花園の契約
神域の中、後ろを振り向けばふわりとした光の中にぼんやりと人の形の何かが佇んでいる。
「いらっしゃい、スピカ・ルチアーナ。私は貴女達が神と崇め祀る最初の人柱。初代や女神パレスと呼ばれる存在。
私はこの世界に溶け込む概念と成った存在。既に人の括りの外、結界の情報と調停者としての存在。
貴女は私が見えているようね。とても久しぶりだわ。
さぁ、教えて神域の外の事を。今何を私に望むのか。
貴女の願いを伝えなさい」
私は驚いてしまって言葉など出ません。
「あれ?聞こえて…る?」
目の前で手を振って確認をされています…
「あっ、はい、聞こえています…えっと…初代様。お初にお目にかかります。スピカ・ルチアーナと申します」
「いらっしゃい、スピカって呼んでもいい?」
「はい、光栄です!」
「もっとフランクにしてよ〜堅苦しいの苦手なの」
私はどうして良いのか分からなくなります。
「あぁ、私伝承では皇女なんだっけ?本当はさ、別の世界から来た平民なの。
初代皇帝はさ、勇者召喚ってギフト持ちでね、それで私は呼ばれちゃったってわけ。
私のいた世界は魔法がなくてファンタジーって空想の物語として語られてたわ。その代わり科学が発達していて、私はその知識をこちらに反映させる為に呼ばれたみたいだったんだけどね…
最後は私のギフトスキル統合を強制発動させられてこの結界の守り主として人柱よ…
まぁその概念を教えちゃった責任があるから、私はここにいるんだけどね。
私はこの神域と貴女達が眠る聖域にしか認識干渉が出来ないの。後は結界に悪きものの気配があればわかる程度なのよね…
だから貴女が持っている新しい知識や概念を教えて欲しいわ。それによって私は結界を修正したり補強したり出来るの。
そして私は与えられた権限内で貴女の望みを叶えてあげる。
それが結界という不条理へ、力の供給源となる貴女へしてあげられる最大限の罪滅ぼしとなるわ…」
初代様は一気にお話しになります。
情報が色々とあり過ぎてもうよくわかりません…
「初代様、私はそんな知識など持ち合わせていませんわ…お力になれるかどうかも分かりません…」
「それでも、貴女は教会で育った訳でも学園に通えなかった訳でもないのでしょ?
それならきっと大丈夫。
最近はね、私の事が見える子なんて殆ど居なかったの。
声が聞こえたり、何かを感じる程度の子達ばかりだったわ。
それ程力の小さい子達には私は大きな干渉が出来ないの。それに教会育ちは知識に偏りが大きくてね、欲しい情報が欠落してたりするのよ…
その点貴女は大丈夫な気がするわ。
力があって、教養もある人材が来るのは本当に久々のことなのよ?」
そう言われれば自分の少ない知識でも何かの役に立つかも知れないと思えてきました。
どうすれば良いのか問えば、初代様は私の手を握られました。
「そのまま私が貴女の魂の記憶を覗くことを許して頂戴。大丈夫よ、プライバシーはしっかりと守るから!」
戸惑いの中、私がこくりと頷けば初代様は私の知識を調べ始めているようです。私は特に不快感もなく、ただ手を温かい初代様に握られているだけでしたが…
「成程ね…そうなるのか…」
「嘘‼︎こんなになってたの⁈」
「あっ、これ使える!」
などなど、初代様は少し興奮を隠しきれない様子で口にされるのでその度に私は驚いてばかりおりました。
しばらく時間が過ぎてから初代様は私の手を離されます。
「ありがとう!とても有益な情報ばかりだったわ」
と嬉しそうな声音で話されます。
「お役に立てましたでしょうか?」
私がおずおず尋ねれば初代様は興奮しながら答えられます。
「役立つなんてもんじゃないよ!こんなに沢山情報があるのに貴女は自己評価が低過ぎだよ!
まずね、正確な国境線が分かった事はとっても大事‼︎
国が大きくなった事は分かっていたけど正確な地図なんて今までの子達は誰も知らなかったわ。
この情報があれば国境線を書き換える事が出来る。もっと多くの人々を守る事が出来るんだよ!」
国境は大まかには周知されていますが細かくは軍事機密となる為一般開示はされていません。
しかし、私は皇族に嫁ぐ事を前提に教育された身でしたのでその辺りも知らされておりました。
それがまさか役に立つとは思いもしなかったのです。
「次に結界システムの簡略化と省エネ化の知識!
研究職でもここまで詳しく知る人はいないんじゃないかなってくらい詳細だよ‼︎
古代魔法の無駄とか近代魔法の流れとかまで網羅されてるから書き換えも直ぐに取り掛かれる…
これで結界の維持管理が変わるわ」
魔法関係はカインお兄様のお手伝いで齧った程度でしたのに思いの外感謝されています…
それにしても初代様は色々な知識に精通されているご様子です。
時折「こっちにもチョコが出来たのか〜食べたかったなぁ〜」などあまり関係のない事柄も口にされていましたが、語る内容は学者のようです。
初代様は別の世界の平民と仰っていましたが、それ程までに違う世界は教育水準が高いのかと考え込んでしまいました。
それを察したのか初代様は苦笑いを浮かべながら教えてくれました。
「私はね、主人格は異世界から来た人間なんだけど、スキルで統合された人達が寄り集まって出来てるの。この結界を作った当時の魔法使いや聖職者が私の中にいるの…当時の叡智の結晶と言っても過言ではない情報と何人もの人柱が私を形造っているんだ…
結界なんてもののために生贄にされた憤りも、聖職者として神に仕える幸せも、大魔法使いとしての偉業に誇るのも全部私を形造る一部へと統合されている…
だから私はもう人であって人でないんだよ…
本当はね、貴女みたいな教育をしっかりと受けた高位貴族の子が私をアップデートする為に此処に来る予定だったんだ。
でもさ、やっぱりみんな死にたくなんかないじゃん…だからさ、どんどん力の弱い子ばっかりに押し付けられるような汚れ役になっちゃった…
最初は高い志を持って来てくれる子達ばかりだったんだけどね…
スピカのような人が先人に居たならもっと涙を流す子は少なくて済んだかも知れないね…」
悲しそうに語られる遠い物語はとても憂いを帯びているように感じます。
「兎に角この情報はこれからを変えるよ!パスの効率化が出来ればロスが減る分負担は少なくなるもの。結界の乙女達はもう死を覚悟する宿命から解放されるかも知れない。
命を投げ打ってまで此処に来なくても良くなるかも知れないんだよ!」
私もその言葉に嬉しくなります。
これ以上悲しい思いをする人が居なくなるのならばそれほど嬉しい事は無いではないでしょうか…
「やってみなければなんとも言えないけれど…そうね、3年程聖力奉納の為に眠ってもらう感じで調整出来そうだわ…
ある程度力があればにはなるけれど。
でも契約の関係があるから出来ても次の乙女からになってしまいそうね…」
「他の…今のご当代の乙女の方々も同じなのでしょうか?」
私自身は死を覚悟の上でした。何よりもう帰る場所も御座いません。だから此処で朽ちるものと考えて来ました。
ですが他の乙女として眠る方々は全員が全員そうでは無いと思ってお聞きしたのですが、初代様は静かに首を縦に振ります。
「申し訳ないけれどそうなるわね…
初代様とか女神様なんて呼ばれて居ても私は結局無力な人柱なんだよ…ごめんね…」
いえ、と答える他ありませんでした。
「でもね、これで何処かの誰かから無理やりに力を奪わなくて済むよ…
スピカの、お兄さんみたいな人がこの国から居なくなるよ!」
唐突な発言に疑問符ばかりが浮かびます。
「貴女達がモナザ病と呼ぶ聖力喪失の病は結界維持のためにランダムで聖力保持者から強制的に聖力を巻き上げるシステムなの…その場しのぎにしか過ぎないけれど…
数百年前に乙女になった聖女達の聖力が著しく低くてね…結界を維持するためにと当時の乙女が願った願いなの…
このまま結界が消えるくらいなら、乙女の働きが無駄になるというのなら、いっそ国民から力を奪ってしまえとね…
その少女の名がモナザ…
でも結局根本的な知識が足りなくて彼女の願い全てを彼女の想う通りに実行は出来なくて今の形になったの…」
「それは…その願いは私が願ったら叶いますか?
それに、アレクお兄様の病気も治るのですか⁈」
私は思わず聞いてしまった。
しかし帰って来たのは否の答えでした。
「それはやっぱり難しいわ。どうしても結界には核が必要で…乙女達無しではどうする事も出来ないの…
それにパスの繋がってしまった人を今から切る事は出来ない…
結界の書き換え後に発症する人が居なくなるだけで…
私は本当力がない神様もどきなんだよね…
土着の信仰が無ければ消滅してしまうくらい。出来る事も少なくて…こんなんでも信じてくれる人がいるなんて笑っちゃうよね…」
そんな事ないのに…ですが自分を責めるような初代様にかける言葉が見つかりません…
「ごめんね、暗い感じになっちゃうよね…
取り敢えずさ、スピカの知識から結界は今の国境まで拡張が出来る。
維持聖力の効率化も図れる。
それに伴って今後の結界の乙女は期間を区切っての任期制に移行出来る。眠りの後に直ぐ死ぬ事が無くなる。
モナザ病も無くなる。
スピカはこれだけの偉業の礎となる知識を私にくれたんだよ!
この他に貴女は望む事は何?私に叶えてあげられることは何?」
本当に私はそんな偉業の手助けが出来たのでしょうか…
もしそうならば本当に嬉しい…
シャーシャの家のように結界の外で日々を戦う人々が心穏やかに過ごせる。
結界の乙女も期限が決まっていればもっと多くの令嬢がその力になってくれるかも知れないですし、何より命を捧げずとも力になれるという事に安堵しました。
良かった…そう心から思うのです。
私は私の意思でこの役目に就きましたがそれでも葛藤はやはりありました。
他の人にそんな思いをして欲しいとは思いませんでしたから…
お兄様の病気も結界維持のための犠牲だったとは驚きました。
治るのであれば私は余計な事をしてしまったと思うところでした…結果としてお兄様は救えたのだと思いたい。そしてこれから、この奇病に罹患する人が居ないのは素直に喜ばしい。
そして私は何を望むのだろう…私の望みはなんだろうか…
好きな方、恋焦がれる方との逢瀬はもう叶わない。
その代わりにあの方は私と共に片割れを下さった。
だから私は決して寂しくない。
でも、私のような思いを…不条理な力で理不尽な思いをする人はいてほしくない…
「私…ステラお義姉様のような力が理不尽に行使されるのは嫌です…
もう、私達家族のように理不尽な力に自分の意思なく振り回される人がいて欲しくありません…」
初代様は「あぁ〜そうだよね…」と納得されているご様子です。
「あの力は多分もう半分くらい呪いみたいなもんだよ…これ以上は国を害するかも知れないね…
スピカも大変だったね、辛かったね。あんな毒親に両親がなるなんて思ってなかったでしょうに…」
毒親とは良くわかりませんが、良くない親という事の表現でしょうか…
私は両親を悪く言われたのだと思えば少しばかりムッとしてしまいます。
近年はどうとして、私を大切に育ててくれた人達なのですもの。
「そう怒った顔しないで。あんな仕打ちされたならもう見限ってるのかなって思ったのよ…
あの両親は随分と力を使われていたみたいだしね…
まぁ、他のお兄さん達はそこまで影響下にはいなかったのかなって私の中の研究者が言ってるわ。
精々がお姉さんの肩持つ程度かなって、あぁ、直ぐ上のお兄さんなんかはほぼ素だね。力を行使された時の煌めきが薄かったもん。
しっかし、あれ系のギフトって愛されて満たされれば自然と力が緩和されるものなのにね…よっぽど愛に飢えてたのね…可哀想に…」
「お義姉様の力を初代様はご存じなのですか?」
「うん、私の中にそれ系を研究してた人もいるから。肉体強化系や認識系、防御系、神秘系なんかは発動制約だけだけど、精神系は総じて心が満たされる事で弱体化するはずなんだよ。抗う術は本気で愛して満たしてあげる事かな…古い情報だけどね」
お姉様はあれだけの愛を両親や兄から受けていながらも満たされて居なかったというのが私は衝撃的です。
私から見ても両親はお姉様に惜しみない愛を注いでいたと思うのに…お兄様達もそれはそれは大切にしていたでしょうに…それでも満たされなかったお姉様は確かに可哀想な人なのでしょう…
そう思えば少しばかり同情致します。
どんなに渇望しても、力を行使しても本当に欲しいものが無いと思い込んでいるのですから…
そして私はお姉様が望んだ人との婚約を白紙にする願いを託した…それでなくともお姉様が望んだ人はお姉様を愛する事は無かったでしょうけれど…
やはりお姉様はお可哀想な方なのだと結論が出る。
しかし、いくら自分の心を満たすためとは言えやって良いことの範囲を逸脱しています…
これ以上の犠牲者を出してはいけない。
その思いで今一度初代様にお聞きしました。
「結界の中だけで構いません。お姉様のように人の心を同意なく動かすような力の行使を出来ないようにはしていただけませんか?」
初代様はゆっくりと頷いてくださいます。
「貴女の願いは私が聞き届けたわ。
もっとも、私の力が及ぶのは結界の中だけだよ。
他に聞きたいことや知りたいことはある?」
私は考えて疑問を聞いてみます。
「他の乙女の皆様が見当たりませんがどうされているのですか?」
「眠っているわ。皆…
私の事が見えなかった段階で干渉出来ないから…
貴女も私との語らいが終わったら眠りにつくの。そしてよっぽどの事が無ければ代替わりするその日まで眠り続けるわ」
とても寂しそうに初代様はおっしゃいます。
初代様の視線の先は私達をぐるりと取り囲む様に咲く花に向けられます。
目を凝らせばその中の大きな花の上にキラキラと輝く物が5つ等間隔で浮かんでいます。
1箇所だけやけに間隔が空いている箇所に大輪の百合の花があります。直感的にそこが私の座なのだとわかります。
あの煌めきはご当代様達なのですね…
初代様はきっと眠りについている乙女達がいるのに、ずっと結界守としてこの神域にひとりぼっちでいるのでしょう…
そして代替わりの時だけこうして話をする機会が巡ってくる。
でも近年は殆ど声すら聞き届けてはもらえなかったのでしょう。私と話す端々に嬉しさが滲んでいらっしゃいます。
「では、私はもっと沢山初代様とお話をしなければなりませんね」
初代様は驚いていらっしゃいます。
「スピカ、貴女本当にお人好しだよ。眠くなったらいつでも眠ってね。それまで沢山おしゃべりしましょう…」
そして私達は沢山のお話をしました。
建国神話と現実、乙女の先達の半生と願い、異世界の生活…尽きる事ない話題はどれも物語の中のようで時を忘れて聞き、時に質問し、私達は距離を縮めた。
抗いようのない睡魔が私を襲うと「大丈夫、私はもう寂しくないよ。その眠りは怖くない。おやすみ、スピカ」と優しく頭を撫でて下さる。
私は初代様に頭を撫でられながら…幼い頃の温もりを思い出しながら眠りへとついた。
「ねぇ、スピカ。今日は貴女に会いにお父さんが来てたよ。泣いて後悔してた…
後悔は先にできないから後悔なのにね…」
「ねぇ、スピカ。今日は貴女の家族が来ていたよ。1人だけ邪な心持ちだったから入れてあげなかったけど、皆貴女を愛してるんだね…
皆貴女を想って貴女に謝っていたよ。
羨ましくなっちゃったよ…」
「ねえ、スピカ。今日もまた貴女のストーカーがこっそりと来てたのよ!本当に奴はキモいわ…
絶対に聖域には入れないから安心して眠っていてね…
神罰がくだればいいのに…てか死んだら絶対に神罰くだすわ…絶対!生きている限りに保護対象って制約が本当ムカつくわ!」
「ねぇ、スピカ。もう直ぐモニカが起きるの…だから神託をしたの。
もう乙女は死の運命にないって…
次に来る子はどんな子かな?気になるね」
「聞いて、スピカ。今日ここに来た乙女とお話が出来たのよ!メアリーと言うのだけれど、貴女の話を聞かせてくれたんだよ!
それとね、乙女が短い期間で解放されるって知ってたの!皆半信半疑らしいけれど皇室から正式に通達された事らしいの!
これで皆…ここに来てくれるかな?」
「スピカ、あのね……
これは起きてからのお楽しみかな」
「スピカ、今日はね…」
「ねぇ、スピカ…」
「あのね、スピカ…ありがとう」
穏やかに神域の時は過ぎる。
花の移ろいも以前よりも早い。
しかし花々は美しく咲き誇る。
スピカの後に乙女となった子達は誰1人寿命を縮める者は居なかった。
そしてきっかり3年の任期を終えると人の世界へと戻って行く。
リスクの少ない中で神に奉仕する事は尊ばれ、更には純潔証明が出来ると貴族令嬢の一種のステータスの様になって行く。
花嫁修行の一環として乙女となりたがる令嬢が後をたたない。
今まで謝礼を払ってでも引き受けて貰わなければならなかった人柱が、今ではお布施を積んででもなりたがる憧れと変わった。
しかし、スピカが起きるのはもうしばし先なのだろう。
ゆっくり、ゆったり、しっかりと花は移ろい志を紡いで行く。
乙女の儀式で永遠の別れに涙する少女はもう居ない。
「いらっしゃい。次の乙女よ。貴女の名前を教えて?」




