そして大型取得へ――8の字走行は基本中の基本 (後編) ~大型二輪教習~
再び翌日。適正検査は2時限目に行われ、その後すぐさま3、4と連続受講の予定となっていた律は余裕をもって自宅を出発し、CB400にて教習所へと向かった。
教習所に到着した律は昨日受付の人間に言われたとおり、クレジットカードを受付の端末に提示する。
ピピッというFeliCaらしい作動音と共に教習ファイルが出てきたので、それを受け取って適性検査を受講した。
これまでは教習所の入り口に入るたびに教習カードを探すハメになったりして煩わしかったが、そういうのが解消されるだけで「これ、いいなあ」などと感想を述べてしまう律。
そんなこんなで難なく適性検査を突破した律はすぐさま待機室へ。
その教習所の待機室は「しっかりとした待機室」であった。
ガラス張りにされた小部屋の中にエアコンなどが設置され、そこに指導員の机や受講生の荷物置き場などがある。
プロテクターなどは外にハンガーでかけられており、律が教習ファイルを渡すと「あ、音羽さんはつい最近に普通二輪を取得されたのでプロテクターについての説明は大丈夫そうですよね?」と言われ、
予めハンガーにかかったプロテクターを見ていた律はメーカーが同じ「コミネ」であったため、「大丈夫です」といって特に問題なく身に着けた。
そしてここの教習所においては、ヘルメットを借り受ける場合には独自に「インナーキャップ」の購入が求められるが、律はGT-Airがあるので特に気にかける必要性はなかった。
さすがに何か言われそうなので事前にインカムなどは外しておいたが、指導員より「フルフェイスなんで、教習中は音羽さんの声がこちらに届きにくいので申し訳ありませんがシールドを上に上げたままでの走行をお願いします」と言われ、律も「はい。わかりました」と了解したのだった。
一連の準備が整うとこの教習所のお約束である「準備体操」が指導員の指導によって行われる。
簡単な柔軟体操であり、屈伸などをして準備を完了させる。
そして教習開始のチャイムが鳴ると、初の大型免許教習は女性指導員によるものだった。
目の前に現れたのはとても優しそうな顔立ちの50代間近といった細身の女性指導員であり、律より10cm以上は間違いなく身長が低い。
思わず律ですら(こんな人が大型を支えられるのか!?)などと考えてしまうが、それは病み上がりの自分にも言えたことであるし、人は見かけによらないという考えもあって何も言わずに教習を開始したのであった。
当然一番最初にあるのは「引き起こし」
これはもはや二輪教習の共通事項。
女性指導員は「ここの教習所では特別、引き起こし専用の車両は用意しておりませんので、今から音羽さんが実際に乗ってもらう大型車両を引き起こして、取り回しして大丈夫そうだったらそのまま教習を開始しますね」と言い、
そして律にしばらくその場で待機してるようにと主張すると、ガレージとみられる場所から1台のバイクを引きずってきた。
その瞬間、律の体に電撃が走る。
ZIIと同じ火の玉カラー。
KAWASKIと書かれた燃料タンク。
どこからかZIIというイメージをもつ車両が目の前に現れたのだ。
しかもサイドカバーに「Zephyr750RS」と書かれている。
間違いなくZIIの血を引いていた。
律は胸が躍る。
それは間違いなく「Zの系譜」のバイク。
もう一度乗りたいと思ったそZIIの兄弟か子供。
一目見てそう理解できるバイクが現れたのだから。
「これはゼファー750ですね。CB750と並んで割と最近の大型教習では珍しくなってきました。ウチでも第二段階ではNC750なんですが、まだ乗れるということで第一段階ではこの子にがんばってもらってます。正直、私からすると、こっちの子の方がNCより乗りやすいです」
「ゼファー750……こんな車両があるのか……」
KAWASAKI ZEPHYR750。
別名「ザッパー」
ザッパーとは、川崎が「自身がイメージするスポーツバイクの1つの姿」をジャンル分けする際に作った言葉。
ようは「ネイキッド」という存在が認知されない時代に「ネイキッド」を定義しようとして生み出したものである。
風切り音を欧米などでは「Zap」と呼称するが、風を切り、風と一体化するという意味を込めかつて「ザッパー」というバイクジャンルを作り上げようとした。
最終的に「車名」にすらしようとして開発されたのが「N600」という大排気量バイク。
このバイクはホンダの「ドリーム750Four」という存在が突如として登場し、更なる上を目指すため開発中止となった。
開発中止になった後に出たのが、ジムカーナの回にて説明した「Z1こと900Super4」である。
しかし川崎が持つネイキッドバイクというイメージは「ZII」などに代表されるような、ライダーがバイクと一体となり、そればかりか「大気」とすら一体化するようなバイク。
Z1ではパワーがありすぎた。
だから後にN600と同じ設計思想でもってミドル級バイクのポジションを別途作って市場に問いかけたのだ。
それがZ650であり、通称「初代ザッパー」である。
設計思想としては「小型軽量フレームに650ccのエンジンを搭載」した上でエンジン自体はハードなセッティングにせず乗りやすく扱いやすいものにするというもので、
その軽量さと短いホイールベースなどによる回頭性から「峠でナナハンに負けないロクハン」などと、一部川崎にどっぷりなライダーが「ザッパー主義」なるもの掲げ、1つの派閥を作り出すほどであった。(このザッパー主義者は米国にもいるほど)
律が今目の前とするのは、ゼファーという空前絶後のブームを生み出した400ccバイクにこのZ650のエンジンを750ccにボアアップ化して搭載して生み出された「ミドル級ナナハンネイキッドバイク」であり、
ザッパーのイメージを引き継ぎながら、その性能は「ZII」をもイメージさせる「川崎の優等生」である。
ザッパーの思想を色濃く受け継ぎ、そのボディは400cc級の大きさ。
元となったZ650がミドル級400cc級サイズのバイクのため、コンパクトなエンジンを目指して開発されたので、フレーム強化こそされたがボディサイズはゼファーとなんら変わりない。
2007年に生産終了してしまうまで、ゼファー750は高額化して手が出せなくなったZII好きのユーザーと、後継機に恵まれないと嘆かれたZ650ユーザーこと「ザッパー主義者」の双方から支持され、人気車種として生産終了まで駆け抜けた。
ただ、ZIIを意識した味付けや意匠から、ハードな川崎ユーザーは常にこのバイクに対して「ザッパーなのかZIIなのかどっちだ!」と白熱した議論を今日でも交わす面白い存在でもある。
そのため雑誌などでは「ZEPHYR750がザッパーで、ZEPHYR750RSがZIIでいいんじゃない?」みたいな言い方をするが、
ZEPHYR750とZEPHYR750RSの違いはスポークホイールやカラーリング程度。
挙動がそれで大きく変わるわけではない。
後者がZIIを意識したのは間違いないとはいえる。
車名もKAWASAKI ZEPHYR750RSであり、750RSというZIIを意識した名前が付いていることから余計にややこしい事になっているが、恐らくこのバイクは二兎を追って見事に二兎のハートを射抜いた存在であり、それこそがこのバイクを名車たらしめる理由となっている。
律が教習所で教習車に乗るバイクはRSと付いているめ、ZIIを意識したモデルであるということだ。
今日でもZ900RSというバイクが登場する中でZIIやザッパーのイメージを色濃く受け継ぐためにZEPHYR750も未だにそれなりの人気を誇り、
何気に空冷であることも合わせてそれなりに玉数があることから人気車種として注目を集める一方、中古価格は上昇傾向にある。
ザッパー主義者とされる者達と、ZIIは維持できないがZIIのイメージをもつバイクが欲しい者達からは「現行Z650はキビキビとストリートファイターしすぎだし、二気筒だし……同じエンジンのNinja650は性能的な味付けもゼファー750っぽいけどこれはNINJAすぎるし……」と、Z900RSのブームに牽引されてZ750RSまたはZ650RSというものを本気で求めたりしている。
Z900RSは高性能だが、あまりにもレーシーでストリートファイター然とした挙動がピーキーすぎて「ザッパーじゃねぇ!」と言われるが、
ZII好きをしても「ネイキッドのZの血統を持つ者として認めるのはゼファー750まで。Z900RSはチガウ」みたいな扱いをしており、
カワサキも実は本腰を入れているのではないかともっぱら言われている。
そんな後継車を待望される2007年を最後に途切れた系譜のバイクが今、目の前にあるのだ。
「それでは、すでに行われたとは思うのですが大型免許獲得のため、もう一度引き起こしを今からやっていただきますね。私が倒しますので、それを引き起こしてください。それでは今から倒します」
ゼファー750からZIIの思い出が蘇り、何か黄昏かけていた律は指導員の言葉により眼が覚める。
細身の女性指導員はゼファー750をゆっくりと地面に倒すと、二歩ほど離れ、いつでもどうぞとゼファーを手で指し示しながら合図を送ってきた。
「重量は220kgほどです。ナナハンなのですがCBとそう変わりません。がんばってください」
「はい!」
律は掛け声のような返答と同時に横倒しになったゼファー750に近づく。
そして教習所でも問題ないとされる、体を思いっきり寝かせるような状態でゼファー750に覆いかぶさりながら右手はクラブバーを、左手はハンドル付近を持った。
そして押し出すようにして持ち上げた。
ゼファー750は信じられないことに律が思った以上に普通に持ち上がる。
標準重量206kg。
律の乗るCB400SBと殆ど差がない。
ザッパーたる所以はこの「軽量さ」にあり、ZIIより20kg以上軽い。
だがエンジンの味付けなどはZIIのソレであり、やや非力とされたZ650のエンジンをボアアップしてトルク重視にすることでZIIなどのナナハン的なバイクと並ぶ高性能なマシンとして完成させている。
安全用のガード類を入れた重量はジャスト220kgほどであり、CB1100の270kg級と格闘した今の律の敵ではなかった。
引き起こしに成功した律はそのまま指導員の指示に従って取り回しを行う。
覚えたての方法にて、ゼファー750のシートを腰に押し付けるようにして人の字を作り、見事な取り回しによる8の字を見せた。
女性指導員は「取り回しの基本もよくご存知ですね」と律を褒めたが、それがたった数日前に教えられた方法であることなど律は恥ずかしくていえなかった。
しかし、取り回しの基本方法も教えることとなっていることを伝えられた律は「もしかして最初の教習所選びに失敗したか?」と再び考えるようになる。
だがそんな考えをかき消すように、律の現在の技量になんら問題がが無いため、すぐさま実車教習と相成った。
「えー…ではですね、ウォーミングアップをします。こちらの教習所では大回りに外周を2周。今から私が同じバイクを持って参りますので、私の後ろを降車したまま着いてきてください。そこが待機場所であり、次回以降の教習は、準備運動が終わりましたら、教習時に使うバイクのナンバーを指導員が言いますので、この場所まで指定された番号のバイクを引っ張ってきてエンジンをかけ、乗車したまま左ウィンカーを付けた状態で待機していてください。よろしいですね?」
「はい!」
集中していた律はすべての情報を一気に頭にインプットした。
ものわかりがいい生徒に対して壮年に入った女性指導員はにこやかな表情を見せ、「しばしお待ちくださいね」と言ってスタスタと足早にガレージに向かい、もう1台のゼファーを引っ張ってくる。
律は「二輪待機場所」とされる場所まで指導員に案内され、その上で重ねて「スタンドは立てずに乗車しておいてほしい」と妙な念を押された。
律からすると「教習所では当然である」のだが、どうも普段の癖が抜けない者がスタンドを出したままにするらしい。
そのまま一速に入れるとエンジンが停止してしまうのだが、やらかす者が少なからずいるようだった。
教習所では夜間教習もあるためサイドスタンドが出ているかどうかが足と重なってよく見えないことがある。
そのために留意すべき事柄であった。
エンストして転倒しかねないためである。
律は「気をつけます」と一言応答し、バイク用の待機場所までバイクを運んだ後、一旦サイドスタンドをかけて停車状態を作ってから後方確認を行ってサイドスタンドを払い、その上で再び後方確認を行って乗車した。
乗車した後はミラーの調整やギアがニュートラルに入っている状態を確認しながらエンジンをかける。
その時である。
律は左ウィンカーを出そうとしたとき「プーーーーッ」という音と共にクラクションを鳴らしてしまった。
「あら?」
ここまで、指導員からしても「お手本のような生徒」と言えるようなぐらい完璧な状態であった律が初めてミスをしたことで、
律より前で乗車しながら待機して様子を伺っていた指導員は不思議そうな表情で律の方を向いた。
「うぅ……すみません……普段の癖で…」
律は申し訳なさそうに頭を下げる。
ゼファー750にはすでに乗車した状態なので手を放せなかったためこうするしかなかったのだ。
「音羽さんはホンダ車にお乗りですかね?」
「ええ、CB400SBに……何も考えずにウィンカーを意識的に点灯しようと試みたものですから……」
周囲を走っている四輪教習者の運転手が不思議そうな表情を見せながら通り過ぎている状態に律は顔が紅潮するほど恥ずかしかったが、以後意識して絶対にミスしないように心がけようと猛省したのだった。
「いえいえ。NC750シリーズは普段乗られてるバイクと同じなので、第一段階の5回だけ何とかがんばってくださいね。それではウォーミングアップ行きましょう。 後方確認を行ったら右ウィンカーを出しままコースに入ります! 外周2周! ゆっくり行くので感触を確かめつつ慎重に!」
指導員はその様子を見ながらクスッと笑いつつも、すぐさま仕事モードに戻って律を先導した。
指導員が先に出た後、2回後方確認を行った律は一時停止の場所できちんと一時停止してから走り出した。
アイドリングの時から気づいていた。
間違いなくこのバイクは「ZIIの再来」なのだと。
しかもZIIから「正当進化」を遂げている。
挙動はCB並に軽いのに、パワーはCBより一回りも二回りも上。
分厚い750ccらしいトルクによって低回転ながら堂々とした加速を見せる。
ギアチェンジを試みた律は「スコン」と入り込むゼファー750のカワサキらしい挙動に感動した。
そしてようやく気づく。
「カワサキのギアチェンジのフィーリングこそ最高のものである」――と。
川崎のシフトフィーリングは国内メーカーでも屈指とされるが、その最大の理由が「バイクと一体化する」ものを目指した設計思想にある。
無駄に煩わせるイメージを無くし、ギアチェンジすら楽しくできるようにする。
特にザッパーシリーズやZでもZ1などの血統をもつバイクほどこの傾向が強く、一方でスポーツレプリカ系などでは機械的なフィーリングであることが多い。
このゼファー750もその例に漏れず「主導権はお前にある」とばかりに信じられないほど余裕があるバイクとして成立していた。
CB1100、ZIIに乗った律はすぐさま気づいてしまう。
「あれ? このバイクって理想のバイクの1つじゃない?」――と。
このバイクならがんばればオフロードも行けるのではないかと。
残念ながらそれは出来ない。
ゼファー750唯一の弱点とされるものが1つある。
それは「割とフレーム剛性が足りていない」とされること。
400cc級バイクに、フレーム剛性を強化した状態とはいえ750cc級エンジンを搭載したため、その破格とも言えるパワーにフレームが追いついていない。
ロードスポーツとしては優秀なゼファー750だが、これをスクランブラーにするにはかなりの改造が必要。
正直言ってゼファー750らしさを維持したままスクランブラーなどにする事は非常に厳しい。
実際に改造した例では「剛性増加のためにアンダーチューブを中心点にもう1本増やし、マフラーなどをオリジナル製作した」ぐらいであり、ダブルクレードルならぬトリプルクレードルにしてしまった。
それでようやく「多少のダートも攻められる」ようなスクランブラーになるのだ。
CB1100のように「小規模改造でスクランブラー化は可能(後は250kg以上の重量との戦いに勝てればOK)」とは違う。
後継車を求めている声が大きいのも車両寿命がフレーム的に「厳しい」という部分があり、優等生だが20年、30年維持する場合は間違いなくこの問題と真正面からぶつかり合わないといけない。
とはいえ、すでに13年以上経過しているこの教習車仕様のゼファー750はそういった悪路は進んでいないことからフレームなどに一切の歪みなどもなく、波状路程度でフレームが歪むことなどないので見事な性能でもって律と一体化していた。
1周目を走って2周目に入ると指導員は律がまるでここに来る必要性がないぐらいの能力があるため、40km区間の所で普通に加速して行く。
律もそれに合わせて追随したのだった。
すると、どこか懐かしさにも感じたあの感覚が戻ってくる。
最初はZIIで、次にCB1100RSで体験したあの「バイクと共に風になる」感覚。
それがゼファー750でも40km台で感じるのだ。
いや、この手のバイクは40km台でもそれを感じるものなのだ。
まさしく律が求めていたバイクとは「こういうもの」であるので、ZIIやCB1100以外にもこんなバイクがあったことに驚きつつも、
「こういうスタイルを求める人がいるから、今でもこういうバイクが尽きないんだ」という結論に至り、
そして己もまた「こういうバイクこそが真のバイクであり、自分が求める理想の姿の1つ。ライダーはこういうバイクに1度は乗るべきだ」と考えるに至るほどであった。
そうこうしていると二周が終わり、指導員の指示によって今日の課題へと入って行く。
大型教習1時限目の課題とは「低速周回走行」である。
主に「8の字」と「小道路旋回のような小回りで四角系に作られた狭いコースを旋回する」という課題。
律にとって8の字走行は実は初である。
指導員の指示により、律はそのまま待機場所に戻ることなく課題走行の場所へ案内されるのだった――。
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何やら狭い駐車場のような場所に案内されると、コーンが4箇所に配置されていた。
すぐ近くには急制動のブレーキ地点とも言うべきものがあり、律の真後ろにはスラロームと一本橋のようなコースもある。
「それでは、今日の課題走行に参りましょう。今おいてあるパイロン。とても小さな四角形となっておりますね。音羽さんにはこの外周を周回できるようになってもらい、その上でこの内側に広がる黄色いラインも周回できるように努力してもらうことになります」
「がんばります」
インストラクターの言葉に律は元気に頷いて応える。
「いい返事です。課題攻略としては外周だけで十分ですが、内周を走れるとなると一発試験でも十分合格できる腕前です。まず外周ですが、私が常に相対する位置で走ります。私に視点を合わせながらバイクを走らせると正しい姿勢ならここを小回りするのは出来るはずです。ではやってみましょう!」
律は「わかりました」と応答し、指導員はゼファーを走らせ、中心点を境に相対する位置に陣取った。
「いつでも発進してください。私が合わせます」
指導員の言葉が聞こえたので、律はエンジンをかけて小規模な空間での周回を行う。
何も意識せず、いつもどおりのリーンアウトでもってコースを回る。
「音羽さん、もうちょっと顔をこちらへ! そうです! その場所の方が安定して曲がれます! 顔は固定してしまってください!」
律はやや外側を向いてバイクを制御していたが、もっと楽な姿勢があるとばかりに指導員が指示するため、縁の中心点を見るようにして指導員を視界に捉え続けることにした。
するとゼファーの挙動はより安定し、フルステアしながらパイロンの外側を器用に周回していく。
律はいままで受けたことがないようなカーブ走行でのアドバイスを教習中に受けたことに感動した。
律が考える「教習」の理想とはこれである。
とりあえず乗れればいいというわけではない。
本当の意味で「公道で安全に走れる状態にするために」必要な技術を高めるためのアドバイスを送られる。
それが「理想の教習」であり、今まさにその「理想の教習」というものを受けているのだ。
そう考えれば教習料金など安いものであった。
「凄いですね! 最初からそれだけ出来れば文句なしです! ではそのまま内側に入れますか?」
褒めて伸ばすという今風の教習所ゆえに、この女性指導員もなるべく褒めるよう努めてはいたが、それは純粋な律への賞賛であった。
「やってみます!」
律は集中が途切れることなく乗れていたため、「今なら間違いなく出来る」と思ったので途中からパイロンの内側へと入った。
指導員は相対する位置をキープしながら律の状況を見守る。
律は先ほどよりさらにバイクを内側に傾けつつ、体を外側へ。
パイロンに体を当てないようにしつつ、綺麗な円を描くようにして見事な小規模低速旋回を見せた。
「素晴らしい! 普通二輪免許獲得から3ヶ月程度の走りとは思えません。それではもう二周ほどしたら8の字へ行きましょう。今度は私の真後ろについてきてください。」
律は指導員の言葉に従い、二周を行うと指導員の後ろに着いていく形でパイロン内を周回するコースから離脱し、8の字にライン取りされたコースへ進入する。
なんてことはなかった。
パイロンの内側を周回するよりも大きな円でもってS字のごとく左右に曲がればいいのだ。
8の字は上下で円の大きさが異なっていたが、
姿勢を制御しつつフルステアしながら曲がればいいだけなので特に今の律にとって問題はなかった。
ちなみに余談だが、「良い教習所」とされるほど8の字走行を重視する。
なぜなら「これが出来るようになるとクランクやS字などでバランスを崩すことがなくなるほど、8の字はニーグリップなど基本姿勢を習得しやすい課題」だから。
この教習所では本来「8の字を徹底して教え込む」のが基本だったが、小道路転回すら可能な律は8の字より難易度が高いパイロン内側の小規模低速旋回が可能であったため8の字はすぐに終わったものの、
元来は大型の1時限目は徹底して「8の字」と「低速旋回」を行い、2時限目から各種課題に入る形となっている。
しかし律はライディングスクールや河川敷走行特訓などにより、いつの間にか8の字に近い過酷な走行を平然と練習する形となってしまい、これが課題として大きな壁になるほど苦しいものとなっていないのであった。
殆どのライダーはこの教習所の1時限目が「地獄」と主張し、中には「この1時限目を連続で3回やった」というほどの者もいるという。
曰く、その後の教習課題を楽に攻略させるために一番最初を厳しくしているそうだが、本当にこれが出来ると後はすんなり行くと地獄を見た者も主張している。
そんな地獄を苦とも言えない男はバイクの挙動に酔いしれ、
(なんて操りやすいバイクなんだ……CBより楽じゃないか……)
――とゼファー750の性能と指導員の指導能力に、「この教習所に来てよかった」――と、素直な気持ちで満足感を得ていた。
実はかつてジムカーナでもそれなりに戦闘力の高いマシンとして認知されていたこともあるゼファー750はその軽さとパワーの両立により、まるで律の手足のように律の思った通りの挙動を示す。
空冷+キャブレターという古い形式のこのバイクは、律との相性の良さを示すがごとく、その日の教習課題を完璧なまでにこなしたのだった。
8の字が終了した後はクランクやS字、パイロンや一本橋など一通りの課題を走り、パイロンや一本橋など、タイムが関係する場所については「今回は確認するだけ」ということで指導員の後ろについていく形で双方とも、パイロンはゆっくりと、一本橋は駆け足で通り抜け、時間となったので教習終了となった。
律は女性指導員から「これなら一発試験でよかったのでは?」と言われるほどだったが、「交通ルールを遵守した走り方などきちんと出来ているか今一度見直したい」と主張し、指導員を関心させたのだった。
そのまま次の時限も教習が入っているため、律はプロテクターなどは脱がずにヘルメットだけ脱いで待機室にて待機することになったのだった――。




