curtain call II罪歌の作者
帝都の中央区と平民街の境近くの屋敷に場違いな程に立派な馬車が停まっていた。
この辺りは貧乏な下位貴族や商売で成功した商人達が入り混じる区画であり、停車していた馬車に乗れる程の家はこの辺りにはないのだ。
一軒の程々に小さな屋敷からは身なりの良い男が憤怒で顔を赤くさせながら乱暴に家人を押し退けて出てきた。そしてそのまま馬車に乗って行った。
家人はやれやれと言った面持ちで尻餅をついた際についた埃を払う。
「先生、本当に追い返しちゃって良かったんですか? 久しぶりの上客ですよ? 皇室からの依頼なんて光栄なことじゃないですか‼︎」
屋敷のエントランスの奥からは長い髪を編んだ老人が首を振りながら歩み寄る。
「マルコ、お前はどちらの味方なんだい?
私はどうにも前帝を讃える歌劇は書けそうも無い。
それはお前だって分かっているだろうに…」
「だって勿体無いじゃ無いですか! 先生の名を轟かすチャンスだし、何より飯の種じゃ無いですか! 先生いつも教会の孤児院よりもひどい飯なんですよ?自覚あります?! 俺育ち盛りなんですよ?!」
マルコは孤児院育ちの今年17歳の男の子である。
彼は7歳の頃から師について学んでいる唯一の弟子だ。
さて、彼の師はこの家の家主で帝都でも指折りの作曲家であり演出家であり芸術家だと言うのに、稼ぎの殆どを孤児院や教会へと寄付するので暮らし向きは貧相そのもの。
職業から考えるととても地味なのだ。
「そんなにもここの暮らしが嫌ならば独り立ちしたら良いだろう? 私は嫌がる子供に無理強いはしないよ?」
少しばかり意地の悪さが見える笑顔で師はいった。
「俺みたいな身寄りなしに芸術を教えてくれる酔狂な人、帝都中探しても先生くらいですよ!
分かってて言ってくるあたり『嘆きのアレク』の名が泣きますよ?嘆きたいのはこっちだ」
マルコは頬を少しばかり膨らます。
しかし今度はとても真摯な顔をして師が口を開く。
「マルコ、お前はまだ若い。お前が言うように今はまだ芸術は貴族が評価する時代だ。
暮らし向きの良い人々が占拠して評価する…そんな時代なのだから、お前ももう少し大人になりなさい。
お前が言うようにお前の出自で物を見てくる者も多くいるだろう…
この先その全てを私は守ってやる事はできないのだから…」
その言葉と師の態度にマルコは唇を噛む…
師は青年期に聖力喪失の奇病を患った。
今は発病者も出る事は無い幻と呼ばれる程の病だった。
そして、その影響は老年期となり一気に押し寄せていた。
他の同年代と比べても命の削られ方が激しいと思う。
勿論芸術家としての不摂生もあるのだとは思うが、ここ数ヶ月は床に臥す事も度々であった。
「そんな顔をするな、マルコ。 私は十分に生きたし、人並み以上に美しい物をこの瞳に見せることが出来たと思っている。
才溢れる若者にも出会えたし、慕ってくれる友とも、私の作品を好きだと言って下さる後援者にも巡り会えた。
人の縁の不思議な事だね…どの縁もきっと…繋いでくれる人がいる」
彼の瞳はいつの頃からか悪夢を見せることをやめた。
時折懐かしい夢を見せるようになって久しい。
しかしそれもまた彼にとっては失った過去故に物悲しさだけが募る。
そして今の彼を取り巻く人々の多くは彼の瞳と縁のあるもの達だ。
その嘆きと苦悩は弟子がよく知っている。
「はい…」
少しばかり拗ねたように俯く青年を師は微笑ましく思う。
彼は彼なりに自分を心配し、慕ってくれているのは分かっている。
大きな仕事が入れば気力が戻ってもっと頑張れるのでは無いかと思っているのも分かっている。
彼はその育ちに似合わずとても純粋で素直な子なのだと知っている。
しかし、自分の中から零れ落ちる命の水を堰き止める事が叶わないのは自分が1番良く分かっているし、知っている。
アレクにとっての心残りは目覚めた妹に直接会って謝罪が出来ない事と、弟子を1人残して逝くことだけだ。
「私はね、今書いている曲を最後に引退をしようかと思っているよ」
「えっ……」
マルコの顔は驚愕と絶望に彩られる。
そんな弟子の頭をポンポンと叩いて安心させるようにまたアレクはいう。
「大丈夫だ。まだまだ時間はかかりそうだし、何よりもうお前も一人前だ。
私が居なくても何とでもなる。
欲を言えばもう少しばかり人に頼る事を覚えるといい。
人は1人では絶対に生きていけない。
強がるのではなく、弱いところを見せる勇気も時には必要だ。
マルコ、お前にはそれが出来るだけの人望も才能もあるのだからね」
アレクは知っている。
彼が名声を欲していることを。
しかしそれは己のためでは無い。
事故で親を失った己を育ててくれた人達や共に育った家族のためだと言う事を。
だからこそアレクは彼を唯一の弟子として取り立てたのだ。
まだ幼い彼が孤児院に慰問しに行ったアレクに飛びかかって懇願した日が懐かしい。
「ルチアーナ以上の芸術は無いと思えるくらいに感動した!だから俺を弟子にしてくれ!
住み込みで飯抜きだっていいから、俺に先生の全てを教えてくれ!
俺もあの劇みてからお芝居考えたんだ!読んでくれよ‼︎」
幼い真っ直ぐな目に気圧されながらそれを受け取ったのが昨日の事のようだ。
あれから10年近くになる。
才能ならば彼以上の者もアレクに師事しようと訪れたが、彼のように光る志のある者は居なかった。
「それともお前は、自分が認めた大天才の私に見る目が無いとでも言うのかね?」
マルコは思わず顔を顰めて吹き出す。
「自分でそれいいますか…でも、長生きして、もっともっと私に色々と教えて下さい…僕は芸術家としては一人前ですが、人として半人前なのて‼︎」
そのおどけた発言に今度はアレクが吹き出す。
「バカ弟子が何を言うか!まだまだ芸術家としても半人前だ」
「えぇ〜さっき一人前だっていったじゃ無いですか!」
「そんな口叩くうちは半人前扱いだよ、バカ弟子」
冬も目前の冷たい風に、師弟のじゃれ合いが優しく溶けていく。
そんな会話から数ヶ月後、遺言が開かれた。
ー遺言ー
私、アレク・バローヌ・エメンタール男爵の意思を此処に記す。
第一に私の瞳は私の死後、大聖女スピカ・ルチアーナ嬢へとお返しする事を願う。
それが叶わなくとも彼女の光となる事を切に祈る。
第二に私は養子としてマルコ・レクチェを迎え、私の残す全ての財産の管理を彼へと託す。
私の遺した知的財産権の有効期限内、その収益の半分は教会及び孤児院等の恵まれない環境の者への寄付とする。
残りの三分の二は芸術の後進育成の基金として使ってもらいたい。
そして残りの三分の一はその管理をする者へと委ねる。
そして私が生前最も遺したであろう人との縁を私の代わりに息子へと繋げて貰えたのならば嬉しい事はない。
私の遺作の公表も含め全ての権利を息子へと譲渡する。
アレク・バローヌ・エメンタール
数年後、芸術家アレクの名を冠した小さな芸術専門の寺子屋の様なものが開講した。
平民貧民富裕層分け隔てなく数多くの人々に学問の門を開き、大陸有数の、学園となるのは暫く後の話である。
そしてその学園の創立に名を連ねたのは皇族や辺境伯、近衛師団長に国家魔導士長に枢機卿などの錚々たる面であった。
「単に人の縁」
初代学園長にして芸術家のマルコ氏は座右の銘をこう語る。
彼は多くの芸術を世に送り出した。
しかし芸術家としてよりも彼の評価は教育者としてのものの方が高い。
もしかしたら彼の最高傑作はその学舎を巣立った人なのかも知れない。
その意思と志の寄る辺は彼の養父アレクに帰因する。
質素倹約を好んだのも養父に倣ったとされている。
彼の養父の遺作はこの学園の象徴として今も歌われる。
大切な人を大切にしなさい。
人との縁を大切にしなさい。
途切れぬ絆を作りなさい。
時には過ちも別れもある。
それすらも人の縁。
己をかえりみなさい。
自分が自分である限り、自分の行いは誰かを動かす。
そう歌う曲の名は「罪歌」
優しく切ないその歌に似つかわしくない曲名だが誰もそれを指摘などしない。
彼の人生の歌を今日も誰かが歌う。
〜curtain call II罪歌の作者 終〜
お読みいただきありがとうございます。
活動報告にも記載しましたが、本作が書籍化する事になりそうです!
詳細については決まり次第活動報告にてご連絡いたします。
読んでくださる皆様の「ご縁」に支えられております。
今一度感謝を込めて、ありがとうございます!
佐藤真白




