番外編:ウィラーの独り言13
RSに乗ったぁ!?
マジかよ……そんな機会、律には絶対にないと思っていたが……
だが、あいつのスマホに残された画像をみる限りガチじゃねーか。
しかもこのバイク、見たことあるぞ……菱本のRSじゃねぇか。
あいつ未だにこれに拘ってんのか。
懐かしいな。
最初に会ったのは箱根だ。
当時俺は、70年代~80年代のライダーの花形的職業、「プレスライダー」っつーもんをやっていた。
今じゃもうそんなライダーいねぇとは思うが、プレスライダーっつーのは報道機関から依頼されてフィルムや撮影機材などを運ぶ仕事だ。
バイク便とは少々違う。
バイク便は短距離だが、プレスライダーの仕事は徹底的に長距離だ。
短距離なんかでやる仕事じゃねぇ。
これは「運ぶ重量が大したことがない」ことから、機動性に優れているバイクが一番相性がいいと認識され、
最も重要な報道ネタこそヘリは使ったが、基本はバイクによるライダーだけの仕事だったんだ。
俺の場合は単なる運び屋だけでなく、カメラマンもやったがな。
DOMKEのバッグを引っさげながら走り回ってたよ。
今でも国会記者会館にCB750インテグラとかが駐車されてたりするが、あいつらと同じ。
カメラ片手に、時には自分も現場で撮影して、そのネタを持って帰ってくる。
今はもう、「電子データ」を送信できる時代になったが、現場に向かわなきゃ報道できないという所は変わってない。
ロボットが登場するか、ドローンがさらに進化しない限りは変わらない。
だから「自分でも撮る」能力をもったライダーは、現場への急行ができるからと細々と生き残っているわけだ。
生粋の運び屋は辞めたかバイク便になったんだろうけどな。
一方で、スピードがとにかく要求される。
俺が未だに不思議なのは、あの頃のプレスライダー同士の戦いを描くバイク漫画が微塵もなかったことだ。
バイク系雑誌で1話限りの短編が掲載される程度かな?
あの頃といえば、それこそ今のリアルを求められる漫画作品などでいう「闘う理由」ってもんがプレスライダーにはあって、
「あっちの新聞社よりも早く特ダネ記事の写真をもっていく」のを求められ、峠なんかじゃ社旗を掲げたライダー達の熾烈な闘いが日夜繰り広げられたもんだ。
冗談じゃなく「妨害」すらあったほどだ。
だから新聞社も頭を使って、1つのネガからいくつも複製してプレスライダーに渡しといて競争させるかのごとく仕事をさせたわけさ。
そんな時代、国産バイクでカッ飛ばせるモンと言えばRSとナナハンとマッハ3。
国外だとBMWのR90とかだな。
俺が乗ってたのはナナハンの方。
信じられねえとは思うかもしれんが、あの時代は社旗を掲げた状態だと普通に峠を80kmとか出しても警察はスルーしてた時代だ。
70年代中盤になってカミナリ族をどうにかしようとしていた頃でも、だ。
俺があいつと初めて会ったのはそういう時代だった。
バイクは「スピードこそ全て」であり、大型バイクの華は「限界までパワーを引き出して制御しうるだけの能力をもつこと」だった。
それこそ排気量を免許制度改革で制限された後にゃ、ジャリンコ共の憧れは俺らみたいな飛ばせるライダーだった。
クソガキ共はどんどんわけわからねぇ方向に進んで行くが、プレスライダーは後追いするのが簡単じゃねぇから、まー新しい世代が排除されて俺らみたいな連中は「これなら一生安泰だな」なんて話してた頃だよ。
忘れねえ……あれは1981年だ。
そんな時代でもよ、飛ばさないツーリングライダーは極少数いたんだが……そいつはなんか雰囲気が違っていた。
仕事帰りに箱根を走ってた時だった。
タンクにゃコロナのシートバッグ、タンデムシートには風呂敷で包んだ荷物一式をふん縛った状態。
そいつはRSであまりにも優雅に前を走ってるんで、俺も仕事じゃないからなんとなく興味を引かれて後についていってみた。
途中、自動販売機がある駐車場に止まると、あいつときたら俺を無視して飲み物を買おうとしてやがる。
なんとなくだが俺は話を聞きたくなって、大急ぎで冷たいコーヒーを買ってそいつに渡した。
俺がタバコに火ィ付けて待ってると、そいつはヘルメット脱ぎだして一言だけお礼を述べる。
見たらそいつは俺より8つは確実に年下だった。
間違いなく締め出しを食らった後の世代。
だが無免許じゃねぇ。
バイクの扱い方でわかる。
限定解除を済ませてまでRSに乗ってるのは間違いなかった。
とにかく口数が少ないが、なんかな、妙なシンパシーを感じるんだ。
走ることしか考えていないのは俺らと同じ。
服装や無精髭がそれを現してる。
シャツを着てたが、腕は油だらけで走る途中でバイク整備したまんま風呂に入らず夜の箱根を西に向かっている最中といったような状態。
それでいて、なぜかまだ取り締まりが甘々だった時代に表定速度を守って走ってることが気になる。
だから俺は「どうしてRSでそんな走り方をするのか?」って聞いたんだ。
そしたらよ、「お兄さん、その畳んだ旗からしてプレスだろ? アンタ達は風を切って走るのがナナハンに対する礼儀だと思ってるようだが、750RSは風になって走るバイクだぜ……そのナナハンもな……」って言い返してきた。
俺が「その走りにRSは必要か?」つったら「アンタも俺の後ろについてきただろ。他じゃそうはならないさ」と言って、そのまま別れの挨拶を手で示しながら「コーヒーありがとな」といって行っちまった。
俺は、その当時当たり前だと言われたヨシムラのマフラーすら装備せずにノーマルで乗るRSを初めて見たが、あいつが走り去る時にそのRSに間違いなく「フフン」って感じで今でいうドヤ顔のようなモンを示して夜の闇に消えていったことを覚えている。
だが言葉の意味はわかった。
確かにあれがニーハンだったら俺は間違いなくブチ抜いてたし、クソガキ連中は煽ってたかもしれねぇ。
本気を出したら間違いなく俺のナナハンにピッタリついてくるだけの性能がRSにはある。
道を譲る余裕すらあって、ゆったりと走るが、別段バイクが故障した様子はなかった。
整備怠って空冷エンジンが爆熱化して大気との温度差で湯気を漂わせながら箱根の峠をヒィヒィいって走ってる状態でもない。
何もかもが完璧。
「これが正しい走り方だ」といわんばかりに、ゆっくりなペースで走るもんだから、優雅な印象を与える。
ピカピカのメッキ部分やタンクが宵闇の街灯とかに反射してめちゃくちゃ綺麗だった。
俺のナナハンが中古のボロに感じるぐらいにな。
その印象は特に去り際に感じた。
俺はタバコを吹かしながら、もしかして両腕の油は、バイクを整備したというよりかは、油でバイクを洗車してやったんじゃないかって考え始める。
夜になる前になんとなく気になって、油でバイクを磨いてやってそれで走った。
だからスポークまであんなピカピカしてて、その全体の雰囲気から俺は「抜きたく」なくなったんだ。
きっとわけわかんねぇクソガキもバイクが駐車されている状態をみたら、迂闊に近づかないと思う。
ライダーの姿を見ていなかった場合、「こんな大切にされてるRSに傷つけたらどんな強面が出てくるかわからねぇ」感じがするからだ。
あの頃のジャリンコにゃナナハン信仰みたいなモンもあったしな。
そういう総合的な意味で「RSでなけりゃ駄目だ」と考えただけじゃねぇと思ったんで、俺はしばらくしてRSを買ったよ。
解体屋に転がってた状態がまだ綺麗なやつを自分で手入れし、そんでもって同じような状態まで磨き上げて乗った。
そこで風になるって意味も理解してから、「仕事とは別の走り方」ってもんに目覚めて、そのための愛車を探して新古のバブに出会った。
俺にはどうしても「ブン回してなんぼ」って感覚がバイクにあったからな。
回さなくていいってのは駄目なんだ。
RSはその後もほどほどに乗って維持して、値段が高騰化してから売ってバブを維持するための資金にした。
思えば俺の走り方を変えたのがアイツで、その後、バブに乗ってからも何度かアイツに遭遇した。
だけど話かけても一言二言返答したらどっか行っちまう。
そんなあいつとまともに話すことになったのは、仕事中に逆走してきた車のせいで転倒して、茨城の北部で応急修理目的に解体屋をめぐったときの事。
解体屋に行ったら、それがヤツの店だった。
そこで初めてまともに会話し、「ライダー」としての菱本と「社会人」としての菱本の二人が存在していることを知った。
バイクに乗るときは日ごろのストレス解消もあって、誰にも話しかけたりされたくないらしい。
そして仲間内と飲み屋に行ったりするのも嫌で、そんなことしているぐらいなら走りたいような人間だということがわかった。
この年代の人間ながら酒もタバコもやらず、酒とタバコ代だけで何km走れるのかなんて考える人間。
その分を地方で走って食べる現地の名物にあてているのだという。
最初に会ってからすでに6年経過していたが、RSはまだ健在。
当時とまるで印象が変わらないまま。
だが、維持が難しくなってきたからと新たに角Zを調達してた。
あれから30年。
まさかRSが未だに健在で、それに律が乗ったとはな……
俺が聞いた話じゃ、タンデムシートに荷物以外絶対に載せず、二人乗りなんて絶対許さなかった上、RSに他の人間を乗せたなんてことも一度もないって聞いてるんだが、
律が初めてなのか、律のような選ばれた極少数だけが特別に乗ることが許されるのか……果たして答えはどっちなんだろうな。
どっちだったにせよ、茨城と栃木で真のネイキッドに乗ったらしいから、あいつのバイクに対する考え方も変わるだろう。




