地産地消 ~川場村~
人の波。
それは何かの息吹を感じさせ、本能的に人をどこかへと誘う。
律がそんな人の波に誘われて向かった先は村役場のすぐ近くのホテルとみられる施設だった。
その先にあったのは……空気で動くSLである。
各地の町興しを担う新たな存在として現在注目される技術が結集されたソレは、今にも動き出しそうなほど綺麗に整備されたまま、新たな機関士を求めて静かにその場に留まっていた。
「へぇ……こいつ動くんだ?」
状態が素晴らしく良いことは律が一目見ても理解できる。
錆1つないような美しい車体。
公園で放置され、錆びだらけでパーツも殆ど失われた車両などとは違う。
たった200m程度しか動けなくなった状態とはいえ、生まれてからずっと北海道の地で走り続けたこの車両は、群馬の山奥にて第二の生を謳歌している。
ちなみに実はこの車両、動き出した後に形が変わっていることは一部でしか認知されていない。
間違った認識をしている者もいるが、元々このD51は苗穂工場が整備し続けた車両で、北海道仕様だった。
川場村に持ち込まれた当初も苗穂工場が最後に整備した状態のままであり、修復され、動き始めた当初は純然たる北海道仕様だったのだ。
それが長野式と呼ばれる姿になったのは2006年からしばらく経った後。
ある程度の修復が済んで動き出したことで整備をしたいと周辺各地からかつて蒸気機関車の整備を担当していた国鉄OBが集まった際、それらの人間が長野工場のOBだったため、足りないパーツを新造していく間にいつの間にか長野式と呼ばれる状態となった。
圧縮空気機関車の場合、動かすのに最低限のパーツだけで良いというのが最大の取り柄。
戦後日本においても石油プラントなど、様々な場所で用いられた存在であるが、この時は他の作品で書いたように帝国海軍の「酸素魚雷」を流用してみたりしながら活用している。
一応、大日方さんが考案した方法は「ボイラーなどを使う」という既存のパーツを流用する方法なのだが、それでも不要な装置が大量にあり、動かすにあたってそういったパーツはあえて無視されていた。
重要なのは車体を構成する車体を空気によって動かすために必要な部位だけで十分だったからである。(というか、そちらにお金をかけるほど余裕もなかった)
よって煙突の集煙装置などは後付されたものである。
他にも長野式のパーツが新たに組み込まれたが、煙突の集煙装置には意図があった。
それは「圧縮空気だけで走ると心許ないので走る姿もよりSLっぽくしよう」と煙を出せるようにした際、煙を出す装置をその中に組み込んだのである。
元来はトンネル走行などで煙が車体などに纏わり付いて運転席の人間が窒息などしないように煙の流れを変える装置だったが、水蒸気による白い煙を発生させる装置を内臓し、形だけ集煙装置を模したものを装着したわけである。
結果、長野式になった後はよりリアルな印象を与えるようになった。
ちなみに、圧縮空気を利用しているということは火などは一切使わないのかと言われると違う。
これもまた一時期まるで整備できないと独自すぎる技術に修復活動を行っていた地方自治体が頭を抱えた理由なのだが、
実は熱交換もある程度は必要なので、火床にて薪を燃やす必要性がある。
これは殆ど熱変化が無い圧縮空気においては、内部の水分がボイラー内で外気によって冷やされて結露し、車体が傷むだけでなく動作に支障が出る可能性があることや、圧縮空気の循環を促すために少量の薪を用いてボイラー内部を適度な温度(40度~60度)に保つ必要性があった。
そのため、川場村を含めたD51は蒸気機関車が持つ独特の「熱」というものを持っており、動かす際の周囲はほんのりと暖かく、かつてのイメージを想起させる。
内部の水分を水抜きする際の湯気などがより機関車らしいイメージを与える相乗効果を持っているのだ。
ただし60代~70代ぐらいの熱狂的なSLファンからすると、この薪を燃やす匂いは独特で違和感を感じるという。
が、実は蒸気機関車、薪や木炭で走ったことがないわけではない。
90を過ぎた者達の中には「懐かしい匂いがする」と感じる者もいたりする。
戦時中、軍事利用に共された車両がある。
C56などである。
C56はこれらのうち、タイやビルマなどに供出された車両は薪で作動するように改良が加えられた。
この機関車達はあくまで「帝国陸軍」を中心に軍事列車として運用されていたため、陸軍所属の者しか知らないが、当時の人間をして「独特な匂いの機関車」は存在し、それが偶発的なもので蘇った事になる。
そして戦後、生き残ったC56の一部は日本へと戻ってきている。
靖国神社に生態保存されたものと、大井川鐵道で走る日本で現存しながら唯一動態保存されたC56-44である。
トーマス人気にあやかってジェームスにされてしまったやつである。
三菱重工にて組み上げられた際に急遽軍事供出となって改造されたり、あっちの地域から戻ってきて日本仕様風に改造されたり、
記念式典用にタイの時代の姿に戻ったりした強運の機関車と呼ばれるC56だが、元々は石炭で走っていたものではない。
しかし彼は他の機関車よりもコストがかかる関係上、今後の運用も継続するために稼ぐ必要性があり、あろうことか何度も攻撃してきた敵国の作品の姿を纏うのだった。(この2人の影響で収益が50%も増加し経営危機を乗り切った)
圧縮空気で復活した者達が殆ど当時の姿のままであることを考えたら、「お前もそっちにすれば良かったのにな」と彼らから思われているかもしれないが、彼から言わせれば「お前ら日本の法律に適合してないからこのままだと永久に人を乗せて本線は走れないぞ(貨物としてなら走らせられる)」と考えているのかもしれない。
余談だが、大井川鐵道の中では木炭で走るように組み立てられた影響により、最もパワーが無い。
トーマスことC12が7両編成に対し、(最初は2両編成でアニーとクララベルと名づけられ史実通りだったがあまりにも人気がありすぎて5両も謎の客車が増えた。本編では3両編成以上にしたこともあるが、実はそういう場合客車の色がバラバラになることが多く、みんな名前があったもののこちらは全部統一された色になっている)
ジェームスは4両編成である。
まぁベースはC12であるC56であるので、パワーが勝るという事は無いのだが。
そんなジェームスより実はパワーを発揮できる状態の圧縮空気機関車D51は、川場を訪れた観光客を乗せてかつては小さな客車を100mほど押したり引いたりして、もてなしていたのだった。
そういった話を看板などから理解した律は、持ち込んでいたカメラでD51を撮影し、観光客に頼んでD51とセットで自分も記念撮影に勤しんだ。
道の駅には特にSLについての説明などがなかったため、ここに訪れたのは本当に偶然である。
偶然ではあったものの、そのD51の意匠から何かを感じ取った律は感慨深い思いを抱きながらその場を去り、再び道の駅へと戻ったのだった――
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道の駅へと戻ると活気付いた場内には人の熱気が感じ取れるほどであり、土産屋、レストランなどが多くの人でごった返しの状況である。
律は空腹を感じ、道の駅の中をゾンビのように駆け回る。
どの店がいいのかわからないが、パン屋、肉屋、レストランと何でもある。
しかもどれもがそれなりにリーズナブルな価格で提供されていた。
その中でピンときたものがあった。
ピザ屋である。
長蛇の列となっているピザ屋を見た律は、小麦が石のかまどで焼ける匂いに惹きつけられ、いつの間にかその列に並んでしまっていた。
そのまま20分ほど待つと自分の順番に来るが、周囲の様子を見る限りそのピザはかなりの大きさで空腹感を十分満たすものでありながら価格はマルゲリータなら「お手ごろ」なものである。
律は「あんまりチーズが大量でもなあ」などと考え無難なマルゲリータを注文。
もしコレで満たされなければパンやデザート関係にも手を出せば良いわけであり、それらが手を出しやすい価格設定となっていたが……
――15分後、満腹感によってしばらく食事について何も考えられない状態となり、律はそのまましばらくこの場所で過ごすことに決めた。
居心地の良いこの場所には陶芸体験教室やビール工場など、様々な施設があるが、それらを見学するだけでも1時間は経過してしまう。
律はブラブラしながら1時間ほど過ごし、そしてカフェに入って休憩した。
アイスカフェラテを頼みつつ、カフェ内にて田園プラザについて改めてスマホで検索してみると、「関東一、全国でもトップレベルの道の駅」ということがわかる。
「うーむ……こういう場所にこんな大規模な道の駅があるなんて……思えば上越に行った時も突然大規模な道の駅に出会った事があったな……観光地として有名でない所の方が成功するのだろうか」
腰掛けながら自身の情報収集不足を少し反省する。
一方で、「だからこそ良い」とも思え、複雑な感情を抱く。
地元産の牛などから取れるミルクをコーヒーに溶かしたカフェラテは非常に美味であり、律はそれらを飲みながらゆったりとした時間をすごした。
実は先ほど食したピザなども殆どが地元産の材料を使ったもの。
地産地消。
ここではそれによって高い評価を与えられて成立している。
野菜などは利根沼田望郷ラインの周辺に展開される沼田市の農家んはどから提供されたものであり、川場村産を含め、周辺地域で採れたもの。
群馬が決して他の地域に劣らない優秀な農耕地であることを証明するかのような場所が田園プラザなのである。
観光客の多くの目当ては実は料理よりも地元産の野菜や果物だったりするわけだが、土産屋には信じられないほど大量の野菜が並び、それを無償提供される段ボール箱に大量に詰め込んで車に持ち帰る者の姿を頻繁に目にする。
律もその姿を見ていたものの、バイクは積載に限度があるだけでなく、鮮度を保ったまま家に持ち帰ることが難しいため躊躇していた。
「うーん……保冷バッグか何か……生鮮食品を持ち帰れるような方法も検討しなきゃな」
お土産屋からダンボールを持ち出す者たちの姿を遠くから見ていた律な羨ましそうに視線を送っていた。
キャンプツーリングにおいても野菜がしなびたりしていた様子があったことを思い出し、律は「地元の野菜をおいしく新鮮なまま持ち帰る」事が出来る方法として大型の保冷バッグ化何かの必要性を感じる。
これがあれば保冷剤などがあれば日帰りできる範囲であれば新鮮な状態を保ったまま自宅までお土産として生鮮食品など生ものを持ち帰ることが出来る上、キャンプなど家から材料を持ち出す時にも便利だ。
(今後の課題が多いな。燃料タンクのヤケドもいい加減どうにかしないと)
ジンジンと痛みを感じ続ける太ももをさすりながら、律は次のツーリングまでに再び準備を整える必要性を感じる。
(帰ったら真っ先に弱点を克服しつつ、オフロードバイクについて見当しよう。それとジムカーナについても様子を見てみるか)
次の目標が決まった律はサッとテーブルから立ち上がると、一旦お土産屋に向かってからCB400に戻って帰宅準備に取り掛かった。
土産屋ではこんにゃくなど群馬を代表するみやげ物を家族向けへ購入し、それらをCB400のミッドシートバッグに突っ込み、そのまま川場村を後にする。
流石に疲れていたので、帰りは関越道を使い、沼田ICから練馬、そしてそこから環八を使い、自宅へと戻ったのだった――




