クラッチ強化と魔のカーブ 川崎→東京 東京→埼玉(三郷)→茨城県(守谷)
CBを預けた翌日。
戸塚からより朝早くから連絡があった。
聞けば「オイル交換」するのと同時にクラッチの様子を見たいのだという。
理由は以前からクラッチの様子がおかしかったからだということだった。
CB400は日常の足としても使っていたため、距離が嵩み、1000km交換の後、すでに約3000kmほど走っている。
交換時期でもあった。
特に距離に関しては河川敷に何度も行くようになって劇的に増加傾向にあった。
オイルフィルターは傷ついてもまだ使えるということでそのままにしておいて問題ないとのことだが、オイル交換自体はこのあたりで1度やっておいたほうが良いという。
律は戸塚の考えも理解し、修理費用の価格が上乗せになることを理解しつつCBのオイル交換を了承した。
本日中に仕上がるとのことで、律は川崎周辺でブラブラしながらCBを待つことにしたのだった。
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CBを受け取ったのは閉店前の時刻であった。
終わりまでに丹念に仕上げられたCB400は塗装以外にクリアまで吹き、耐水ペーパーで慣らした後にコンパウンドなどで磨かれ、見事に元の状態に戻っている。
エンジン側にも耐熱塗料が塗布されていた。
その上で簡易的な防護策ということで耐熱ゴムシートをアンダーチューブ部分に巻きつけていた。
完全に乾燥するまでにもう1~2日ほどかかる事からその部分への保護も兼ねてのことであった。
この耐熱のゴムシートは元々「ビビリ音用」として調達していたものであったが、それをフレーム側にも流用したのである。
ビビリ音も完全に修理され元の状態へと戻っていた。
「――音羽さん。クラッチの状態がどうも良くなかったのでケース開けて中を確認してみましたが、噛み合わせが良くないのでちょっとリダクションギアとの精度を調節してみました」
現在、センタースタンドが立てられた状態でCB400は鎮座している。
律は作業場に招かれ、さまざまなバイクが修理される状態の中で1台完成している愛車を見てホッとしていた。
作業場にいるCB400SBがこの間の修理と同じく再び輝きを取り戻していたためだ。
律は戸塚の何気ない言葉に何をやったのか想像して恐ろしくなった。
ギアの精度を良くするというのは、ギア部分のバリなどを削り取って噛み合わせなどを調節するもの。
変に削りすぎたらどうなるかわからないが、特に問題なくそれを平然とやってしまう戸塚の整備士としての腕と、殆ど乗らずにクラッチなど一連の問題に気づく職人気質なセンスに脱帽ものであった。
作業工程が複雑な様子を想像し、律は修理費が高額になっているのではないかと不安が頭をよぎった。
ただし、クラッチについては改善できるならしてほしい部分ではあった。
以前からNに入りづらかったり、稀にギア抜けする様子があったCB400だったが、「ギア抜けなんてそんなに珍しい症状ではない」とのことから律は仕様と割り切っていたものの、気にはなっていたのだ。
無論、戸塚はその状態を良しとしない。
新車で、4000km程度でそんな症状を見せるバイクを初心者に乗ってもらうなどしてもらいたくはなかった。
そのため、フレームの塗装がある程度まで乾くまでの間、クラッチなど今まで気になっていた部分すべてに手を入れ、見事に修復。
クラッチなどの様子を伺うために事前に試乗した際に「跳ね上がり」などを感じたことからサスペンション調整にまで手をつけていた。
さらに特に破損していない反対側のミラーも何気なく塗装。
外を走行した際、太陽光に当てると左右で色味が違っていたことに気づいたためであった。
一連の修理で律が請求された金額は1万5800円。
オイル交換+修理費という形であった。
律は安いのか高いのかわからないが、とりあえずその金額で了承する。
元より「いくら金がかかっても最良の状態ならばいい」とは戸塚に伝えていたためであった。
「オイルはホンダ純正のG3に変更しています。G2でもいいんですけど、フィーリングはG3のほうがCBに対してはいいんですよね。DCTだとG2の方が相性がいいんですが……ちょっと高いオイルなので、乗ってみてG2とあまり変わらないと思われましたらG2に戻してみる感じということで……」
事前にオイルも吟味してみたいと言われていたたため、律は戸塚の話を特に拒否感などは示していなかった。
エンジンオイル。
おそらくライダーだけでなく車に乗る者も「どこで妥協するか」で悩むことだろう。
ホンダのバイクにおいては、4サイクルエンジン向けに純正品としてウルトラG1~G4とS9、E1がラインアップされている。
問題は「高ければいい」というわけでなく、車種ごとに相性が良かったり悪かったりすることだ。
ホンダを愛車とするライダーの中で最も評価されているのはG2と言われる。
実際、これを書く筆者もG2愛用者。
コスパとフリクション性能が両立し、2000km~3000kmでマメに交換する人間向けと言われるが、
変に他社のエンジンオイルにしてみたりするとシフトフィールが明らかにおかしくなるので筆者はホンダ車においてホンダ純正オイル以外を絶対に使いたくないほどだ。
G1~G4までは、G1が鉱物油、G2が鉱物油と化学合成油のハイブリッド、G3以降が純化学合成油となっているが、やはりG2愛用者はかなり多いと思われ、ホンダドリームでも純正オイルにおいてはG2を推奨している。
S9はビッグスクーター向けとして新たに開発したもので価格はG3とほぼ同列な鉱物油と化学合成油を組み合わせた高級品。
E1が小型スクーター向けのG2的なポジションだが鉱物油となっている。
裏話的なことを言えばG2がホンダが考える「理想の純正オイルの1つ」なのだが、「そこまで高性能なオイルでなくていい」とかいうスーパーカブとかスーパーカブとかスーパーカブなんかの影響でG1が現在も販売され続けている。
ではスーパーカブにはG1でいいのかと言えば、G2が一番相性がいい。(E1は非推奨)
長持ち、コスパ良好など本当に愛車としてみているならG2であろうことはネットで調べるだけでも山ほど情報が出てくるので筆者も「そうだろうな」と思っていたのだが……
なぜかスーパーカブ50周年記念のホンダが大きく関わっているスーパーカブなるラノベでは「G1がスーパーカブに最優」なんて話が出てくる。
G1はすぐヘタるし、振動強くなるし(停止中にサイドミラーを見ると振動が強すぎて後ろがよく見えない)
何1つ利点を感じたことなどなかったが、まあ主人公が高校生だし安いオイルにしておきたかったのだろう。
すぐヘタるから「本当の意味で安い」のはG2なのだが、どうせならG2を推奨してほしかったところだ。
そんなことはさておき、G3やG4はCBR1000RRなど、元来はSSなどに向けたエンジンオイルである。
しかし、CB400における「優れたエンジンオイル」としては「G3」が列挙されやすい。
シフトフィールが軽くなり、まるで別物に化けるからだ。
ただし、G3にも弱点はある。
「その化けた状態のシフトフィールは長く保たない」という悲しい特徴があり、一番良い状態が保つのは3000km~4000kmほどで、以降はG2よりシフトフィールが悪くなりギア抜けなどを起こす。
6000km乗っても殆どシフトフィールが変わらないG2と比較すると明らかにある時点から極端にシフトフィールが悪くなって劣化を感じやすいという、ある意味では優秀なオイルなのだが、元来は寿命が長いはずの化学合成油の中で、G3は「寿命が短い」とCB以外に乗るさまざまなライダーからもよく言われる。
DCTなら目立つ「1速~2速」までの「ガチャッ」という音が「スチャッ」という静かな音に変化し、それ以降の変速のシフトフィールが安定的で「すばらしい」などと言われるが、それも「4000km」あたりまで。
以降は「ガチャン」とやかましい音になり、「あ、交換だ」と乗り手に知らせてくれる。
6000km乗ってもまだ劣化したような感じがしないG2と比較すると、ほぼほぼ鉱物油で寿命が短いはずのG2の方がDCTにおいてはオイルの劣化が感じにくいとよく言われる。
長く乗る上である意味でそれが良いのか悪いのかはわからないが、G2だから、G3で長距離を交換せずに過ごしたからエンジンが壊れたという話はまったく聞かないので、G3の特性というのがそういうものなのだろう。
G4は「無意味」ともっぱら言われるが、殆どのドリームで在庫を確保しておらず、入荷にも時間がかかる事から「特定の人間(サーキットで走るような者)」を対象にした最高級品なのだと思われる。(缶に描かれたG4の文字も金色となっている点から明らか)
そんな「CB400と最も相性が良い」と言われるG3を入れたことで、修理費の内訳のうち9800円がG3のオイル価格となっていた。
残り約6000円が修理費であったということになる。
ゴム板なども請求額に入っているのだが、最初に光の所などでオイル交換した際のG2オイルの代金である5000円~6000円前後から考えると凄まじい価格の上昇であった。
さすがの律も明細をみてギョッとしたが、戸塚という人物がそこまで拘ってG3を入れた意味というのを乗って体感し、理解してから後悔しても遅くないと考え、現金にてその額を支払ったのだった――。
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「音羽さん。ギアチェンジの際はシフトペダルに力を入れながら同時にクラッチを引くイメージでやってみてください。それでは、2日ほどダート走行はやめていただいて乾くまで様子をみてください。シフトチェンジは結構良くなったはずなので、試してみてくださいね」
「ありがとうございました」
いつものとおり、CB400を引っ張り出してもらい、いつでも出発できる状況にまで整えると、戸塚は律に一言二言、バイクに関することだけの会話を交わし、一礼して店へと戻っていった。
律も手で応え、その姿を見送る。
暖気という形でエンジンをかけられたCB400は「早く乗れ」とばかりにエンジン回転数を上げる。
バッテリー充電の影響のためであったが、律はそれに促されるようにCB400に跨り、ドリーム川崎を後にしたのだった。
そしてすぐさま違いに気づく。
今まで散々悩ませていた「ガチャン」とやかましいシフトペダルの音が完全に消えた。
1速から2速までは「スチャッ」という音がするが、以降はインパルス400やWR250Rのように「ヌルッ」とした感触でもってすんなりとギアが入った。
まるで別物である。
そう、これこそが本当のCB400のシフトペダル諸々の姿である。
元来、NC31ぐらいの頃までは非常にすんなりと入るシフトフィールが特徴だった。
それがNC42になって明らかにおかしくなった。
だが、調節されたクラッチによって見事に本来の状態を取り戻したCB400は、シフトチェンジの際のエンジン音すら別物に感じるほどである。
理由はシフトペダルが凄まじく軽くなったからであり、すんなりとギアが次の段階に入り、カウンターシャフトなどで無駄な負荷が生じていないためであった。
ギュィィン ギューインという音はレースカーのそれであり、まるで自分の腕がレーサーのようになったのではないかと錯覚してしまうほどシフトフィールは別物となった。
戸塚はクラッチ調整とあわせ、G3を入れればそのイメージとなることを理解し、あえて高額であまり表立ってオススメしたくないG3への交換を提唱したのである。
「まいったなこりゃ……今後、俺は毎回G3を入れないといけないのかな……高いけどG2でこうじゃないっていうなら二度とG3以外入れられないじゃないか…」
元々G2に特に不満はなかった。
そもそも不満とかそんな次元ではなかった。
それが劇的に改善されたことで、ただでさえハイオクを入れているのにエンジンオイルまで高額になり、燃費の悪さと合わせ、コストパフォーマンスはさらに劣化する。
もはや「400cc」というだけでそこいらの大型車種よりお金がかかるバイクとなってしまっていた。
ゴムの滑り止めを応用した簡易タンクパッドにした後にレギュラーにした律は凄まじい高熱化によって再びヤケドをし、すぐさまハイオクへと戻していたのだが、ハイオク+高品質なオイルなど今日日カワサキの四気筒大型車種でもなければ指定されていないので困り者である。
「ああもうッ、しゃあない! もうしばらくお前には付き合うつもりだが、あんま金かかるならお前を諦めるからな!」
自宅への帰路、律はあまりにも手がかかるCBに親が悪さをした子をしつけをするがごとく言葉をぶつける。
それでも本来求めたCB像に愛車が近づいたため、納得せざるを得なかったので、何度かため息を吐きながら自宅へと戻っていったのだった――。
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翌日、テントなどは積載しないが、ホテル等で3日ほど十分に宿泊可能な各種荷物を積載した状態でCB400は朝の甲州街道を東へ。
向かうは茨城県は「筑波サーキットジムカーナ場」である。
JAGEが開催するジムカーナ大会。
実は昇格に影響する関連大会含めてジムカーナ大会はその殆どが茨城県で開催されており、東海地区では静岡などを中心としてJAGEが主催しない大会が開かれている。(こちらでもきちんと昇格できる)
余談だが関西では基本開催されていない。
茨城ではトミンモーターランドまたは筑波サーキットジムカーナ場が基本だが、3月末の現在、東海地区では開催されていないため、綾華は片道600km以上をトランポで光に運んでもらい、茨城の大会に参戦していた。
律はそこへの応援に駆けつける予定であり、一路つくばを目指す。
甲州街道を走り抜けた律は高井戸インターから首都高4号新宿線へ。
つくばまでの行程においては圏央道という方法もあるが高速料金の無駄にかかり、距離も無駄に増えるのため、朝早くから出発することで守谷より先の渋滞を回避しようと企てていた。
問題は常磐道三郷ICまでの道筋である。
1つ、環八を北上し、三郷まで下道で向かう、
1つ、高井戸から4号新宿線経路で進み、C1都心環状線から6号向島線に入った後、6号三郷線で三郷まで。
1つ、甲州街道から山手通りに入り、中野長者橋から山手トンネルを通ってC2を進み、6号三郷線から三郷まで。
4号新宿線を使う場合、実は途中から南にシフトし、渋谷から大橋ジャンクションを経由して霞ヶ関側からアプローチするという方法もあった。
箱崎ジャンクションが休日になると尋常でなく混雑することから、山手トンネルが開通してからは一般的に「C2山手トンネル経由」のルートが常識化しているものの、混雑状況によっては山手トンネルが大渋滞する事もあり、そういうケースでは西新宿JCTを中心にまるで動かない最悪の道路状況となることから、優秀なナビだと4号線を指定した上で「代々木か新宿で乗れまたは降りろ」と言ってきたりするわけだが、朝早くの現在、特にC2は内外共に混んでいなかった。
にも関わらず、ゴリラは「4号だ」とナビゲートし、律は脳筋ゴリラのナビゲートに従い4号線を進んだ。
理由は簡単である。「距離が短い」たったそれだけだ。
どうやらゴリラの脳内においては混雑する小菅ジャンクションと箱崎ジャンクションは、「同列」扱いで、「距離優先」とばかりに4号線を指定する。
律は何度か4号線を走ったことがあるのだが、首都高4号新宿線といえば「魔の参宮橋カーブ」で有名な非常に事故が多く車幅の狭い高速道路という認識で、出来れば回避したかった。
その場合、無理やり中野長者橋にまで行けばゴリラは迂回指示ができないので素直にC2を走らせたのだが、あろうことか高井戸から乗り込んでしまったことでゴリラに距離優先のナビゲートをさせてしまったのだった。
4号新宿線。
平行するバイパスとも言える道路の山手トンネルなどを作った際、建設に大きく関わった当時の都知事である石原氏が「4号なんて普通のドライバーが走るような道じゃない!」とカーブをとにかく減らし、道幅を大きくとったことで有名なぐらい事故が多く道幅が狭い高速道路である。
実際、山手トンネルやC2は都政の中心地である新宿すら回避する形で4号線の危険とされる場所をことごとく回避していくぐらい徹底されたつくりとなっているが、それほどまでに危険なのだ。
その中でも有名な参宮橋カーブは10年以上連続で「事故件数ワースト1位」という魔のカーブ。
現在ですら2日に1度~3日2度のペースで事故が発生し、当時の都知事の言葉を借りれば「都政を行う上で無視できない問題」と言わしめるほどのものである。
Youtubeではとある外国人のプロ自動車レーサーが「制限速度60kmが適切すぎる」と80kmを超える速度での通行が危険という認識を示すほどにカーブが多く道幅が狭い。
一部の人間は「楽しい」と感じるようだが、初心者には鬼門。
都庁近辺から入っていく新宿インターなどの合流加速車線はカーブで見通しが悪いのに極めて短く、「素人は素直にC2にしろ」といわんばかりの設計的欠陥を疑うような道路である。
かつては「慢性的な渋滞」が多発し、「渋滞しているから楽」と言われることもあったほどだが、山手トンネルや圏央道、外環道などの整備によって近年は4号がスカスカなんて当たり前であり、Googleなどのナビは積極的に案内することでビギナーなドライバーやライダーを恐怖に陥れる。
しかし不思議なことに渋滞状況をみないゴリラもまた4号線が大好きなナビゲートをしがちで、「よしわかった中央道なら4号だ」―と、東北道や常磐道方面からだと東名でも行かない限りは案内しないのだった。
車で何度も恐怖を味わった律は「普通にC2行けばよかった」などと考えるも案内に従い西新宿JCTを回避。
ここから南下して渋谷に逃げることで狭すぎて怖い道を回避可能なのだが、ゴリラは距離優先で「C1まで4号だ」と案内しており、そのまま突き進むことになってしまった。
しかし、リーンアウトを覚えた律に4号新宿線は敵ではなかった。
まだ朝方の影響で非常に流れの速い4号を、CB400SBはパワーアップしたクラッチと技量が上がってきた律によってスイスイと駆け巡る。
車ながら間違いなく過度に減速しすぎて後方から煽られかねない状態となるが、バイクなら周囲の速い流れについていけていた。
車幅が狭いといってもそれはあくまで「四輪自動車」基準。
大型車と比較するとやや小柄なCB400には十分なゆとりがあり、むしろ周囲の都心部の景色も合わせて悪くない道路だった。
「まぁいっつも山ばっか走ってたし……」
アップダウンもカーブも多い山ばかり走った律にとって、たんなる急カーブなど大したことがない。
新宿インターからの合流なども右車線に入ればどうにかなるし、車よりも車線移動に余裕がある。
また、左車線に入っていても最悪どうにかできうるバイクという存在に改めて感心させられる。
「もしかして……4号新宿線ってライダーのために作ったんじゃ……」
走るとバイクにとってはあまりにワインディングに優れていた事に律は真理に到達してしまったのではないかと馬鹿なことを考えていた。
ライダー脳な思考が着々と定着しつつあるのだった。
そのままC1に入り、6号向島線へ。
三郷に行く場合、何が辛いかというと車線変更の多さである、
C2の交差するジャンクションも大概だが、3車線またぎなどをしなけえばならない江戸橋などは非常に怖い。
それでも視界に優れるバイクならどうにかなった。
怖いのは、「相手がこちらに気づいていない」パターンのみ。
もし事故が起こっても車載動画で自分にミスがないことを証明できるようになったとはいえ、出来れば事故をしたくない。
律は冷静に、慎重に、ゆったりと余裕を持ちながら合流地点や車線変更を攻略していき、三郷ICまで向かうのだった。
三郷ICからは常磐道へ。
常磐道。
実は制限速度120km区間としてこの道路が当初設計されていたのは一部しか知らないことであるが、東洋のアウトバーンを目指して建設されたこの道路はとにかくカーブが少なく初心者でも楽に走れる。
近年では北関東自動車道の整備や日立海浜公園などが有名な観光地兼商業地となったことから度々渋滞するようになったが、それでも平日だとかなりのハイペースで自動車が流れている。
後にこの道路規格がベースになり、様々な自動車専用道路が整備されたことから、日本の自動車道路のプロトタイプと言われる事も多い。
新東名が常磐自動車道に似ているのも制限速度120kmを目指すという方向性で当初から計画されていた際に常磐自動車道が少なからず参考にされたためである。
ちなみに余談だが、水戸までは110km検討区間でもあり、120km検討区間ともなっている。
現在において120km検討区間は当初より120kmで見当された新東名、平行する東北道、接続する関越道と東関東道以外は九州自動車道のみ。
東名高速については110kmまでは検討されているが120kmは見通しが立たない状況の中、全国でわずか6つしかない120km走行可能区間として認識されているわけである。
そんな常磐道だが、とりわけ事故が多いのは流山。
とにかく事故が多く、ETCが導入される前の頃は「三郷までの渋滞が行楽シーズンの影響なのか事故なのかわからない」とされたが、現在では行楽シーズン以外で流山から渋滞10km以上と出たら8割以上の確率で流山で事故が起きている。
律は常磐道の経験が一切ないので流山インターには何も考えず入ったものの、知らない人間だと「なぜここでそんなに事故が多いのか」というトンネルが連続するだけの真っ直ぐな区間であり、高速七不思議の1つ。
三郷を出発した律は流山を難なく突破すると、走行から1時間30分が経過していたため、休憩がてら守谷SAに入るのだった。
そこで再び彼女と出会う――




