すタイミングをかなり遅らせたのに、それでも普通に反応するとは……」と言って、律がスポーツ選手並の反射行動を示したことを高く評価していた。
無論それは律が極限にまで集中して生まれた結果で、普段長時間ツーリングをしていた後に行動でこのような緊急回避を行わなければならないといった時は同じような距離で停止したり回避したりすることは出来ないであろう。
だが、適度に休憩をとって運転すればこの8割ぐらいの能力でもって停止や回避が可能であり、普段から「だろう運転」をしない律には十分に事故を防ぐ能力があると言えた。
それは律が配送業をやって鍛えた「公道を自動車運転するための能力」でもあったわけだが、一度死に掛けたとはいえ、その手の能力が微塵も劣化していなかったのである。
いわば「経験」がいかに重要かということだが、その「経験」について律は十分なものを持ち合わせているということが証明された時間となったのだった。
教習が終わって待機室に戻ると「次の時間はシミュレーターなので、プロテクターなどは脱いでいただいて大丈夫です」と若い男の指導員に言われ、律はプロテクターなど一式を全て脱いで片付けた後に校舎へと向かう。
シミュレーター教習のための受付を1階にて済ますと、3Fにシミュレーター室があり、開始直前に担当指導員に声をかけられるので3Fのロビーにて待機するよう口頭にて案内された。
その言葉に従って階段にて3Fまで登って待機。
授業開始5分前になると壮年の指導員が現れて「シミュレーター参加の方はこちらへ」と案内される。
律は胸がワクワクする。
理由は普通二輪の時の体験。
シミュレーターがVR式の最新のものであった。
この教習所はバイクなどは古いが施設は新しい。
つまり、VRでないわけがないと考えていたのである。
再び「異世界バイク体験」をやりたい。
そう思っていたのだが……
「あれ?」
シミュレーター室内に入った律を出迎えたのは至って普通の画面付きシミュレーターだった。
それはHONDA製シミュレーター。
なぜかシミュレーター操縦用のバイクを模したもののタンクに「HONDA」の文字と「翼」のエンブレム。
タンクの構造はホーネット250にソックリである。
(……なんて自己主張の強いシミュレーターなんだ……)
その文字と翼のエンブレムはホンダ党なら一度は乗るべきともいえる意匠ではあったが、自己主張が強すぎて律は恥ずかしくなった。
しかしこれも立派なホンダのバイクの1つの形。
ホンダ好きと豪語するならば一度は乗っておくべきかもしれない代物。
普段周囲に「翼のエンブレムが好きだ」と言っていた律は、シミュレーター側から「なら俺で教習するべきだよなぁ?」と訴えかけられているような気すらしたのだった。
シミュレーター教習自体は前回と変わらない。
最初は悪路走行。
すでに律は「現実世界でホンダのバイクに乗ってそれを経験したことがある」だけに大したことはなく、
あの「スタンディングしなければ間違いなくズッこける」といえるような体験をした者にとっては、「所詮はゲーム」という程度だった。
恥ずかしくてスタンディングはしなかったし、スタンディングせずとも転倒はしなかったが。
次の段階においては、修羅の国のように、モヒカン頭しか自動車運転してはいけないような世界にて様々な走行を行う。
交通ルール(笑)道交法(笑)な世界をPS2並の3D画質でもって走行し、無難な形で終わらせる。
そんなシミュレーター走行にて律が走行中気になったのはエンジン音。
「凄まじいばかりにホンダらしい四気筒サウンド」なのである。
さすがホンダ製であって、そこは「ホンダ実車」を模しているのだろうとは思われるが、ある意味で「俺もホンダ製やから」とシミュレーターが主張しているようでとても滑稽であり、
この教習時間は律ともう1名による2名での教習であったが、律が最初に走行する事になってエンジンをかけた瞬間に噴出しそうになるほどであった。
アイドリング音も完全に「シミュレーターらしいバイク的なデジタルサウンド」ではなく「ホンダ」な音。
走りながら笑いを堪えるのに精一杯で普段よりやや控えめな運転となってしまった律なのであった。
シミュレーター走行が終わるとディスカッションなのも通常通り。
そこで割と面白い海外事情が聞ける。
それは「米国のライダーのライダーパンチの威力が高すぎる」という話だった。
壮年の指導員は話す。
「ここ最近、煽り運転が問題となっているが、米国のライダーは異常なほど戦闘力が高い――」
という話の切り出し方からそれは始まった。
米国では、煽り運転の応酬についてある程度正当防衛の範囲が広く認められているようで、特に目立つのが2つの行為。
1つは「サイドミラー破壊」
あまりにも異常な迷惑運転を行う者に対して、米国のライダーが攻撃を仕掛けると半分ぐらいはこれ。
サイドミラーをパンチして攻撃するが、大抵の場合、曲がるのではなく折れる。
大型トラックのサイドミラーすらパンチ1発でへし折る者がいるぐらいだ。
もう1つは「サイドウィンドウの破壊」
指導員は一例を出して、その異常ともいうべき攻撃力を語る。
とある交差点にて追突して多重事故を起こし、あろうことか人身事故まで引き起こした車のこと。
ライダーはその交差点で事故を目撃しただけの一般人。
すると、追突事故を起こした元凶で、かつ人を直接轢いたSUVと見られる頑丈そうなアメ車は逃げ出そうとする。
この期に及んで、ひき逃げを画策するのだ。
すると当然、アメリカは民主主義で正義を掲げた国家。
周囲の一般市民は連携して道をふさぎ、その者が身動きをとれないようにしようとする。
だが、それでも4WDの能力を生かして逃走を図る加害者。
ついには、巻き込まれた作業用トラック運転手が非常に大きい土木工事用のハンマーを持って登場し、フロントガラスなどをガンガン叩くが防弾ガラスなのかビクともせず弾かれる。
その様子を見ていたライダーは、別にバッタの怪人でもなんでもなく、ピタッとしたクモを模したスーツに着替えることもなく、その車に突撃していき、ワンパンチでサイドウィンドウを粉々に粉砕。
あれだけ巨大なハンマーでガンガン殴ってもヒビ1つ入らないガラスを一撃である。
さらに、キーに手を回してエンジンを切って引き抜くという恐るべき行動に出るのだ。
結果的に、その行動によって完全に停止したSUVの運転手はさらに車を捨てての逃走を企てるが、さすがに逃走を図ろうとしてから時間が経過していたために警察が登場し、銃を突きつけられたところで観念する。
これはライダーが正義の名の下に仮面ライダーのごとく活動したという話であるが、危うい正義ともいうべき迷惑運転の応酬の果てに、そのようにサイドウィンドウを叩き割る米国ライダーの映像は非常に多くあり、
「なんでこんなにパンチ力が高いのか?」というのは、イギリスやフランス、ドイツ人も同じ白人でありながら疑問に思うほどのようである。
ちなみにライダー側が破壊した映像を出しているケースもあるが、「修理費なんて請求されたことがない。米国の保険は安全運転を証明できない限り適用されないからな」とコメントを出しており、
割と「因果応報」かつ「現実的な」実情を把握しての行動であることがわかっている。
(あっちでは事故を起こした者が責任を負う、つまり事故を起こすような危険運転は誰もが一切擁護しない)
日本では殆ど有名無実化している「故意または重大な過失がある場合に保険を適用しない」という規約が非常にシビアに適用されるのだ。
最近は、日本でもドラレコ装着者が増加した影響で適用されないケースも出てきたようだが、危険運転致死傷罪になっても保険が下りるケースがあるのはある意味で甘すぎると言うか……
被害者を救済するために仕方ないと言うか、日本社会的な複雑なシステムが影響しているとは言えるが、実際は「そういう事したら保険なんて効きません」と、もっと強情になってもいいかもしれない。
そんなのが当たり前に無感情でシステム的に裁定が下される米国では「交通違反歴」や「犯罪歴」などが自動車保険の金額を決める国。
しかも日本のように無制限というような枠組みはなく、対人・対物も自損も掛け金の金額に対する定額保証となっている。
だからアンブレラ保険という「保険の保険」という意味不明な存在があり、保険でカバーできないものを別の保険で担うという、律が「マイカー共済+交通災害共済」みたいな方法でカバーしたのと同様のものが一般的だ。
また、前述した履歴をを調べて「違反しそうな者」は徹底的に調べあげた上で状況に合わせて高額な保険料とする料金システムのため、
変に偽って低額で加入しても、日常的に煽り運転などを繰り返す者は保険屋に通報されて保険を解約されるケースすらある。
どれだけ保険関係がシビアかというと、「移民者」と契約してくれる自動車保険会社が皆無なんて状態なレベル。
原因は保険金詐欺などが横行したからだと言われるが、
今や、その厳しさは日本人ですら「ゴールド免許? そんなもん、この国じゃクソの役にも立たねぇ称号だってのによぉ」ってなレベル。
まぁ割と合ってるかもしれない。
年1万2000kmは軽く走ってゴールドの筆者と免許取得から20年車に乗っていない友人が同じ扱いなのだから。
だから最近は「海外での事故も日本式に則って無制限で解決します!」なんて、国外での自動車への運転中の事故も補償する保険が出てきてるわけで。
それは途上国だけでなく米国を意識した保険であることは否めない。
ちなみに銃社会と言われる割に、この手の一般的には米国などで「ロードレイジ」と呼ばれる行動においては、銃が登場するケースは少ない。
これは米国の法律的には「よほどの事がない限り、銃を先に出した方が悪い」と裁判上で判断されるからとのことだが、
銃を出して正当防衛が認められるのは「完全に相手が原因で、かつそれでも因縁をつけてくるようなケース」といったような状態に限定されるからだという。
どう見ても「明らかにライダー側が悪い」という時にしつこくFワードを連呼して煽り散らした日には、「ラスチャーンス」と言いながら10秒カウントされて「その場を立ち去れ」と、銃を向けながら迫られるようだ。
それでも発砲しないのは「そこで発砲すると撃った側が悪い」とされるケースがままあるから。
窃盗や「金出せ」みたいな恐喝でもない限り銃が登場しないあたり、米国は不思議な国だなぁと筆者は思うが、
一方で「それってまるで日本の自動車事情に通じるな」と思う部分がないわけでもない。
米国では信号無視で突っ込んできた自転車を轢いて保険で補償するというようなことは一切ない。
無視した時点で「てめーの尻はてめーで拭け」である。
認められるのは信号のない横断歩道での横断で轢かれたといったケース。
他方、銃の考え方ではまず「撃った方が悪い」とされるのは、日本の「ぶつけた方が悪い」とする自動車事故の考え方に通じ、いわば私達は「米国でいう銃と同じ扱いのものに普段乗っている」ことになると言えるだろう。
それらは割と米国のゲーム内でも表現され、例えば「GTAシリーズ」などでは「暴力」で解決するムービーは多いが、銃を発砲してトラブル解決しようとするムービーシーンが非常に少ないと思う。(その中でも特に少ないのが、主人公が割とまともなタイプのSAやⅣ)
ゲーム内では、銃でないと難易度が高すぎて話にならない一方、殆どの主人公は銃を最終手段みたいな使い方でもって運用している。
これは割と銃社会米国のシリアスかつリアルなシーンであり、あっちでは「殴る」や「蹴る」といった行動は示しても「銃」は強盗などの明確な犯罪行為に遭遇しなければ使う事は許されないらしい。
だからこそ、安易にゲームのプレイモード中のような状態でバンバン撃つ人間が出てくるようになると、まるで「ガンショック」ともいえるようなスプートニクショックのような状態になったのだろう。
まぁ、普通にホルスターなどを身に着けてるライダーばっかで、バイク窃盗などがあると普通にバカスカ撃つ動画もYoutubeなどにはあるのだが……
それはさておき、パンチだけでなく肘打ちなどによる攻撃でも破壊している者もいるが、指導員は「かつて事故を起こして炎上した車に遭遇した際、運転手が意識不明の状態ながらドアがロックされていた際に同じことを試したが、まるで割れる様子がなく困った」という自身のエピソードを紹介した。
律は、その話にトラウマとも言える自身の事故を振り返る。
そう、自分もサイドウィンドウの破壊に手間取って最終的にすでに事故の衝撃で破壊されたフロント側から救出されているという話を思い出した。
その際には大勢の男性陣が集まり、スクラップとなったエヴリィのフロントを持ち上げるようにして天地がひっくり返った状態から律を引っ張り出したという。
その後エヴリィは炎上して大破。
律は、「もしそこに米国のライダーがいたら、ワンパンチで自分を救出してくれたのだろうか……」などと考えつつも、
重要なのはそこに「駆けつけるだけの勇気を持った人間が周囲にいること」であり、これが人もいないような田舎で起きた事故なら、間違いなく自分は今この世にいなかったであろうことを思い出し、血の気が引いた。
一方の指導員は特にその様子に気づくことがなかったのか、その後も世界バイク事情の「ここがおかしいよ」といった部分を、淡々と説明する。
レンタルバイクのガソリンタンクがみんな30L近くあるスーパービッグタンクに換装したものが主流のオーストラリアとか、
ダートばかりなのにカンボジアという国が戦争を仕掛けて、生まれたばかりのオフロードバイクというジャンルでもってアメリカが苦労した密林内で大暴れしたことで、オフロードバイク=テロリストみたいな認識のベトナム。
そしてベトナムにトラウマを植えつけ、経済的には貧しすぎる国家なのに過去の教訓から国民の半数以上がバイクを所有しており、実質的に強制に近い形で所有を強要されるカンボジアとか。
様々な話で場を盛り上げ、最後に、再び元の話である昨今の日本の交通事情の「あおり運転などの問題」に戻り、「もうちょっと煽り運転などに対しての罰則などは厳しくていいよなぁ」といった話でその時間を締めくくった。
律は後半から口数が少なくなったものの、煽られる経験が今まで殆どなく、「そんなのは割とどうでもいいから」と思いながら、
今一番気にしているのはどちらかといえば本日最初の教習にて言われた「そういう部分も含めてリスクをどう回避するか」の方であった。
すでに一度死んだような身。
二度目は間違いなくない。
ディスカッションでは「どう安全運転を心がけるか」も話題となっていたが、律は「ロードレイジは、煽られる側にもリスクヘッジができていない」とはっきりと断言する性格の人間であり、
国内外のロードレイジにおける事情よりも、地方の「だろう運転」の方が怖いのだ。
増加する出会い頭の事故については、前回の教習所でも今回の教習所でもディスカッションなどで話題となった。
その原因は、昨今のカーナビアプリ事情などが影響している事も前回の教習や、今回のディスカッション内にて教えてもらった。
それでいてどうするか。
(それは……走って考えるしかない……経験0でおびえていては運転なんてできないし……)
日本における車の運転の責任の重さを改めて認識する良い機会を得られたと考えた律は、教習時間が終了すると、指導員に丁寧にお礼を述べて教習所を後にしたのだった。
残り後2時限。
やれる事は少ないが、すでにそれは見えてきている。
そんな律に対し、指導員は深刻そうな表情を読み取って別れ際にこう言っていた。
「免許はとってからが本番。教習所は通過点に過ぎないんだ。教習所の数日よりも、これから二輪を乗って過ごす数十年の方が長い。初心を忘れずにな!」
その言葉を糧に、律は次の日へと向かう。
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翌日。
本日が教習最終日。
連続2時間教習で、最後の2時限目が突破できれば明日は卒研。
しかも、第二段階なので見極めに失敗しても「3時限目」+「明日の1時限」分で、実は後2時間分の余裕がある。
だが、律はそんなものを当初から考えてなどいない。
定められたペースに則って卒研を100点で突破する。
そのためには常に「今」というものを意識して集中しようと心に決めていた。
総合では10時限目、第二段階では6時限目。
この日の教習課題は「バランス」
ウォーミングアップ走行が終わると、40代と見られる男性の指導員は「音羽さんって、走り方からして間違いなくオフロード走行を日常的にやってるよね?」と伺ってくる。
律はライディングスクールに参加したことや、河川敷で遊んでいることなどを説明すると、
「じゃ、大丈夫かな。ちょっとコース内を思いっきり道路とか無視して派手に障害物を乗り越えながら進んで行くから、NC750Lでついてきてね」といって、指導員の先導に従い、コースを無視したむちゃくちゃな走行を行うことになった。
指導員は外周を少し走ると、いきなりフロントアップで縁石に乗り上げて、そのままコースではない不整地の空間を進みだす。
まるでNC750Lがオフロードバイクといったような状態で、律ですら「これは教習なのか!?」といった言葉が出そうになるほど。
無論、律もその後に続く。
トルクが弱いとされていてもCB400よりかはトルクに優れるNC750は、案外普通にフロントアップできてしまう。
コースとコースの間にある不整地区間を進んだ後は、狭い広場に入って停止、そのままスタンディングスティル、そしてそこからの小規模旋回、スラロームコースのパイロンを利用しての8の字周回など、難易度はもはや「教習所のソレではない」というレベルの何かだった。
実はこれ、ライダーの力量に合わせて指導員が課題設定する教習課題。
当然、ライダーの実力が高ければ高いほど難易度のレベルは跳ね上がる。
律はもはや指導員から技量がそれなりにあることを知られており、
「この動きについてこられるか?」といった10段階でLV9ぐらいの難易度の内容となってしまった。
10段階のうち10が指導員向けへの内容となるため、そこに迫るような凶悪な難易度設定である。
無論「出来る」と思われたからこそ、そんな難易度の高いものにされたのである。
スラロームにおける8の字走行が終わると、一本橋へ。
この一本橋でも何度もスタンディングスティルし、律は「もしかしてこっちが転倒するまでどんどん難易度が上げていっていないか」と、段々と青ざめていった。
必死になりながらNC750Lを振り回し、手に汗をかかんばかり状況となるが、検定コースは一切走ることなく、終始そんな形で教習が進んだ。
その中でも律が最も厳しいと思ったのは、四輪用の切り返しの課題区間を利用しての小道路転回である。
横幅2m50あるかどうかといった非常に狭い空間を利用しての小道路転回はさすがに転倒しそうになったが、何とか足もつかずに指導員に着いていくことができたのだった。
そのまま1時間の教習が終了すると、全身は疲労困憊といったような状況になり、指導員も「まさか、ここまで普通についてくるとは……」と、少々やりすぎたような様子を見せていた。
元来は「失敗してもいいよ」的な教習課題だったが、律は9割は完璧にこなし、見事な走行を見せる。
その姿に「指導員の立場として拍手は送れないのが申し訳ないが、それだけのものがあったよ」と、律を正直な思いで評価したのだった。
一方の律は息がやや切れた状態であり、のどが渇いた影響でやや枯れた声で「アリガドウゴザイました」と言って指導員と別れてバイクを片付け、そして待機室へと戻る。
次の時間は「第二段階の見極め」なのにも関わらず、思った以上に体力を消耗してしまったため、律は急いで校舎に戻って飲み物を購入して喉の渇きを潤し、その上で、待機室内にあるベンチに腰掛けながらめをつぶって体力を回復させようと努めた――
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10分後、さきほど担当した指導員が気をきかせて伝えてくれたのか、次を担当する指導員は目を瞑って休む律にギリギリまで声をかけることを避け、
ウォーミングアップも通常より少し開始を遅らせた形で見極め教習に入った。
この見極め教習では「検定専用NC750L」というものが使われる。
転倒などが多い教習車ではフレームなどが歪んだりすることでそれぞれ「個性」ともいうべき「クセ」がつく。
通常であれば「どんな状態でも乗りこなす」のが重要とされているが、教習所によっては「検定専用車両」というのを設けてなるべく試験での万が一が起きないように配慮している事も多い。
そんな検定車両は「第二段階見極め」と「卒研」限定で乗ることを許されており、律も見極めなのでその車両に乗ることになった。
検定専用車両は外観からして非常に美しく、いかにも「転倒とは無縁だった」というような姿である。
各所の錆もなく、とても丁寧に整備されている状態であるのが一目でわかった。
律はそのNC750Lでウォーミングアップ走行を済ませた後、コース1、そしてコース2へと挑むこととなっている。
やり方は試験と同じ。
第一段階の見極めと違い、当日の試験の影響から双方のコースを問題なく走り抜けることが求められる。
先ほどの凄まじい難易度の課題走行の影響で疲れを感じた律ではあったが、それと比較すれば検定コースの難易度は10段階でLV3といった程度なので大したことはなく、余裕をもって走行しながらコース1、そしてコース2を走り抜ける。
問題とされていたキープレフトについても改善され、指導員が口を揃えて「一本橋やスラロームに並んで難易度が高い」と言う波状路も特に問題なくクリア。
最終的に約1時間ほどかけて2つのコースを完全制覇すると、余った時間を検定専用車両ではない通常の教習車両にて好きなコースを自由に走ることになり、コース1とコース2をそれぞれ1回ずつ走ると教習終了時間となった。
その時間を担当し、シミュレーターでも担当者だった壮年の男性指導員は「これなら特に問題ないな」と言って判子を押し、
その上で「今日から3ヶ月以内にー……と言っても、君は普通に問題なければ明日には乗れることになりそうだな……」と言って「これまでの教習お疲れ様。まだ先は長いぞ。がんばれよ」と、大型二輪ライダーへと後一歩に迫る律を労った。
プロテクターなど一式を脱いで待機室を出た律は早速翌日の卒研を予約。
……予約といっても実際はすでに予約済みで、見極めが合格だったかどうかの「予約確認」みたいな状態だったが、なんにせよ受付を済ませて6日でここまで来たのである。
律はあまりにも早くに後一歩という所まで来たことから「なんだか実感が沸かないなぁ」と受付を済ませて校舎を出てCB400に跨って帰る際に呟くほど、
信じられないほど時間が早く過ぎ去った感覚から現実感をやや喪失気味であったが、自宅に帰るとさらに驚くべきサプライズが待っていたのだった――。
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自宅に戻ると、すでに一連の教習状況を光に説明していた律の下へ光から一本の電話が入る。
「よぉ、明日卒研なんだって? お前、保留言いつつすっかり忘れてることがあるだろ」
律はドキッとして机に備えられていた椅子からすくっと立ち上がった。
それは教習に必死ですっかり忘れていた「アフリカツイン」についての回答である。
実は光、気を利かせてあえて黙っていたのだった。
そこには上田による「いやよ、100万以上もする割と高価な部類のモンを無理やり買わせんなよ」という意見もあってのことだったが、
店舗に展示されていたアフリカツインに興味を抱く者は多く、さすがに保留のままにするのは厳しくなってきたのである。
「う……ごめん……アフリカツインについてでしょ? どうしようか、まだ迷ってて……」
律は口ごもりつつも、あえて誰にでも見抜けそうな嘘でもって誤魔化そうとする。
無論、迷っていたというのは完全な嘘ではないが、今の今まですっかり忘れていた。
とはいえ、迷ってしまった原因にはきちんと理由もあった。
「一度乗ってからじゃ……ダメ?」
そう、律は前回、一切乗らずにどういうバイクかも判断せずにCB400SBを購入。
それが原因で苦労を重ね、最終的に大型を獲得することになってしまっていた。
だからこそ、「一度乗って体験しないと怖い」のである。
今まで言うか言うまいか迷っていたが、光だからこそ、そのお願いは聞いてくれるのではないかと考え、思い切って相談してみることにした。
無論それは、「ロングツーリングがてらCB400で岐阜まで向かい、岐阜の光の店周辺を少し走りたい」というだけの希望だったが、なぜか光にはそう伝わらなかった。
「なーんだ、そういうことか。じゃ、明日俺が持っていってやるから、お前府中で免許交付されたらその後に乗れよ。府中までは俺が乗って着いていってやっから、そこでバイク交換な?」
「は!?」
突然の光の発言は意味不明であった。
それはバイク屋としての光の考えと、律が知るバイク屋の常識の乖離。
光はたかが数百km程度でバイクの価値など落ちないと考えている人間。
落ちるのは「年式」や、そのタイプの「品質」などを含めた良し悪しが影響しての事であって、
例えば試乗中に「転倒」でもしない限り、中古価格は殆ど落ちないと考えている人間。
例えばホンダドリームのように1000km走ったら買い取り価格が20万円落ちたなんて事はない。
そこには「下取り価格補償を展開するサブディーラーとも言えるホンダドリーム」と「下取り補償されたものを二束三文で買い叩いて再整備する中古バイクも取り扱う純粋バイク屋」の立場の違い。
双方の見解がまるで異なるのは当然。
しかも、そのバイクはとある事情から「売り物にならない」と光が引き取った「ワケあり車両」
そんなものの価値が上がったり下がったりなど、早々簡単にあるわけがなかった。
だからこそ出来る行為なのだ。
事前に、バイクの下取りについてCBを購入したバイク屋などにも相談していた律は「買取価格60万円」という価格を提示され落ち込んでいたりしたが、
その際に「もっと走れば30万円にまで落ちる」と、脅しのようなものをかけられていた。
走行距離500kmで10万落ちると言われたが、その実態は、そういうような裏が絡んでいる。
「そんなのやったら価格が落ちて大変なことになるんじゃ?」
それを聞いた律は、当然のような反応を示して質問した。
走行距離が車体価格に大きく影響すると思ったからである。
「うちにはねーぞ、そんなもん。今こいつは走行距離120kmだが、俺ならこいつは6000kmまで走らせても問題ないね。その状態で一度も転倒しなかったという条件なら、お前に売るのと同額以上で売ってみせる。それで利益も十分とれるようなワケあり車両だ。とにかく、お前はいの一番にCB1100RS並にパワーあって楽に乗れる大型に乗りたいだろ?」
「そりゃそうなんだけど……」
律は光の勢いに押され、再び崩れるようにして椅子に着席した。
「じゃー持ってくわ。ここからお前の家までの走行距離増やしたくないからトランポ使うけど、お前はそいつを自力で俺の店まで持って来いよ。400kmも走れば特性も理解できるだろ。お前がオタオタしている間にこっちは整備から何から何まで終わらせられたし、丁度いい。慣らし運転ついでに俺の店まで来い。わかったな?」
「わ、わかった……」
なぜか律は免許を取った当日に大型車両が自宅に舞い込むことになってしまい、その後、しばらく教習所についての感想を述べて光との電話を切ったあとは、しばしの間、意識がどこかへ飛んでいったような沈黙した状態となってしまった。
光という存在がいたからこそ早急に大型に乗れることは喜ばしいことだが、アフリカツインがまるでどういうバイクかわからない。
わかることは1つ。
そのバイクは「巨大」だということ。
誰しもが乗っている姿をみたら「デカい!(説明不要)」と言いたくなる図体である。
律はネットで公式ページを見たことで「電子制御テンコ盛り」であることは理解できていたが、
エンジン特性も、乗り心地も、そして、どういう車両特性のバイクなのかもわからないままアフリカツインに乗ることになってしまったのだった――
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
翌日、一度アフリカツインのことは忘れたことにして律は教習所へと向かった。
光とは午後の卒研合格後あたりの時間を見計らってアフリカツインに乗って教習所まで向かう約束を交わしており、
律は自己暗示をかけ「終わったらアフリカツインを思い出せばいいから、今は卒研に集中」と何度も頭の中で繰り返してアフリカツインを脳内からかき消し、試験に挑む。
向かった時間は11時。受付を済ませると、しばし待機の時間となり、前回と同じく事前説明を受けてからの試験となった。
信じられないことに大型の卒研受験者は律一人。
他に二輪は3名の受験者がいたが、全て普通二輪であった。
前回と同じく二輪のほうが説明がすくない事から、律は二輪の注意事項を受けた後、ゼッケンを受け取って待機室へと向かう。
事前に試験用紙のようなものを渡され、コースは2を指定された。
覚えやすいコースだけに律は安心し、さらに自己暗示を重ねてコース1と混同しないようコース1を忘れようとする。
そんな状態でプロテクターを身につけ、そして二輪試験のための待機場所へ。
すると信じられないことが起きる。
「やぁ」といって出迎えたのは、昨日見極めで乗った「検定専用車両」のNC750Lではない。
いや、そもそもNC750Lですらない。
目の前に現れたのは、なぜか「CB750L」であった。
(はッ!? え、だってアレで試験するって言ってたじゃないか……検定車両はどこ行った!?)
脳内では、お祭り状態の大騒ぎ。
そのサプライズはアフリカツイン以上に嬉しいが嬉しくない。
なぜCB750が来たのかについて即座に律は40代ぐらいの男性の試験監督に質問する。
昨日「バランス」の課題走行を担当した指導員であった。
すると、こんな返答が戻ってきた。
実は昨日、律の後にも大型の見極め教習を受けた者がいたが、その者が坂道に進入を試みた際に上り坂のガードレールに検定専用車両をかなりの速度で衝突させ、フロントフォークが大破。
検定専用車両はおしゃかとなり、大急ぎで修理中。
幸いにして翌日試験予定であった律は「CB750Lに乗ったことがあり、そして常日頃CB750とゼファー750を好いていた」ことから、
「ヘタに教習用のNCにするならCBの方がいいんじゃね?」なんてことになり、突然のサプライズ登場となったのである。
実はこのCB750L、かつての役目は昨日乗ったNC750Lと同じく「検定専用車両」である。
他のCB750Lが全て消滅しても残された彼は、今の立場こそ「本業」だった。
現在は「検定専用車両に万が一が起こった場合の予備車両」扱い。
人数が多すぎてNC750Lに乗れない者が出たとき、律がCB750Lに乗せてもらえた最大の理由は「この人なら問題ないだろう」と判断されてのこと。
ゼファー750は第一段階専用としていたので、第二段階としては今後乗る可能性があるのは今日のようなことが万が一あった場合のCB750Lである。
だからこそ第二段階の最初の時間に乗ることになったのだ。
いわば第二段階専用の隠れキャラもといサポート車両。
ようは律は信じられないことに事前に「検定専用車両」に乗っていたわけである。
それを聞かされた律はさすがに驚いたが、すぐさま平静を取り戻す。
律にとってはどう考えても「今の方が楽に試験を突破できる」からであった。
散々NC750Lのパワー不足に足元をすくわれた律にとって、最終試験のパートナーが空冷最強CBであるたことは幸運であった。
律は「こちらの車両でがんばらさせてもらいます」といって、卒業検定を執り行うことになり、さっそく自身の名を名乗って試験開始となった。
まずは後方確認。
そこからサイドスタンドを上げ、再び後方確認からの乗車。
ミラーを整え、キースイッチをONにして計器ランプの状態を指で指し示して確認。
そしてエンジンをかける。
エンジンをかけたら即座に左ウィンカーに入れる。
すると試験監督から「いけそうだったら発進してください」と促され、後方確認を行いながら右ウィンカーに入れて発進。
すぐさま一時停止区間があるので一時停止し、再び後方確認を行いながら外周コースへ。
その後さらに右折して外周コースから外れ、再び右折して外周コースに戻るとすぐに40km区間に入り加速する。
「っしゃ、加速が鋭いッ!」
風を感じて走りながら、律は試験監督に聞こえないようにしながら呟く。
乗るのは久々であったが、その圧倒的パワー感に「間違いなく行けるッ!」と心の中で叫ぶほどの優等生。
実のところ、前日にNC750の検定専用車両に乗った際「何が普通の教習車両と違うんだろう」と、多少車体のバランス状態が良い意外は特に何も違いがないことにやや気落ちしていたので、CB750に乗れたことは律に幸福感を与えるほどだった。
しかも律はそんな状態で冷静さを失うようなことはなく、クランク、波状路、S字といった課題を次々にクリアしていく。
持ち前のパワーを使えばスラロームも何も問題なく、そればかりか一本橋では2回ほど2秒間ほど完全停止して圧倒的余裕を見せつけながら攻略。
頭の中で「キープレフト、キープレフト!」「ニーグリップ、ニーグリップ!」と繰り返しながら右左折などを丁寧にこなし、コースを間違うことなく攻略。
名残惜しい気分すら感じながら、15分ほど走りきってスタート地点まで戻り、ニュートラルに入れてエンジンを切って停止し、後方確認を行いながら降車。
「終わりました」と試験監督に伝えると、「それでは校舎の3F教室内で待機していてください」と言われ、プロテクターを脱いでその場を戻った。
その時であった。
ドガシャーンという音と共に、CB400SF-Kが盛大に転倒する音が聞こえる。
律が音のする方向を見ると一本橋にてバランスを崩して転倒している者が見えた。
「俺もあんな風に苦戦した時代があったんだよな……精進精進……」
律はその姿を見て壮年の指導員から二度言われた「免許を取った後の数十年の方が重要だから、初心を忘れぬように」という言葉を思い出しながら、その場を後にしたのだった――。
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教室にて20分ほど待つと、試験監督がやってきて合格が伝えられる。
スラローム7秒、一本橋16秒。
他に一切ミスがない100点の中の100点。
試験監督は「一本橋で、あそこまで無茶せずとも問題ありませんでしたけど、自分が出来る範囲で長く留まろうとした努力を否定はしませんよ。短い間でしたが、お疲れ様です。がんばりましたね」といって律が合格したことを喜び、その後、もうしばらく待つことになった。
そして10分ほど待つと教習所の所長が登場し、書類一式を持ってくる。
律は教習所が保管する所定の書類にサインをし、これからの運転の心構えなども10分ほど聞いて解散となった。
解散後、律は1Fロビーにて初日で入校受付を行った女性を見つけ、「7日で本当に免許が取れました……ありがとうございます」と、一言お礼を述べて教習所を後にする。
外に出ると出迎えたのは、光と……見慣れない色のアフリカツインであった。
律が知っているアフリカツインはブラックやトリコロール、レッドカラーなどのアフリカツイン。
そのアフリカツインは白と青で構成された謎の色合い。
アドベンチャースポーツでもなかった。
「何その色……俺の知ってるアフリカツインと違う……」
一目見て、その言葉が出るほどの車体色。
純正には思えなかった。
「こいつはロスマンズカラーだよ。まぁ、ロスマンズカラーが何かわからんとは思うが……とにかく急いで手続きすんぞ! 時間が惜しい。で、府中に行こうと思うが……俺は二輪駐車場の場所がよくわからないから、お前が先頭な?」
光は説明は後に府中で手続きをすることを優先しようとする。
その言葉に律も待ちきれなくなっており、同意した上で府中へと向かうのだった――




